毛沢東モンスター神話のデバンキング
Mobo Gao著、The Battle for China's Past: Mao and the Cultural Revolution
冷戦は表向き30年も前に終了しているにも関わらず、巷では反共プロパガンダが寧ろ新冷戦の波に乗って大流行りだ。主な標的は中国とロシアだが、西側の諜報部と大手メディアは大規模なプロパガンダシステムを世界中に張り巡らして情報的大政翼賛体制を完成させてしまっているので、どれだけ荒唐無稽なフェイクニュースであっても、マスコミ報道を疑わない人は「中国やロシアは嘘を吐いている!」と云う嘘をあっさり信じ込む始末。これは既存の右派・左派を問わないし、世界一級の知識人と言われる様な人達であっても関係無い。だから国内情勢についてはまともなことを言える人でも、国際情勢になると途端に無自覚な帝国主義者・新植民地主義者・新自由主義者と化して、違法なことや非人道的なことを平気で主張する光景がよく見られる。そうした嘘の積み重ねが、最早妄想の塊としか言えない様な西側の世界観を形作っている(この状態を「デマクラシー」などと呼ぶ人も居るが、ピッタリの呼称だと思う)。
そんな訳で、この反共プロパガンダの問題は実に根深いなぁと思って、私は最近この方面の文献をちびちび読む様にしている。最近の中国に関しては、代替メディアの独立系ジャーナリスト達がフェイクニュースのデバンキングを勢力的に行なってくれているし、今はスマホやPCが1台有れば世界中に情報を発信出来る時代なので、現実の中国が西側のマスコミ報道が伝える姿からどれだけ掛け離れているかを伝えて行くれる素人ジャーナリストも大勢居る。その流れで、過去の中国に関する嘘も色々と解る様になって来た(例えば天安門事件については私は最初から虐殺の確かな証拠が提示されていないので長年判断を保留していたのだけれども、ここ数年明らかになった情報によって、完全に捏造であったと今は確信している)。中国に関して西側のプロパガンダで最も人気の有る悪役はやはり毛沢東で、ソ連のスターリンと並んで、非道な巨大犯罪を次々やらかした血も涙も無い大悪党、と云うことになっている。本書は、類書の中でも特に毛沢東に焦点を当ててそのモンスター神話の嘘や偏向情報を暴いたもので、全体的にバランスが取れていてソースもしっかりているので、更に勉強を進めたい読者の踏み台としても適していると思う。
本書で取り上げているテーマは大別して3つ、大躍進による飢饉と、文化大革命、そして毛個人についてだ。毛は狂信的イデオロギーに取り憑かれた権力欲の亡者で、他者に対しては冷淡で共感を欠き、色情狂で権力を私物化した我儘放題の独裁者で、狂った政策を押し付けて故意に何千万人もの人民を餓死させたり、自分の権力闘争の為に若者の暴力を煽って利用した、と云うのが西側の公式の毛沢東像だ。だが本書や類書が様々な記録や証言を基に提示している説明は全く異なる。毛は大躍進や文革に於ては寧ろ事態のエスカレートを防ぐ為に何度も抑制的措置を繰り返している。西側のイメージだと、共産主義国家は中央が全てを管理して地方やそれに黙って従うだけ、と云う構図が一般的だが、毛は寧ろ権力の分散化に熱心だった。革命は草の根レヴェルで根付かなければ意味が無いと考えた毛は、だからこそトップダウンの改革を主張した劉少奇と対立した訳だが、毛の路線ではボトムアップでヒートアップする革命熱を抑えきれず、中央のコントロールが利かなくなってしまった。被害の拡大はそうして起こった。
私は別に毛沢東に特別の思い入れが有る訳でもないし、歴史的事実を検証する為の訓練も受けてはいない。だが私がこの説明に私が説得力を感じるのは、例えば今でも毛沢東に対して強制された訳でも無いのに敬愛の念を向ける(例えば私室に毛の写真を飾る等)中国人が大勢居ると云う報告が色々出ているからだ。一番単純な説明は「彼等は皆中国共産党に洗脳されている」だが、中国共産党はポスト毛時代に毛を非難する路線に切り替えているので、これは辻褄が合わない。そして仮に洗脳されていたとしても、大躍進や文革の直接の被害者は中国人自身だ。これは世界の反対側で何十万人も虐殺した戦争犯罪者を平和主義者と讃えてノーベル平和賞を送る様なこととは訳が違う。他ならぬ自分達自身が被害に遭っている巨大犯罪について、どうやったら「犯人には罪が無い」などと信じさせることが可能なのだろうか? 不可能ではないのかも知れないが、それは人間一般に対する私の理解とは食い違う。毛個人が狂人だと信じることは、彼を信じる大勢の中国人もまた狂人であると信じることになる。それよりは、毛も彼を敬愛する中国人達も欠点の多い普通の人間であって、大躍進や文革の被害は毛個人の責任と云うよりも中国人全員の責任だ、と云う理解が行き渡っているからこそ、毛を恨む人が少ないのだ、と解釈した方が、事態をよりすっきり説明出来る様に思う。
毛沢東の悪魔化プロパガンダが隆盛を極めているのには幾つか原因が考えられる。ひとつは言うまでもなく西側(資本主義諸国)の反共プロパガンダだ。共産圏ブロックが消失して冷戦が表向き終了した後、ハンチントンの『文明の衝突』に象徴される様に、西側は自ら生み出した妄想的世界観にどっぷり浸り込み、NATOの野放図な拡大やアメリカ帝国の覇権の強化に伴って、共産主義や社会主義は何もかも悪かったと云う歴史の改竄が横行した。80年代から90年代に掛けては中国でもロシアでも新自由主義勢力が幅を利かせ、こうしたプロパガンダ攻勢の前に曾ての共産主義勢力は為す術が無かった。
悪魔化の原因は中国国内にもふたつ有る。これを理解する為に必要なのは、毛沢東が行なったのは本物の革命であって、革命なのだから当然それによって力を奪われる者と力を得る者が存在したと云うことだ。毛の悪魔化の旗振りを行なっている中国人達は、革命前は西洋式の教育を受け、大きな邸宅に住んで運転手付きの自家用車を乗り回していた様な人々だ。そうした人々が革命、特に文革について恨みつらみを述べるのは或る意味当然とも言える。だがそれは現実の一方の面に過ぎないのであって、革命によって力を得た側からの意見を聞かねば、フェアな評価は下せない。彼等は「裕福な暮らしを享受していた自分が突然、貧乏な百姓と同じ暮らしを強いられる様になった」と不満を漏らす訳だが、当時の中国人の圧倒的大多数はその貧乏な百姓だ。草の根レヴェルで革命を担った彼等の側に視点を移せば、公式のプロパガンダとは全く異なる文革像が浮かび上がって来る。だが貧しい者は当然ながら発信力が弱く、西側や中国のエリート層にまで彼等の声が届くことは滅多に無い。他方で発信力の強い富裕層は自分達の憤懣に任せて時に嘘八百だらけの毛の誹謗中傷を繰り返している訳なのだが、西側の反共主義の専門家でさえ「デタラメ過ぎる」と呆れる様な内容のものであっても、彼等の書いた「暴露本(実際は捏造だらけの妄想本)」は十数ヵ国で翻訳されてベストセラーになったり、大学院の教科書に使われたりするのだ。こんな状況では西側市民の毛沢東像が際限無く歪んで行くのは当然だ。
中国国内の毛の悪魔化のもうひとつの原因は、ポスト毛時代の開放路線だ。鄧小平や江沢民の様な所謂「走資派」が行なったのは新自由主義的改革であって、公式のプロパガンダでは中国はこれによって毛時代の経済的停滞から脱して経済成長への道を進み始めたことになっている。彼等は現在の政策を正当化する為に、以前の毛路線が如何に劣悪なものであったかを喧伝して回った訳なのだが、これもまたかなりの嘘や歪曲が混じっている様だ。本書に拠れば、2000年代以降のインターネットの発達により、従来のこうしたプロパガンダに異を唱える草の根の対抗言説が次々出現しているらしい(西側には殆ど届いていないが)。新自由主義路線の欠点は今では明らかだ。中国が「世界の搾取工場」と化すことで国内の格差は拡大し、都市部の富裕層は確かに恩恵を受けはしたが(そしてそこだけが中国の真の発展を証明するものとして喧伝された訳だが)、貧しい地方部からすれば改革開放は寧ろ後退であって、教育や医療等の生活レヴェルは寧ろ低下したことが指摘されている。それでも全体として経済成長が続いたのは開放路線「のお陰」ではなく、寧ろ開放路線「にも関わらず」、毛時代に離陸の為の基盤がきちんと整備されていたからだ、と云う主張が、ネットでは幾つものデータを使って証明されているらしい。毛の評価は、ポスト毛時代の評価と切っても切り離せない関係に有ると言えるだろう。
私が中国と云う国の評価について今一番悩んでいるのは、2020年末から正式に始動したCOVID-19パンデミック詐欺に関する件についてだ。この話はどうしても長くなるので深入りはしないが、この詐欺を推進している所謂グローバリスト勢力と中国政府との関係が、私は今だに全く理解出来ないでいる(これは中国だけでなく他の社会主義諸国や反帝国主義諸国についても同様だ。医療先進国である筈のキューバでさえ2歳の子供にまでワクチンを打ち始めた時には驚愕した)。この件について何人もの識者が分析を行なっているが、どれも私には納得の行かないものばかり。そこで一度頭を整理したかったのだが、本書は大変その役に立ってくれた(結論が出た訳ではないが)。
「今の中国は資本主義勢力か?」と云う問いに対しては、やはり80~90年代の走資派時代に関して言えば、自国民の生活を犠牲にして資本主義システムの再活性化に貢献していたと評価するのが妥当だろうと思う。本書は2008年に出版されたのでそれ以降の中国の施政に関しては何も触れていないが、少なくとも今の中国は「世界の搾取工場」の地位から脱して、順調に社会主義的軌道修正を行なっている様に私には見える。歴史的な貧困脱出作戦を主導している習近平首席は、父親が党の大物だったにも関わらず、文革によって若い頃は農村で羊を追う生活を送った人物だ(新自由主義諸国の政治的指導者の中に、貧しい農村の生活を直接知っている人間が果たして居るだろうか?)。今の路線が過去のその経験と無関係ではないとする解釈はそれ程強引なものではないと思う。現在の中国の姿は「文革で育った若者達が国政を担ったらどうなるか」と云う問いに対する答えの様なもので、毛沢東の評価はそこからまた問い直さねばならないのではないかと思う。中国を擁護する何人もの言論人が指摘していることだが、中国政府の施政と西側諸国政府の施政とは同じタイムスパンで考えてはならない。次の四半期の株価を気にせねばならない新自由主義諸国と違って、長期安定政権を続けている中国は5年、10年どころか、50年、100年先を見据えて政治を行なっている。毛沢東の遺産を考える時、そうした指摘が何と正しいものだろうかと思わずにはいられない。実際、毛はそれだけラディカルで短期的には評価出来ない変革を志向したのだろうと思う。毛沢東の評価を定めるのは、ひょっとしたらまだ早過ぎるのかも知れない。
冷戦は表向き30年も前に終了しているにも関わらず、巷では反共プロパガンダが寧ろ新冷戦の波に乗って大流行りだ。主な標的は中国とロシアだが、西側の諜報部と大手メディアは大規模なプロパガンダシステムを世界中に張り巡らして情報的大政翼賛体制を完成させてしまっているので、どれだけ荒唐無稽なフェイクニュースであっても、マスコミ報道を疑わない人は「中国やロシアは嘘を吐いている!」と云う嘘をあっさり信じ込む始末。これは既存の右派・左派を問わないし、世界一級の知識人と言われる様な人達であっても関係無い。だから国内情勢についてはまともなことを言える人でも、国際情勢になると途端に無自覚な帝国主義者・新植民地主義者・新自由主義者と化して、違法なことや非人道的なことを平気で主張する光景がよく見られる。そうした嘘の積み重ねが、最早妄想の塊としか言えない様な西側の世界観を形作っている(この状態を「デマクラシー」などと呼ぶ人も居るが、ピッタリの呼称だと思う)。
そんな訳で、この反共プロパガンダの問題は実に根深いなぁと思って、私は最近この方面の文献をちびちび読む様にしている。最近の中国に関しては、代替メディアの独立系ジャーナリスト達がフェイクニュースのデバンキングを勢力的に行なってくれているし、今はスマホやPCが1台有れば世界中に情報を発信出来る時代なので、現実の中国が西側のマスコミ報道が伝える姿からどれだけ掛け離れているかを伝えて行くれる素人ジャーナリストも大勢居る。その流れで、過去の中国に関する嘘も色々と解る様になって来た(例えば天安門事件については私は最初から虐殺の確かな証拠が提示されていないので長年判断を保留していたのだけれども、ここ数年明らかになった情報によって、完全に捏造であったと今は確信している)。中国に関して西側のプロパガンダで最も人気の有る悪役はやはり毛沢東で、ソ連のスターリンと並んで、非道な巨大犯罪を次々やらかした血も涙も無い大悪党、と云うことになっている。本書は、類書の中でも特に毛沢東に焦点を当ててそのモンスター神話の嘘や偏向情報を暴いたもので、全体的にバランスが取れていてソースもしっかりているので、更に勉強を進めたい読者の踏み台としても適していると思う。
本書で取り上げているテーマは大別して3つ、大躍進による飢饉と、文化大革命、そして毛個人についてだ。毛は狂信的イデオロギーに取り憑かれた権力欲の亡者で、他者に対しては冷淡で共感を欠き、色情狂で権力を私物化した我儘放題の独裁者で、狂った政策を押し付けて故意に何千万人もの人民を餓死させたり、自分の権力闘争の為に若者の暴力を煽って利用した、と云うのが西側の公式の毛沢東像だ。だが本書や類書が様々な記録や証言を基に提示している説明は全く異なる。毛は大躍進や文革に於ては寧ろ事態のエスカレートを防ぐ為に何度も抑制的措置を繰り返している。西側のイメージだと、共産主義国家は中央が全てを管理して地方やそれに黙って従うだけ、と云う構図が一般的だが、毛は寧ろ権力の分散化に熱心だった。革命は草の根レヴェルで根付かなければ意味が無いと考えた毛は、だからこそトップダウンの改革を主張した劉少奇と対立した訳だが、毛の路線ではボトムアップでヒートアップする革命熱を抑えきれず、中央のコントロールが利かなくなってしまった。被害の拡大はそうして起こった。
私は別に毛沢東に特別の思い入れが有る訳でもないし、歴史的事実を検証する為の訓練も受けてはいない。だが私がこの説明に私が説得力を感じるのは、例えば今でも毛沢東に対して強制された訳でも無いのに敬愛の念を向ける(例えば私室に毛の写真を飾る等)中国人が大勢居ると云う報告が色々出ているからだ。一番単純な説明は「彼等は皆中国共産党に洗脳されている」だが、中国共産党はポスト毛時代に毛を非難する路線に切り替えているので、これは辻褄が合わない。そして仮に洗脳されていたとしても、大躍進や文革の直接の被害者は中国人自身だ。これは世界の反対側で何十万人も虐殺した戦争犯罪者を平和主義者と讃えてノーベル平和賞を送る様なこととは訳が違う。他ならぬ自分達自身が被害に遭っている巨大犯罪について、どうやったら「犯人には罪が無い」などと信じさせることが可能なのだろうか? 不可能ではないのかも知れないが、それは人間一般に対する私の理解とは食い違う。毛個人が狂人だと信じることは、彼を信じる大勢の中国人もまた狂人であると信じることになる。それよりは、毛も彼を敬愛する中国人達も欠点の多い普通の人間であって、大躍進や文革の被害は毛個人の責任と云うよりも中国人全員の責任だ、と云う理解が行き渡っているからこそ、毛を恨む人が少ないのだ、と解釈した方が、事態をよりすっきり説明出来る様に思う。
毛沢東の悪魔化プロパガンダが隆盛を極めているのには幾つか原因が考えられる。ひとつは言うまでもなく西側(資本主義諸国)の反共プロパガンダだ。共産圏ブロックが消失して冷戦が表向き終了した後、ハンチントンの『文明の衝突』に象徴される様に、西側は自ら生み出した妄想的世界観にどっぷり浸り込み、NATOの野放図な拡大やアメリカ帝国の覇権の強化に伴って、共産主義や社会主義は何もかも悪かったと云う歴史の改竄が横行した。80年代から90年代に掛けては中国でもロシアでも新自由主義勢力が幅を利かせ、こうしたプロパガンダ攻勢の前に曾ての共産主義勢力は為す術が無かった。
悪魔化の原因は中国国内にもふたつ有る。これを理解する為に必要なのは、毛沢東が行なったのは本物の革命であって、革命なのだから当然それによって力を奪われる者と力を得る者が存在したと云うことだ。毛の悪魔化の旗振りを行なっている中国人達は、革命前は西洋式の教育を受け、大きな邸宅に住んで運転手付きの自家用車を乗り回していた様な人々だ。そうした人々が革命、特に文革について恨みつらみを述べるのは或る意味当然とも言える。だがそれは現実の一方の面に過ぎないのであって、革命によって力を得た側からの意見を聞かねば、フェアな評価は下せない。彼等は「裕福な暮らしを享受していた自分が突然、貧乏な百姓と同じ暮らしを強いられる様になった」と不満を漏らす訳だが、当時の中国人の圧倒的大多数はその貧乏な百姓だ。草の根レヴェルで革命を担った彼等の側に視点を移せば、公式のプロパガンダとは全く異なる文革像が浮かび上がって来る。だが貧しい者は当然ながら発信力が弱く、西側や中国のエリート層にまで彼等の声が届くことは滅多に無い。他方で発信力の強い富裕層は自分達の憤懣に任せて時に嘘八百だらけの毛の誹謗中傷を繰り返している訳なのだが、西側の反共主義の専門家でさえ「デタラメ過ぎる」と呆れる様な内容のものであっても、彼等の書いた「暴露本(実際は捏造だらけの妄想本)」は十数ヵ国で翻訳されてベストセラーになったり、大学院の教科書に使われたりするのだ。こんな状況では西側市民の毛沢東像が際限無く歪んで行くのは当然だ。
中国国内の毛の悪魔化のもうひとつの原因は、ポスト毛時代の開放路線だ。鄧小平や江沢民の様な所謂「走資派」が行なったのは新自由主義的改革であって、公式のプロパガンダでは中国はこれによって毛時代の経済的停滞から脱して経済成長への道を進み始めたことになっている。彼等は現在の政策を正当化する為に、以前の毛路線が如何に劣悪なものであったかを喧伝して回った訳なのだが、これもまたかなりの嘘や歪曲が混じっている様だ。本書に拠れば、2000年代以降のインターネットの発達により、従来のこうしたプロパガンダに異を唱える草の根の対抗言説が次々出現しているらしい(西側には殆ど届いていないが)。新自由主義路線の欠点は今では明らかだ。中国が「世界の搾取工場」と化すことで国内の格差は拡大し、都市部の富裕層は確かに恩恵を受けはしたが(そしてそこだけが中国の真の発展を証明するものとして喧伝された訳だが)、貧しい地方部からすれば改革開放は寧ろ後退であって、教育や医療等の生活レヴェルは寧ろ低下したことが指摘されている。それでも全体として経済成長が続いたのは開放路線「のお陰」ではなく、寧ろ開放路線「にも関わらず」、毛時代に離陸の為の基盤がきちんと整備されていたからだ、と云う主張が、ネットでは幾つものデータを使って証明されているらしい。毛の評価は、ポスト毛時代の評価と切っても切り離せない関係に有ると言えるだろう。
私が中国と云う国の評価について今一番悩んでいるのは、2020年末から正式に始動したCOVID-19パンデミック詐欺に関する件についてだ。この話はどうしても長くなるので深入りはしないが、この詐欺を推進している所謂グローバリスト勢力と中国政府との関係が、私は今だに全く理解出来ないでいる(これは中国だけでなく他の社会主義諸国や反帝国主義諸国についても同様だ。医療先進国である筈のキューバでさえ2歳の子供にまでワクチンを打ち始めた時には驚愕した)。この件について何人もの識者が分析を行なっているが、どれも私には納得の行かないものばかり。そこで一度頭を整理したかったのだが、本書は大変その役に立ってくれた(結論が出た訳ではないが)。
「今の中国は資本主義勢力か?」と云う問いに対しては、やはり80~90年代の走資派時代に関して言えば、自国民の生活を犠牲にして資本主義システムの再活性化に貢献していたと評価するのが妥当だろうと思う。本書は2008年に出版されたのでそれ以降の中国の施政に関しては何も触れていないが、少なくとも今の中国は「世界の搾取工場」の地位から脱して、順調に社会主義的軌道修正を行なっている様に私には見える。歴史的な貧困脱出作戦を主導している習近平首席は、父親が党の大物だったにも関わらず、文革によって若い頃は農村で羊を追う生活を送った人物だ(新自由主義諸国の政治的指導者の中に、貧しい農村の生活を直接知っている人間が果たして居るだろうか?)。今の路線が過去のその経験と無関係ではないとする解釈はそれ程強引なものではないと思う。現在の中国の姿は「文革で育った若者達が国政を担ったらどうなるか」と云う問いに対する答えの様なもので、毛沢東の評価はそこからまた問い直さねばならないのではないかと思う。中国を擁護する何人もの言論人が指摘していることだが、中国政府の施政と西側諸国政府の施政とは同じタイムスパンで考えてはならない。次の四半期の株価を気にせねばならない新自由主義諸国と違って、長期安定政権を続けている中国は5年、10年どころか、50年、100年先を見据えて政治を行なっている。毛沢東の遺産を考える時、そうした指摘が何と正しいものだろうかと思わずにはいられない。実際、毛はそれだけラディカルで短期的には評価出来ない変革を志向したのだろうと思う。毛沢東の評価を定めるのは、ひょっとしたらまだ早過ぎるのかも知れない。
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