包囲下で:ドンバスはウクライナから公式に分離した最初の年をどうやって過ごしたのか?(要点と補足)
語られざるドンバスの歴史について、ドネツクからのRTのレポート。
Under siege: How has Donbass lived through its first year of official separation from Ukraine?
簡単なタイムライン
2014/02/23、西洋が支援する反ロシア・クーデターがキエフで発生。東部(クリミアとノヴォロシヤ)ではこれに対抗して、「ロシアの春」と呼ばれる一連の親ロシア抗議行動が発生し、ウクライナからの独立やロシア連邦への編入を要求した。
2014〜15年にこの目標を達成出来たのはセヴァストポリとクリミアとセヴァストポリだけで、ドンバスについてはミンスク合意によって自治が認められる筈だったが、この合意を真面目に受け取ったのはロシアだけで、キエフ軍はドンバスに対する砲撃を続け、他の地域の抗議行動も弾圧した。
2017年、ドンバスで発行された書類を承認することをロシアが決定。
2019年、ドネツク・ルガンスク両共和国の市民がロシアの市民権を取得する際の手続きが簡素化。
2020年、ドンバスの法改正により、ロシアの社会支援サーヴィスと電子公共サーヴィスが導入。ロシアとの「統合」が進んだ。
2021年、ロシア連邦の議会選挙での投票権取得が容易に。

2022/02/17(と書いてあるが、16日の間違いでは?)、キエフ軍によるドンバスに対する砲撃が再びエスカレート。
2022/02/18、ドネツクは民間人の避難を発表。その後3日間で60,000人以上が難民化。だが当時何十万人もの人々が攻撃の危険性を過小評価し、続く攻撃に身を曝すことになった。
2022/02/19、ドネツクとルガンスク両共和国は総動員令を発表。ミンスク合意の時点で軍を離れていた退役軍人達が志願兵として参加。だが装備や訓練は不十分で、生活インフラの維持に必要な専門家達も動員されることになった(この動員令は両国がロシアに加盟した後解除された)。
2022/02/21夜、ロシアのプーチン大統領は、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の独立を公式に承認する演説を行い、両国と友好・協力・相互扶助に関する協定を調印した。当時ドンバスの人々の殆どは戦闘の再開を望んではいなかったが、ロシア軍がドンバスの人々をキエフ軍の攻撃から守る責任を果たしてくれるだろうと強く信じていた。

その他の展開
マリウポリは2014年当時、ドンバスで 2 番目に大きな都市(人口45万人)だったが、キエフ政府によって8年間管理され、キエフ軍の東部前哨基地として機能して来た。2022年の攻撃激化の後、そこを本拠地としていたアゾフ大隊(連隊)は住民の避難を妨害して人質に取り、人道支援回廊を封鎖した。これにより発生した大量の難民を、ドネツクは支援することになった。8年振りに、ドネツクは支援を受けるだけでなく支援する機会を得ることになった。但しこれは難民にスパイや妨害工作員が混じっているのではないかと云う疑念を生み、衝突も引き起こした。
ドネツク・ルガンスク両国は二重通貨を使用していたが、2016年にキエフ政府が経済封鎖を行なった後は、ウクライナ・グリブナからロシア・ルーブルへ完全に切り替えた。ロシア軍によって解放された後、一時的にグリブナが流入して来たことも有ったが、結局これは人気が出ずに、2023年現在、 通貨取引所以外では流通していない。
ドンバスのインフラの崩壊程度は地域によってまちまちだが、ロシア連邦は2022年、ドンバスの都市と地区を支援するプログラムを作成。モスクワはドネツクとルガンスクに対して責任を負い、サンクトペテルブルクはマリウポリ市の復興に対して責任を負うことになった。多くの必要な人員が現地へ送られ、ロシアからの投資も増大した。ドネツクはキエフ軍からの攻撃が続いているのでこのプログラムは不完全にしか実行出来ていないが、戦闘が終了したルガンスクとマリウポリでは、再建が本格化している。
特別軍事作戦以前、両共和国には機能する銀行インフラが存在しなかった。支払いや受け取りや送金の為には様々な仕組みに頼らざるを得なかったが、これらは法で規制されてはいなかった(これは犯罪の温床にもなった)。ドンバスがロシアの銀行システムに統合されることにより、この違法なシステムの必要性は排除された。
両共和国がロシアによって承認されてから、ロシアとの国境は廃止された。ロシアとの行き来は容易になり、配送コストを上昇させて地域経済に悪影響を及ぼしていた関税も廃止された。現在では書類の確認を行なったり、武器や弾薬の違法な輸送を防止する監視所が設けられているだけだ。
特別軍事作戦開始後、キエフはマリウポリを流れる運河を封鎖した。これにより給水や衛生に関する人道的災害が発生した。3日に1度水が供給される地域も有れば、月に一度位しか水が出ない地域も有り、完全に水が無くなってしまった地域も有った。人々は川の水に頼り、井戸を掘りまくった。 ロシアは水道パイプラインの建設を支援したが、これでも問題は解決されていない。寒波が到来すると、必要な量の水が入手出来なかった為、セントラル・ヒーティング・システムは完全に機能を停止した。
2022年、ドネツクではキエフ軍の攻撃により1,091人が死亡し、3,533人が負傷した。これらの数値は2014〜15年の数値に匹敵する。2023年現在でもドネツク、ゴロフカ、マケエフカの人口密集地域が直接攻撃を受け続けている。またキエフ軍は「バタフライ地雷」と呼ばれる対人地雷を飛ばして、住宅地を地雷原に変えている。
ドンバスの全ての住民が夢見ていたこと———安全の保証、平和な空、通常の生活への復帰、完全に機能する地域———はまだ実現していない。それらはまだ達成されなければならない課題として残っている。
Under siege: How has Donbass lived through its first year of official separation from Ukraine?
簡単なタイムライン
2014/02/23、西洋が支援する反ロシア・クーデターがキエフで発生。東部(クリミアとノヴォロシヤ)ではこれに対抗して、「ロシアの春」と呼ばれる一連の親ロシア抗議行動が発生し、ウクライナからの独立やロシア連邦への編入を要求した。
2014〜15年にこの目標を達成出来たのはセヴァストポリとクリミアとセヴァストポリだけで、ドンバスについてはミンスク合意によって自治が認められる筈だったが、この合意を真面目に受け取ったのはロシアだけで、キエフ軍はドンバスに対する砲撃を続け、他の地域の抗議行動も弾圧した。
2017年、ドンバスで発行された書類を承認することをロシアが決定。
2019年、ドネツク・ルガンスク両共和国の市民がロシアの市民権を取得する際の手続きが簡素化。
2020年、ドンバスの法改正により、ロシアの社会支援サーヴィスと電子公共サーヴィスが導入。ロシアとの「統合」が進んだ。
2021年、ロシア連邦の議会選挙での投票権取得が容易に。

2022/02/17(と書いてあるが、16日の間違いでは?)、キエフ軍によるドンバスに対する砲撃が再びエスカレート。
2022/02/18、ドネツクは民間人の避難を発表。その後3日間で60,000人以上が難民化。だが当時何十万人もの人々が攻撃の危険性を過小評価し、続く攻撃に身を曝すことになった。
2022/02/19、ドネツクとルガンスク両共和国は総動員令を発表。ミンスク合意の時点で軍を離れていた退役軍人達が志願兵として参加。だが装備や訓練は不十分で、生活インフラの維持に必要な専門家達も動員されることになった(この動員令は両国がロシアに加盟した後解除された)。
2022/02/21夜、ロシアのプーチン大統領は、ドネツク人民共和国とルガンスク人民共和国の独立を公式に承認する演説を行い、両国と友好・協力・相互扶助に関する協定を調印した。当時ドンバスの人々の殆どは戦闘の再開を望んではいなかったが、ロシア軍がドンバスの人々をキエフ軍の攻撃から守る責任を果たしてくれるだろうと強く信じていた。

その他の展開
マリウポリは2014年当時、ドンバスで 2 番目に大きな都市(人口45万人)だったが、キエフ政府によって8年間管理され、キエフ軍の東部前哨基地として機能して来た。2022年の攻撃激化の後、そこを本拠地としていたアゾフ大隊(連隊)は住民の避難を妨害して人質に取り、人道支援回廊を封鎖した。これにより発生した大量の難民を、ドネツクは支援することになった。8年振りに、ドネツクは支援を受けるだけでなく支援する機会を得ることになった。但しこれは難民にスパイや妨害工作員が混じっているのではないかと云う疑念を生み、衝突も引き起こした。
ドネツク・ルガンスク両国は二重通貨を使用していたが、2016年にキエフ政府が経済封鎖を行なった後は、ウクライナ・グリブナからロシア・ルーブルへ完全に切り替えた。ロシア軍によって解放された後、一時的にグリブナが流入して来たことも有ったが、結局これは人気が出ずに、2023年現在、 通貨取引所以外では流通していない。
ドンバスのインフラの崩壊程度は地域によってまちまちだが、ロシア連邦は2022年、ドンバスの都市と地区を支援するプログラムを作成。モスクワはドネツクとルガンスクに対して責任を負い、サンクトペテルブルクはマリウポリ市の復興に対して責任を負うことになった。多くの必要な人員が現地へ送られ、ロシアからの投資も増大した。ドネツクはキエフ軍からの攻撃が続いているのでこのプログラムは不完全にしか実行出来ていないが、戦闘が終了したルガンスクとマリウポリでは、再建が本格化している。
特別軍事作戦以前、両共和国には機能する銀行インフラが存在しなかった。支払いや受け取りや送金の為には様々な仕組みに頼らざるを得なかったが、これらは法で規制されてはいなかった(これは犯罪の温床にもなった)。ドンバスがロシアの銀行システムに統合されることにより、この違法なシステムの必要性は排除された。
両共和国がロシアによって承認されてから、ロシアとの国境は廃止された。ロシアとの行き来は容易になり、配送コストを上昇させて地域経済に悪影響を及ぼしていた関税も廃止された。現在では書類の確認を行なったり、武器や弾薬の違法な輸送を防止する監視所が設けられているだけだ。
特別軍事作戦開始後、キエフはマリウポリを流れる運河を封鎖した。これにより給水や衛生に関する人道的災害が発生した。3日に1度水が供給される地域も有れば、月に一度位しか水が出ない地域も有り、完全に水が無くなってしまった地域も有った。人々は川の水に頼り、井戸を掘りまくった。 ロシアは水道パイプラインの建設を支援したが、これでも問題は解決されていない。寒波が到来すると、必要な量の水が入手出来なかった為、セントラル・ヒーティング・システムは完全に機能を停止した。
2022年、ドネツクではキエフ軍の攻撃により1,091人が死亡し、3,533人が負傷した。これらの数値は2014〜15年の数値に匹敵する。2023年現在でもドネツク、ゴロフカ、マケエフカの人口密集地域が直接攻撃を受け続けている。またキエフ軍は「バタフライ地雷」と呼ばれる対人地雷を飛ばして、住宅地を地雷原に変えている。
ドンバスの全ての住民が夢見ていたこと———安全の保証、平和な空、通常の生活への復帰、完全に機能する地域———はまだ実現していない。それらはまだ達成されなければならない課題として残っている。
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