『グスコーブドリの伝記』が微妙な件について。
何か物寂しい気分なので、先日観た映画『グスコーブドリの伝記』について書いてみます。
『銀河鉄道の夜』は特別な映画です。個人的には日本アニメ映画のベストに推しても良いと思っています。何せあの淀川長治御大が自分からレビューを書かせてくれと頼んだたった2本の映画の内の1本なのです(因みに、もう1本はヴィスコンティの『家族の肖像』だそうです)。85年ですから今からもう30年近く昔の映画なのですが、今観ても全く色褪せていません。あだち充っぽいキャラデザの登場人物が何人か出て来る所を除けば、時代性を感じさせるところも有りません。宮沢賢治自身が作った歌や詩、エスペラント語表記が用いられ、登場人物の殆どがますむらひろしの脚色に則って猫として描かれ、抑えた沈黙描写を多用して濃密な幻想的時空を演出してみせたこの傑作は、今も尚大人の鑑賞に耐え得る数少ない作品のひとつとして、文句無くお薦め出来ます。私自身、最初に観客も疎らな小劇場の小さなスクリーンで観た時以来、何度も観返しては感動させられています。
そんな訳で、同じく杉井ギサブロー監督が同趣向で、宮沢賢治のもうひとつの代表作、『グスコーブドリの伝記』を映画化すると聞いた時には、胸が震えたものでした。
が、いざ観てみると、それ程感動はしませんでした。細部まで丹念に作り込まれた美術は素晴らしいし、一寸SFっぽい、と云うかスチームパンクっぽいところも有って(飛行船、モノレール、解釈学、潮汐発電、火山の噴火誘導、気候調整等々)、視覚的には傑作だとは思うのですが、『銀河鉄道の夜』を観た時の様な、胸をガーンと衝かれる様な衝撃が無いのです。その違いは何処に有るのか………。
『銀河鉄道の夜』が比較的原作に忠実に描かれていたのに対し、今回の『グスコーブドリの伝記』ではアニメ独自の「幻想世界」が描かれ、特に後半部分の物語が結構書き換えられているのも一因でしょうが、やはり最大の違いは何かと考えてみると、音楽ではないかと思うのです。
『銀河鉄道の夜』の音楽は、細野晴臣氏が自ら申し出て担当したそうなのですが、耳に馴染み易くシンプルで、且つ非常に幻想的な色彩の強い楽曲が全篇に亘って鏤められ、当時の杉井監督の傾向とも相俟って、非常に濃厚な「死」の雰囲気を演出していました。翻って今回の場合、この「死」のモチーフが何とも希薄で、実存の深みにまで迫って行く様な迫力が無く、通常の感動作のレベルに収まってしまっている様に思えます。音楽を担当したのは小松亮太氏で、確かに標準的な作品としては仲々に素晴らしい楽曲を提供してはくれているのですが、「不朽の名作」レベルにまでは達していません。これは期待をし過ぎた方も悪いのかも知れませんが………。
以前『BSアニメ夜話』と云うテレビ番組で岡田斗司夫氏が指摘していらっしゃいましたが、杉井監督は『銀河鉄道の夜』のラスト近く、ジョバンニが叫ぶシーンで、大衆受けする路線に気持ちを切り換えたとか。私としてはあのシーンはあの映画唯一の瑕疵で、本来であればそっと呟く程度にしておくべきではなかったかと思っているのですが、どうもその辺の路線変更が関係しているのかも知れません、杉井監督の若さと云うことも有るでしょうし、とにかく全篇を貫く存在の沈黙が聞こえて来ないのです。人に依っては「あんなのは暗くてイヤだなぁ」と感じる方もいらっしゃるでしょうが、その暗さ、日常全般に蟠る沈鬱さこそが、あの大傑作の根幹だったのではないかと、今回比較してみて改めて感じました。
一応フォローしておくと、『グスコーブドリの伝記』は決して駄作ではありません。通常の感動作としては平均以上の出来で、親子で鑑賞するのに最適!とお薦めするのには私も吝かではありません。ですが良い年こいた大人が夜中に一人こっそり観返してズーンと暗い涙に浸りたいなぁ、と云う場合にお薦め出来るかと云うと………。orz やはり『銀河鉄道の夜』はあの時代が生んだ一時の奇跡だったのかなぁと、少し寂しく思う次第です。
『銀河鉄道の夜』は特別な映画です。個人的には日本アニメ映画のベストに推しても良いと思っています。何せあの淀川長治御大が自分からレビューを書かせてくれと頼んだたった2本の映画の内の1本なのです(因みに、もう1本はヴィスコンティの『家族の肖像』だそうです)。85年ですから今からもう30年近く昔の映画なのですが、今観ても全く色褪せていません。あだち充っぽいキャラデザの登場人物が何人か出て来る所を除けば、時代性を感じさせるところも有りません。宮沢賢治自身が作った歌や詩、エスペラント語表記が用いられ、登場人物の殆どがますむらひろしの脚色に則って猫として描かれ、抑えた沈黙描写を多用して濃密な幻想的時空を演出してみせたこの傑作は、今も尚大人の鑑賞に耐え得る数少ない作品のひとつとして、文句無くお薦め出来ます。私自身、最初に観客も疎らな小劇場の小さなスクリーンで観た時以来、何度も観返しては感動させられています。
そんな訳で、同じく杉井ギサブロー監督が同趣向で、宮沢賢治のもうひとつの代表作、『グスコーブドリの伝記』を映画化すると聞いた時には、胸が震えたものでした。
が、いざ観てみると、それ程感動はしませんでした。細部まで丹念に作り込まれた美術は素晴らしいし、一寸SFっぽい、と云うかスチームパンクっぽいところも有って(飛行船、モノレール、解釈学、潮汐発電、火山の噴火誘導、気候調整等々)、視覚的には傑作だとは思うのですが、『銀河鉄道の夜』を観た時の様な、胸をガーンと衝かれる様な衝撃が無いのです。その違いは何処に有るのか………。
『銀河鉄道の夜』が比較的原作に忠実に描かれていたのに対し、今回の『グスコーブドリの伝記』ではアニメ独自の「幻想世界」が描かれ、特に後半部分の物語が結構書き換えられているのも一因でしょうが、やはり最大の違いは何かと考えてみると、音楽ではないかと思うのです。
『銀河鉄道の夜』の音楽は、細野晴臣氏が自ら申し出て担当したそうなのですが、耳に馴染み易くシンプルで、且つ非常に幻想的な色彩の強い楽曲が全篇に亘って鏤められ、当時の杉井監督の傾向とも相俟って、非常に濃厚な「死」の雰囲気を演出していました。翻って今回の場合、この「死」のモチーフが何とも希薄で、実存の深みにまで迫って行く様な迫力が無く、通常の感動作のレベルに収まってしまっている様に思えます。音楽を担当したのは小松亮太氏で、確かに標準的な作品としては仲々に素晴らしい楽曲を提供してはくれているのですが、「不朽の名作」レベルにまでは達していません。これは期待をし過ぎた方も悪いのかも知れませんが………。
以前『BSアニメ夜話』と云うテレビ番組で岡田斗司夫氏が指摘していらっしゃいましたが、杉井監督は『銀河鉄道の夜』のラスト近く、ジョバンニが叫ぶシーンで、大衆受けする路線に気持ちを切り換えたとか。私としてはあのシーンはあの映画唯一の瑕疵で、本来であればそっと呟く程度にしておくべきではなかったかと思っているのですが、どうもその辺の路線変更が関係しているのかも知れません、杉井監督の若さと云うことも有るでしょうし、とにかく全篇を貫く存在の沈黙が聞こえて来ないのです。人に依っては「あんなのは暗くてイヤだなぁ」と感じる方もいらっしゃるでしょうが、その暗さ、日常全般に蟠る沈鬱さこそが、あの大傑作の根幹だったのではないかと、今回比較してみて改めて感じました。
一応フォローしておくと、『グスコーブドリの伝記』は決して駄作ではありません。通常の感動作としては平均以上の出来で、親子で鑑賞するのに最適!とお薦めするのには私も吝かではありません。ですが良い年こいた大人が夜中に一人こっそり観返してズーンと暗い涙に浸りたいなぁ、と云う場合にお薦め出来るかと云うと………。orz やはり『銀河鉄道の夜』はあの時代が生んだ一時の奇跡だったのかなぁと、少し寂しく思う次第です。
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