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機密解除された諜報ファイルが暴露する、ボスニア戦争の不都合な真実(要点と補足)

キット・クラレンバーグとトム・セッカー氏の記事。ウクライナ紛争は「NATOがウクライナを捨て駒にしてロシアを征服しようとしたらロシアから思わぬ反撃を喰らった」紛争だが、マスコミを使った大規模な知覚操作(認知戦)によって、「ロシアによる謂れ無きウクライナ侵略」へと見事に話が作り替えられてしまった。主客が180度転倒されてしまった訳だが、この様に構図が引っ繰り返されることは戦争プロパガンダに於ては珍しくない。侵略する側は大抵、自衛の為だとか人道保護だとか、尤もらしい大義名分を必要とするものだ。そうした知覚操作の顕著な例のひとつが、1990年代の一連のユーゴスラヴィア紛争で、あれも一から十まで嘘で固められた紛争だった。この記事では1992〜95年のボスニア戦争を取り上げているが、民族浄化の被害者だったセルビア人が、民族浄化の加害者に仕立て上げられてしまった舞台裏を暴露している。ウクライナ紛争とも共通点が多いので、現在の状況を理解する上でも参考になるだろうと思う。イスラム教徒対セルビア人がナチス対ロシア人と、変数は変わっても方程式は一緒だ。一度騙された嘘にはもう二度と引っ掛からないよう注意しないと、何度でも同じ手口で騙される。
Declassified intelligence files expose inconvenient truths of Bosnian war




 ボスニア戦争については西洋諸国では今だに神話が罷り通っていて、自称反戦左派の多くも、今だにこの神話を盲信していたりする。それに拠れば、「最後の共産主義独裁者」「現代のヒトラー」と西洋大手メディアから呼ばれたスロボダン・ミロシェヴィッチと彼の支持者達が支援するセルビアの分離主義者グループが、民族統一主義者の「大セルビア」を作ろうとしてクロアチアとボスニアの領土を強制的に占領しようとしたことになっている。彼等は建設的な和平交渉への参加を繰り返し拒否する一方で、先住民族のイスラム教徒達に対してジェノサイドを繰り広げたと云うのだ。この話は当時の西洋大手メディアによって事実として宣伝され、紛争終結後も、国連が創設した旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷(ICTY)なる見せ物裁判によって更に正当化された。こうした話は交渉は宥和に繋がるだけだと云う主張を強化し、軍事介入を要求するNATOのタカ派を正当化することになった。

 だが、これは真っ赤な嘘だ。

 この嘘については既に数多くの調査が為され、何冊もの本が書かれているが(但し当時嘘を広めたTVや新聞では触れられないが)、2022年初めに「カナダ機密解除」と云うサイトが公開した、国連保護軍の一部としてボスニアに派遣されたカナダ平和維持軍がオタワの国防本部に送った大量の諜報電報もまた、これらの一連の嘘の真相について証言している。

 緊張のエスカレーションを回避すると云う国連の平和維持ミッションは惨めな失敗に終わった訳だが、CIAの秘密作戦、大量の挑発行為、違法な武器の移送、ジハード戦士の輸入、偽旗作戦、仕組まれた残虐行為等の語られなかった諸事実を見てみれば、失敗するべくして失敗したのだと云うことが解る。

 通信の全文はこちら
 抜粋はこちら



 前提として、1992年に欧州共同体によって提案された、民族ラインに沿って自治区を作ると云う和平協定を、米国は妨害した。それどころか1992/03/28、駐ユーゴ米国大使はボスニアのイゼトベゴヴィッチ大統領に、ボスニアを独立国家として承認し、その後に起こるであろう戦争に於て支援するまで約束したと伝えられている。

 通説では、米国は交渉過程に於てEUの影響力が強まることを恐れていたことになっているが、今回の通信が明らかにしているのは、ワシントンが本当に望んでいたのは、ユーゴスラヴィアを瓦礫の山に変え、戦争を可能な限り長引かせ、独立共和国存続に最も熱心だったセルビア人を暴力的に屈服させることだった。

 公の神話では、和平交渉が頓挫したのはセルビア人が妥協しなかったからだと云うことになっている。だが通信文は、妥協しなかったのはイスラム教徒の方だったことを伝えている。また「外部からの干渉(つまりワシントン)」がこの非妥協的な態度を奨励したことも伝えている。

 1993/09/07の通信は、「イスラム教徒に対する武器禁輸措置を解除し、セルビア人を爆撃したいと云う米国の明確な願望は、旧ユーゴスラヴィアでの戦闘を終わらせる上で深刻な障害となる」と伝えている。
 
 その翌日の通信では、「セルビア人は停戦条件を最も順守している」、そして、「イゼトベゴヴィッチがセルビア人に対して空爆が行われると信じている限り、ジュネーヴで真剣な会談は行われないだろう。これらの空爆は彼の立場を大幅に強化し、交渉に余り協力的でなくなる可能性が有る」と伝えている。

 イスラム教徒の戦士達は「和平交渉に機会を与えず」、イゼトベゴヴィッチの路線を喜んで支持すると伝えられているが、1993年後半には彼等は停戦に違反して、ボスニア全土のセルビア領土に無数の攻撃を開始した。セルビア側も攻撃したが、12月の電報では、初夏以降、「セルビア人の活動の殆どは防衛目的か、イスラム教徒の挑発に対応するものだっだ」と伝えられている。

 1993/09/13の電報は、サラエボでのイスラム教徒によるボスニア・セルビア軍(BSA)に対する攻撃について触れているが、この目的は恐らく「挑発的な事件を起こしてセルビア人を非難することで、西洋諸国の共感を高める」ことであろうと伝えている。2日後の電報では「BSAは自制している」と伝えている。「BSAがイグマン山を占領しても、サラエボの状況に悪影響は無い。イゼトベゴヴィッチが交渉を遅らせるのは言い訳に過ぎない。彼自身の軍隊こそ(07/30の)停戦協定の最悪の違反者だった。」

 1980年代にソ連軍を泥沼に引き摺り込む為にCIAやMI6から支援を受けてイスラム原理主義者達は、1992年後半からボスニアに活動の場を移し、クロアチア人やセルビア人に対するジハードを繰り広げた。

 ムジャヒディーン達は「秘密飛行(black flights)」で頻繁に到着した。それと共に、国連の禁輸措置に違反して、大量の武器も輸入された。これは最初はサウジが資金援助を行うイランとトルコの共同作戦として始まったが、武器の量が増えてからは米国が引き継いだ。

 通信文ではムジャヒディーンの戦士やボスニア人が直接言及されることは無く、「イスラム教徒」と婉曲表現が使われているが、ムジャヒディーンが内戦に於て重要な役割を果たしたことは明らかだ。

 2001年に米国のバルカン交渉担当者リチャード・ホルブルックはこれらの支援を「悪魔との取引」と表現し、ボスニア人はこれらの支援が無ければ生き残れなかったろうと述べている。

 1993年冬の諜報報告書は、対立する3つの陣営の「脆弱で分散化された指揮統制システム」が、「武器の広範な拡散と、往々にして個人的・地域的なアジェンダを持つ様々な公式・非公式の準軍事グループの存在」を生み出したと述べているが、これらの「非公式」グループの中には勿論ムジャヒディーンも含まれる。

 1993年12月、平和維持部隊の報告では、欧州共同体の交渉責任者を務めた元英国政治家のデヴィッド・オーウェンは、「ボスニアでの130,000人のイスラム教徒の死に責任がある廉で死刑を宣告された。」この判決を下したのは「イスラム教徒名誉裁判所」で、「判決を執行する為に欧州中に45人が配備された」と言われている。が、戦争中に殺されたボスニア人、クロアチア人、セルビア人全員を合計しても13万人にはならないし、ファトワを実行するボスニア人の宗教過激派ネットワークは実在しなかった。

 1994年1月の通信では、「イスラム教徒は、西洋諸国の同情を更に得る為に必要とあらば、自国民や国連地域に対して発砲し、セルビア人が犯人だと主張することも厭わない。イスラム教徒は、国連の建物や病院等のセンシティヴな建物の非常に近くに大砲を配置することが多いが、これは国際メディアが注目する中、セルビアの反撃がこれらの場所に当たることを期待してのことだ。」

 また別の通信は、「国連軍(ノルウェーと英国)を装ったイスラム教徒の軍隊」が発見されたことを伝え、こうした展開によって「正規の国連軍がクロアチア人の標的になる可能性が大幅に高まる」可能性を懸念している。「これは正にイスラム教徒が意図していることであり、恐らくクロアチア人への空爆に対する更なる圧力を齎す可能性が有る。」

 更に同月の別の電報は、「イスラム教徒」がボスニア人への人道支援の目的地であるサラエボ空港を偽旗攻撃で標的にするだろうと推測した。そうしたシナリオでは当然「明らかにセルビア人が犯人」とされる為、「イスラム教徒はその様なセルビア人の活動から多くのプロパガンダ的価値を得る。」従って「イスラム教徒にとって、砲撃を行ってセルビア人を非難することは、非常に魅力的だった 。」

 1994/02/05、マルカレの民間市場で爆発が起こり、68人の死者と144人の死傷者が出た。この事件の真相は不明で、当時の国連は原因を特定出来なかったが、治安維持部隊はその後、ボスニア人の側に責任が有るのではないかと疑っていると証言している。

 今回の通信記録は、ジャーナリスト達が「非常に迅速に現場に誘導された」ことや、「その地域によく目に見える形でイスラム軍が存在していた」こと等、この事件に不自然な点が有ったことを伝えている。「我々は、イスラム教徒達がメディアの注目を集める為に、過去に自分達の市民や飛行場に発砲したことを知っている。」「サラエボ郊外のイスラム教徒達は、過去に自分達の陣地に爆薬を仕掛け、メディアが注目する中で爆発させ、セルビア人の砲撃だと主張したことが有る。これは後にイスラム教徒がセルビア人に『反撃』し攻撃する口実として利用された。」

 にも関わらず、ICTYは2003年に、虐殺はセルビア軍の砲撃によって意図的に引き起こされたものだとしてセルビア人の将軍に有罪判決を下し、これは控訴審で持ち越された。



 繰り返すが、ボスニア戦争で使われた様な騙しのトリックが、ウクライナ紛争でも大規模に繰り返し使われている。そして「交渉すれば『侵略者』を大胆にさせるだけだ」と云う神話は西洋諸国に根強く残っているが、これが西洋諸国による壊滅的な介入を正当化して来た。そして嘘と二重基準に基付く「人道危機に対する懸念」が、屢々本物の侵略戦争を支持する世論を形成する為に利用されて来た。本当に戦争に反対したいなら、真っ先にすべきことは、マスコミが伝える内容に対して脊髄反射的に義憤を滾らせることではなく、戦争プロパガンダの嘘を冷静に見抜くことだ。目の前で繰り広げられているのがどんな戦争なのかを先ず理解しないことには、戦争に反対しているつもりで戦争を支持する羽目になってしまう。
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