今日もマスクを着けない私の告白と弁明
2021/04/14(水)の呟きより
私は出来る限りマスクは着けずに外出するようにしていますが、コロナカルト信者の中には、そんな私を見て本気で殺人ウィルスの脅威に怯えている人も居ることでしょう。
申し訳無いとは思います。私一人が我慢すれば皆気持ち良く過ごせるのに、頑固に調和を乱す異分子でい続けようとするのは、単なる我儘に映るかも知れません。
でも私にとっては、単に「皆がそう言っているから」と云うだけの理由で、黒いカラスを白だと言い立てることは耐え難いのです。
それが我儘と言われるなら仕方が無い、はい、私は我儘です。自分を大事にします(私みたいなアウトサイダーを私が大事にしてやらんで、一体誰が大事にしてくれるのよ)。他の人達の為に自分を殺すことは出来ません。
人として持って生まれた知性と良心を、他の方々の為に自分から放棄するのは嫌なのです。断固お断りです。
「自分を殺せ」と言うことは「精神的に死ね」と言うのと同じです。生憎と私は希死念慮を持ち合わせてはいないので、自分から死ぬのは嫌です。太々しく生き延びる積もりです。殺されるのも嫌だから、殺される位なら相手を殺してやる位の気持ちでいます。
出来れば他の方々の気持ちも汲んで上げたいとは思います。ですがカルト信者の気持ちに寄り添う為に、信仰を共にしているかの様な振りをすることは、少なくとも私には出来ません。
もっと人情の機微に通じた器用な人であれば、誰かを傷付けることも無く上手に立ち回れるのかも知れませんが、どうもその辺の才能が私には欠けているらしく、愚直に黒いカラスは黒いだろと繰り返すしか能が有りません。本当に、もっと上手く出来たらと思います。世渡りの上手い人は本当に羨ましいです。
「皆が愚かなことしているなら同じ様に愚かなことをしろ」と云う同調圧力は、私にとっては暴力でしかありません。私はどうしても黒いカラスは黒いと言わないと気が済まない性分なので、世間様の片隅でひっそり静かに暮らしている積もりでも、こうして時々摩擦が起きることが有ります。
平地に乱を起こすのが悪ならば、私は間違い無く時々悪人になります。
でも、だからと云って私は面倒事を避ける為だけに黒いカラスが白いなどと言うのは(可能な限り)御免被りたいのです。その結果として生じるかも知れないリスクや過ちは仕方が無い、自分のものだとして引き受けます。自由ってそう云うものでしょうから。
パンデミック詐欺による公衆衛生ファシズムの中でも取り分け最も邪悪なところは、そうした個々人の自由を圧殺することこそが正しいのだ、と云う幻影を多くの人々に植え付けることに成功した点でしょう。
「社会全体の為に個々人が犠牲になることこそが崇高で、道徳的に正しいのだ」―――こう明言化してみれば、多くの人は「とんでもない、そんな積もりじゃない」と言うでしょう。
でも結果を見れば、正にこの考え方が今のこの国を席巻しています。渦に身を任せて巻き込まれているだけの人達は、認知的な陥穽に陥ってそうした現実の姿が目に入らなくなっているだけです。渦の外に立っている人の目からすれば、それは紛れも無い暴力の嵐です。
彼等は無言で訴えます、「誤解だよ、察してくれよ、これは全体主義なんかじゃないんだよ、科学なんだよ、分かるだろう? はっきり言わせないでよ。」でも私は察したくなんかありません。問題をはっきり指摘したいのです。問題がそこに有ることを誤魔化したくないのです。
それは似非科学です。真実を騙る嘘です。人々の生活や健康や生命を守るどころか破壊しているだけの、カラクリが解ってしまえば非常に散文的な、極くごく馬鹿馬鹿しい、スケールだけは超巨大な特殊詐欺です。
「オレオレ、俺だよ、パンデミックだよ」。何で私がそんな与太話に付き合ってやらにゃならんのですか。勘弁して下さいよ。
そんな訳で私は明日も多分ノーマスクで過ごします。黒いカラスはどう見たって黒いだろと、全身で表現します。これは大人しく時代に殺されてなんかやるものかという、不器用なひとつの精神のささやかな意地です。
私は出来る限りマスクは着けずに外出するようにしていますが、コロナカルト信者の中には、そんな私を見て本気で殺人ウィルスの脅威に怯えている人も居ることでしょう。
申し訳無いとは思います。私一人が我慢すれば皆気持ち良く過ごせるのに、頑固に調和を乱す異分子でい続けようとするのは、単なる我儘に映るかも知れません。
でも私にとっては、単に「皆がそう言っているから」と云うだけの理由で、黒いカラスを白だと言い立てることは耐え難いのです。
それが我儘と言われるなら仕方が無い、はい、私は我儘です。自分を大事にします(私みたいなアウトサイダーを私が大事にしてやらんで、一体誰が大事にしてくれるのよ)。他の人達の為に自分を殺すことは出来ません。
人として持って生まれた知性と良心を、他の方々の為に自分から放棄するのは嫌なのです。断固お断りです。
「自分を殺せ」と言うことは「精神的に死ね」と言うのと同じです。生憎と私は希死念慮を持ち合わせてはいないので、自分から死ぬのは嫌です。太々しく生き延びる積もりです。殺されるのも嫌だから、殺される位なら相手を殺してやる位の気持ちでいます。
出来れば他の方々の気持ちも汲んで上げたいとは思います。ですがカルト信者の気持ちに寄り添う為に、信仰を共にしているかの様な振りをすることは、少なくとも私には出来ません。
もっと人情の機微に通じた器用な人であれば、誰かを傷付けることも無く上手に立ち回れるのかも知れませんが、どうもその辺の才能が私には欠けているらしく、愚直に黒いカラスは黒いだろと繰り返すしか能が有りません。本当に、もっと上手く出来たらと思います。世渡りの上手い人は本当に羨ましいです。
「皆が愚かなことしているなら同じ様に愚かなことをしろ」と云う同調圧力は、私にとっては暴力でしかありません。私はどうしても黒いカラスは黒いと言わないと気が済まない性分なので、世間様の片隅でひっそり静かに暮らしている積もりでも、こうして時々摩擦が起きることが有ります。
平地に乱を起こすのが悪ならば、私は間違い無く時々悪人になります。
でも、だからと云って私は面倒事を避ける為だけに黒いカラスが白いなどと言うのは(可能な限り)御免被りたいのです。その結果として生じるかも知れないリスクや過ちは仕方が無い、自分のものだとして引き受けます。自由ってそう云うものでしょうから。
パンデミック詐欺による公衆衛生ファシズムの中でも取り分け最も邪悪なところは、そうした個々人の自由を圧殺することこそが正しいのだ、と云う幻影を多くの人々に植え付けることに成功した点でしょう。
「社会全体の為に個々人が犠牲になることこそが崇高で、道徳的に正しいのだ」―――こう明言化してみれば、多くの人は「とんでもない、そんな積もりじゃない」と言うでしょう。
でも結果を見れば、正にこの考え方が今のこの国を席巻しています。渦に身を任せて巻き込まれているだけの人達は、認知的な陥穽に陥ってそうした現実の姿が目に入らなくなっているだけです。渦の外に立っている人の目からすれば、それは紛れも無い暴力の嵐です。
彼等は無言で訴えます、「誤解だよ、察してくれよ、これは全体主義なんかじゃないんだよ、科学なんだよ、分かるだろう? はっきり言わせないでよ。」でも私は察したくなんかありません。問題をはっきり指摘したいのです。問題がそこに有ることを誤魔化したくないのです。
それは似非科学です。真実を騙る嘘です。人々の生活や健康や生命を守るどころか破壊しているだけの、カラクリが解ってしまえば非常に散文的な、極くごく馬鹿馬鹿しい、スケールだけは超巨大な特殊詐欺です。
「オレオレ、俺だよ、パンデミックだよ」。何で私がそんな与太話に付き合ってやらにゃならんのですか。勘弁して下さいよ。
そんな訳で私は明日も多分ノーマスクで過ごします。黒いカラスはどう見たって黒いだろと、全身で表現します。これは大人しく時代に殺されてなんかやるものかという、不器用なひとつの精神のささやかな意地です。
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