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1945/08/09のソ連の満州作戦についての駐日ロシア連邦大使館の呟き

Deeply Japanさんの記事より転載。
1945年8月ソ連軍満洲侵攻作戦 by 駐日ロシア大使館

 日本の歴史教科書での1945/08/09のソ連参戦の扱いは殆どスルーに近いのだけれども、実は結構な激戦で、駐日ロシア連邦大使館はこの満州作戦の重要性を呟いている。割と大事な内容なので全文書き写してみる。



 「1945年8月9日、ナチス・ドイツの東側の同盟国であった日本との戦争で鍵となる戦いとなった、赤軍による満州戦略攻撃作戦が開始された。その一日前の1945年8月8日、米国と英国という、ヒトラーに抗する二つの連合国に対する義務をはたすべく、ソ連は在モスクワ日本大使に、宣戦布告の文書を手交しました。」


 「1945年8月9日
 満州作戦の目的は、日本陸軍最強の部隊であった関東軍の壊滅と、中国北東部(満州)、朝鮮北部の開放で、それにより第二次世界大戦を早急に終結せしめることでした。
  ソ連軍の猛攻により日本人は追い詰められ、日本軍の部隊は防戦を余儀なくされ、反撃に転じることはできませんでした。」


 「関東軍が壊滅し、本土での軍事経済上のベースがない状態で、日本は現実的な威力と戦争を継続する可能性を失ったのでした。敵側は合計8万4000人が戦死し、64万人(!)以上が捕虜となりました。目的は達成されました。
 満州作戦は、第二次世界大戦中の赤軍の作戦の中でも非常に成功したものでした。」


 「満州作戦は、赤軍の作戦の中でも非常に成功したもので、その構想、規模、動き、そして結果において、際立っている。
ソ連軍司令部はその規模において前例のない、国の西側から東側へ、1万2000キロにもなる戦力の移動を果たし、長距離にわたる策略と、陸軍、海軍、空軍の連携という、価値ある経験となった。」




 ソ連参戦については日本では今だに、関東軍がソ連も侵略しようとしていた事実を完全に棚に上げて「日ソ不可侵条約を破ったソ連は卑怯だ」などと云うトンチンカンな憤激が、どうも右翼に限らず時々呟かれる位の認識だが、日本の歴史認識が歪んだ大きな原因のひとつは、関東軍の動きが一般の意識から殆どスッポ抜けているからだろう。第二次世界大戦で日本はどの国と戦ったのかと訊かれると、大抵の日本人は恐らく「アメリカと戦った」と答えるのだろうと思うが、それは太平洋戦争に限った話であって、日本帝国軍の主力部隊は中国大陸に展開していた関東軍だ。太平洋艦隊を打ち負かしたのは米帝主導の西洋白人連合軍で合っているが、関東軍が戦った相手は金日成率いる朝鮮軍であり、毛沢東と蒋介石率いる国共中国軍であり、スターリン率いるソ連赤軍だった。まぁ蒋介石は毛沢東の足ばっかり引っ張っていた様な愛国心の薄い輩で、米帝の支援で何とか強引に権力を維持していた訳なので除外すると、これは日本帝国軍は基本的に共産主義陣営に負けたと云うことを意味する。ここを一切合切忘却して「アメリカに負けた、アメリカに負けた」みたいなマントラをずーっと繰り返して来て、ひたすら共産主義陣営=反ファシズム陣営を悪魔化して来たのが「戦後」日本のデマクラシーの歴史だ。だが歴史を忘却して共産主義陣営=反ファシズム陣営に対する理解や共感を一切シャットアウトして耳を塞いで済ませて来たそうした態度は、最早多極化へ向かう国際社会に於ては通用しないだろうと思う。権力者の傭兵のマッカーサー神社とか造って日本人を大量殺戮した戦争犯罪者に紫綬褒章とか送ってワシントンから下される託宣に従って、自国の領土の一部と隣国の戦争で儲けた金の一部を貢いでさえいれば、取り敢えず生かしておいて貰えた時代は疾っくに終わっているのだ、
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川流桃桜

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