アルジェリアとロシア:長年の友好による絆を強化すべき(抄訳)
アルジェリアの政治ジャーナリスト、アクラム・カリーフ氏の記事の抄訳。多極化へ向かう現在の趨勢の中で、悪役は無論西洋の新植民地主義、帝国主義勢力ではあるが、中には単純に白黒では評価出来ないケースも多い。アルジェリアとロシア(そしてモロッコ)との関係は色々と微妙で、各国が結局その時々の自国の利益(と思われるもの)に従って行動することから生まれる複雑さがよく解る好例だと思うので、ここに紹介してみる。
Algeria-Russia: A Long-Standing Friendship to Be Cemented

アルジェリアの歩み
アルジェリアとロシアとの友好は60年以上続いているにも関わらず、これが人々や経済にとって有益な同盟関係にまで発展したことは一度も無い。
その理由を理解するには、132年間に及ぶフランスの植民地支配の歴史を振り返ることによって理解出来る。
占領国フランスに対する血生臭い解放戦争の所為で、アルジェリアは大きなブロックと連携することに対して消極的になった。その第一の原則は、世界の平和と均衡の為に働くことだ。
輝かしい過去と世界を変える意志———これらはアルジェリアとロシアの共通点だ。
1962年の独立以降、アルジェリアは絶大な威信を維持し続けているが、それらは次の2点から成る:
1)アルジェリアは犠牲を払い世界の大国を破った国として歴史にその名を刻んだ。第三世界の犠牲の歴史学に於て、それはヴェトナムの仲間なのだ。
2)民族解放戦線(FLN)は、武装も訓練も貧弱なゲリラが殆ど敗北したにも関わらず、フランスに対する外交・宣伝戦争に勝利した。
アルジェリアとフランス、ひいては西洋諸国との関係は、植民地時代の過去と、旧宗主諸国が第三世界に対して謝罪を拒否していることで、決して良好ではなかった。
1962年7月の独立以来、アルジェリアの権力構造は軍、諜報機関、大統領の三脚の上に成り立っている。
独立から1988 年まで、FLNはアルジェリアの政治制度の中心であり、ユーゴスラヴィアによく似た非同盟社会主義イデオロギーに触発されていた。軍はワルシャワ条約機構軍のモデルを採用し、装備をソ連に依存し、そこで将校を訓練した。
独立後の20年間、アルジェリアは、冷戦の対立に巻き込まれることを望まないグローバルサウスの非同盟運動に於て主導的な役割を果たした。
社会主義国アルジェリアは、一党支配の終焉と経済的・政治的自由化を求めるデモの後、1988/10/05にベルリンの壁の崩壊を経験した。2年後、アルジェリアは対イラク連合への参加を拒否し、米国が「世界の警察官」になると云う考えに反対してバグダッドを支持した。
ベルリンの壁崩壊直後、アルジェとモスクワの関係は良好な儘ではあったが、非常に弱々しいものだった。ロシアの軍事産業は低迷し、アルジェリアは深刻な経済危機と政情不安に苦しんでいた。
ロシア-アルジェリア関係の微妙な友好と緊張
ロシア-アルジェリア関係の特徴を象徴しているのは、恐らく1960 年に起こった余り知られていない歴史的エピソードだ。アルジェリア独立の2年前、ニキータ・フルシチョフはド=ゴール将軍に対し、アルジェリアは独立後も米国の勢力圏よりもフランスの勢力圏に留めておくことが好ましいと伝えた。
一般に信じられていることに反して、ソ連は中国やユーゴスラヴィアとは異なり、アルジェリア独立運動の闘士達を最初は支援しなかった。モスクワがアルジェリア共和国臨時政府(GPRA)を承認するまでに6年を要した。
この原因は主に、当時のフランスが親ロシアでも親米でもなく、また国内には強力な共産党が存在していたことだ。ロシア政府はパリの機嫌を取り、ワシントンとの連携を阻止することを期待していた。
アルジェリアをフランス領に留め置くと云うこの考えは、アルジェリアが旧宗主国から解放され、反帝国主義闘争の第三世界の指導者、そして非同盟運動の創設メンバーへと変身したにも関わらず、今日まで残っている。
だが多くの先進諸国と同様、ソ連はアルジェリアの若い国家幹部の多くを訓練し、軍隊に装備を提供した。ロシアの士官学校はアルジェリア軍の変革と専門化をに貢献した。1961〜2023年に6万人以上のアルジェリア兵がロシアまたはソ連で修了過程を終えた。何千人もの油圧技術者、機械技術者、電気技術者がウクライナ、ロシア、カザフスタンで訓練を受けた。何百人ものアルジェリア人がロシア人の妻と共に帰国し、子を持った。
現在、ロシア語を話すか、ロシア語を中心とした教育を受けたアルジェリア国民の第3世代が存在する。アルジェリアには今も1,000人以上のロシア人女性と数千人の子孫が住んでいると推定されており、ロシア文化センターが存在せず、国内でトルストイの言語が教えられることが年々少なくなっているにも関わらず、彼女達はアルジェリアでロシア文化を生かし続けている。
2006年にウラジーミル・プーチン大統領がアルジェを訪問し、同国の経済が回復して以来、アルジェリア軍はロシア軍事産業の最大の顧客のひとつとなり、2018年にはアルジェリアはエジプトとインドを抜いて、世界最大のロシア武器輸入国となった。
但しアルジェリアはロシアから現地製造ライセンスを一度も取得しておらず、技術移転も行っていない。イタリア、中国、ドイツはこの点でロシアより地歩を固めている。
アルジェリアとロシアは共にOPEC+の加盟国だが、天然ガスの分野では競争相手だ。アルジェリアはイタリアとスペインに供給するガスパイプラインを4本運用しており、増設する計画も持っている。対ロシア制裁ではアルジェリアは大きな恩恵を受け、西欧の信頼出来る供給源となったが、これによりロシアはこの市場での優位性を獲得する機会を逸した。これはロシア政治指導部の北アフリカ戦略にこの方面に対する支援が欠如していたことが大きい。
ロシア軍の特別軍事作戦の開始以来、国際社会は一極覇権主義の西と、多極主義を奉じる南とに大きく分断して来たが、北アフリカでロシアを公然と支持し、ロシア非難決議に賛成票を投じることを拒否している唯一の国はアルジェリアであり、自発的または強制的にウクライナに軍事援助を送っていない唯一の国でもある。
アルジェリアはまた北アフリカでNATOや米国から軍事援助を受けていない唯一の国でもある。近隣のチュニジアとモロッコは米国の主要な非NATO同盟国だ。しかしロシアは経済や外交方面に於てはアルジェリアの利益を決して考慮しておらず、同国のリビアとサヘル問題に関する地域戦略にさえ反対している。
西サハラ問題
アルジェリア外交にとって最も重要な問題は、国連で関係者が署名した民族自決手続きにも関わらず、モロッコが占領した儘の西サハラの脱植民地化だ。
1975年からベルリンの壁崩壊までのソ連時代、モスクワはアルジェリアとリビアをイデオロギー的に友好国と見做し、西洋の影響に組織的に対抗していた。ソ連はリビア、キューバ、アルジェリアを通じて、西サハラのポリサリオ戦線に武器や装備を送っていた。
1991年、国連の庇護の下で、モロッコとポリサリオ戦線との間で停戦が調印された。これはモロッコ離脱を巡るサフラウィ族の民族自決の住民投票へ向けた第一歩となる筈だった。
だが1991〜2006年の間はロシアはこの問題から完全に距離を置き、この地域に於けるロシアの影響力は低下した。にも関わらず、ロシアの国連代表は2004年と2006年に、西サハラ問題に関する2つの決議に賛成票を投じた。また2004年4月に国連安保理決議第1541号に賛成票を投じ、自治の概念に立ち戻ること認め、決議文に「二者間の合意に基付く最適な解決策」と云う文言を追加した。
2002年にはモロッコ国王がモスクワを訪問し、両国間の戦略的関係に関する宣言に署名したことで、両国は経済的に大きく接近した。モロッコはアフリカとアラブ世界に於けるロシアの最大の貿易相手国となった(兵器部門を除く)。
2006年にアルジェに接近してからは、モスクワは安保理レヴェルでの議論を行うことで、西サハラ問題に於てバランスを取る役割を果たした。2019年12月には米トランプ政権が、2022年3月には旧宗主国であるスペインが、西サハラをモロッコの一部として承認したが、モスクワはこれを無視した。米国の決定により、モロッコとポリサリオの間の戦闘が再開し、停戦は終わった。またドローン爆撃によってサハラ人、アルジェリア人、モーリタニア人が殺害されたが、ロシアを含む国際社会は無関心だった。
ロシアは国連使節団(MINURSO)の一環として現地に部隊を派遣しているが、西サハラ領土でモロッコのドローン攻撃によりアルジェリア民間人3人が死亡した後、アルジェリア当局が調査要請を行った際、これに応じなかった。
ロシアの特別軍事作戦の開始と時を同じくして、アルジェリアとモロッコの間に冷戦が再発した。アルジェリアはモロッコを通過するガスパイプラインを閉鎖し、モロッコ航空機の領空通過を禁止し、2022年8月には両国間の国交を完全に断絶した。これはモロッコに、アルジェリアがロシアを支持しており、またロシアの民間軍事会社ワグナーの教官やイラン兵やヒズボラの志願兵がポルサリオを支援していると西洋諸国に訴えるチャンスを与えることになった。
モロッコはアルジェリアがロシアから武器を購入しているとのプロパガンダ・キャンペーンを展開しており、米国で活動するロビイスト達を動員して、アルジェリアに対する制裁を呼び掛けている。実際2022年9月と10月には、カラー革命工作を得意とするマルコ・ルビオが率いる米上院議員のグループが、ブリンケン国務長官に対してアルジェリアへの経済的・政治的制裁を要請している。因みにルビオはこの件でモロッコから44万5,000ドルを受け取っている。またモロッコはT-72戦車をウクライナに派遣している。
ワグナーの存在
アルジェリアとロシアの不和のもうひとつの原因は、リビアとサヘル地域の問題だ。リビアに関してルジェリアはトリポリ政府を支持し、ハフタル元帥に反対している。 また、紛争に於ける民兵組織や非リビア軍の存在にも反対している。
リビアのムアンマル・カダフィ大佐がNATOによって殺害された時、アルジェリアは戦略とヴィジョンを欠いていた。当時のアルジェリア大統領アブデルアジズ・ブーテフリカは脳卒中を患ったばかりで、アルジェリアは安定と継続性を求めて国内に努力を集中していた。ブーテフリカ氏の弾劾に繋がった民衆反乱(ヒラク運動)の間(2012〜19年)、アルジェリアはリビアやサヘル問題、その他の国際問題から目を背け、南部と東部の国境の安全保障に関しては最小限の努力しか払っていなかった。
この状況を理解するには、2010年以前には、アルジェリアの広大なサハラ砂漠の南には軍事的脅威は存在せず、国境で反乱が起こったりもしなかったし、1,000km以内には西洋諸国の軍事基地も無く、有能な空軍も無く、テロリスト・グループの活動は最小限であったことを押さえておかなくてはならない。
しかし、カダフィ大佐が居なくなったことでリビアは不安定化して内戦が始まり、リビア軍の膨大な備蓄から数千の武器が流出してスーダンからマリに至るまで反乱を煽り、それが連鎖反応を引き起こして、その結果国際介入が行われて失敗し、最終的にフランスはマリから撤退した。
サヘル地域での事態は加速したがアルジェリアは戦略を持ち合わせておらず、アルジェリア当局は諸外国の介入に対して、特にそれが非政府組織によって国連の外で行われる場合、アレルギー反応を起こした。
リビアのハフタル元帥がロシアの民間軍事会社ワグナーと契約したことがアルジェリアによって評価されなかったのはこの為だ。アルジェリアは、マリや他のサヘル諸国でのワグナーの活動にも反対している。
隣国マリの将来はアルジェリアにとって大きな懸念事項だ。 マリからの国際同盟の撤退、国連ミッション(MINUSMA)の役割の縮小、2021年5月のアシミ・ゴイタ大佐による首都バマコでのクーデター、そして最後にワグナーがマリに着任したことにより、アルジェリアの不安定性は更に高まり、マリ北部に存在していた脆弱なバランスも崩壊した。
だが、アルジェリアはマリ問題を解決する為の多くの資産を持ち合わせている。
・マリ北部の武装勢力とマリ政府との間のアルジェ協定を調停し、過去10年間で唯一の政治的緊張緩和プロセスを確立した。
・マリの安定化とテロとの戦いに貢献出来る軍事力を持っている。
・サヘル諸国とCEMOC(統合作戦参謀委員会。8ヵ国国間の協力を促進する為の組織)を結び付ける地域軍事メカニズムを持っている。
・北部と南部の全てのコミュニティに、現地同盟者が居る。
・マリの経済的、社会的発展を支援し、国の大部分を極度の貧困から救い出すことを申し出た。
2019年に新政権が発足したことは、アルジェリアが上記全ての問題に対して解決策を見付け、明確な戦略を策定しようとしていることを示している。
これはアルジェリアとロシアが意見を共有し和解する真の機会を提供している。モスクワの方でも、リビア駐在ロシア大使にアイダル・アガニンが任命されて以来、リビアに於ける戦略を変更しつつある。
アルジェリアとロシアが真の戦略的パートナーシップを確立する為の解決策は?
2023年5月、モスクワの戦勝記念日祝賀行事にアブデルマジド・テブン大統領が参加したことは、アルジェリアとロシアの協力を復活させ、両国にとって有益な真の戦略的パートナーシップに向けて進む理想的な機会を提供した。
政治面では、ロシアはアルジェリアのBRICSへのアクセスを促進し、中立且つ非同盟の立場を強化しなければならない。
ロシアは西サハラに関するアルジェリアの反植民地主義の主張を広めて支持するか、少なくとも停戦協定の履行と民族自決に関する国民投票の実施について、国連での本格的な議論開始を支援すべきだ。
アルジェリアとロシアは、対テロ能力向上と経済発展を目的として、マリとサヘル地域のテロに関する国際首脳会議を開催する可能性が考えられる。こうした首脳会議は、2015年のアルジェ協定に基付く政治的和解メカニズムを促進することになるだろう。
またアルジェリア、ロシア、トルコは、真の平和的解決、権力と富の公平な分かち合い、外国軍の撤退に向けて、リビアで和睦首脳会議を開催する可能性が考えられる。
軍事面では、ロシアはアルジェリア企業と合弁事業を設立し、軍事生産の一部をアルジェリアに移転すべきだ。また、アフリカでの産業基盤の構築、軍事装備の維持、訓練の実施についても、アルジェリアを頼りにすべきだ。
社会的、文化的関係の観点からは、両国はビザ不要制度を導入すべきだ。 また両国の複数の都市を結ぶ航空路線を更に開設することで交通を促進し、大学入学や、ロシア語、アラビア語、フランス語の言語教育を促進すべきだ。ロシア語とアラビア語で観光ガイドを訓練することで観光を奨励すべきだ。両国間の宗教交流を促進し、宗教の過激主義化と闘う戦略を共同で模索すべきだ。ロシアはアルジェリアの全大学でロシア語の教育を奨励し、人口20万人以上の都市にロシア文化センターを開設すべきだ。
経済面では、アルジェリアはロシア企業の投資を認める法的・財政的枠組みを確立し、ロシア企業がアルジェリアの戦略的地位とインフラを活用して生産し、アフリカ、アラブ諸国、南ヨーロッパに輸出出来るよう支援すべきだ。両国は欧州への天然ガス供給を独占する為に協力することも出来るだろう。リビアでのガス探査と欧州へのガスパイプライン建設に関して、ガスプロムとソナトラックの戦略的提携構想も可能だ。ロシアはナイジェリア-アルジェリア間のガス・パイプラインの建設でアルジェリアに投資し、中東とエジプトのガス田をリビアとアルジェリアを経由して南欧のネットワークに接続することで、東欧のネットワークを迂回するネットワークを構築したりすることも出来る。ガスプロムはまた、この分野で世界で3番目に大きな潜在力を秘めているアルジェリアのシェールガス開発に投資することも出来る。
農業分野での交流拡大も考えられる。アルジェリアは世界第4位の小麦輸入国だが、ロシアからの輸入は極く一部だ。現在の輸入元は主にフランス、カナダ、米国だが、モスクワとの戦略的合意を結んでロシアに注文すべきだ。アルジェリアは、ナツメヤシやオレンジ等の果物や野菜の主要生産国だが、それらをロシア市場で販売することも出来る。
金融面では、アルジェリアはロシアの決裁システム Mir を採用し、ルーブルで直接取引することで、銀行システムをロシアの銀行システムと統合すべきだ。
要約すると、アルジェとモスクワの間で真の戦略的合意が結ばれれば、両国のGDPに影響を与え、西地中海、アラブ世界、アフリカに於けるロシアの影響力を強化することが出来る。それは、両国と両国民が60年以上に亘って共有して来た友好と共通のヴィジョンを具体的な方法で確認することになる。
Algeria-Russia: A Long-Standing Friendship to Be Cemented

アルジェリアの歩み
アルジェリアとロシアとの友好は60年以上続いているにも関わらず、これが人々や経済にとって有益な同盟関係にまで発展したことは一度も無い。
その理由を理解するには、132年間に及ぶフランスの植民地支配の歴史を振り返ることによって理解出来る。
占領国フランスに対する血生臭い解放戦争の所為で、アルジェリアは大きなブロックと連携することに対して消極的になった。その第一の原則は、世界の平和と均衡の為に働くことだ。
輝かしい過去と世界を変える意志———これらはアルジェリアとロシアの共通点だ。
1962年の独立以降、アルジェリアは絶大な威信を維持し続けているが、それらは次の2点から成る:
1)アルジェリアは犠牲を払い世界の大国を破った国として歴史にその名を刻んだ。第三世界の犠牲の歴史学に於て、それはヴェトナムの仲間なのだ。
2)民族解放戦線(FLN)は、武装も訓練も貧弱なゲリラが殆ど敗北したにも関わらず、フランスに対する外交・宣伝戦争に勝利した。
アルジェリアとフランス、ひいては西洋諸国との関係は、植民地時代の過去と、旧宗主諸国が第三世界に対して謝罪を拒否していることで、決して良好ではなかった。
1962年7月の独立以来、アルジェリアの権力構造は軍、諜報機関、大統領の三脚の上に成り立っている。
独立から1988 年まで、FLNはアルジェリアの政治制度の中心であり、ユーゴスラヴィアによく似た非同盟社会主義イデオロギーに触発されていた。軍はワルシャワ条約機構軍のモデルを採用し、装備をソ連に依存し、そこで将校を訓練した。
独立後の20年間、アルジェリアは、冷戦の対立に巻き込まれることを望まないグローバルサウスの非同盟運動に於て主導的な役割を果たした。
社会主義国アルジェリアは、一党支配の終焉と経済的・政治的自由化を求めるデモの後、1988/10/05にベルリンの壁の崩壊を経験した。2年後、アルジェリアは対イラク連合への参加を拒否し、米国が「世界の警察官」になると云う考えに反対してバグダッドを支持した。
ベルリンの壁崩壊直後、アルジェとモスクワの関係は良好な儘ではあったが、非常に弱々しいものだった。ロシアの軍事産業は低迷し、アルジェリアは深刻な経済危機と政情不安に苦しんでいた。
ロシア-アルジェリア関係の微妙な友好と緊張
ロシア-アルジェリア関係の特徴を象徴しているのは、恐らく1960 年に起こった余り知られていない歴史的エピソードだ。アルジェリア独立の2年前、ニキータ・フルシチョフはド=ゴール将軍に対し、アルジェリアは独立後も米国の勢力圏よりもフランスの勢力圏に留めておくことが好ましいと伝えた。
一般に信じられていることに反して、ソ連は中国やユーゴスラヴィアとは異なり、アルジェリア独立運動の闘士達を最初は支援しなかった。モスクワがアルジェリア共和国臨時政府(GPRA)を承認するまでに6年を要した。
この原因は主に、当時のフランスが親ロシアでも親米でもなく、また国内には強力な共産党が存在していたことだ。ロシア政府はパリの機嫌を取り、ワシントンとの連携を阻止することを期待していた。
アルジェリアをフランス領に留め置くと云うこの考えは、アルジェリアが旧宗主国から解放され、反帝国主義闘争の第三世界の指導者、そして非同盟運動の創設メンバーへと変身したにも関わらず、今日まで残っている。
だが多くの先進諸国と同様、ソ連はアルジェリアの若い国家幹部の多くを訓練し、軍隊に装備を提供した。ロシアの士官学校はアルジェリア軍の変革と専門化をに貢献した。1961〜2023年に6万人以上のアルジェリア兵がロシアまたはソ連で修了過程を終えた。何千人もの油圧技術者、機械技術者、電気技術者がウクライナ、ロシア、カザフスタンで訓練を受けた。何百人ものアルジェリア人がロシア人の妻と共に帰国し、子を持った。
現在、ロシア語を話すか、ロシア語を中心とした教育を受けたアルジェリア国民の第3世代が存在する。アルジェリアには今も1,000人以上のロシア人女性と数千人の子孫が住んでいると推定されており、ロシア文化センターが存在せず、国内でトルストイの言語が教えられることが年々少なくなっているにも関わらず、彼女達はアルジェリアでロシア文化を生かし続けている。
2006年にウラジーミル・プーチン大統領がアルジェを訪問し、同国の経済が回復して以来、アルジェリア軍はロシア軍事産業の最大の顧客のひとつとなり、2018年にはアルジェリアはエジプトとインドを抜いて、世界最大のロシア武器輸入国となった。
但しアルジェリアはロシアから現地製造ライセンスを一度も取得しておらず、技術移転も行っていない。イタリア、中国、ドイツはこの点でロシアより地歩を固めている。
アルジェリアとロシアは共にOPEC+の加盟国だが、天然ガスの分野では競争相手だ。アルジェリアはイタリアとスペインに供給するガスパイプラインを4本運用しており、増設する計画も持っている。対ロシア制裁ではアルジェリアは大きな恩恵を受け、西欧の信頼出来る供給源となったが、これによりロシアはこの市場での優位性を獲得する機会を逸した。これはロシア政治指導部の北アフリカ戦略にこの方面に対する支援が欠如していたことが大きい。
ロシア軍の特別軍事作戦の開始以来、国際社会は一極覇権主義の西と、多極主義を奉じる南とに大きく分断して来たが、北アフリカでロシアを公然と支持し、ロシア非難決議に賛成票を投じることを拒否している唯一の国はアルジェリアであり、自発的または強制的にウクライナに軍事援助を送っていない唯一の国でもある。
アルジェリアはまた北アフリカでNATOや米国から軍事援助を受けていない唯一の国でもある。近隣のチュニジアとモロッコは米国の主要な非NATO同盟国だ。しかしロシアは経済や外交方面に於てはアルジェリアの利益を決して考慮しておらず、同国のリビアとサヘル問題に関する地域戦略にさえ反対している。
西サハラ問題
アルジェリア外交にとって最も重要な問題は、国連で関係者が署名した民族自決手続きにも関わらず、モロッコが占領した儘の西サハラの脱植民地化だ。
1975年からベルリンの壁崩壊までのソ連時代、モスクワはアルジェリアとリビアをイデオロギー的に友好国と見做し、西洋の影響に組織的に対抗していた。ソ連はリビア、キューバ、アルジェリアを通じて、西サハラのポリサリオ戦線に武器や装備を送っていた。
1991年、国連の庇護の下で、モロッコとポリサリオ戦線との間で停戦が調印された。これはモロッコ離脱を巡るサフラウィ族の民族自決の住民投票へ向けた第一歩となる筈だった。
だが1991〜2006年の間はロシアはこの問題から完全に距離を置き、この地域に於けるロシアの影響力は低下した。にも関わらず、ロシアの国連代表は2004年と2006年に、西サハラ問題に関する2つの決議に賛成票を投じた。また2004年4月に国連安保理決議第1541号に賛成票を投じ、自治の概念に立ち戻ること認め、決議文に「二者間の合意に基付く最適な解決策」と云う文言を追加した。
2002年にはモロッコ国王がモスクワを訪問し、両国間の戦略的関係に関する宣言に署名したことで、両国は経済的に大きく接近した。モロッコはアフリカとアラブ世界に於けるロシアの最大の貿易相手国となった(兵器部門を除く)。
2006年にアルジェに接近してからは、モスクワは安保理レヴェルでの議論を行うことで、西サハラ問題に於てバランスを取る役割を果たした。2019年12月には米トランプ政権が、2022年3月には旧宗主国であるスペインが、西サハラをモロッコの一部として承認したが、モスクワはこれを無視した。米国の決定により、モロッコとポリサリオの間の戦闘が再開し、停戦は終わった。またドローン爆撃によってサハラ人、アルジェリア人、モーリタニア人が殺害されたが、ロシアを含む国際社会は無関心だった。
ロシアは国連使節団(MINURSO)の一環として現地に部隊を派遣しているが、西サハラ領土でモロッコのドローン攻撃によりアルジェリア民間人3人が死亡した後、アルジェリア当局が調査要請を行った際、これに応じなかった。
ロシアの特別軍事作戦の開始と時を同じくして、アルジェリアとモロッコの間に冷戦が再発した。アルジェリアはモロッコを通過するガスパイプラインを閉鎖し、モロッコ航空機の領空通過を禁止し、2022年8月には両国間の国交を完全に断絶した。これはモロッコに、アルジェリアがロシアを支持しており、またロシアの民間軍事会社ワグナーの教官やイラン兵やヒズボラの志願兵がポルサリオを支援していると西洋諸国に訴えるチャンスを与えることになった。
モロッコはアルジェリアがロシアから武器を購入しているとのプロパガンダ・キャンペーンを展開しており、米国で活動するロビイスト達を動員して、アルジェリアに対する制裁を呼び掛けている。実際2022年9月と10月には、カラー革命工作を得意とするマルコ・ルビオが率いる米上院議員のグループが、ブリンケン国務長官に対してアルジェリアへの経済的・政治的制裁を要請している。因みにルビオはこの件でモロッコから44万5,000ドルを受け取っている。またモロッコはT-72戦車をウクライナに派遣している。
ワグナーの存在
アルジェリアとロシアの不和のもうひとつの原因は、リビアとサヘル地域の問題だ。リビアに関してルジェリアはトリポリ政府を支持し、ハフタル元帥に反対している。 また、紛争に於ける民兵組織や非リビア軍の存在にも反対している。
リビアのムアンマル・カダフィ大佐がNATOによって殺害された時、アルジェリアは戦略とヴィジョンを欠いていた。当時のアルジェリア大統領アブデルアジズ・ブーテフリカは脳卒中を患ったばかりで、アルジェリアは安定と継続性を求めて国内に努力を集中していた。ブーテフリカ氏の弾劾に繋がった民衆反乱(ヒラク運動)の間(2012〜19年)、アルジェリアはリビアやサヘル問題、その他の国際問題から目を背け、南部と東部の国境の安全保障に関しては最小限の努力しか払っていなかった。
この状況を理解するには、2010年以前には、アルジェリアの広大なサハラ砂漠の南には軍事的脅威は存在せず、国境で反乱が起こったりもしなかったし、1,000km以内には西洋諸国の軍事基地も無く、有能な空軍も無く、テロリスト・グループの活動は最小限であったことを押さえておかなくてはならない。
しかし、カダフィ大佐が居なくなったことでリビアは不安定化して内戦が始まり、リビア軍の膨大な備蓄から数千の武器が流出してスーダンからマリに至るまで反乱を煽り、それが連鎖反応を引き起こして、その結果国際介入が行われて失敗し、最終的にフランスはマリから撤退した。
サヘル地域での事態は加速したがアルジェリアは戦略を持ち合わせておらず、アルジェリア当局は諸外国の介入に対して、特にそれが非政府組織によって国連の外で行われる場合、アレルギー反応を起こした。
リビアのハフタル元帥がロシアの民間軍事会社ワグナーと契約したことがアルジェリアによって評価されなかったのはこの為だ。アルジェリアは、マリや他のサヘル諸国でのワグナーの活動にも反対している。
隣国マリの将来はアルジェリアにとって大きな懸念事項だ。 マリからの国際同盟の撤退、国連ミッション(MINUSMA)の役割の縮小、2021年5月のアシミ・ゴイタ大佐による首都バマコでのクーデター、そして最後にワグナーがマリに着任したことにより、アルジェリアの不安定性は更に高まり、マリ北部に存在していた脆弱なバランスも崩壊した。
だが、アルジェリアはマリ問題を解決する為の多くの資産を持ち合わせている。
・マリ北部の武装勢力とマリ政府との間のアルジェ協定を調停し、過去10年間で唯一の政治的緊張緩和プロセスを確立した。
・マリの安定化とテロとの戦いに貢献出来る軍事力を持っている。
・サヘル諸国とCEMOC(統合作戦参謀委員会。8ヵ国国間の協力を促進する為の組織)を結び付ける地域軍事メカニズムを持っている。
・北部と南部の全てのコミュニティに、現地同盟者が居る。
・マリの経済的、社会的発展を支援し、国の大部分を極度の貧困から救い出すことを申し出た。
2019年に新政権が発足したことは、アルジェリアが上記全ての問題に対して解決策を見付け、明確な戦略を策定しようとしていることを示している。
これはアルジェリアとロシアが意見を共有し和解する真の機会を提供している。モスクワの方でも、リビア駐在ロシア大使にアイダル・アガニンが任命されて以来、リビアに於ける戦略を変更しつつある。
アルジェリアとロシアが真の戦略的パートナーシップを確立する為の解決策は?
2023年5月、モスクワの戦勝記念日祝賀行事にアブデルマジド・テブン大統領が参加したことは、アルジェリアとロシアの協力を復活させ、両国にとって有益な真の戦略的パートナーシップに向けて進む理想的な機会を提供した。
政治面では、ロシアはアルジェリアのBRICSへのアクセスを促進し、中立且つ非同盟の立場を強化しなければならない。
ロシアは西サハラに関するアルジェリアの反植民地主義の主張を広めて支持するか、少なくとも停戦協定の履行と民族自決に関する国民投票の実施について、国連での本格的な議論開始を支援すべきだ。
アルジェリアとロシアは、対テロ能力向上と経済発展を目的として、マリとサヘル地域のテロに関する国際首脳会議を開催する可能性が考えられる。こうした首脳会議は、2015年のアルジェ協定に基付く政治的和解メカニズムを促進することになるだろう。
またアルジェリア、ロシア、トルコは、真の平和的解決、権力と富の公平な分かち合い、外国軍の撤退に向けて、リビアで和睦首脳会議を開催する可能性が考えられる。
軍事面では、ロシアはアルジェリア企業と合弁事業を設立し、軍事生産の一部をアルジェリアに移転すべきだ。また、アフリカでの産業基盤の構築、軍事装備の維持、訓練の実施についても、アルジェリアを頼りにすべきだ。
社会的、文化的関係の観点からは、両国はビザ不要制度を導入すべきだ。 また両国の複数の都市を結ぶ航空路線を更に開設することで交通を促進し、大学入学や、ロシア語、アラビア語、フランス語の言語教育を促進すべきだ。ロシア語とアラビア語で観光ガイドを訓練することで観光を奨励すべきだ。両国間の宗教交流を促進し、宗教の過激主義化と闘う戦略を共同で模索すべきだ。ロシアはアルジェリアの全大学でロシア語の教育を奨励し、人口20万人以上の都市にロシア文化センターを開設すべきだ。
経済面では、アルジェリアはロシア企業の投資を認める法的・財政的枠組みを確立し、ロシア企業がアルジェリアの戦略的地位とインフラを活用して生産し、アフリカ、アラブ諸国、南ヨーロッパに輸出出来るよう支援すべきだ。両国は欧州への天然ガス供給を独占する為に協力することも出来るだろう。リビアでのガス探査と欧州へのガスパイプライン建設に関して、ガスプロムとソナトラックの戦略的提携構想も可能だ。ロシアはナイジェリア-アルジェリア間のガス・パイプラインの建設でアルジェリアに投資し、中東とエジプトのガス田をリビアとアルジェリアを経由して南欧のネットワークに接続することで、東欧のネットワークを迂回するネットワークを構築したりすることも出来る。ガスプロムはまた、この分野で世界で3番目に大きな潜在力を秘めているアルジェリアのシェールガス開発に投資することも出来る。
農業分野での交流拡大も考えられる。アルジェリアは世界第4位の小麦輸入国だが、ロシアからの輸入は極く一部だ。現在の輸入元は主にフランス、カナダ、米国だが、モスクワとの戦略的合意を結んでロシアに注文すべきだ。アルジェリアは、ナツメヤシやオレンジ等の果物や野菜の主要生産国だが、それらをロシア市場で販売することも出来る。
金融面では、アルジェリアはロシアの決裁システム Mir を採用し、ルーブルで直接取引することで、銀行システムをロシアの銀行システムと統合すべきだ。
要約すると、アルジェとモスクワの間で真の戦略的合意が結ばれれば、両国のGDPに影響を与え、西地中海、アラブ世界、アフリカに於けるロシアの影響力を強化することが出来る。それは、両国と両国民が60年以上に亘って共有して来た友好と共通のヴィジョンを具体的な方法で確認することになる。
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