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独ソ不可侵条約はソ連とドイツの安全保障上のジレンマを管理するプラグマティックな手段だった(抄訳)

アンドリュー・コリブコ氏の分析の抄訳。独ソ不可侵条約(モロトフ・リッベントロップ条約)は何故結ばれたのか。
The Molotov-Ribbentrop Pact Was A Pragmatic Means Of Managing The Soviet-Nazi Security Dilemma
Molotov-Ribbentrop Pact


 
 2024/02/08に公開されたタッカー・カールソンによるインタビューに於て、プーチンが戦間期のポーランド外交の所為で第2次世界大戦が不可避になったことについて説明したことで、独ソ不可侵条約(モロトフ・リッベントロップ協定)が再び話題になっている。

 これに対する反応の多くは、この条約こそがヒトラーのポーランド侵攻の原因である、中東欧を独ソそれぞれの勢力圏に分割すると云う秘密協定が無ければ、彼は第2次世界大戦を始めなかっただろう、と云うものだ。

 だが、現実は全く異なる。

 ヒトラーは1925年の悪名高き『我が闘争』の中で、ソ連から「生存圏(Lebensraum)」を獲得するつもりだと率直に宣言しているが、ドイツはソ連に隣接していないので、ソ連を攻めるには当然、先にポーランドを経由しなければならない。

 彼はまた共産主義を猛烈に憎んでおり、ナチこそが、それがイデオロギー的に大陸全土を征服するのを阻止出来る唯一の勢力であると考えていた。

 彼はずっとソ連侵攻を計画していた。だがそれは十分な準備が整ってからの話だった。

 しかしながらポーランドが所謂「ダンツィヒ回廊(別名ポーランド回廊。第1次世界大戦後に事実上ポーランドに支配されたドイツ領)」を割譲してドイツを宥めることを拒否した為に彼の計画は狂った。

 1938年のミュンヘン会談でチェコがドイツに領土の一部を割譲した際、ポーランドは同じくチェコからトランス・オルザを奪い取って占領していたので、この展開に彼は不意を突かれた。ポーランドもまたソ連と共産主義を激しく憎悪していたので、彼は恐らくポーランドがドイツのジュニア・パートナーになることに同意し、その後一緒にソ連に攻め込めるだろうと当てにしていたのだ。

 それが実現した場合、ポーランドは1921年のリガ条約によってベラルーシとウクライナの西半分をソ連から奪い取っていたのだが、ドイツに協力する見返りとしてポーランドはベラルーシの残りの東半分、ドイツはウクライナの東半分を獲得する、と云う筋書きになる予定だった(ヒトラーがウクライナに執着していたことは、第2次世界大戦中の彼の秘書が許可を得て録音し、後に『ヒトラーのテーブル・トーク』と云うタイトルで出版された個人的な会話によって証明されている)。

 だがそれもこれも、ポーランドが「ダンツィヒ回廊」をドイツに返還することが前提条件だった。
 
 ここへ英国が外交的に介入し、ポーランドがその立場を堅持してナチスとの交渉に応じないよう説得した。

 ヒトラーはノーと云う返事を受け入れる様な人物では決してなかったし、ここでポーランドに折れれば国内各地で形成されつつあった(だがまだ無力だった)ナチ封じ込め連合が力を得ることになるのを恐れていた。そこで軍事計画も止む無しと感じた彼はポーランド侵攻を決断した。

 だがこれはナチス側にまだ準備が出来ていないのに、ソ連との戦争を引き起こすリスクが有った。スターリンはそのシナリオでは、ヒトラーがソ連国境までで止まらず、その儘ソ連の領土に雪崩れ込むのではないかと恐れていただろうからだ。

 スターリンは既に、西洋諸国(英仏)がヒトラーを唆して東方拡大を煽っているのではないかと恐れており、ヒトラーがバルト三国とフィンランドに軍隊を駐留させればこれを支持するのではないか、これは正にソヴィエト・ナチス戦争の前奏曲であり、若しヒトラーが直ぐにソ連に侵攻しなければ、彼等はヒトラーにそうするようけしかけるのではないかと懸念していた。

 当時ソ連は粛清後で軍隊を再建する時間が無かったし、ナチの方でもまだソ連と戦う準備が出来ていなかった(従ってヒトラーはこの時点では戦争より帝国再建の為の外交を好んだ)。従って独ソ戦がこの状態で起これば共倒れになる。

 このシナリオこそがスターリンの当時の政策を形作った要因であり、その場合英国は再びヨーロッパを分断統治して漁夫の利を得るかも知れない。

 ヒトラーもこのシナリオを明敏に察知していた。従ってポーランドが英国に唆されて「ダンツィヒ回廊」要求を拒否した今、ポーランドに侵攻した場合に誤算によってソ連との戦争にまで発展しないようにしておかなければならいと感じていた。

 そこで彼はリッベントロップ外相をモスクワに派遣し、当面は戦争を回避し、後日完全に準備が整ってからソ連に侵攻するまでの時間を稼ぐ為に、ポーランドを分割する秘密協定を結んだ。
 
 その間、彼は英国がナチスと同盟するか、少なくともナチスの計画を邪魔しないだろうと本気で考えていた。これは彼の死後に発表された『ヒトラー第二の書』によって裏付けられている。

 ヒトラーは英国を深く尊敬し、そのことを隠してはいなかった。何かの点で英国のパートナーになることが彼の夢だった。実際、彼の計画は全て、英国が彼を止める為に介入しないことに懸かっていた。

 こうした希望的観測を抱いた上で、ヒトラーはポーランド侵攻に際してソ連とナチスとが抱える安全保障上のジレンマを打開する為に迅速に行動した。他方スターリンは現時点での戦争を回避し、来るべき事態に向けて準備を整える為の時間を稼ぐと云う共通の目的の為に、この試みに同意した。

 ポーランドを含めた中東欧諸国は、当時の外交の伝統に従って、「大国のチェスボード」の駒として扱われた。そしてその後2年間、独ソ両国はこれらの国々を通じて、それぞれ互いに対して優位に立とうと競争を繰り広げた。

 特に中東欧諸国の一部の観察者達はこの展開について道徳的に言いたいことが色々有るだろうが、これは冷徹でプラグマティックな判断によるものだった。

 ヒトラーは、英国がポーランドを騙して宥和策を拒否させた為にポーランドに侵攻しようとしていたが、準備がまだ整っていないのにソ連との戦争にまで発展する事態は避けたかった。

 他方スターリンは粛清後でヒトラーと戦う準備が出来ていなかったし、敗北のリスクは冒したくなかった。それにまたポーランドの戦間期の「プロメテウス主義」政策(帝政ロシア/ソ連領内の独立運動を支援することでこれを分断し弱体化させる陰謀)の結果としてソ連が「バルカン化」されることにでもなれば、最終的に英国がソ連を含む欧州大陸全体を分断統治することにもなりかねない。少なくともソ連が敗北した場合、ソ連は分割されたベラルーシとウクライナの半分を失うことになり、負け次第によっては他の非ロシア民族地域も奪われる可能性が有った。

 ヒトラーがオリーブの枝を差し出したのは、避けられないソヴィエト・ナチス戦争を戦う準備が完全に整うまでの時間稼ぎをすると云う、冷徹でプラグマティックな理由からだった。スターリンはソ連の利益を第一に考え、この申し出を受けた(そしてその間に英国を何とか味方に付けられないかと期待していた)。

 これは国際関係学のネオリアリスト学派の思想が実践されている完璧な事例であると同時に、双方が自分達の利益を明確に宣言し、且つ互いの利益を尊重する最善の方法を交渉した為、ハイパーリアリスト的でもある。

 その後スターリンは軍隊を再建し、ナチスの電撃戦の第一段階からソ連の中枢を絶縁するのに十分な緩衝地帯を確立し、英国を味方に付けることに成功した。他方ヒトラーはその緩衝地帯を電撃戦で突破することに失敗し、英国を容喙しないよう説得することも出来なかった。

 戦後スターリンはフィンランドを除いて勢力範囲を強化し拡大する一方、ヒトラー亡き後のドイツは大戦前の領土の優に1/4を失った。

 つまり独ソ不可侵条約は、双方の安全保障上のジレンマを解消し、来るべきソヴィエト・ナチス戦争を2年遅らせることによって双方の当面の利益に貢献したが、総合的に見るとナチスよりもソ連にとって遙かに有益だったと言うことが出来る。

 道徳的に誰がどう考えようと、これは冷徹なプラグマティズムに貫かれた判断であり、これが第2次世界大戦を引き起こした訳ではない。これは単にヨーロッパの最も恐るべき時代を一時的に先延ばししただけだった。
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川流桃桜

Author:川流桃桜
一介の反帝国主義者。
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