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トランスニストリア(沿ドニエストル)の流血:ウクライナより20年前、ソ連後崩壊後の残忍な戦争の前例(要点)

1992年、モルドバのトランスドニエストル(以下TD)の蜂起についての記事の要点。
Over two decades before Ukraine erupted, how another post-Soviet conflict set a bloody precedent



 この地方は長さ約200km、幅は約20kmで、ソ連時代の終わりの人口は約68万だった。

 1917年革命と内戦の結果、モルドバはルーマニアの一部になったが、TDは自治区としてソ連に併合された。

 TDは人口で言えばモルドバの17%に過ぎなかったが工業が盛んで、ソ連時代後期まで、その産業はGDDの40%と電力の最大90%を提供していた。

 モルドバの人口の大部分はルーマニア語を話すモルドバ人だっったが、TDは大部分はスラブ人(ロシア人とウクライナ人)だった。民族ナショナリズムを否定するソ連が強かった時代にはこれらは問題ではなかったが、ソ連衰退は市民の対立と戦争を招いた。

 1990年、モルドバ(現モルドバ共和国)は独立を宣言したが、TDとの間で対立が深まった。

 事態はイデオロギーや民族、言語、経済的見通し等が絡まって複雑だったが、両者はそれぞれソ連の倉庫を略奪して独自の軍隊(正規軍ではない)を作った。

 ロシアとウクライナからも志願兵が参加し、武力衝突が始まった。たが両者共に本当に戦いたいと思っている人は殆ど居なかった為、戦闘は低迷した。その間にソ連は崩壊した。

 1992年になるとモルドバはベンダー市を攻撃し始め、破壊行為がエスカレート。大火は消防隊の決死の活躍で食い止められた。

 曾てソ連軍だった第14軍が正式にロシア軍に移管されることによって。TD問題は正式にモスクワの問題になった。

 紛争では約400人の民間人を含む合計1,000人が死亡したが、この流血沙汰は明らかに「理由の無い戦争」だった。

 「沿ドニエストル・モルドバ共和国」は今日に至るまで正式に承認された国家ではないが、経済と社会インフラは機能している。
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川流桃桜

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