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「ヨム=キプール」戦争(1973年)で本当は何が起こったのか?(要点)

イスラエル・シャミール氏の2012年の記事の要点。著者はこの戦争で実際にエジプト人を相手に戦ったイスラエル人。第4次中東戦争は、米国(キッシンジャー)、エジプト(サダト)、イスラエル(メイア)が仕組んだ茶番戦争だった。
The Syrian October 1973 war to liberate Golan Heights betrayed by Egypt’s President Sadat
Yom Kippur war



結末の決まった茶番戦争

 カイロのソ連大使ウラジーミル・M・ヴィノグラドフがソ連政治局宛てに書いた秘密ファイルは、1973年の10月戦争(通称「ヨム=キプール戦争。第4次中東戦争とも)はヘンリー・キッシンジャーが画策した、米国、エジプト、イスラエルの指導者間の共謀事業であると説明している。


 公式の説明では、1973/10/06、サダトのエジプトとハーフェズ・アル=アサドのシリアの連合軍がイスラエルに対して奇襲攻撃を仕掛け、シャロン将軍(後の首相)の軍と戦ったことになっている。短いが激しい交戦の後、最終的に停戦交渉が行われてホワイトハウスで署名された。

 が、これは実際には奇襲ではなく、上記3国によって事前に仕組まれたものであって、シリア軍の殲滅もこの中に含まれていた。

 それぞれの顔触れは以下の通り。

 ・エジプト-アンワル・アル・サダト大統領:エジプトは表向きイスラエルと戦ったことになっているが、裏ではイスラエルと共謀して同盟相手である筈のシリアに大打撃を与えた。エジプトの形ばかりの敗北は予定されたものだった。前任者ナセルの死後権力を掌握したサダトは、教育も受けておらず、カリスマ性も無く、ナセルの信奉者達に囲まれて孤立していた。彼は自らの威信を高める為に戦争を必要としていた。その為には勝利は必要無く、敗北しなければ良いだけの話だったので、軍には最低限の任務だけを与えた。米国は彼にゴーサインを出したが、ソ連は出さなかった。「ロシア人はエジプトの空を守ったが、戦争には反対していた。」元々社会主義を嫌っていた彼はソ連と決別した。

 ・米国-ヘンリー・キッシンジャー国務長官:この茶番戦争の黒幕。米国は石油、スエズ運河、膨大な人口を有する中東に於ける戦略的拠点として同盟国イスラエルを必要としていたが、イスラエルの傲慢さが邪魔をしていた。そこで米国はアラブ人が一時的にイスラエル人を倒すことを許し、その後イスラエルを「救う」機会を作ることにした。

 ・イスラエル-ゴルダ・メイア首相:エジプトに花を持たせ、米国の覇権を確保する為に、自国の兵士2,000人を犠牲にした。当時中東に於ける米国の同盟者はサウジのファイサル王しか居なかった為、イスラエルはエジプトを方針転換させて米国の同盟国になるよう仕向けた。シリアは最初から軍事的に敗北させる予定だった。シリア軍よりエジプト軍の方が遙かに多かったのに、イスラエル軍が全軍シリアに進軍したのはその為だ。



事態の実際の展開

 だが計算違いも起こった。ソ連は戦争前は断固として戦争に反対していたにも関わらず、戦争が始まるとエジプトを支援した。更に不運なことに、ソ連製の兵器はイスラエル軍の西側兵器よりも優秀だった。サダトはやり過ぎないように、わざわざ軍を停止させなければならなかった。彼は黙ってシャロンの進軍を許し、米国の関与を待った。

 イスラエル軍が全力でシリア軍を叩くと、シリアはエジプトに前進を要求したが、障害物は無かったにも関わらず、サダトはこれを拒否した。シリアは早い段階で、エジプトに裏切られたことを悟った。

 イスラエルは、シリアとの戦闘が予想よりも激戦になり、自軍の損害が膨れたことに焦った。エジプト軍が傍観していたお陰でシリア軍に大打撃を与えることは出来たが、完全に敗北させることは出来なかった。

 米軍は、サダトが途中で考えを変えないよう、直ぐにはイスラエル軍を止めなかった。米国はイスラエル軍の進軍を阻止することでエジプトを「救った」。

 米国が国連軍を間に挟んで交渉した撤退協定により、イスラエルの安全が保証される一方、米国は中東に於ける「誠実な仲介者」としての役割を確立することが出来た。

 サダトの地位は戦後劇的に向上した。彼は英雄として讃えられ、エジプトはアラブ諸国の間で名誉有る地位を占めた(1年後にはこの評判はズタボロになったが)。 彼は暴力的な反ソ連・反社会主義キャンペーンを展開し、ソ連の信用を失墜させようとした。



その後

 以上の様な疑惑は、これまで様々な軍事専門家や歴史家からも為されて来たが、ヴィノグラドフの様に、事件の関係者、つまり重要な瞬間にこれ程高い地位、知識、存在感を持った人物によって為されたことは無かった。彼のメモを読めば、産業空洞化、貧困、国内紛争、1973年の偽りの戦争と密接に関係した軍政等、エジプトの歴史を解読し追跡することが出来る様になる。

 サダトは数年後に暗殺され、その支持者達が後を継いだ。嘘と裏切りによって達成されたキャンプ・デービッド平和条約は、今でもイスラエルと米国の利益を守っている。

 サダトのキャンペーンは成功し、これがアラブ世界に於けるその後のソ連のプレゼンスと名声の運命を決定付けることになった。1972年時点では冷戦に略勝利していたソ連は、最終的には冷戦に敗北した。

 米国によるエジプト占領はペトロダラー制度を齎し、1971年に金本位制から離脱したことで下落が始まったドルは回復し、再び本格的な世界基軸通貨となった。

 1973〜74年は、我々の歴史に於ける決定的な転換点だったと言える。
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川流桃桜

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