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ユニバーサルマスクとは念仏の様なもの。

2022/01/12(水)の呟きより


坊さんの念仏を聞いて理解出来る人なんて、うちの親戚や知人一同には居ないと思うのだが、葬式は今だに仏式。日本人の殆どがそうだろう。解るか解らないか、意味が有るか無いかは問題ではない、そこに意味が有るかの様に振る舞うことこそがそこで求められていることの全てなのだ。

本物の信仰心など坊さん達は求めていない。信じているかの様な振りをして、出すものを出しさえすれば、彼等は別にそれ以上を求めない。問題になるのは信仰ではなく、信仰の装いだけだ。

全く理解出来ない呪文であっても、「多分何か立派な意味が有るんだろう。坊さん達だけはちゃんと理解している筈だ」と云う思い込みだけで、信仰無き者達でも恙無く儀式に参加することが出来る。肝心なのは中身ではなく外見なのだ。
大鰐の送電線鉄塔*2

「これに一体何の意味が有るんだ」と疑問を持つ者に対しては「いいからやれ。世の中そう云うものだから」と云う最強のパワーワードをぶつけてやれば良い。それでも納得しない偏屈者は村八分にしてやれば良いだけの話だ。

疑問は社会の一体性を損なう。社会の意味を問い直す者はそれだけで不穏分子でありテロリストであり、排斥されるべき異物だ(何なら「ウィルス」と言っても良い。ウィルスとは正にその様な比喩の為に作られた様な概念だ)。

求められているのは意味を問わない盲目的な服従であって、意味を問い直す自発的参加ではない。公式の物語の枠内に収まる限りに於ては問い直しの作業も許されるが、枠そのものを問い直すことは許されていない。それは異端なのだ。

ユニバーサルマスクもこれと同じだ。真の科学など、社会の異端者を除けば誰にも求められてはいない。

問題なのは科学の装いなのであって、それがどんなデータや知見に裏付けられているかは、その分野については何でも知っていて何でも正直に誠実に教えてくれる(筈の)自称専門家諸氏が知っていれば十分なのだ。

ユニバーサルマスクが始められたのは2年前からだ。でも似た様なことなら、私達はもっとずっと前からやっている。日本人の伝統と言っても良い。本物の信仰や信念や知識はお呼びじゃない、意味を持つのはその見掛けだけ。信じている振り、知っている振りこそが求められる全てなのだ。
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川流桃桜

Author:川流桃桜
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2022年3月に検閲を受けてTwitterとFBのアカウントを停止された為、それ以降は情報発信の拠点をブログに変更。基本はテーマ毎のオープンスレッド形式。検閲によって検索ではヒットし難くなっているので、気に入った記事や発言が有れば拡散して頂けると助かります。
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