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私が心底激怒した参考人質疑

 (日付が変更してからにのアップになってしまいましたので、以下の「今日」は09/10、「昨日」は09/09のことだと思ってお読み下さい。)



 私は普段の夜は「乍らツイッター」で暫くSNSで軽い調べものや呟きをし乍ら過ごすのだが、昨夜は早めに用事を切り上げて、何時もよりずっと早く就寝してしまった。それと云うのも、その儘SNSを続けていたら憤りの余りに感情に任せて口汚い罵倒を連ねそうだったからだ。何故憤ったかと云うと、Youtubeで山本太郎氏の15/09/08(火)の「我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会質疑・参考人質疑」の動画を観て、その答弁の余りの傍若無人振りに衝撃を受けたからだ。端的には強い激しい怒りを感じたのだが、昨夜のその情動は胃の底にでっかい石ころでも詰めたみたいな強烈な身体的異和感と成って表れ、正に怒りで身体が震え、胸が張り裂けそうな感覚を覚えるにまで至った。そう云う時には頭で無闇にジタバタしたって無駄なので、素直に降参宣言をして眠りが心の痛みを癒してくれるのを凝っと待つことにしている。一晩の睡眠と忙しい一日を間に挟むことによって、少しは身体も頭も冷えた様に思うので、精神の平静を保つ為にも、少し気持ちの整理がてら、昨日の衝撃の感想を簡単に纏めてみる。

 今日になって書き起こしの文章をもう一度読み返してみたのだが、冷静に振り返ってみると、そこまで興奮する様な内容ではなかったのかも知れない。あの程度の悲惨な答弁はこれまでに何度も観て来た筈だし、その度に失望や呆れや恐怖や嫌悪を感じて来た筈だ。但、昨日の場合は文章ではなく動画で観ることによって、答弁した参考人達の個人的な印象の持つインパクトに惑わされてしまった部分が大きい。何時もは政治に関わる愚行を目撃する際には成る可く感情をフラットにして、簡単には心にダメージを負わないよう、情緒的反応に流されないよう出来るだけ無感動のポーズを装っているのだけれども、昨日の体験はどうやら何かの弾みでその通常の許容閾値を超えてしまった様だ。特に宮家邦彦氏の威丈高で傲岸不遜で高圧的な態度は、私が直接その場で酷い侮蔑を受けたかの様な衝撃を齎した。

 山本太郎氏が政治家になって間も無い頃、円形脱毛症になったと云う話を聞いたのだが(今はどうなのだろう?)、しょっちゅうああした場面で主役を演じなければならないとなると、成る程政治家と云うのは過度のストレスに曝されるのが当たり前の生き物らしい。私の様に神経の細いメンヘラー上がりなんかが足を突っ込んだら、胃に穴を開く位のことは起こりそうだ。つくづく、今の日本の政治家なんてカタギの人間が手を出すことではないと思う。改めて教訓:メンタルがチキンな人間にとって、スルースキルが使えるかどうかは死活問題。



 さて答弁の中身の何処が酷かったのかと云う話だが、当日は先ず与野党の招致した参考人4名がそれぞれの見解を述べた後、山本太郎氏が4人全員に同じ質問をぶつけて行くと云う流れで質疑が進んだのだ。山本氏は例によって各種の戦争責任について、一般論から日本への原爆投下や空襲、イラク・アフガン戦争の例へ話を進めて、各々の見解を伺って行った。ひとつの質問に対して各人が回答して行く訳なのだけれども、正面からまともに誠実な答弁をしたのは与党参考人の神保謙氏と、野党参考人の伊藤真氏のみ。後の2人の態度が実に惨澹たるものだった。

 与党参考人の宮家邦彦氏については下記で述べるけれども、野党参考人の大森政輔の場合は回答を拒否したり、言葉を濁したり、イラク戦争の経緯や検証については「確たる事実をまだ知り得るところには至っていないんだろうと思います」とか、「その辺りの情報を十分把握して」いないとか、今まで一体地球上に住んでおられたのだろうかと思わせる様な不思議答弁を連発。既に主犯格のアメリカやイギリスでさえ検証委員会が立ち上げられ、あれは過ちであったと公言しているのに、従犯に過ぎない日本政府が今だに直ぐにバレる嘘を強弁し続けていることの不可解さを改めて感じさせられた。法律畑の人らしく、その前の参考人発言も法律の話に終始しているのだが、山本氏の質疑ではどうも現実が見えていない人物の様にしか見えない。法律しか知らない人に政治や外交や軍事の質問をするのは酷だと云う見方も出来るかも知れないが、但安保法案に反対するにしても、それでは困るのだ。国会で、謂わば国民の代表として発言するからには、それなりの見識を備えた人物でなければ、説得力を持たない。

 さて宮家邦彦参考人。これが一番酷かった。態度も不遜なら口調も横柄、悪い意味での上意下達の官僚上司を絵に描いた様な物腰の人物。だがそんなところだけあれこれ突いても仕方が無いので、答弁の具体的な中身を見て行こう。

 先ず最初の質問。「ある国が民間人に対する無差別攻撃を行ったと、それによってたくさんの人々の命が奪われました。そのようなケースは国際法違反、戦争犯罪というふうに先生方は考えられますか。」これに対し宮家氏は「余りに漠然とした御質問」だとして、回答を拒否。確かに、抽象度が高過ぎる内容は、質問として不適当な場合が有る。例えば「人を殺してはいけない」とか「嘘を吐いてはいけない」の是非について。世の中には正当化され得る殺人や嘘も存在しているのだから、個々の事例を無視した一般論だけで人殺しや嘘を論じるのは雑過ぎると云う見方も出来るだろう。だが質問されているのは「国家による民間人の無差別虐殺」だ。これが個々の状況によって正当化され得る例外的事例が存在するだろうか? どうも私の想像力が不足しているのか、取り敢えず思い付くのは「止むを得ない犠牲」、詰まり、大局的な目的を達する為に避けて通れない犠牲であれば、相手が民間人であろうとそれを容認すべきだと云うケースだけだ。

 それを正当化しようと云うのは、それでひとつの意見であって、大きな問題を孕んでいるにせよ、立派に合理的な議論の主題に成り得る主張だ。例えば今有志連合が多数の民間人を巻き込んだ空爆を強行する際に使用されているレトリックがそれであって、単に思考実験に留まらない、アクチュアルな切迫性を持った問題だ。ならばそのことをきちんと言葉で説明するのが誠実な議論の仕方と云うものであって、「漠然としてる回答しない」と云うのは議論の放棄でしかない。

 宮家氏がきちんとした見識を持っていると自負しているのであれば、一般論としては、常識的に考えて回答は「国家による民間人の無差別虐殺は違法である」か、「これこれの条件下にに於ては国家による民間人の無差別虐殺は合法であり、正当化され得る」のどちらかしか有り得ない。それを言わないと云うことは、言うだけの見識が無いか、誠実な議論を遂行する意思が無いか、堂々と自分の意見を披瀝出来るだけの公明さを持ち合わせていない、のどれかだと思われても仕方が無い。

 次の質問は、米国による原爆投下や空襲は国際法違反、戦争犯罪かと云う質問。これに対しては宮家氏は「平和安全安保法案とこの今の御質問の関係がよく分かりません」として、これも回答を拒否。そもそも、参考人と云うものはその知識や見識を公に披露する為に招致されて来ている存在なのであって、見識と云うものには、明確で一般的な理念や原則やルールの下で個々の現実を判断出来る能力と云うものも含まれる。参考人が、現在焦点となっているもの以外の問題についてどの様な見解を持ち合わせているかと云う点は、その人の発言の説得力の強さを大きく左右する。今の問題に直接関係が無いからと云って回答を拒否するのは、文脈に依っては責務放棄に等しい。宮家氏の様に、自分の主張が絶対に正しく、異論を唱える者は阿呆だと言い張るタイプの人であれば尚更、その論拠を明示する責務が有る。

 目の前の問題に直接関係が無いからと云って他の問題や一般論を回避する態度は、至極好意的に捉えれば、飽く迄安保法案に関する参考人としての自制を利かせた、禁欲的な態度と解釈することも出来る。だが逆に目先のことしか考えられず、自分や自分の置かれている状況を一歩退いて、より大きなルールの下で捉え直す習慣が身に付いていないから、こうした場で答えられないのだ、と解釈することも可能だ。そして宮家氏の振る舞いを見てそこから謙虚さを連想する人はそう多くはないと思う。元官僚が全員党派的思考、タコツボ的思考しか出来ないと考えるのは偏見に過ぎないが、宮家氏の言動はその偏見を全身全霊で裏付けてくれているかの様だ。

 また安倍首相は「積極的平和主義」を標榜しているが、今回の安保法案は本来の意味での積極的平和主義とは全く関係無い、戦闘や武力行使のことしか書かれていない。だとすれば、それが具体的に法体制と成って政府や国民の行動を束縛する時、それを実際に運用することになる人々が、過去の戦争についてどの様な総括を行い、どうした前提の上でものを考えているかは国民の重大な関心事だ。過去を適切に評価出来るかどうかが、これからの判断を行う上で重要なファクターであることに異論を挟む人は居ないだろう。だとすれば、過去の重大な戦争犯罪、或いはその疑惑の有る事象についての解釈と評価に関して、国民の疑念に答えておくことは必須の筈だ。それを「関係がよく分かりません」と云うのは余りに不見識と言われても仕方が無い。

 3つ目の質問はイラク・アフガン戦争に於ける米軍による民間人の虐殺についての質問。宮家氏もやっと重い腰を上げて回答拒否以上のことを発言しているが、中身を見る限りでは回答回避に当たるだろう。宮家氏は「イラク戦争、それからアフガン戦争とも国連決議に基づいた武力行使であったと理解をしています」と驚くべき事実誤認を平然と言ってのけた後で、「その中で若しそのような事態があったとしたら、個々のものを私は一つ一つ見ていく必要が有る」と一旦断った後で、「米軍によるそのようなことがあったかどうかは別として、それ以外の多くの勢力によるおびただしい数の民間人が殺されている。(略)そのことと同時に考えない限り、この問題についてコメントすることはできないと思います」と、実質的に回答を避けているのだ。米軍以外の勢力によって多数の民間人が殺害されていることを同時に考えると云うことは、解り易く言い換えれば人命のトレードオフをすべきだと云うことだろう。ならばそうした人命を秤に掛ける作業を行った上で、自分自身はどの様に考えているのか、宮家氏はその後に一言も続けていない。全く何の為に「質疑」を行っているのか、自分の主張を一方的に述べ立てて異論を持つ者を罵倒する為だけにその場に居るのか、としか思えない言動だ。

 この後も山本氏は同じ件について更に追及するが、この辺はやや焦点が定まらず、質問の方も余り核心を突くものとは言えないが、宮家氏はここでまたしても「日本政府はそれにもかかわらず、ちゃんとした国連の安保理決議違反という形で整理をして支持した」と、国連決議1441とその後のアメリカの暴走を擁護する様なことを主張している。「悪魔の証明」を求める類いの前者の項目についても疑問は残るのだが、後者については(宮家氏は何故かアメリカの「自衛権」発動のことについては触れていないが、これもまた不誠実な態度だ)今更弁解の余地は無いだろう。それを、国連を隠れ蓑にする様な論法で誤摩化すと云うのであれば、自らの主張が公正明大なものではないと白状しているに等しい。

 最後に、第三者による検証委員会の設立を訴える山本氏の言に対しては、宮家氏は完全に無視を決め込むことにしたらしく、「違法な戦争に加担をした、片棒を担いだでしたっけ、そのような御発言はいかがなものかと思います。(略)片棒を担いだなんというような言い方はお慎みください」と、話を丸切り逸らしたばかりか、他人の言葉使いについて自分がどう思うかを開陳するだけでなく、具体的に止めろと要求。単なる回答拒否より更にタチが悪い。逆ギレすれば何でも解決するとか思っている辺りがもう救い様が無い。



 まぁねちねちと重箱突きにも見える指摘を書き連ねて来たが、終わりまで来たしこの辺で止めておこう。やや尻切れトンボの様で申し訳無い。どうも特にイラク戦争などに関しては、当時から日本の大手メディアが伝えようとしないあちら側の情報を自分から知ろうと努力して来た所為か、他人事と捉えて中立公正な立場を維持するのは難しい。イラク戦争は私にとって立派に「私の戦争」であり、私自身は戦闘から遥か遠く離れた治安の良い土地で暮らしていようとも、私にとっては確かに一種の「戦争体験」であったのだ。なのでここまで他人の痛みに無関心、無反省、無責任な態度を取って平然としていられる人種と云うものの存在が、どうも私の目には今だに信じ難いものとして映る。

 独裁者に支配されていようが仮にも一国の政治体制を完全に破壊し、多数の民間人を含む10万人以上を虐殺し(9.11で死亡した方々の命を軽んずる訳ではないが、3,000人の死に対する報復としての100,000人の死を正当化する為には、一体どんな理屈が必要なのだろう?)、数十万の難民を生み出し、剰え今や誰もが認める世界最悪のテロリスト集団を生み出した、あの今世紀の巻頭を飾る世紀の愚行、それを今だに嘘と詭弁と誤摩化しで正当化しようとする人々(特に権力者の場合は悪質だ)に、私は一切共感しない。今回の質疑は、そうした人々の人品の下劣さを改めて思い出させてくれた。魂が穢れるとはこう云う感覚を言うのだろう。一刻も早く、まともな人権意識や理性や品性や責任感や倫理観や誠実さが感じられる人々が、私達の世界の作り手としてのびのびと活躍出来る時代が到来することを切に希う。
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川流桃桜

Author:川流桃桜
怪奇幻想サイト『k-m industry 〜黒森牧夫の幻視風景』編集者。

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