ソマリア北部に帝国軍基地を求める米国が残忍な戦争を煽り立てる(抄訳)
ジャマル・アブドゥラヒ氏の2023/02/08の記事の抄訳。米国や西洋諸国がソマリアに内戦を掻き立てようとしている事情について解説している。
United States’s Pursuit of Imperial Military Base in Northern Somalia Fuels Brutal War
ソマリアの分離主義を米国は支持している
1991年、ソマリア共和国の政治崩壊の結果、北部の分離主義勢力、ソマリア国民運動(Somali National Movement/SNM)がソマリランドとして独立を宣言した。
だが、脱退支持はソマリア第二の都市でありソマリランドの首都候補地であるハルゲイサ市地域に限定されており、国内外から支持も得られず、統一主義者達による抵抗も強かったので、ソマリアは何とかひとつの国として維持されて来た。
が、ここに米国は軍事基地を置こうとしている。2022年、アイダホ州上院議員ジェームズ・リッシュは、軍事基地と引き換えに自己宣言したソマリランドを承認することを提案した。
この提案は、上院外交委員会のアフリカ問題小委員会や上院全体で真剣に検討されることは無かった。だが国防総省は2023年度の国防権限法(NDAA)のセクション1275に、ソマリランドに関与し、勧告を含む機密報告書を議会に提出するよう指示する文言を挿入した(「東アフリカに於ける国家安全保障の共通利益を満たす為の協力に関する報告書と実現可能性調査」)。
これに対してソマリアの統一主義者達は反発し、分離主義者達は祝った。
だがSNMは内部分裂しており、選挙実施規則についての大きな意見の食い違いがエスカレートした(ソマリアを分裂させる陰謀に対する熱狂の度合いに応じて意見が異なっている)。2022年11月、ハルゲイサの路上で様々な派閥が衝突し、8人が死亡、120人が負傷、1,000人以上が逮捕された。
「ソマリアは2つの国だった」と云うデマ
キャリア政治家達や大物実業家達は、1960/07/01にソマリア共和国が設立される前は、ソマリアとソマリランドはふたつの国であったと云う植民地時代の神話を宣伝しているが、これは欧州がアフリカを分割した1884〜85年のベルリン会議の結果、ソマリアがどの様に分割されたかを誤って描写している。
ソマリアは5つの地域に分割された。各植民地主義国の支配地域は以下の通り:
・英国:現在のエチオピア東部、ケニア北部、ソマリランド英国保護領を含む3ヵ国(現在のソマリランドの名はこれに由来する)。
・イタリア:モガディシオを含む南部地域。
・フランス:現在のジブチ。

英国とイタリアは北部と南部の州を統合して新しいソマリア共和国を設立することを決定したが、この発足の正確な日付については合意に達しなかった。これは英国がイタリアよりもよりスピーディな決定を重視したことが原因だ。
この食い違いにより、ソマリア北部諸州が独立を獲得したのは1960/06/26、南部諸州が独立したのは1960/07/01と、4日の差が生じた。モガディシュを首都としてソマリア共和国が誕生した。だが植民地支配者達はふたつの国を作ろうとした訳ではなかった。
分離運動の指導者達はこの歴史上の混乱を利用してソマリアを分裂させようとしているが、それは誤った前提に基付いている。
ラス・アドノ蜂起
2023年1月初め、スール州の州都ラス・アノドで分離主義者に対する反乱が起きた。スール州は分離独立派が新国家候補に加えたいと考えている州のひとつだ。
暴動とそれに対する残忍な弾圧は、分離主義者達と統一主義者達の間の闘争だ。分離主義者達はハルゲイサに拠点を置いており、暴力はこの街から画策されている。武器、資金、その他の物資はハルゲイサから送られている。
統一主義者の殆どは民間人や地元住民であり、非武装だ。 彼等はソマリアの国旗を振っており、扇動的な陰謀とは何の関わりも望んでいない。
ラス・アノドでは30人以上が死亡し、100人近くが負傷した。更に多くの人々が逮捕され、ハルゲイサ郊外の悪名高いマンディラ刑務所に送られた。
分離主義者の民兵組織が市内への電気と通信を遮断した。旧植民地支配者だった英国によって訓練・装備・給料を与えられた迅速対応部隊(Rapid Response Units/RRU)を含む更に多くの軍隊がラス・アノドに配備された。
統一主義者達による蜂起はこれまでのところ成功している。殆どの分離主義武装グループはラス・アノドから撤退し、 住民達が地方行政を組織している。
だがラス・アノドの状況は以前緊迫している。 ハルゲイサの分離主義者達は、米国の支援と、ソマリア大統領ハッサン・シェイク・モハムドの弱気な対応に勇気付けられており、更なる暴力が懸念されている。
モハムド大統領の曖昧な対応
モハムド大統領はこの状況に対して複雑で混乱を招く反応を示した。2022年9月、モハムド氏は在米ソマリア人に対し、ソマリア分割を支持しないと語ったが、同時に、彼はハルゲイサが機能的に離脱を進行させるのを止める為に、何もするつもりはないと宣言した。
この玉虫色の発言が分離主義者達を勢い付けた。モハムド氏は連合構想について語っているが、これは機能的に並行するふたつの国の存在を認めるものだ。
モハムド氏は2012〜17年にもソマリア大統領を務めているが、その期間中、彼はハルゲイサと一連の協定を結んでいる。
メルボルン大学で国際関係と世界紛争を教えるクレア・エルダー氏は、2021/06/06に発表された短い報告書の中で、モハムド氏の1期目の功績を強調した。
「ソマリランドは常にソマリアよりも少ない援助しか受けていないが、2013年にソマリア連邦政府とのニューディール協定の一環として締結された特別取り決めにより、安全保障、貿易、レジリエンスを目的としたEUや他のドナーからの資金へのアクセスが提供された。 」
このニューディール協定は、諸外国の仲介によるモガディシュとハルゲイサとの間の一連の会談の後に生まれた。協定の詳細の多くはソマリア国民には秘密にされていた。
ハルゲイサでの選挙の行き詰まりとラス・アノドでの蜂起に対して、モハムド氏は適切に対応していない。彼がこの機会に立ち上がって、現在はハルゲイサに限定されているソマリランド問題に取り組む可能性は低い。彼はこれまでも、共通の価値観や闘争を中心に国民を団結させる機会を浪費して来た。また彼はアル=カイダ東アフリカ支部アル=シャバーブとの戦いで著しく失敗して来た。
ソマリア国民は既に、モハムド傀儡政府と、分離主義者による暴力へのその無能な対応に対して、NOを示して来た。米国は、二国間の共生関係を発展させるのではなく、帝国主義的取引を正当化する為に利用される可能性の有る別のブラックホーク事件で、再びソマリアに干渉しようとしている。
United States’s Pursuit of Imperial Military Base in Northern Somalia Fuels Brutal War
ソマリアの分離主義を米国は支持している
1991年、ソマリア共和国の政治崩壊の結果、北部の分離主義勢力、ソマリア国民運動(Somali National Movement/SNM)がソマリランドとして独立を宣言した。
だが、脱退支持はソマリア第二の都市でありソマリランドの首都候補地であるハルゲイサ市地域に限定されており、国内外から支持も得られず、統一主義者達による抵抗も強かったので、ソマリアは何とかひとつの国として維持されて来た。
が、ここに米国は軍事基地を置こうとしている。2022年、アイダホ州上院議員ジェームズ・リッシュは、軍事基地と引き換えに自己宣言したソマリランドを承認することを提案した。
この提案は、上院外交委員会のアフリカ問題小委員会や上院全体で真剣に検討されることは無かった。だが国防総省は2023年度の国防権限法(NDAA)のセクション1275に、ソマリランドに関与し、勧告を含む機密報告書を議会に提出するよう指示する文言を挿入した(「東アフリカに於ける国家安全保障の共通利益を満たす為の協力に関する報告書と実現可能性調査」)。
これに対してソマリアの統一主義者達は反発し、分離主義者達は祝った。
だがSNMは内部分裂しており、選挙実施規則についての大きな意見の食い違いがエスカレートした(ソマリアを分裂させる陰謀に対する熱狂の度合いに応じて意見が異なっている)。2022年11月、ハルゲイサの路上で様々な派閥が衝突し、8人が死亡、120人が負傷、1,000人以上が逮捕された。
「ソマリアは2つの国だった」と云うデマ
キャリア政治家達や大物実業家達は、1960/07/01にソマリア共和国が設立される前は、ソマリアとソマリランドはふたつの国であったと云う植民地時代の神話を宣伝しているが、これは欧州がアフリカを分割した1884〜85年のベルリン会議の結果、ソマリアがどの様に分割されたかを誤って描写している。
ソマリアは5つの地域に分割された。各植民地主義国の支配地域は以下の通り:
・英国:現在のエチオピア東部、ケニア北部、ソマリランド英国保護領を含む3ヵ国(現在のソマリランドの名はこれに由来する)。
・イタリア:モガディシオを含む南部地域。
・フランス:現在のジブチ。

英国とイタリアは北部と南部の州を統合して新しいソマリア共和国を設立することを決定したが、この発足の正確な日付については合意に達しなかった。これは英国がイタリアよりもよりスピーディな決定を重視したことが原因だ。
この食い違いにより、ソマリア北部諸州が独立を獲得したのは1960/06/26、南部諸州が独立したのは1960/07/01と、4日の差が生じた。モガディシュを首都としてソマリア共和国が誕生した。だが植民地支配者達はふたつの国を作ろうとした訳ではなかった。
分離運動の指導者達はこの歴史上の混乱を利用してソマリアを分裂させようとしているが、それは誤った前提に基付いている。
ラス・アドノ蜂起
2023年1月初め、スール州の州都ラス・アノドで分離主義者に対する反乱が起きた。スール州は分離独立派が新国家候補に加えたいと考えている州のひとつだ。
暴動とそれに対する残忍な弾圧は、分離主義者達と統一主義者達の間の闘争だ。分離主義者達はハルゲイサに拠点を置いており、暴力はこの街から画策されている。武器、資金、その他の物資はハルゲイサから送られている。
統一主義者の殆どは民間人や地元住民であり、非武装だ。 彼等はソマリアの国旗を振っており、扇動的な陰謀とは何の関わりも望んでいない。
ラス・アノドでは30人以上が死亡し、100人近くが負傷した。更に多くの人々が逮捕され、ハルゲイサ郊外の悪名高いマンディラ刑務所に送られた。
分離主義者の民兵組織が市内への電気と通信を遮断した。旧植民地支配者だった英国によって訓練・装備・給料を与えられた迅速対応部隊(Rapid Response Units/RRU)を含む更に多くの軍隊がラス・アノドに配備された。
統一主義者達による蜂起はこれまでのところ成功している。殆どの分離主義武装グループはラス・アノドから撤退し、 住民達が地方行政を組織している。
だがラス・アノドの状況は以前緊迫している。 ハルゲイサの分離主義者達は、米国の支援と、ソマリア大統領ハッサン・シェイク・モハムドの弱気な対応に勇気付けられており、更なる暴力が懸念されている。
モハムド大統領の曖昧な対応
モハムド大統領はこの状況に対して複雑で混乱を招く反応を示した。2022年9月、モハムド氏は在米ソマリア人に対し、ソマリア分割を支持しないと語ったが、同時に、彼はハルゲイサが機能的に離脱を進行させるのを止める為に、何もするつもりはないと宣言した。
この玉虫色の発言が分離主義者達を勢い付けた。モハムド氏は連合構想について語っているが、これは機能的に並行するふたつの国の存在を認めるものだ。
モハムド氏は2012〜17年にもソマリア大統領を務めているが、その期間中、彼はハルゲイサと一連の協定を結んでいる。
メルボルン大学で国際関係と世界紛争を教えるクレア・エルダー氏は、2021/06/06に発表された短い報告書の中で、モハムド氏の1期目の功績を強調した。
「ソマリランドは常にソマリアよりも少ない援助しか受けていないが、2013年にソマリア連邦政府とのニューディール協定の一環として締結された特別取り決めにより、安全保障、貿易、レジリエンスを目的としたEUや他のドナーからの資金へのアクセスが提供された。 」
このニューディール協定は、諸外国の仲介によるモガディシュとハルゲイサとの間の一連の会談の後に生まれた。協定の詳細の多くはソマリア国民には秘密にされていた。
ハルゲイサでの選挙の行き詰まりとラス・アノドでの蜂起に対して、モハムド氏は適切に対応していない。彼がこの機会に立ち上がって、現在はハルゲイサに限定されているソマリランド問題に取り組む可能性は低い。彼はこれまでも、共通の価値観や闘争を中心に国民を団結させる機会を浪費して来た。また彼はアル=カイダ東アフリカ支部アル=シャバーブとの戦いで著しく失敗して来た。
ソマリア国民は既に、モハムド傀儡政府と、分離主義者による暴力へのその無能な対応に対して、NOを示して来た。米国は、二国間の共生関係を発展させるのではなく、帝国主義的取引を正当化する為に利用される可能性の有る別のブラックホーク事件で、再びソマリアに干渉しようとしている。
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