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ソ連後の最初の重要な紛争でロシア軍がユーゴスラヴィアでNATO軍と対峙した経緯(要点)

1999年のNATOによるユーゴスラヴィア爆撃後の知られざる歴史。

How Russian troops confronted NATO forces in Yugoslavia, in a significant post-Soviet first



 ベオグラードが降伏し、NATOの「平和維持軍」がコソボに配備される中、西側が支援するアルバニア人のコソボ解放軍(KLA)の民族浄化からセルビア人を守ってくれる者は誰も居なかった。

 ロシアはセルビアと強い歴史的・感情的繋がりを持っており、ソ連は崩壊したばかりでチェチェンの過激派のテロに悩まされていたので、セルビア人の置かれている状況に同情する人が多かった。

 モスクワはNATO平和維持軍への参加を希望したが、その際セルビア人が住むコソボ北部のプリシュティナのスラティナ空軍基地にロシア軍を進軍させると云う秘密作戦を決行した。

 地元の人々からは温かい歓迎を受けたが、米軍のウェズリー・クラーク将軍は激怒し、英軍が空港を取り囲んで睨み合いが続いたが、ロシア大隊を倒せば核保有国であるロシアとの間で第三次世界大戦が起こる可能性が有り、結局は政治家同士の交渉により妥協が為された。

 2003年に撤退するまでロシアの平和維持軍(合計650人)がコソボで活動したが、当時ロシアは弱い国で、NATOの黙認の下で行われたセルビア人に対する民族浄化を止めることは出来ず、セルビア人の多くは国を去った。

 結果はどうあれ、少なくともこれはソ連後のロシアが西側に決定的な「NO」を言うことの出来た初めての事例だった。

 それまで欧米に好意的だったロシアの世論はこれを機に変わり、西側の偽善に対する疑問が広まった。
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川流桃桜

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