「人に優しい封建主義」なるチベット神話(要点)
以下はマイケル・パレンティ氏の2007年の記事の要点。
Friendly Feudalism: The Tibet Myth (2007)

チベットについてのイメージは西側では巧妙に操作されているので、「中国に支配される前のチベットは牧歌的でスピリチュアルで超俗的なシャングリ=ラだった」みたいなイメージが罷り通っているが、実際には神権政治による封建制で、宗派間の対立による暴力的な衝突や即決処刑は当たり前だった。領主とラマ僧は無給の農奴制の上に君臨する経済的搾取者達で、奴隷に権利など無く、拷問(目を抉る、舌を引き抜く、腱を切る、手足を切る等)もよく行われていた。
「農奴は結婚する度に課税され、子供が生まれる度に課税され、家族が死亡する度に課税された。彼等は庭に木を植えたり動物を飼ったりしたことで課税された。宗教的な祭典、公の場での踊りや太鼓、刑務所に送られたり釈放されたりすることでも課税された。仕事を見付けられなかった人々は失業者していることで課税され、仕事を求めて別の村に旅した際には通行税を払った。人々が払えなくなると、僧院は20〜50%の利息で金を貸した。借金の一部は父から息子、そして孫へと引き継がれた。義務を果たせなかった債務者は、奴隷にされるリスクを負っていた。」
チベットの領主やラマ僧は蒋介石とは仲が良かったが、1951年にやって来た共産党には脅威を感じた。中国は当初ダライ・ラマの支配下でのチベットの自治を認めていたが、CIAはこれに付け込んで抵抗運動を煽り立てたが、「多くのラマやエリート層の信徒、そしてチベット軍の多くが蜂起に加わったが、大衆は蜂起に参加せず、失敗に終わった。」
「1959年以降に中国人によって導入された不正や新たな抑圧が何であれ、彼等は奴隷制と、とチベットの無給の農奴制を廃止した。彼等は多くの重税を撤廃し、事業計画を開始し、失業と物乞いを大幅に減らした。彼等は世俗的な学校を設立することで、修道院による教育の独占を破った。そして彼等はラサに水道と電気システムを建設した。」
ダライ・ラマと彼の顧問で末弟のテンジン・チョーギャルは、「中国の占領の結果、120万人以上のチベット人が亡くなった」と主張しているが、1953年の公式の国勢調査ではチベットの人口は1,274,000人で、 他の調査では約200万。本当に120万人も死亡していたら、チベットは「死の収容所と集団墓地が点在する殺戮場に変わっていただろう。」
中国当局はチベットでの鞭打ちや身体の損傷や切断を終わらせたと主張しているが、亡命チベット人達は中国側の残虐行為を告発している。1966〜1976の文化大革命による宗教的信仰による迫害の「過ち」は中国も認めている。1950年代の蜂起の後には数千人のチベット人が投獄されたし、大躍進の時の強制的集団農業は時に穀物生産に壊滅的な打撃を与えた。中国のコントロールが緩くなったのは1970年代後半になってからで、80年代には自治へ向けた改革が行われ、国境管理も緩和された。2007年の時点ではチベット仏教は広く実践されているが、全ての僧侶と尼僧は、宗教的立場を利用して分離や反対意見を助長しないという忠誠誓約書に署名しなければならない。
(中国全土でも格差が拡大した)90年代には漢民族がチベットに大量に移住し、貧困問題を後回しにした不均衡な都市部の発展が見られた。チベットの中国幹部は屢々チベットの隣人を後進的で怠け者であり、経済発展と「愛国教育」を必要としていると見做した(これは漢民族の貧しい農村部の人々に向けられた眼差しと似た様なものだろう)。同じ頃ダライ・ラマ信用失墜キャンペーンも活発化した。一人っ子政策の間はチベット人家族に許された子供の数は3人だった(漢民族の場合は1人、地方では最初の子供が女児だった場合に2人まで)。
ダライ・ラマを筆頭として亡命チベット人達はCIAから豊富な資金提供を受け、武装部隊も用意された。彼等は今ではCIAの他NEDの様なフロント組織や、ジョージ・ソロスの様なカラー革命の達人から支援を受けており、チベット国内での「民主主義活動」にも数百万ドルが割り当てられている。
現ダライ・ラマは亡命時にはまだ25歳だったので、旧体制の残虐さについて彼を責めることは出来ない。彼は盛んに平和、愛、非暴力、時にマルクス主義や労働者の権利、修道女の教育について進歩的な見解を口にしているが、1999年にはCIAが支援するチリの元独裁者ピノチェトの釈放を求めた。米軍のイラク侵略については「正しいか間違っているかを言うのは時期尚早」だとして正面からのコメントを避け、NATOによるユーゴの「人道的」爆撃や米軍によるアフガニスタン侵略も支持した。
多くの普通のチベット人は、ダライ・ラマが自国に戻ることを望んでいるが、彼が代表する社会秩序への復帰を望んでいる人は比較的少ない様だ。彼の顧問の大部分を構成する腐敗した貴族の一族の帰還を歓迎し、改革で手に入れた土地を明け渡そうと思うチベット人は殆ど居ないだろう。或る元奴隷は「私は中国の共産主義の下では自由ではないかも知れないが、奴隷だった時よりはましだ」とコメントしている。全てのチベット仏教徒がダライ・ラマを神学的・精神的な指導者として受け入れている訳ではない。彼は「チベットの精神的指導者」と呼ばれているが、多くの人はこの称号を形式的なものに過ぎないと考えている(米国大統領が「自由世界の指導者」と呼ばれても、それによってフランスやドイツを統治する役割が与えられる訳ではない)。
「チベットに於ける古い封建的神権政治の終焉を歓迎することは、その国に於ける中国の支配について全てを称賛することではない。………逆もまた真だ。中国の占領を非難することは、以前の封建体制を美化する必要が有るという意味ではない。」「チベット人は、完璧な心霊主義者や無実の政治的シンボルとしてではなく、現実の人々だと認識されるべきだ。」「彼等を理想化することは、彼等の人間性を否定することになる。」
パレンティ氏は2007年時点での中国の経済発展に伴う格差の拡大、腐敗と略奪、福祉制度の後退、環境破壊や汚染等を挙げ、「これはチベット人にとって良い前兆ではない」と警告を発することで結んでいる。この後胡錦濤から習近平時代に状況が大きく変わったことは周知の通りで、前代未聞の貧困脱出作戦や一帯一路構想によるグローバルサウスの解放等、中国は新自由主義的逸脱から軌道修正して革命の精神に立ち戻った様に見える(中国政府の思惑はともかくCOVID-19詐欺に加担することで一寸雲行きが怪しくなっては来たが)。
Friendly Feudalism: The Tibet Myth (2007)

チベットについてのイメージは西側では巧妙に操作されているので、「中国に支配される前のチベットは牧歌的でスピリチュアルで超俗的なシャングリ=ラだった」みたいなイメージが罷り通っているが、実際には神権政治による封建制で、宗派間の対立による暴力的な衝突や即決処刑は当たり前だった。領主とラマ僧は無給の農奴制の上に君臨する経済的搾取者達で、奴隷に権利など無く、拷問(目を抉る、舌を引き抜く、腱を切る、手足を切る等)もよく行われていた。
「農奴は結婚する度に課税され、子供が生まれる度に課税され、家族が死亡する度に課税された。彼等は庭に木を植えたり動物を飼ったりしたことで課税された。宗教的な祭典、公の場での踊りや太鼓、刑務所に送られたり釈放されたりすることでも課税された。仕事を見付けられなかった人々は失業者していることで課税され、仕事を求めて別の村に旅した際には通行税を払った。人々が払えなくなると、僧院は20〜50%の利息で金を貸した。借金の一部は父から息子、そして孫へと引き継がれた。義務を果たせなかった債務者は、奴隷にされるリスクを負っていた。」
チベットの領主やラマ僧は蒋介石とは仲が良かったが、1951年にやって来た共産党には脅威を感じた。中国は当初ダライ・ラマの支配下でのチベットの自治を認めていたが、CIAはこれに付け込んで抵抗運動を煽り立てたが、「多くのラマやエリート層の信徒、そしてチベット軍の多くが蜂起に加わったが、大衆は蜂起に参加せず、失敗に終わった。」
「1959年以降に中国人によって導入された不正や新たな抑圧が何であれ、彼等は奴隷制と、とチベットの無給の農奴制を廃止した。彼等は多くの重税を撤廃し、事業計画を開始し、失業と物乞いを大幅に減らした。彼等は世俗的な学校を設立することで、修道院による教育の独占を破った。そして彼等はラサに水道と電気システムを建設した。」
ダライ・ラマと彼の顧問で末弟のテンジン・チョーギャルは、「中国の占領の結果、120万人以上のチベット人が亡くなった」と主張しているが、1953年の公式の国勢調査ではチベットの人口は1,274,000人で、 他の調査では約200万。本当に120万人も死亡していたら、チベットは「死の収容所と集団墓地が点在する殺戮場に変わっていただろう。」
中国当局はチベットでの鞭打ちや身体の損傷や切断を終わらせたと主張しているが、亡命チベット人達は中国側の残虐行為を告発している。1966〜1976の文化大革命による宗教的信仰による迫害の「過ち」は中国も認めている。1950年代の蜂起の後には数千人のチベット人が投獄されたし、大躍進の時の強制的集団農業は時に穀物生産に壊滅的な打撃を与えた。中国のコントロールが緩くなったのは1970年代後半になってからで、80年代には自治へ向けた改革が行われ、国境管理も緩和された。2007年の時点ではチベット仏教は広く実践されているが、全ての僧侶と尼僧は、宗教的立場を利用して分離や反対意見を助長しないという忠誠誓約書に署名しなければならない。
(中国全土でも格差が拡大した)90年代には漢民族がチベットに大量に移住し、貧困問題を後回しにした不均衡な都市部の発展が見られた。チベットの中国幹部は屢々チベットの隣人を後進的で怠け者であり、経済発展と「愛国教育」を必要としていると見做した(これは漢民族の貧しい農村部の人々に向けられた眼差しと似た様なものだろう)。同じ頃ダライ・ラマ信用失墜キャンペーンも活発化した。一人っ子政策の間はチベット人家族に許された子供の数は3人だった(漢民族の場合は1人、地方では最初の子供が女児だった場合に2人まで)。
ダライ・ラマを筆頭として亡命チベット人達はCIAから豊富な資金提供を受け、武装部隊も用意された。彼等は今ではCIAの他NEDの様なフロント組織や、ジョージ・ソロスの様なカラー革命の達人から支援を受けており、チベット国内での「民主主義活動」にも数百万ドルが割り当てられている。
現ダライ・ラマは亡命時にはまだ25歳だったので、旧体制の残虐さについて彼を責めることは出来ない。彼は盛んに平和、愛、非暴力、時にマルクス主義や労働者の権利、修道女の教育について進歩的な見解を口にしているが、1999年にはCIAが支援するチリの元独裁者ピノチェトの釈放を求めた。米軍のイラク侵略については「正しいか間違っているかを言うのは時期尚早」だとして正面からのコメントを避け、NATOによるユーゴの「人道的」爆撃や米軍によるアフガニスタン侵略も支持した。
多くの普通のチベット人は、ダライ・ラマが自国に戻ることを望んでいるが、彼が代表する社会秩序への復帰を望んでいる人は比較的少ない様だ。彼の顧問の大部分を構成する腐敗した貴族の一族の帰還を歓迎し、改革で手に入れた土地を明け渡そうと思うチベット人は殆ど居ないだろう。或る元奴隷は「私は中国の共産主義の下では自由ではないかも知れないが、奴隷だった時よりはましだ」とコメントしている。全てのチベット仏教徒がダライ・ラマを神学的・精神的な指導者として受け入れている訳ではない。彼は「チベットの精神的指導者」と呼ばれているが、多くの人はこの称号を形式的なものに過ぎないと考えている(米国大統領が「自由世界の指導者」と呼ばれても、それによってフランスやドイツを統治する役割が与えられる訳ではない)。
「チベットに於ける古い封建的神権政治の終焉を歓迎することは、その国に於ける中国の支配について全てを称賛することではない。………逆もまた真だ。中国の占領を非難することは、以前の封建体制を美化する必要が有るという意味ではない。」「チベット人は、完璧な心霊主義者や無実の政治的シンボルとしてではなく、現実の人々だと認識されるべきだ。」「彼等を理想化することは、彼等の人間性を否定することになる。」
パレンティ氏は2007年時点での中国の経済発展に伴う格差の拡大、腐敗と略奪、福祉制度の後退、環境破壊や汚染等を挙げ、「これはチベット人にとって良い前兆ではない」と警告を発することで結んでいる。この後胡錦濤から習近平時代に状況が大きく変わったことは周知の通りで、前代未聞の貧困脱出作戦や一帯一路構想によるグローバルサウスの解放等、中国は新自由主義的逸脱から軌道修正して革命の精神に立ち戻った様に見える(中国政府の思惑はともかくCOVID-19詐欺に加担することで一寸雲行きが怪しくなっては来たが)。
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