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スコット・リッター調査:エージェント・ゼレンスキー———パート1(抄訳)

元米海軍諜報将校で、イラクに於ける大量破壊兵器捜索を担当する国連主任査察官(1991〜98年)も務めたスコット・リッター氏が、ゼレンスキーのエージェントとしての側面を解説したドキュメンタリーを作ったので、抄訳してみた。一部補足した。元スパイならではの視点が光っている。
Video: Agent Zelensky
A Scott Ritter Investigation: Agent Zelensky - Part 1



 尚、ジェレミー・クズマロフ氏がこれをフォローする内容の記事を書いていたので、そちらも紹介しておく。
Ukrainian President Volodymyr Zelensky Came to Power in Carefully Planned Operation Coordinated by Western Intelligence Services, Says Former U.S. Diplomat
ゼレンスキーが権力の座に就いたのは、西側諜報諸機関により慎重に計画されたなかでのことだった、と元米国外交官は発言


 
 ウクライナの大統領ヴォロディミル・ゼレンスキーとは何者か? 本当のことを知りたくとも、彼のイメージは巧妙に操作されている。この動画ではその舞台裏を探っている。



選挙戦を助けたTVシリーズ

 コメディアンであったぜレンスキーのプロモーション・キャンペーンは、彼自身が製作も担当し、ウクライナ大統領になる歴史教師ヴァシリー・ペトロヴィチ・ゴロボロドコの役で主演を務めたTVドラマ『国民の僕』から始まった。
 
 大統領選挙前、ゼレンスキーによる公開記者会見はひとつも行われなかった。放送された映像は全て事前に録画されたもの、つまり放送前にやり直しや編集が可能なものばかりだった。

 彼は自分の言葉として語った演説の中で、自身が演じた大統領の台詞を引用して、人々が両者のイメージを混同するように仕向けた。

 ゼレンスキーが選挙に勝利して大統領になる役を演じたドラマが放映された後、ゼレンスキーは大統領に立候補した。最終第3シーズンの開始日は、選挙の第1ラウンドの丁度4日前だった。

 これは人類史上、最高の選挙前キャンペーンだったと言えるが、現に非常に効果的だった。ゼレンスキーはポロシェンコを大きく引き離して70%以上の支持率を得て当選した。

 ドラマや映画と現実を重ね合わせる手口の心理操作は、ウクライナものではない。それはハリウッドがワシントンDCとの関係に於てよくやっていることだ。ゼレンスキーのドラマは、完全に言いなりになる傀儡が確実に選挙に勝つようにする為の、米国とNATOの諜報部が入念に準備した作戦だった。



戦争前の腐敗

 ゼレンスキーはオリガルヒのイゴール・コロモイスキーのことを、「ビジネス上のパートナー」と呼び、5〜6の「ファミリー」が関与していると発言している。この「ファミリー」とはつまり、マフィアのファミリーのことではないかと思われる。

 コロモイスキーはマネーロンダリングの容疑で米連邦裁判所から取調べを受けている億万長者だ。彼は2014年のマイダン・クーデター以降、知事であり銀行頭取だったがそれ以上の存在であり、ウクライナの事実上の支配者であり、指導的オルガルヒだった。

 2015年、当時のポロシェンコ大統領は、コロモイスキーの重要な資産であるUKRNAFTA社や民間銀行等を国有化した。これに対してコロモイスキーは自身のTV局を使ってポロシェンコを批判し、同時にゼレンスキーを宣伝し始めた。

 但し、コロモイスキーはゼレンスキーの黒幕と云う訳ではない。黒幕であれば、ゼレンスキーは民間銀行を彼の手に戻す等の措置を講じている筈だが、彼を刑務所に入れないだけに留めている。



パンドラ文書

 2021年、25の世界の指導者達のオフショア資産データを含む、パンドラ文書と呼ばれる内部文書が公表された。それはゼレンスキーとその内部サークルの隠し資産についても触れていた。

 ゼレンスキーは幾つものオフショア会社を所有しており、彼自身も控え目にこの事実を認めている。2012〜16年にはコロモイスキーはこれらの企業に4,100万ドルを送っている。

 またゼレンスキーは5ヵ国にそれぞれ何百万ドルもする住宅、別荘、アパート(一流リゾート地の大豪邸を含む)を構えている。ゼレンスキー自身は休暇に恵まれない子供達を遊ばせる為だとか説明しているが、そんな慈善行為をしている気配は無い。
 

 一俳優としてこうしたことをやっているのであれば好きにすれば良いが、彼は仮にも公職に就いている人間であり、しかも腐敗と戦うことを売りにして当選している。それがマネーロンダリングを行っていたと云う事実は問題だろう。

 ゼレンスキーを直接知っている人の中には、彼が如何にケチでがめつい俗物かを証言する者も居る。ゼレンスキーがハリウッドを訪問した時、彼は既に大統領であったにも関わらず、ディカプリオの様な有名スター達と私的に会って、夕食を共にしたりすることを求めた。

 道路補修予算は2018年には3,800km分に400億フリヴニャ(ウクライナの通貨単位)掛かっていたが、ゼレンスキー政権下の2020年には4,000kmにつき1,200億掛かっている。km当たりの予算が何故か3倍近くに膨らんだことになる。この時の建設企業はCOVID-19対策予算として10億フリヴニャも受け取っている。

 前任者のポロシェンコが築いた組織的な腐敗は最悪だった。2015年にガーディアンはウクライナを、「ヨーロッパで最も腐敗した国」と呼んだ。だがゼレンスキーは更にその上を言った。基準も原則も無く、彼は国を食い物にし続けた



戦争の前提条件

 2019/05/20、ゼレンスキーは議会でドンバス戦争を終わらせると誓言した。だが彼が気にしていたのは、所謂「対テロ作戦」に従事していた「英雄達」の安全であって、ドンバスの市民達のことではなかった。

 経緯をお浚いしておくと、2014年に米国や西洋諸国が支援するクーデターが起こり、極右ナショナリストの力を借りて違法に権力を掌握した政権に対する抵抗運動がウクライナで起こった。クーデター政権は抵抗する市民を「テロリスト」呼ばわりしてこれに激しい弾圧を加え、オデッサでは約50名が虐殺されたが、当時のゼレンスキーはノーリアクションだった。これにより東部ドンバス地域(ドネツクとルガンスク)はウクライナからの独立と自治を求めて内戦が始まったが、これが最終的にロシアの特別軍事作戦による軍事介入にまでエスカレートした訳だ。ここでの「対テロ戦争」とは、合法的な民主主義の成果を守ろうとする市民達に対する、違法なクーデター政権による暴力的な弾圧のことだ。

 ヴィクトリア・ヌーランドは米国が1991年の独立以来、ウクライナの「民主化」の為に約50億ドルもの巨額の資金を投入して来たことを認めているが、その結果としてウクライナに破壊と混乱が齎され、両陣営に多大の死傷者が出た。

 ロシアの特別軍事作戦の開始に関して、西洋ではロシアが全面的に悪いと主張されるのが普通だ。だがこうなる事態を避ける為にゼレンスキーが出来ることは色々有った。

 1)ゼレンスキーはドンバスの「特別な地位(つまり自治)」を認めるミンスク合意を遵守しようとしなかった。

 2019/12/10の露宇独仏4ヵ国の会合での映像を見てみれば判る通り、プーチン大統領が和平を求める声明を読み上げている間、ゼレンスキーは終始にやにやして真面目に話を聞く素振りすら見せなかった(マクロンも薄笑いを浮かべている)。彼はミンスク合意はウクライナとロシアとの全面戦争を準備する為の時間稼ぎの茶番に過ぎず、プーチンが騙されていることを知っていたのだ。


 ポロシェンコもゼレンスキーも、ウクライナをEUだけでなくNATOに加盟させることに熱心だった。無論ウクライナがNATOに加盟することはロシアを苛立たせる行為だ(逆の立場として、メキシコ国境に中国が軍事基地を造った場合に米国がどう思うかを考えてみれば良い)。米国の対ロシア政策の目的は、ロシアを弱体化させ破壊することだが、ウクライナはその為の使い捨ての駒に過ぎない。これはウクライナ人の安全とか民主主義とかとは何の関係も無いが、ウクライナ政府は自国民を犠牲にすることを全く気にしていない。

 ゼレンスキーは更に火に油を注いだ。2022/02/21のミュンヘン安全保障会議に於て、彼は核拡散に関するブダペスト覚書に反対した。つまり一度は核を捨てたウクライナが、再び核を保有する可能性を仄めかしたのだ。ウクライナの極右が、核の維持費を引き出す為に核を使って全世界を脅迫する、などと云う発言を行っている状況でのこうした展開は非常に歓迎すべからざるものだ。ロシアが特別軍事作戦を開始したのは、これらの度重なる挑発が行われた後のことだ。

 ウクライナをロシアに敵対させる為に、ナチ・ウクライナを作ると云う構想が実行された。何故なら明確にロシアに敵対しようとするのはナチだけだからだ。他の勢力では最後まで反ロシアのスタンスを貫くことは出来ない。

 独立後の90年代以降、ウクライナではナショナリズムが台頭した。カラー革命によって大統領になった西洋の工作員、ユシチェンコが公式にこの傾向を助長した。カテリーナ・チュマチェンコはウクライナ移民の子供で元米国務省職員であり、ネオナチ組織「国民同盟」のメンバーだが、彼女はユシチェンコに接近して結婚に成功した。ユシチェンコは大統領になると、ウクライナのナショナリズムと反ロシアのイデオロギーを国家レヴェルで推進した。彼は2006年には、ナチス・ドイツに協力してホロコーストを実行したナショナリズム組織(OUN、UPA)の名誉回復を行い、2010年にはファシスト協力者の指導者達(ステパン・バンデラ、ロマン・シュヘーヴィチ)に「国民の英雄」の称号を授けた。彼は更にクリミアに駐留するロシアの黒海艦隊を追い出すとまで脅し、ロシアとの長年の絆を断ち切った。

 2010年に不人気のユシチェンコが落選し、ヤヌコヴィッチが当選すると、彼はバンデラとシュヘーヴィチから「国民の英雄」の称号を取り上げ、ロシアとの関係回復に努めた。



ジョージ・C・マーシャル欧州安全保障研究センター

 米独の国防省が協力して設立したジョージ・C・マーシャル欧州安全保障研究センターは、1993年以来、「民主主義を促進」する多くの国々の政治的エリート達(157ヵ国の主要14,000人)を訓練して来た。訓練内容は西洋の大学での講義、セミナー、インターンシップや、レセプションや博物館訪問等だが、主な任務は母国でのキャリア形成だ。
 
 センター出身者の一人、ウクライナ政治科学者アンドレイ・ミシンは、1998年には外務省に勤めていたが、当時はウクライナとロシアとの軍事的・政治的協力を定めた合意が進められていた。すると西洋はあらゆる手段を使ってこの話を撤回するよう「助言」し、ロシアとウクライナとの二重市民制度にも反対した。
 
 当時のウクライナ外務省の職員の証言に拠れば、米国大使館の政治顧問は、チェチェン等で代理勢力を雇ってロシアを挑発させ、最終的に(ソ連の様に)ロシアを解体する構想を語っていたそうだが、その為にウクライナのNATO加盟が必要なのだそうだ。彼等は特に、西洋と協力して働ける政治や諜報分野での新世代エリートに関心を持っていた。
 
 ミシンはその後マーシャル・センターの為に各国を飛び回って講演を行って報告書を送り、米国の軍・諜報・外交の要員に対して講演を行った。テーマは全てロシア/ソ連に関するものだった。

 2014年のマイダン・クーデター後、マーシャル・センターはウクライナの政府高官や軍要人達(恐らく全員)にとってのメッカとなった。米英の講師達がそこで彼等に戦略問題についてにの講義を行ったりしたが、目的は唯ひとつ、ロシアに対抗することだった。



ゼレンスキーのPR

 ゼレンスキーの選挙キャンペーン本部は、秘密裏にワシントンのロビー団体と連携していた。これによりゼレンスキーとトランプ政権、そして議会メンバーとの会合が調整された。本部の方ではこの関係を否認しているが、契約文書が暴露されて裏取りは取れている(ゼレンスキーは約7万ドルを支払っている)。

 ゼレンスキーは米英当局の御機嫌を取ろうと必死だった為、当選後は雇われる外国のPRエージェンシーの数が増加した。ウクライナ・ロビーの活動が活発化し、バラク・オバマのスピーチライターがゼレンスキーの下で働いたりした。バカ高いスタッフや衣装を使って、ゼレンスキーとその美人のファースト・レディの写真が撮影されたのはこの文脈に於てだ。戦時中で国民が飢えている時にこんなPRキャンペーンを行った政治指導者は前代未聞だ。


 これはゼレンスキーが米英のエージェントとして一生懸命に活動した御褒美の一環だ。



MI6の長官を宜しく

 2020/10/14、ゼレンスキーはMI6本部でリチャード・ムーア長官と会談した。内容は公表されていないが、ゼレンスキーに拠れば、「ウクライナの主権を守る」のがそのテーマだった。諜報部が戦争状態の国の指導者と会談するのは、第二次大戦中や冷戦期にすら無かったことだ。それに主権国家の指導者が他国を訪問した場合、面会する相手は通常は同じ地位に有る人間だ。MI6長官の方からウクライナを訪れたのであれば両者の会談は有り得るが、大統領の方から諜報部を訪れると云うのは極めて異例だ。ムーアはゼレンスキーより上の立場だと云うことだ。一人のハンドラーは一人のエージェントと働くのが普通なので、ゼレンスキーのハンドラーはムーアだと云うことになる。


 2020年夏、ウクライナの特殊部隊は、大英帝国の外交政策、特にアフリカ政策にとって目障りな存在であるロシアの民間軍事会社ワグナーを罠に嵌める作戦を実行したが、失敗した(所謂「ワグナーゲート」事件)。この失敗の責任はゼレンスキー政権の所為(情報漏洩と作戦の延期)だとされた。ムーアはこの件の真相をいちいち調査したりするのを省いて、ゼレンスキーを直接呼び付けて、その立ち位置を確認した。
 
 この時同時に話し合われたのが、メディアの問題だ。2014年以降のウクライナには数多くの反体制派メディアが存在していたが、これが「ロシアは西洋の敵である」と云うイメージを広める上で邪魔になっていた。ゼレンスキーはこれらの息の根を止めるよう命令された。彼が任務に集中し続けるよう、また彼の話す英語が上達するよう、ゼレンスキーは英国の警備員達に取り囲まれることになった。

 下の写真(↓)でウクライナ国旗を上下逆様に付けている者達がそうで、発音からして英国人だ。大統領の警護に使えるウクライナ国内のチームは1,800人も居るのに、彼を取り囲んでいるのは英国人なのだ。「ブチャの虐殺」を仕組むのを手伝ったのも恐らく英国諜報部であり、英国諜報部は自分達のエージェントの一挙手一投足を監視する。


 2023/05/13、ゼレンスキーはヴァチカンを訪問して教皇と面会した。この時ゼレンスキーは黒い服にウクライナのナショナリスト組織の紋章を着けているが、正にナチスの格好だ。そしてゼレンスキーが教皇に贈ったイコンには、何故か通常のキリストではなく黒いシルエットが描かれている。まるで悪魔主義の反キリストだ。ぜレンスキーはまた教皇よりも先に着席し、教皇の言う平和構想には対して関心を払わなかった。この不作法な一幕は、メディア向けの見せ物だった。本当に大事な遣り取りは、教皇の執務室ではなく隣の部屋で行われた。
 

 ゼレンスキーが隣室で教皇抜きで1時間半も会談した相手は、聖座の外相を務める英国人のポール・ギャラガーだった。この場にはリチャード・ムーアも同席していた。この時のゼレンスキーの車列が記録破りの20台以上だったのは、これが理由だろう。

 ゼレンスキーが独自の判断でプーチン大統領と和平交渉を進めることは有り得ない。ゼレンスキーは彼の妻と子供達を英国に人質に取られているからだ。傀儡が裏切らないようにする為の保険は厳重なのだ。
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川流桃桜

Author:川流桃桜
一介の反帝国主義者。
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