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国際司法裁判所は、ウガンダがコンゴ民主共和国に3億2,500万ドルの賠償金を支払わねばならないとの判決を下したが、米国と英国はどうなのだろうか?(要点)

以下はアフリカの知られざる世界大戦についての記事の要点。1994年に起こった「ルワンダの虐殺」については西洋では事実の半分しか伝えられておらず、それによって全体の構図が完全に歪められているのだが、この認知の歪みがその後に起こった、当時「民主主義のチャンピオン」とか称賛された米英の代理勢力が引き起こした遙かに大規模な「アフリカの世界大戦」の実態を覆い隠している。西側市民の大多数は2014年以降8年間続いて来たウクライナのドンバス戦争について全く何も知らなかった訳だが(そして今だに知らない訳だが)、それより遙かに大規模なコンゴ侵略についても恐らく全く知らないだろう。自分から積極的に情報収集しない限りは、西側大手メディアが伝えないこうした現実を知らない儘一生を終えることになる。帝国主義勢力の前科をちゃんと踏まえておかないと、何故西側自由民主主義ナチ陣営が盛んにロシアケシカラン!とか叫んでみたところで一向にアフリカ人の心に響かないのかが理解出来ない。
International Court of Justice Ruled that Uganda Must Pay $325 Million in Reparations to the Democratic Republic of Congo—But What About U.S. and UK?

 2022年2月、国際司法裁判所はウガンダに対して、1998〜2003年のコンゴの資源豊富なイトゥリ州での紛争に関して、コンゴ民主共和国(DRC)への賠償として3億2,500万ドルを支払うべしとの判決を下した。内訳はレイプ、少年兵の徴用、最大50万人の難民を含む「人命の損失及びその他の損害」に対して2億2,500万、物的損失に4,000万、金、ダイヤモンド、木材その他の商品の略奪を含む天然資源の損失に対して6,000万。これはコンゴが要求した110億ドルを遙かに下回る額だ。

 ウガンダによるコンゴ侵略の略史は以下の通り。
 ・1996年:ウガンダの最初のコンゴ侵略。コンゴのモブツ・セセ・セコ大統領をローラン・カビラに置き換える為に、ルワンダと共に侵攻した。
 ・1997年:コンゴから略奪された金と金の化合物は、ウガンダの2番目に大きな輸出収入源になった。
 ・1998年:今度はローラン・カビラをジョゼフ・カビラに置き換える為に侵攻。
 ・1999〜2003年:地球上で最も豊かな金とダイヤモンドとコルタンの鉱床を擁するコンゴのイトゥリ地域を支配。この間約5万人のイトゥリアス人が殺害され、50万人が家を逐われ、略奪、殺人、土地の強奪が繰り返された。ウガンダはコンゴの鉱物資源を少なくとも100億ドルは強奪したと推定されている。


 ウガンダとルワンダによるこれらの「アフリカの第一次世界大戦」の主要なスポンサーは米英で、クリントン政権が1996年にアフリカ危機対応イニシアチブを立ち上げて以降、ウガンダは毎年1,000〜2,000万ドルを受け取った。ペンタゴンとCIAはウガンダとルワンダに1,000万ドル以上の武器を提供した。国家安全保障局(NSA)は難民の動きを追跡出来る携帯型の衛星電話を提供した。米軍特殊部隊と民間請負業者はルワンダ愛国戦線(RPF)と、非武装の民間人に対する残虐行為で有罪となったウガンダの戦闘員達に反乱鎮圧訓練を施した。駐ルワンダ米大使館の或る高官は、このプログラムを「人殺しが人殺しを訓練している」と表現した。何人かの米国人はザイールに侵入し、仏諜報筋に拠るとフツ族難民に対する虐殺に加担した者も居た。


 これらの戦争により、ビル・クリントンの出身地であるアーカンソー州ホープに本社を置くアメリカ・ミネラル・フィールズ(AMF) や、G.H.W.ブッシュと元カナダ首相のブライアン・マルロニーが取締役を務めていたバリック・ゴールドなどの西側企業は、1,570億ドル以上の価値が有る鉱物資源を採掘する許可を与えられた。AMFのCEOジャン=レイモンド・ブールはクリントンとはアーカンソー州知事時代からの付き合いで、クリントンの最初のホワイトハウス就任式にも招かれ、主要な出資企業を通じて米民主党やクリントンに数十万ドルの寄付や資金調達を行なっている。

 ウガンダのヨウェリ・ムセベニ大統領は、ルワンダのポール・カガメ大統領と並んで、コンゴでの企業の略奪を可能にする為の代理勢力として利用されて来た。ムセベニ政権は1998〜2013年の間にの間に米帝から205億ドルの援助を受けた。マドレーヌ・オルブライト国務長官は、ムセベニを「中央アフリカ地域のビーコン」と呼んだ。1987年、社会主義者ミルトン・オボテ大統領に対する6年間の血生臭い戦争で勝利を収めたばかりのムセベニは米帝に温かく歓迎され、レーガン大統領とG.H.W.ブッシュ副大統領と会談した。ジャーナリストのヘレン・エプスタインに拠ると、ムセベニはこれ以降、「生きている他のどんなアフリカの指導者達よりも、アメリカとイギリスの高官達と遙かに多く接触して来た。」
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川流桃桜

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