挑発は無害な行為ではない(要点と補足)
アルフレッド・デ・ザヤス氏の論説の要点。()内で多少コメントを加えた。ロシアの特別軍事作戦が「謂れの無い(unprovoked)」ものだったと云う馬鹿げた主張を信じる人は、ここ30年以上の国際情勢が全く解っていなかった人だ。
Provocation is Not an Innocent Act
「挑発は罪の無い行為でない。特定の状況下では、特に意図的に暴力的な反応を引き起こす場合、挑発は不法行為、更には犯罪となる。『挑発』と云う用語に拘束力の有る定義は存在しない。挑発とは、一般的には、恐怖、怒り、憤怒から、他人から暴力的な反応を引き出す可能性の有る、意図的または無謀な行為として理解されている。」
挑発に対する各国の規定はまちまちで、英国の様に禁止している所も有れば、米国の様に、挑発の禁止よりも寧ろ抵抗の権利を重視している所も有る。しかし多くの場合、挑発に対する反応として引き起こされた暴力は、それが過剰反応であったとしても、不処罰を受けるか、少なくともその責任は軽減される。
国際関係の場合、「これには主観的な要素が伴うが、特に核保有国間の対立に於ては極めて危険となる可能性が有る。」
(1962年のキューバ危機を思い出してみれば良い。この危機の原因は米国がトルコに核ミサイルを置いたことだ。厳密に言えばこれを禁じる国際法は存在しない。だがその対抗措置としてソ連がキューバに核ミサイルを置こうとしたところ、米国はこれを自国に対する重大な脅威であると判断し、絶対に容認出来ないと断固拒否し、軍事力を行使してでもこれを阻止しようとした。キューバが自国の領土内に核ミサイルを置くのはキューバの勝手なのだが、それは米国にとってのレッドラインを超える行動だったのだ。この事情を踏まえれば、NATOの東方拡大とウクライナの加盟、そしてゼレンスキーによるウクライナの核開発発言———つまりNATOがウクライナに核ミサイルを配備することは、キューバ危機以上に核の応酬を引き起こす可能性の高い、人類史上最も危険な挑発行為だったと言える。つまりロシア軍が軍事介入を行っていなければ、世界はその儘第三次世界大戦かその瀬戸際に突入していた可能性が高い。)
国連憲章に於ては、国連憲章第51条に規定されている非常に狭い状況(自衛権と集団的自衛権の発動)を除き、武力行使は絶対に禁止されている。これは安保理や総会での無数の決議によっても再確認されている。
(日本国憲法9条の盲目的な信仰者達の中には勘違いしている人も多い様だが、9条の第1項、即ち国際紛争を解決する手段としての『武力による威嚇又は武力の行使』の禁止は、国連憲章第2条第4項に明記されている。元々日本国憲章は国連憲章と整合性を取るように作られているのだから当たり前だ。9条がユニークなのは2項の部分(戦力不保持)だけであって、自衛隊の存在を見ればその条項が全く守られていないことは中学生にでも解る。)
「残念なことに、一部の列強諸国は例外を発明しようと試みている———即ち、『先制的』自衛権なる存在しない権利を仮定することによって。」「ユーゴスラヴィア、アフガニスタン、イラク、リビア、シリア、ウクライナに於ける最近の武力紛争」は、51条が実質的に骨抜きにされていることを示している。
(余りに白昼堂々とやられているので却って気付かない人が多い様だが、米軍やNATO軍は国際法違反の侵略行為を今まで散々繰り返して来ている。NATOは加盟諸国の防衛よりも寧ろ非加盟諸国の侵略と、加盟諸国内での社会統制の為の装置として機能している。)
西洋の主流メディアは米軍やNATO軍によるあからさまな侵略や人道に対する犯罪を正当化する一方で、NATOによるロシアに対する継続的な挑発を軽視するか、完全に無視している。そしてロシアによるウクライナ侵攻が「謂れの無い(unprovoked)ものであったかの様に主張しているが、これは非現実的だ。「確かに、ロシアのウクライナ侵攻は違法であり非難されるべきではあるが、武力行使による威嚇を特に禁止している国連憲章第2条第4項への明らかな違反となる挑発行為についても同じことが言える。」
(ザヤス氏はロシアの特別軍事作戦は違法な侵略行為であるとの解釈だが、そうではない解釈も有り得る。特別軍事作戦開始前に、プーチン大統領はドンバスのドネツク・ルガンスク両共和国を国家として承認すると云う手続きを踏まえている。確かにドンバスの両共和国は国連に承認された国家ではないので議論の余地は残るものの、人民自決の権利は国連憲章の根幹に関わる理念だ。つまりドンバス地域がどの国に属するかを最終的に決定する権利を持っているのは、根本的にはキエフ政府ではなくドンバスの人民である筈だ。その場合、既に8年間も攻撃を受け続けているドンバスを守る為のロシア軍の軍事介入は、国連憲章第51条で定められた集団的自衛権の発動と云うことになり、合法的であると云うことになる。また、これはNATOが「人道的危機」を捏造して悪用した概念なので議論の余地は残るものの、捏造ではなく本物の人道的危機に陥っている同盟諸国に対する「人道的介入」としても正当化され得る。何れにしろ平和的解決の道が全て閉ざされ、且つ国連安保理が機能していなかった以上、ロシア軍の軍事介入以外にドンバス戦争とロシア人に対するジェノサイドを止める方法は無かった、と言うことが出来るだろう。)
NATOの拡大はロシアを包囲しようとする敵対的な試みであり、従って自国の存亡に関わる危機であるとロシア側には認識されていた———こう主張する論者には、以下の者達が挙げられる。
・ジョージ・F・ケナン
・ジョン・ミアシャイマー
・リチャード・フォーク
・ジェフリー・サックス
・ノーム・チョムスキー
・ビジャイ・プラシャド
・スティーブン・キンザー
・ダン・コヴァリク
これは簡単に確認出来る客観的な事実だ。ロシアはこの脅威を取り除く為に、国連憲章第2条第3項(「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危くしないように解決しなければならない。」)に基付いて、様々なルートを通じて交渉によって問題解決を図ろうとした。代表的なものとしては次の様なものが挙げられる:
・ミンスク合意
・OSCE(欧州安全保障協力機構)での交渉
・ノルマンディー・フォーマット
・2021年12月にセルゲイ・ラブロフが提案した欧州の安全保障構造に関する2つの和平提案
だが、これら全ての努力が無駄に終わった。
(2022/02/24以降に「ロシアは交渉に応じるべき」とか言い始めた人達は、そこに至るまでの経緯を一切無視している。プーチンはNATO拡大問題については2000年以降、ドンバス戦争については2014年以降、一貫して交渉と対話による解決を求め、ミュンヘン安全保障会議等の機会を捉えては、西洋にもっと分別と良識を持って行動するよう呼び掛けて来たのだが、それら全てを、西洋諸国は全く相手にしなかった。)
ロシアの外交努力を一切無視してNATOはロシア国境まで拡大を続けたが、「これは政学的な嫌がらせと呼ぶことが出来、相互尊重、国家の主権的平等、万人(クリミアやドンバスのロシア語話者を含む)の自決権に基付く」国連憲章の精神に対する違反だ。
(同じことを米国がやられた状況を想像してみれば良い。米国の近隣諸国をロシアが次々と軍事同盟に取り込み、国境近くで大規模軍事演習を繰り返しミサイルを配備し核爆撃機を飛ばし、数々のデマを広めて米国を中傷し経済制裁を加え、米国と核戦争を戦って勝つ為の軍向けのガイドラインや、レジームチェンジ工作によって米国を分割・解体する戦略報告書を発表し、隣国をクーデターで乗っ取ってその国に住むアメリカ人達を組織的に殺害し、それらに対するワシントンの礼儀正しく辛抱強い抗議を一切無視して嘲笑ったとしたら、ワシントンはこれを座視するだろうか)。
この挑発が意図的なものであったことは、ズビグニュー・ブレジンスキーの『グランド・チェスボード』や、ネオコンのPNAC(新たなるアメリカの世紀プロジェクト。主要メンバーはブッシュ政権の中核と大体同じ)の報告書を読めば解る。地政学的ライヴァルに対する綿密に計算された挑発は、その挑発に反応することよりも攻撃的だと主張することが出来る。」
(「防衛の為だとしても、戦争犯罪や人道犯罪が正当化される訳ではない」」と云う主張に関して言えば、西洋大手メディアが盛んに報じているロシア軍による数々の戦争犯罪や人道犯罪が捏造されたものであり、ロシア軍が基本的に極めて抑制的に振る舞っていることは、私も今まで散々解説して来た。NATO陣営メディアの「報道」が戦争遂行の一部であることに気が付いていない人達は、この点を納得するのに時間が掛かることだろう。)
対照的に、挑発に対する反応は殆どの場合その場限りであって、故意の悪意が有る訳ではない。「理想的には、報復は挑発を超えるべきではなく、比例原則を尊重する必要が有る。 しかし、我々人間には過剰反応する傾向が有る。」
(ザヤス氏はロシア軍の軍事介入は過剰反応だったと云う解釈の様で、従って、恐らくロシアは本土が具体的な攻撃を受けるまでは反撃すべきではなかったと云う立場になる。但しその場合、ロシア本土が攻撃される時には核ミサイルが使用される可能性が高い。つまりロシア本土が実際に攻撃されるまで悠長に構えていたら、第三次世界大戦が始まってしまっていた可能性が高いと云うことだ。NATOによるロシア侵略は、ユーゴやイラクやアフガンやリビアやシリアを侵略した時とは訳が違う。核保有諸国が核保有国を攻撃すると云う人類史上初の状況が生まれてしまうのだ。「自国が攻撃されるまでガマンすべき」と主張する人達は、その辺りのリスクを考えてみたことがお有りなのだろうか。)
「挑発とその対応は両方とも犯罪と見做されるべきだが、挑発した側の方がより大きな道義的責任を負っている。挑発する側が無実を装っていると、道徳的責任は更に強化されることになる。」欺瞞は挑発と云う犯罪行為を更に悪化させたものであって、これにはノルドストリームのサボタージュ、クリミア橋爆破、クレムリン上空ドローン攻撃、ジャーナリストや作家の狙った殺害等が含まれる。
「自らの責任を認めないこの種の知的な不誠実さにより、非西洋諸国の多くが米国と欧州に背を向け、他国にリーダーシップを求め、調停と交渉を通じて和平を実現することに期待を寄せ、更なるエスカレーションを拒否している。」
(私も何度も指摘して来ているが、今や全世界から孤立しているのはロシアではなく西洋全体だ。)
「結論:挑発は侵略(aggression)の概念に包まれる可能性が有り、ローマ法規の目的上、侵略犯罪の要因と見做されるべきである。そして、それが匿名の故意の当て逃げ行為である場合には、処罰のレヴェルを引き上げるべきである。国連総会に代表される国際社会の為には、挑発とエスカレーションの停止を要求せねばならない。更に、ノルドストリーム爆破を含む民間インフラに対するテロ攻撃の調査と完全な開示が行われなければならない。 その結果を判断するのは国際刑事裁判所になるだろう。」
(国際刑事裁判所は屢々米国が自身の政治的戦略目的の為に悪用する傾向が有り、その中立公平性には大きな疑問符が付く。)
Provocation is Not an Innocent Act
「挑発は罪の無い行為でない。特定の状況下では、特に意図的に暴力的な反応を引き起こす場合、挑発は不法行為、更には犯罪となる。『挑発』と云う用語に拘束力の有る定義は存在しない。挑発とは、一般的には、恐怖、怒り、憤怒から、他人から暴力的な反応を引き出す可能性の有る、意図的または無謀な行為として理解されている。」
挑発に対する各国の規定はまちまちで、英国の様に禁止している所も有れば、米国の様に、挑発の禁止よりも寧ろ抵抗の権利を重視している所も有る。しかし多くの場合、挑発に対する反応として引き起こされた暴力は、それが過剰反応であったとしても、不処罰を受けるか、少なくともその責任は軽減される。
国際関係の場合、「これには主観的な要素が伴うが、特に核保有国間の対立に於ては極めて危険となる可能性が有る。」
(1962年のキューバ危機を思い出してみれば良い。この危機の原因は米国がトルコに核ミサイルを置いたことだ。厳密に言えばこれを禁じる国際法は存在しない。だがその対抗措置としてソ連がキューバに核ミサイルを置こうとしたところ、米国はこれを自国に対する重大な脅威であると判断し、絶対に容認出来ないと断固拒否し、軍事力を行使してでもこれを阻止しようとした。キューバが自国の領土内に核ミサイルを置くのはキューバの勝手なのだが、それは米国にとってのレッドラインを超える行動だったのだ。この事情を踏まえれば、NATOの東方拡大とウクライナの加盟、そしてゼレンスキーによるウクライナの核開発発言———つまりNATOがウクライナに核ミサイルを配備することは、キューバ危機以上に核の応酬を引き起こす可能性の高い、人類史上最も危険な挑発行為だったと言える。つまりロシア軍が軍事介入を行っていなければ、世界はその儘第三次世界大戦かその瀬戸際に突入していた可能性が高い。)
国連憲章に於ては、国連憲章第51条に規定されている非常に狭い状況(自衛権と集団的自衛権の発動)を除き、武力行使は絶対に禁止されている。これは安保理や総会での無数の決議によっても再確認されている。
(日本国憲法9条の盲目的な信仰者達の中には勘違いしている人も多い様だが、9条の第1項、即ち国際紛争を解決する手段としての『武力による威嚇又は武力の行使』の禁止は、国連憲章第2条第4項に明記されている。元々日本国憲章は国連憲章と整合性を取るように作られているのだから当たり前だ。9条がユニークなのは2項の部分(戦力不保持)だけであって、自衛隊の存在を見ればその条項が全く守られていないことは中学生にでも解る。)
「残念なことに、一部の列強諸国は例外を発明しようと試みている———即ち、『先制的』自衛権なる存在しない権利を仮定することによって。」「ユーゴスラヴィア、アフガニスタン、イラク、リビア、シリア、ウクライナに於ける最近の武力紛争」は、51条が実質的に骨抜きにされていることを示している。
(余りに白昼堂々とやられているので却って気付かない人が多い様だが、米軍やNATO軍は国際法違反の侵略行為を今まで散々繰り返して来ている。NATOは加盟諸国の防衛よりも寧ろ非加盟諸国の侵略と、加盟諸国内での社会統制の為の装置として機能している。)
西洋の主流メディアは米軍やNATO軍によるあからさまな侵略や人道に対する犯罪を正当化する一方で、NATOによるロシアに対する継続的な挑発を軽視するか、完全に無視している。そしてロシアによるウクライナ侵攻が「謂れの無い(unprovoked)ものであったかの様に主張しているが、これは非現実的だ。「確かに、ロシアのウクライナ侵攻は違法であり非難されるべきではあるが、武力行使による威嚇を特に禁止している国連憲章第2条第4項への明らかな違反となる挑発行為についても同じことが言える。」
(ザヤス氏はロシアの特別軍事作戦は違法な侵略行為であるとの解釈だが、そうではない解釈も有り得る。特別軍事作戦開始前に、プーチン大統領はドンバスのドネツク・ルガンスク両共和国を国家として承認すると云う手続きを踏まえている。確かにドンバスの両共和国は国連に承認された国家ではないので議論の余地は残るものの、人民自決の権利は国連憲章の根幹に関わる理念だ。つまりドンバス地域がどの国に属するかを最終的に決定する権利を持っているのは、根本的にはキエフ政府ではなくドンバスの人民である筈だ。その場合、既に8年間も攻撃を受け続けているドンバスを守る為のロシア軍の軍事介入は、国連憲章第51条で定められた集団的自衛権の発動と云うことになり、合法的であると云うことになる。また、これはNATOが「人道的危機」を捏造して悪用した概念なので議論の余地は残るものの、捏造ではなく本物の人道的危機に陥っている同盟諸国に対する「人道的介入」としても正当化され得る。何れにしろ平和的解決の道が全て閉ざされ、且つ国連安保理が機能していなかった以上、ロシア軍の軍事介入以外にドンバス戦争とロシア人に対するジェノサイドを止める方法は無かった、と言うことが出来るだろう。)
NATOの拡大はロシアを包囲しようとする敵対的な試みであり、従って自国の存亡に関わる危機であるとロシア側には認識されていた———こう主張する論者には、以下の者達が挙げられる。
・ジョージ・F・ケナン
・ジョン・ミアシャイマー
・リチャード・フォーク
・ジェフリー・サックス
・ノーム・チョムスキー
・ビジャイ・プラシャド
・スティーブン・キンザー
・ダン・コヴァリク
これは簡単に確認出来る客観的な事実だ。ロシアはこの脅威を取り除く為に、国連憲章第2条第3項(「すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危くしないように解決しなければならない。」)に基付いて、様々なルートを通じて交渉によって問題解決を図ろうとした。代表的なものとしては次の様なものが挙げられる:
・ミンスク合意
・OSCE(欧州安全保障協力機構)での交渉
・ノルマンディー・フォーマット
・2021年12月にセルゲイ・ラブロフが提案した欧州の安全保障構造に関する2つの和平提案
だが、これら全ての努力が無駄に終わった。
(2022/02/24以降に「ロシアは交渉に応じるべき」とか言い始めた人達は、そこに至るまでの経緯を一切無視している。プーチンはNATO拡大問題については2000年以降、ドンバス戦争については2014年以降、一貫して交渉と対話による解決を求め、ミュンヘン安全保障会議等の機会を捉えては、西洋にもっと分別と良識を持って行動するよう呼び掛けて来たのだが、それら全てを、西洋諸国は全く相手にしなかった。)
ロシアの外交努力を一切無視してNATOはロシア国境まで拡大を続けたが、「これは政学的な嫌がらせと呼ぶことが出来、相互尊重、国家の主権的平等、万人(クリミアやドンバスのロシア語話者を含む)の自決権に基付く」国連憲章の精神に対する違反だ。
(同じことを米国がやられた状況を想像してみれば良い。米国の近隣諸国をロシアが次々と軍事同盟に取り込み、国境近くで大規模軍事演習を繰り返しミサイルを配備し核爆撃機を飛ばし、数々のデマを広めて米国を中傷し経済制裁を加え、米国と核戦争を戦って勝つ為の軍向けのガイドラインや、レジームチェンジ工作によって米国を分割・解体する戦略報告書を発表し、隣国をクーデターで乗っ取ってその国に住むアメリカ人達を組織的に殺害し、それらに対するワシントンの礼儀正しく辛抱強い抗議を一切無視して嘲笑ったとしたら、ワシントンはこれを座視するだろうか)。
この挑発が意図的なものであったことは、ズビグニュー・ブレジンスキーの『グランド・チェスボード』や、ネオコンのPNAC(新たなるアメリカの世紀プロジェクト。主要メンバーはブッシュ政権の中核と大体同じ)の報告書を読めば解る。地政学的ライヴァルに対する綿密に計算された挑発は、その挑発に反応することよりも攻撃的だと主張することが出来る。」
(「防衛の為だとしても、戦争犯罪や人道犯罪が正当化される訳ではない」」と云う主張に関して言えば、西洋大手メディアが盛んに報じているロシア軍による数々の戦争犯罪や人道犯罪が捏造されたものであり、ロシア軍が基本的に極めて抑制的に振る舞っていることは、私も今まで散々解説して来た。NATO陣営メディアの「報道」が戦争遂行の一部であることに気が付いていない人達は、この点を納得するのに時間が掛かることだろう。)
対照的に、挑発に対する反応は殆どの場合その場限りであって、故意の悪意が有る訳ではない。「理想的には、報復は挑発を超えるべきではなく、比例原則を尊重する必要が有る。 しかし、我々人間には過剰反応する傾向が有る。」
(ザヤス氏はロシア軍の軍事介入は過剰反応だったと云う解釈の様で、従って、恐らくロシアは本土が具体的な攻撃を受けるまでは反撃すべきではなかったと云う立場になる。但しその場合、ロシア本土が攻撃される時には核ミサイルが使用される可能性が高い。つまりロシア本土が実際に攻撃されるまで悠長に構えていたら、第三次世界大戦が始まってしまっていた可能性が高いと云うことだ。NATOによるロシア侵略は、ユーゴやイラクやアフガンやリビアやシリアを侵略した時とは訳が違う。核保有諸国が核保有国を攻撃すると云う人類史上初の状況が生まれてしまうのだ。「自国が攻撃されるまでガマンすべき」と主張する人達は、その辺りのリスクを考えてみたことがお有りなのだろうか。)
「挑発とその対応は両方とも犯罪と見做されるべきだが、挑発した側の方がより大きな道義的責任を負っている。挑発する側が無実を装っていると、道徳的責任は更に強化されることになる。」欺瞞は挑発と云う犯罪行為を更に悪化させたものであって、これにはノルドストリームのサボタージュ、クリミア橋爆破、クレムリン上空ドローン攻撃、ジャーナリストや作家の狙った殺害等が含まれる。
「自らの責任を認めないこの種の知的な不誠実さにより、非西洋諸国の多くが米国と欧州に背を向け、他国にリーダーシップを求め、調停と交渉を通じて和平を実現することに期待を寄せ、更なるエスカレーションを拒否している。」
(私も何度も指摘して来ているが、今や全世界から孤立しているのはロシアではなく西洋全体だ。)
「結論:挑発は侵略(aggression)の概念に包まれる可能性が有り、ローマ法規の目的上、侵略犯罪の要因と見做されるべきである。そして、それが匿名の故意の当て逃げ行為である場合には、処罰のレヴェルを引き上げるべきである。国連総会に代表される国際社会の為には、挑発とエスカレーションの停止を要求せねばならない。更に、ノルドストリーム爆破を含む民間インフラに対するテロ攻撃の調査と完全な開示が行われなければならない。 その結果を判断するのは国際刑事裁判所になるだろう。」
(国際刑事裁判所は屢々米国が自身の政治的戦略目的の為に悪用する傾向が有り、その中立公平性には大きな疑問符が付く。)
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