天安門広場に集まった人々の思惑
天安門広場での「民主化」運動?
1989年で天安門広場で起こった抗議行動は、「民主化」を求めるものであったと、西洋の大手メディア報道では主張される。だがこの「民主化」とは、具体的に何を指していたのだろうか? 広場に集まった学生達は、西洋式の代議制民主主義制度の導入を要求していたのだろうか? 彼等の目的は何だったのだろうか? 何が彼等を行動に移らせたのだろうか? 彼等の情熱の源泉は何だったのか?
多少なりとも自分自身で抗議行動に参加したり興味を持ったりしたことの有る人であれば実感して頂けるのではないかと思うが、「民主化」などと云う抽象的なお題目を唱えるだけでは、抗議行動の参加者を増やすことは難しい。一口に「ミンシュカ」と言っても、大抵の人は「民主主義」と云う抽象的な理念の為に自分の情熱を燃やしたりはしない。普通は自分達の生活が何等かの形で直接脅かされる様な事態が起こって初めて、それに抵抗する為の行動を起こすものだ。人間の最も基本的な政治行動の根本が自己利益であることは万国共通だ。
現代中国では度々抗議行動が起こっているらしいが、その殆どが掲げている要求は経済的なものであって、政治的なものではない。つまり基本的に労働争議なのだ(日本でも社会主義路線を取っていた頃には活発だった)。労働者達は自分達の労働条件や生活条件の改善の為なら喜んで情熱を燃やす。これは世界中どの国でも同じことだ。
だが「民主主義」の為に情熱を燃やすかと言われると、これは怪しい。民主主義が生活条件の向上に繋がることがはっきりしている条件下でなら多くの者がそうするだろうが、今の日本を見れば判る様に、或る程度の生活レヴェルさえ保たれている状況であれば、大半の人々は政治体制には基本的に無関心だ。政治体制が彼等の具体的な自己利益と直接結び付いている限りに於て、人々は政治改革に情熱を燃やす。そうでなければそうしない。人々の生活から切り離されて宙に浮いた政治的理念は基本的に無力なのだ。
生活の為に苦労した経験には乏しいが世界に飛び出す情熱には溢れているいいとこのおぼっちゃん、おじょうちゃん(まぁ都市部の大学生は大体そうだが、地方格差が激しい中国では特にそうだ)であれば、抽象的な理念の為に情熱を燃やせるかも知れないが、昨今の世界各地のカラー革命報道を見れば判る通り、そうした動きの背後には大抵、知識過少情熱過多の若者達を自分達の利益の為に利用しようとする悪い大人達が居るものだ。
1989年の天安門広場で起こったこともそうだった。抗議は少なからず自発的に発生したものだったが、それらは直ぐに人工芝運動に取って代わられ、中国を不安定化させる工作に利用されることになった。その辺りの事情を簡単に解説してみることにする。
背景には経済不安
米国の国家安全保障アーカイヴから1999年に機密解除された文書集の、文書1や2を見てみると、当時の(文化革命終了後の)中国では腐敗が横行すると同時に、1984年まで固定されていた消費財の値段は、鄧小平政権による経済改革パッケージ施行後に跳ね上がって制御不能に陥っていた。30%を超えるインフレによって社会的不満が高まっていた。
フィナンシャル・タイムズの2009年の記事は、「デモが『民主主義を支持する』ものだったと云う西洋メディアの基本的な主張に疑問を」呈している。「本当のところ、広場に居た学生達は西洋式の民主主義について、非常に漠然とした理解しか持っていなかった。」
同記事は更にこうも言っている:「彼等の動機は新しい体制への願望よりも、社会主義の理想が裏切られたことに対する怒りだった。広場の雰囲気は、少なくとも活動家達と同じ位に保守的だった。」言い換えれば、学生達は民主主義の為ではなく社会主義の為に広場に集まったのだ。
実際、鄧小平政権の新自由主義的な改革開放路線によって、毛沢東時代に達成されていた経済的な成果の多くが大きく後退している。この影響をより大きく受けたのは地方の農村部の人々だと思われるが、都市部の大学生達を含むエリート層の中にも、約束された繁栄が蓋を開けてみたら実現しなかったことに幻滅した人々は多かったのではないかと思われる。

抗議者達の多様性
但し、広場に集まって来た人々は一枚岩ではなかった。
中国政府は4月から頻繁に学生達の代表(全中華学生連盟と北京自治学生連盟)との対話を繰り返していたが、04/29〜30や05/18のの対話では、国務院報道官だった袁木は、殆どの抗議者達の愛国心と善意を認め、彼等の目的は政府にそれと同じであることを繰り返し確認している(序でに触れておくと、05/18には政府はハンガーストライキ中の学生達が雨に濡れないように80台のバスを広場に派遣し、更には抗議者達の衛生保持の為に清掃員まで派遣している。兵士達の殆どは非武装で、抗議者達は7週間に亘って、戒厳令が出されてからも2週間もの間、広場に自由に集まって好き放題に行動していた。ここまで抗議者に優しい国が西洋に存在するだろうか)。
05/19の党中央委員会での戒厳令演説では、李鵬首相は、極く一部の抗議者が、ハンガー・ストライキを人質として利用していると述べている。またハンガー・ストライキの代表者達は、最早状況をコントロール出来ていないと言っているとも発言している。そして地方の党や政府機関に押し入ったり、暴行や略奪、放火や鉄道線路の妨害と云った犯罪行為が多数起こっていることを指摘した上で、「学生達の大多数は心優しい者達」だが、最早状況は若い学生達の主観的な願望から完全に独立して展開していると述べている。
「極々少数の者達が、正に自らの政治的な目的を達成しようとして、騒動を作り出そうとしている。」そして「学生達が提起している理に適った要求に対してははっきりとした回答を与えるのみならず、彼等の理に適った批判と提案に対しては、注意深く耳を傾け、誠実に受け入れるつもりである」と約束する一方で、騒動を作り出して北京の市民生活を妨げている一部の者達は、党や政府の「寛容を弱さと取り違え」ており、これらに対してははっきりとした態度で反対して行くと明言している。
要するに中国政府は、抗議者達は善意の大多数と悪意の極少数派のふたつのグループから成っていたと認識していたのだ。
アナリストのクリス・カンタン氏は、もう少し詳しく、抗議者達を6つのカテゴリーに分類している:
1)04/15に死亡した最愛の共産主義指導者、胡耀邦の死を悼む為に集まった共産主義者達。
2)単に愉しみを求めて集まって来た人々。
3)経済的な不安に苦しんでいた人々。
4)民主主義、言論の自由、報道の自由等を本当に望んでいた理想主義的な若者達。
5)後に外国から支援を受けて国外へ脱出した悪質な学生指導者達。
6)武器を持っていた挑発者、ゴロツキ。
当初は1)が主流だったのだが、規模が拡大するにつれて、次第に2)〜6)が増えて行った。事態は徐々に1)のグループの手には負えなくなって行ったのだ。
*尚、天安門広場での抗議と同時期に、労働者達による抗議行動も起こっていた。この両者は西洋大手メディア報道では度々混同されたが、両者は別々に組織されていたものだったので分けて考える必要が有る。
学生指導者達の真の目的
1)〜6)はそれぞれ異なる思惑を持って抗議行動に参加していた訳だが(1)〜4)については詳しく解説する必要は無いだろう)、中でも、草の根運動を人工芝運動に置き換える上で中核的な役割を果たした5)の学生指導者達のそれは際立っている。彼等が、殆どの純朴な抗議者達とははっきり別の思惑を持っていたことは明白だ。
学生指導者の一人、チャイ・リン(柴玲)は広場を去る前に行われたインタビューで、自分達の本当の目的を告白している:
「本当を言うと、私達が望んでいるのは、流血沙汰なんです。政府を苛立たせて、最終的に自国の市民達を虐殺させるところまで追い詰めるのが目的なんです。私は、国が目を開いて団結するには、広場に血の川を流させるしか無いと信じています。でもどうやって仲間の学生達にこんなことを説明出来るでしょう?」
*動画は英語吹き替え版を念の為2つ挙げてみたが、他にも有るので、もっと詳しく調べたい人は Chai Ling で検索すると良い。
Tiananmen 1989 Student Leader: "We are hoping for bloodshed" | Western MSM will never show this
Chai Ling hoping that Chinese government will kill the Tiananmen students
「当局者を挑発してわざと弾圧させる」と云うこの手法は、2019/06/30に掲載されたNYタイムズの記事「香港の講義者の戦法:警官にあなたを殴らせる」で語られた、限界暴力理論(暴力邊緣論 Marginal Violence Theory)に酷似している。
当時SNSや代替メディアでファクトチェックを行っていた人であれば判る様に、2019年の香港の抗議者達は暴力的に警官隊を挑発し、警官隊がそれに対して反応すると、文脈を無視して情報を切り取り、警官隊が自分達に対して一方的に暴力を揮っているかの様なフェイクニュースを大量に垂れ流していた。公然隠然と米英の支援を受けた抗議者達はマッチポンプで「民主化運動の敵」を捏造していたのだ。
ニューヨーク・タイムズの記事に拠れば、限界暴力理論(暴力瀬戸際理論)とは、「抗議者は暴力を積極的に使用したり提唱したりすべきではなく、代わりに可能な限り最も攻撃的な非暴力的行動を使用して警察と政府を限界に追い詰めるべきである。(略)抗議者は、思慮深く非暴力をエスカレートさせ、場合によっては穏やかな武力に訴えて、政府を限界まで追い詰めるべきである。」と云うことになっている。だが実際には香港の抗議者達は非暴力どころかあからさまな暴力を多用していたことは周知の通りだ。ガンディーやキング牧師の非暴力的抵抗運動とは全く異質の発想だ。
Another Hong Kong: Chaos in the streets
そして親社会主義抗議を親民主主義≒親新自由主義抗議に仕立て上げた人々の思惑
そして勿論、当時中国に「民主主義を広める」為に活発に活動していたCIAのフロント組織の面々は、上記の全てとは全く異なる思惑を持っていたことだろう。それらには次の組織や人物が含まれる。:
・アルベルト・アインシュタイン研究所(だが物理学や平和運動とは何の関係も無い)のジーン・シャープ。
・ジョージ・ソロスの「中国の改革開放基金」。
・NED(全米民主主義基金)。
・ヴォイス・オブ・アメリカ。
彼等レジームチェンジ工作部隊が何を目的としていたかは、レジームチェンジ工作が成功を収めた、ロシア等の旧ソ連諸国を見て見れば良い。政府はCIAの傀儡と化して腐敗が蔓延し、西洋の企業や銀行や投資家やNGOが大挙して乗り込んでありったけの公営事業を民営化し、国民の資産を根こそぎ奪い取り、社会主義の成功の歴史を書き換え、逆らう者には暗殺やテロや更なるレジームチェンジが待っているのだ。
共産主義や社会主義の国々が米国やその同盟諸国の諜報部によって「民主化」された末路がどうなったのか、西洋の市民の殆どは碌に知識を持ち合わせてはいないが、簡単に言えば政治的・経済的、時には軍事的に侵略・占領されて主権を喪失し、全体主義的な新自由主義政策によって何もかも奪い去られるのだ。ナチがのさばる2014年以降のウクライナが良い例だ。
尚、人工芝の「民主化」運動など可能なのかとお疑いの方々の為に、ジーン・シャープ自身が著した、レジームチェンジ工作用のマニュアルを紹介しておこう。近年西洋大手メディアで好意的に取り上げられる「民主化」や「親民主主義」運動の殆どは、様々なレジームチェンジ工作部隊がこのマニュアルを実践した成果だと言える(気候正義運動等もこれに含まれる)。
おまけ:この記事に合いそうな、Twitterで拾った風刺画を紹介しておく(私は2022年3月からアカウントをロックされているが、アカウントが無くても使える部分も有るのだ)。大衆扇動の手口は古来それ程変わらないものだが、言葉や登場人物を少し置き換えるだけで、人々は何度でも似た様な手口にコロッと騙される。まぁそれだからこそ時代を超えて使い古されるのだろうが、基本パターンを覚えておけば、いちいち新たな嘘に惑わされずに済む。
ziyu8931 Z💛🖤 @8931Toro
1989年で天安門広場で起こった抗議行動は、「民主化」を求めるものであったと、西洋の大手メディア報道では主張される。だがこの「民主化」とは、具体的に何を指していたのだろうか? 広場に集まった学生達は、西洋式の代議制民主主義制度の導入を要求していたのだろうか? 彼等の目的は何だったのだろうか? 何が彼等を行動に移らせたのだろうか? 彼等の情熱の源泉は何だったのか?
多少なりとも自分自身で抗議行動に参加したり興味を持ったりしたことの有る人であれば実感して頂けるのではないかと思うが、「民主化」などと云う抽象的なお題目を唱えるだけでは、抗議行動の参加者を増やすことは難しい。一口に「ミンシュカ」と言っても、大抵の人は「民主主義」と云う抽象的な理念の為に自分の情熱を燃やしたりはしない。普通は自分達の生活が何等かの形で直接脅かされる様な事態が起こって初めて、それに抵抗する為の行動を起こすものだ。人間の最も基本的な政治行動の根本が自己利益であることは万国共通だ。
現代中国では度々抗議行動が起こっているらしいが、その殆どが掲げている要求は経済的なものであって、政治的なものではない。つまり基本的に労働争議なのだ(日本でも社会主義路線を取っていた頃には活発だった)。労働者達は自分達の労働条件や生活条件の改善の為なら喜んで情熱を燃やす。これは世界中どの国でも同じことだ。
だが「民主主義」の為に情熱を燃やすかと言われると、これは怪しい。民主主義が生活条件の向上に繋がることがはっきりしている条件下でなら多くの者がそうするだろうが、今の日本を見れば判る様に、或る程度の生活レヴェルさえ保たれている状況であれば、大半の人々は政治体制には基本的に無関心だ。政治体制が彼等の具体的な自己利益と直接結び付いている限りに於て、人々は政治改革に情熱を燃やす。そうでなければそうしない。人々の生活から切り離されて宙に浮いた政治的理念は基本的に無力なのだ。
生活の為に苦労した経験には乏しいが世界に飛び出す情熱には溢れているいいとこのおぼっちゃん、おじょうちゃん(まぁ都市部の大学生は大体そうだが、地方格差が激しい中国では特にそうだ)であれば、抽象的な理念の為に情熱を燃やせるかも知れないが、昨今の世界各地のカラー革命報道を見れば判る通り、そうした動きの背後には大抵、知識過少情熱過多の若者達を自分達の利益の為に利用しようとする悪い大人達が居るものだ。
1989年の天安門広場で起こったこともそうだった。抗議は少なからず自発的に発生したものだったが、それらは直ぐに人工芝運動に取って代わられ、中国を不安定化させる工作に利用されることになった。その辺りの事情を簡単に解説してみることにする。
背景には経済不安
米国の国家安全保障アーカイヴから1999年に機密解除された文書集の、文書1や2を見てみると、当時の(文化革命終了後の)中国では腐敗が横行すると同時に、1984年まで固定されていた消費財の値段は、鄧小平政権による経済改革パッケージ施行後に跳ね上がって制御不能に陥っていた。30%を超えるインフレによって社会的不満が高まっていた。
フィナンシャル・タイムズの2009年の記事は、「デモが『民主主義を支持する』ものだったと云う西洋メディアの基本的な主張に疑問を」呈している。「本当のところ、広場に居た学生達は西洋式の民主主義について、非常に漠然とした理解しか持っていなかった。」
同記事は更にこうも言っている:「彼等の動機は新しい体制への願望よりも、社会主義の理想が裏切られたことに対する怒りだった。広場の雰囲気は、少なくとも活動家達と同じ位に保守的だった。」言い換えれば、学生達は民主主義の為ではなく社会主義の為に広場に集まったのだ。
実際、鄧小平政権の新自由主義的な改革開放路線によって、毛沢東時代に達成されていた経済的な成果の多くが大きく後退している。この影響をより大きく受けたのは地方の農村部の人々だと思われるが、都市部の大学生達を含むエリート層の中にも、約束された繁栄が蓋を開けてみたら実現しなかったことに幻滅した人々は多かったのではないかと思われる。

抗議者達の多様性
但し、広場に集まって来た人々は一枚岩ではなかった。
中国政府は4月から頻繁に学生達の代表(全中華学生連盟と北京自治学生連盟)との対話を繰り返していたが、04/29〜30や05/18のの対話では、国務院報道官だった袁木は、殆どの抗議者達の愛国心と善意を認め、彼等の目的は政府にそれと同じであることを繰り返し確認している(序でに触れておくと、05/18には政府はハンガーストライキ中の学生達が雨に濡れないように80台のバスを広場に派遣し、更には抗議者達の衛生保持の為に清掃員まで派遣している。兵士達の殆どは非武装で、抗議者達は7週間に亘って、戒厳令が出されてからも2週間もの間、広場に自由に集まって好き放題に行動していた。ここまで抗議者に優しい国が西洋に存在するだろうか)。
05/19の党中央委員会での戒厳令演説では、李鵬首相は、極く一部の抗議者が、ハンガー・ストライキを人質として利用していると述べている。またハンガー・ストライキの代表者達は、最早状況をコントロール出来ていないと言っているとも発言している。そして地方の党や政府機関に押し入ったり、暴行や略奪、放火や鉄道線路の妨害と云った犯罪行為が多数起こっていることを指摘した上で、「学生達の大多数は心優しい者達」だが、最早状況は若い学生達の主観的な願望から完全に独立して展開していると述べている。
「極々少数の者達が、正に自らの政治的な目的を達成しようとして、騒動を作り出そうとしている。」そして「学生達が提起している理に適った要求に対してははっきりとした回答を与えるのみならず、彼等の理に適った批判と提案に対しては、注意深く耳を傾け、誠実に受け入れるつもりである」と約束する一方で、騒動を作り出して北京の市民生活を妨げている一部の者達は、党や政府の「寛容を弱さと取り違え」ており、これらに対してははっきりとした態度で反対して行くと明言している。
要するに中国政府は、抗議者達は善意の大多数と悪意の極少数派のふたつのグループから成っていたと認識していたのだ。
アナリストのクリス・カンタン氏は、もう少し詳しく、抗議者達を6つのカテゴリーに分類している:
1)04/15に死亡した最愛の共産主義指導者、胡耀邦の死を悼む為に集まった共産主義者達。
2)単に愉しみを求めて集まって来た人々。
3)経済的な不安に苦しんでいた人々。
4)民主主義、言論の自由、報道の自由等を本当に望んでいた理想主義的な若者達。
5)後に外国から支援を受けて国外へ脱出した悪質な学生指導者達。
6)武器を持っていた挑発者、ゴロツキ。
当初は1)が主流だったのだが、規模が拡大するにつれて、次第に2)〜6)が増えて行った。事態は徐々に1)のグループの手には負えなくなって行ったのだ。
*尚、天安門広場での抗議と同時期に、労働者達による抗議行動も起こっていた。この両者は西洋大手メディア報道では度々混同されたが、両者は別々に組織されていたものだったので分けて考える必要が有る。
学生指導者達の真の目的
1)〜6)はそれぞれ異なる思惑を持って抗議行動に参加していた訳だが(1)〜4)については詳しく解説する必要は無いだろう)、中でも、草の根運動を人工芝運動に置き換える上で中核的な役割を果たした5)の学生指導者達のそれは際立っている。彼等が、殆どの純朴な抗議者達とははっきり別の思惑を持っていたことは明白だ。
学生指導者の一人、チャイ・リン(柴玲)は広場を去る前に行われたインタビューで、自分達の本当の目的を告白している:
「本当を言うと、私達が望んでいるのは、流血沙汰なんです。政府を苛立たせて、最終的に自国の市民達を虐殺させるところまで追い詰めるのが目的なんです。私は、国が目を開いて団結するには、広場に血の川を流させるしか無いと信じています。でもどうやって仲間の学生達にこんなことを説明出来るでしょう?」
*動画は英語吹き替え版を念の為2つ挙げてみたが、他にも有るので、もっと詳しく調べたい人は Chai Ling で検索すると良い。
Tiananmen 1989 Student Leader: "We are hoping for bloodshed" | Western MSM will never show this
Chai Ling hoping that Chinese government will kill the Tiananmen students
「当局者を挑発してわざと弾圧させる」と云うこの手法は、2019/06/30に掲載されたNYタイムズの記事「香港の講義者の戦法:警官にあなたを殴らせる」で語られた、限界暴力理論(暴力邊緣論 Marginal Violence Theory)に酷似している。
当時SNSや代替メディアでファクトチェックを行っていた人であれば判る様に、2019年の香港の抗議者達は暴力的に警官隊を挑発し、警官隊がそれに対して反応すると、文脈を無視して情報を切り取り、警官隊が自分達に対して一方的に暴力を揮っているかの様なフェイクニュースを大量に垂れ流していた。公然隠然と米英の支援を受けた抗議者達はマッチポンプで「民主化運動の敵」を捏造していたのだ。
ニューヨーク・タイムズの記事に拠れば、限界暴力理論(暴力瀬戸際理論)とは、「抗議者は暴力を積極的に使用したり提唱したりすべきではなく、代わりに可能な限り最も攻撃的な非暴力的行動を使用して警察と政府を限界に追い詰めるべきである。(略)抗議者は、思慮深く非暴力をエスカレートさせ、場合によっては穏やかな武力に訴えて、政府を限界まで追い詰めるべきである。」と云うことになっている。だが実際には香港の抗議者達は非暴力どころかあからさまな暴力を多用していたことは周知の通りだ。ガンディーやキング牧師の非暴力的抵抗運動とは全く異質の発想だ。
Another Hong Kong: Chaos in the streets
そして親社会主義抗議を親民主主義≒親新自由主義抗議に仕立て上げた人々の思惑
そして勿論、当時中国に「民主主義を広める」為に活発に活動していたCIAのフロント組織の面々は、上記の全てとは全く異なる思惑を持っていたことだろう。それらには次の組織や人物が含まれる。:
・アルベルト・アインシュタイン研究所(だが物理学や平和運動とは何の関係も無い)のジーン・シャープ。
・ジョージ・ソロスの「中国の改革開放基金」。
・NED(全米民主主義基金)。
・ヴォイス・オブ・アメリカ。
彼等レジームチェンジ工作部隊が何を目的としていたかは、レジームチェンジ工作が成功を収めた、ロシア等の旧ソ連諸国を見て見れば良い。政府はCIAの傀儡と化して腐敗が蔓延し、西洋の企業や銀行や投資家やNGOが大挙して乗り込んでありったけの公営事業を民営化し、国民の資産を根こそぎ奪い取り、社会主義の成功の歴史を書き換え、逆らう者には暗殺やテロや更なるレジームチェンジが待っているのだ。
共産主義や社会主義の国々が米国やその同盟諸国の諜報部によって「民主化」された末路がどうなったのか、西洋の市民の殆どは碌に知識を持ち合わせてはいないが、簡単に言えば政治的・経済的、時には軍事的に侵略・占領されて主権を喪失し、全体主義的な新自由主義政策によって何もかも奪い去られるのだ。ナチがのさばる2014年以降のウクライナが良い例だ。
尚、人工芝の「民主化」運動など可能なのかとお疑いの方々の為に、ジーン・シャープ自身が著した、レジームチェンジ工作用のマニュアルを紹介しておこう。近年西洋大手メディアで好意的に取り上げられる「民主化」や「親民主主義」運動の殆どは、様々なレジームチェンジ工作部隊がこのマニュアルを実践した成果だと言える(気候正義運動等もこれに含まれる)。
おまけ:この記事に合いそうな、Twitterで拾った風刺画を紹介しておく(私は2022年3月からアカウントをロックされているが、アカウントが無くても使える部分も有るのだ)。大衆扇動の手口は古来それ程変わらないものだが、言葉や登場人物を少し置き換えるだけで、人々は何度でも似た様な手口にコロッと騙される。まぁそれだからこそ時代を超えて使い古されるのだろうが、基本パターンを覚えておけば、いちいち新たな嘘に惑わされずに済む。
ziyu8931 Z💛🖤 @8931Toro

- 関連記事
-
-
暴かれた腐敗:米国がジュリアン・アサンジを交渉材料としてエクアドル選挙に介入(要点) 2023/06/05
-
1989年の天安門広場について話しましょう:私の伝聞はあなたの伝聞よりも優れています 2023/06/04
-
天安門広場に集まった人々の思惑 2023/06/03
-
「天安門事件」の「目撃証言」の信憑性 2023/06/02
-
イスラエルはパレスチナ人に対するテロの為に生体認証カメラの広大なネットワークを使用している(抄訳) 2023/06/02
-
スポンサーサイト