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ナイラ証言(1991年)の真相

参考映像。当時の日本のTV局がナイラ証言を速報で報じた時のもので、米国で放送されたものを右から左へその儘何の検証も分析も加えずに垂れ流しているだけ。日本のマスコミがこの経験から何か教訓を学んだとすれば、「どんなデタラメを流しても大衆は直ぐ信じるし、騙されたことに気が付いたとしても直ぐ忘れる」と云うことだろうか。
ニュースステーションが放送した「ナイラ証言」Nayirah testimony /News Station Japan


日本語字幕付き。第一次イラク侵略を可能にしたフェイクニュースの真相。犯人達の自己弁明も聞くことが出来る。
ナイラ証言前編


ナイラ証言のノーカット映像。
Nayirah Kuwaiti girl testimony


ナイラが証言を行った場は米下院の人権委員会の公聴会と説明されることが多いが、正確には民主党のトム・ラントス下院議員と共和党のジョン・ポーター下院議員が率いる議会人権財団の超党派の幹部会が、H&Kの本社のスペースを3,000ドルで借りて開いた集会だ。この組織は一応非政府組織の扱いになる様で、その歴史を見れば判る様に、他国を攻撃する為の武器として人権問題を政治利用する似非人権団体の様だ。トム・ラントスが2008年に死亡した後、この幹部会は「トム・ラントス人権委員会」と改名された。
Tom Lantos Human Rights Commission

ナイラ証言は、大手人権組織も鵜呑みにした。アムネスティ・インターナショナルは赤ちゃんの数は300人以上だったとすら主張したが、NYの大病院でさえ、保育器の数は50がいいとこだ。300台もの保育器が並ぶ光景など、最早近未来SF映画のワンシーンだが、実際にはクウェートの病院には保育器は余り無かった。
How False Testimony and a Massive U.S. Propaganda Machine Bolstered George H.W. Bush’s War on Iraq

1990/10/10に「ナイラ」が行った4分間の証言は、その一部がその夜TVで放送されたが、これを観ていた米国の視聴者は推定3,500〜5,300万人。TVを通じて広まったフェイクニュースは世論に大きな影響を与えた。真相が判明した時には、既に湾岸戦争(第一次イラク戦争)が最早終わって9ヶ月も経ってからだった。
The Fake News in 1990 That Propelled the US into the First Gulf War

クウェートが広めた保育器に関するデマは、1990/09/05にメディアに初登場してから、以下の様に色々と変転した。何れも全く裏付けの取れていない「証言」だ。
 ・「イラク兵が保育器を含む様々な物品を略奪している。」
 ・「その結果22人の未熟児が死亡した。」
 ・「未熟児達が保育器から取り除かれ、治療中だった全ての子供達が死亡した。」
 ・「イラク兵が銃の台尻で子供達を殴り、保育器から取り出し、保育器を奪った。」
 ・「イラク軍が機器を盗む為に保育器から未熟児達を取り出した。」
 ・「兵士達が保育器の酸素を止め、機器をイラク輸送用に荷造りした。」
 ・「未熟児用の保育器がイラク軍によって没収され、中の赤ちゃん達が床に積み上げられて死ぬ儘に放置された。」
 ・「イラクの指導者が産科病院の保育器の電源を切るよう命じた。」
 ・「保育器が略奪されて12人の赤ちゃんが死亡した。」
 ・「イラク兵が保育器の酸素のプラグを抜いた。」
 これら全部が全部嘘だなんて、まぁ普通の人はそうそう思い付かない。特殊詐欺の犯人達ならよく知っているだろうが、普通の人は基本的に他人の言うことを信用する様に出来ている。マスコミや政治家が一斉に拡散している情報なら尚更だ。
Nayirah testimony

1990/10/10のナイラ証言はいきなり出て来た訳ではない。08/02にイラクがクウェートに軍を進めてから、米国内の世論は盛り上がらなかった。実のところクウェートは「自由を愛する国」ではなかった為にクウェートに同情する声は多くなく、PR企業の Hill & Knowlton はイラクに対する戦争を国民に支持させる為に、「大学のキャンパスでクウェート情報デーを組織し、クウェートの為の祈りの日、何千枚も『フリー・クウェート』のバンパー・ステッカーを配り、伝統的なPR事業を展開したが、上手く行かなかった。ところが09/05から赤ちゃんが保育器から取り出されたという話が流布し始め、そこから各メディアは話の裏付けも取らずに同様の暴露話を繰り返す様になった。H&Kはこのチャンスに飛び付き、そこで「ナイラ証言」がお膳立てされたと云う訳だ。この証言を聞いていた議員達もジャーナリスト達も、誰も彼女の身元を調べようとせず、同様の偽の目撃者チームが今度は国連に登場し、イラクの残虐行為について「証言」を行った。世論に乗った議会は翌1991/01/21に武力行使を承認した。真相が明らかになったのは12月になってからだ。
Nayirah testimony

1990/10/10、イラクのクウェート侵攻によって国際的に緊張が高まる中、一人の少女が証言を行った。彼女はナイラと名乗り、クウェートの病院で働いている15歳の看護師だと主張した。彼女はイラク兵達が病院に乗り込んで来て、保育器から新生児達を引き摺り出して床に放置して死なせたと、涙ながらに証言した。当然ながらこの証言によって米国中が残虐な「独裁者」フセインに対する怒りに包まれ、外交交渉を素っ飛ばしてイラクに軍事侵攻すべきだと云う論調が力を得た。だがその後ナイラなる少女は実在しないことが暴露された。彼女は実際にはクウェート大使の娘であり、ワシントンDCから出たことすら無かった。これはイラク侵攻を正当化する為のプロパガンダ・キャンペーンの一環であり、一から十まで何もかもが嘘だったのだ。だが「女性や子供の証言」「現地で現場を見た被害者は嘘を付かない」と云う思い込みから、この証言が一切検証されていないことを疑問に思う者は殆ど居なかった。偽の証言や偽旗作戦の事例は歴史上幾らでも有るので、そうした話を聞いた途端に中身を確かめようとせず脊髄反射的に「陰謀論だ」などと言う人は、歴史書を読んだことが無いのだろう。これは目撃証言の捏造事件としては最も有名な事例のひとつで、知っている人はとっくに知っている話なのだが、知らない人は全く知らない様なので、改めて紹介してみた。
ナイラ証言
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