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LEARN OR PERISH. ~9条と市民運動の更に先へ~

 さてこれだけ国内の情勢が騒然として来ると、アメリカの方も無関心ではいられないのではないかと推測する今日この頃。安倍氏が公然と鉤十時を振り翳したりヘイトスピーチを撒き散らす支持者達のことを恐らく厄介に思っているであろうのと同様、アメリカの方でも、今のどちらへ進むのか良く解らない、暴走の可能性も有り、しかも国内の人心の掌握も碌に出来ないしやる気も無い指導者に率いられた日本から幾ら一方的に熱烈なラブコールを送られても、正直言って迷惑に思う部分が大きいのではないだろうか。

 第一、実態はどうあれ、自由と民主主義を至上の価値とするアメリカの建前はまだ生きている。幾ら地政学上の目的を達する為とは云え、それを公然と踏みにじってヒトラー紛いの法的・政治的クーデターを敢行して見せる安倍氏の振る舞いに対しては、この儘続けば何れ国際的な非難の声が高まって来るだろう。その時、国内の反撥世論に対して強硬な姿勢を取り続けたとしたら、非難の矛先がやがてアメリカにまで飛び火し、これまで従順なポチであった日本の国内から反米の声が上がりかねない。

 アメリカが望んでいるのは安定した進出拠点としての日本であって、その肝心要の安定性を捨ててまで要らぬ友情を押し付けられて来たとしたら、日米関係がそれで冷え込む可能性は十分に有る。下手をすると完全に呆れられて、ニクソン訪中の時の様に、アメリカと中国との間で、日本の頭越しに対話路線をどんどん進められてしまって、気が付いたら日本だけが取り残されてしまっていた、と云うシナリオだって有るかも知れない。残念乍ら安倍政権がそうした可能性を想像出来ているかと問うてみると、まぁ10人中10人がNOと答えるだろうと云うのが現実だ(そんな可能性は考慮するに値しない、と安倍政権を支持する人も多いかも知れないが)。

 その一方で、安保法案反対派の方はどうか。日本での抗議行動は自民党の違法な国鉄組合潰し以来最早絶滅の危機に瀕しているものと思われていのだが、21世紀になってから世界各国で様々な新しい形態の抗議行動が出現する様になってから、先例に触発されたのか、幾つもの試行錯誤が行われて来た。特に3.11以降、これからの時代のあるべき抗議行動の在り方を模索する努力が実を結んで来たのか、具体的なルール設定や実際の行動が実にスマートになって来ている。非暴力路線はその最たるものだ。ことここに至って緊張感が増して来た所為か、中には過激な行動に出る者も出て来た様だが、まだ極く一部に過ぎない。寧ろ国会内の野党議員連中の方が、今だ旧態依然とした武闘派体質を捨て切れずにいる者達が多い位だ。

 非暴力は、暴力装置をそれに対する弾圧や抑圧に利用しようとする為政者の野蛮性を際立たせる。「武力や暴力では問題の解決には成らない。寧ろ頭と勇気を持って丸腰でいることこそ、最強の戦略だ」と云うことは、グローバル化した世界の中で20世紀的な勢力圏闘争が哀れな失敗を続けている今の国際社会の力学としても当て嵌まることだと思うが、これは社会運動一般についても言えることだ(日本の場合、社会運動で得られた教訓を国際社会全体に敷衍して行くと云う可能性も拓けている。私見では、その為の最大の武器が日本国憲法第9条なのだ)。人の心を建設的な方向に持続的に動かすのは剝き出しの怒りではなく、制御され、武装放棄した、持続的な怒りだ。言論や思想が現実を変える力は目に見え難く、その歩みは遅々たるものだが、各地での数々の成功例が、力を持たぬ者達の希望と意欲を掻き立てている。その進化と増殖は、武力による紛争の解決が今だ失敗と迷走を続けているのと対照的だ。広範な情報の共有に支えられた共感の広がりは、どんなイージス艦でも勝てない無敵の盾を形成する。

 また最近デモや集会で掲げられるプラカードには英語で書かれたものが多いが、これは上手い戦略だ(中には唯「何となくカッコ良いから」と云う理由で英語を使っている人も居るだろうが)。今の抗議行動は世界中で繋がっている。NYや中東諸国や香港で起きた抗議行動は、世界中にその情報が発信され、日本だろうと何処だろうと、ネットやマスメディアを通じて、その熱気や心意気や戦術や思想が共有される。今日本で起きている抗議行動の眼差しは、日本の国会に向けられていると同時に、国際社会、或いはグローバル化した世界共同体の同志達に向けられている。これには国内の既存のメディアに対する失望や不信感もその背景に有るのだが、と同時に、自分達の手で自分達の意思や思想や信条を発信し伝達する手段が世界規模で確立しつつあると云う要因がやはり大きい。その方面では、英語は今や世界共通の抗議言語になりつつある。マスコミが各種の抗議行動の様子を動画や写真付きで報じる時、そこに英語で読み取れる文字が有れば、彼等の主張は見る者の目にとってより身近で、具体的で、理解可能なものとなる。

 少し話を広げさせて貰えば、これは強大な権力を持たぬ市民運動が「国際的な」アピール力を獲得する様になって来た、と云うだけの話に留まらない。その効果や戦略を超えて、今、我々自身の意識のスケールを調整する試みが、こうした様々なネットワークの構築によって行われている。今の時代の抗議者達は、一種のコスモポリタンな実存体験の巨大な実験場として、自分達の抱える個々の社会を問題利用していると言っても良い。この流れは不可避のものだし、当人達がそれを自覚することによって、何倍にも加速され得る。国籍や民族や性別や階級等によって分断され得ない、世界市民としての経験と意識の実績が、既成事実として積み重ねられて行く時、それは人類全体の過去と成り、共有財産と成る。そこでは個々の成功や失敗でさえ、第一義的に重要なものではない。成功と失敗、そのどちらからも、人類は学ぶことが出来る。冷静な理性に基付く対話と熟議がそれを可能にする。世界の歴史の潮流は今や、それが実際に可能のだと云うことを日々教えてくれている。

 今日本で起きていることは、日本だけで起きていることではない。それは普遍的な価値を構築し、共有し、多様性と手を携えた調和を望む全ての人類が分かち合う、ひとつの巨大な実験の一部なのだ。それと同時に日本と云う国は、仮令欺瞞と隠蔽に塗れて既にボロボロになっているとは云え、世界の他のどの国もまだ持っていない、時代の最先端を行く強力な普遍的価値、普遍的戦略を有している。憲法9条だ。本来であれば国連憲章とセットとして考えれば、70年前に実現されていなければならなかった世界平和へ至る道筋は今、冷戦も終了しグローバル化の津波が世界のあらゆる国に押し寄せている現在になってようやっと、現実問題として可能かも知れない、と云う希望が見えて来ている。曙光は既に差しているのだ。

 武力の放棄、戦力の否定は、真の意味で全世界共通の秩序を打ち立てる上で、遅かれ早かれ議論の俎上に載せられる。その時、日本人は圧倒的に優位に立っている。世界の世論をリードして行くだけの力が、日本には秘められている。その強みを自ら手放す様な愚かな真似を、日本国民は為政者にさせてはならない。それは曲がりなりにも日本国憲法と云う根本的ルールのに築かれていた日本国と云う国の歴史を否定することであると同時に、これからの人類の歴史全体に対する裏切りでもある。

 我々が今問われているのは個々の選挙の結果などではない、もっと大きな、未だ来ぬものからの呼び掛けへの応答なのだ。その為には唯9条を守れば良いと云うのではない、旧来の護憲派が堅持して来た立場だけでは不十分だ。一国平和主義、或いは日米含めた二国平和主義から脱して、グローバルな意味での積極的平和主義を推進する為の戦略と思想を、これから我々は具体的に錬って行かねばならない。その機は今正に熟しつつある。
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川流桃桜

Author:川流桃桜
怪奇幻想サイト『k-m industry 〜黒森牧夫の幻視風景』編集者。

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