fc2ブログ

「ホロドモール」の解明(要点)

【推奨】「ホロドモール」の真相については、マーク・B・タウガー准教授の研究を解説したこの記事が非常によく纏まっている。
The “Holodomor” explained



 ・飢饉は複数の自然災害(旱魃、一時的温暖化、作物病害、害虫、雑草、役畜不足、土壌の枯渇)の結果であり、これは不可避だった。

 ・記録に拠れば、ロシア1,000年の歴史の中で150回以上の飢饉に耐えて来たが、1931年と1932年の収穫量は少なかった。

 ・クラーク(地方の資本家)は規制緩和と無制限の資本主義の復活を望んでおり、その為に農業を破壊して政府を脅迫していた。

 ・飢饉はウクライナ人を殺す為に人為的に作られたと云う主張には全く根拠は無い。ウクライナは寧ろ数百万トンの食料援助を受けていた。

 ・集団農業に対する農民達からの大規模な抵抗など無かった。そもそも協同組合的価値観は何世紀にも亘って農村に根付いていた。批判者は休耕地を抵抗によって放棄された土地と曲解するなどした可能性が有る。

 ・政府がクラークから土地を奪って土地を持たぬ農民達に与えたことが農業を台無しにしたと云う主張は誤り。恐らく貧しい農民も豊かな農民同様に優秀だった。

 ・クラークによる抵抗は存在したが、限定的なものであり、これも飢饉の原因ではなかった。

 ・ソ連は帝国主義勢力の侵略から自衛する為、大規模工業化を進める必要が有った。工業製品や機械を購入する為に飢饉中も輸出を余儀無くされたが、1933年前半の飢饉のピーク時に輸出された穀物の量は約220,000トン、最低収穫推定値の1%未満であり、利用可能な残りの殆ど全ては人々を養う為に使われた。仮に全ての輸出を止めていたとしても飢饉は防げなかったし、工業化による農業の近代化を進めなければ、将来の飢饉を防ぐことは出来なくなる。

 ・集団農場の方針自体が誤りだったと云う主張も誤り。1933年以降、集団農場は以前よりも遙かに大きな収穫を齎した。
関連記事
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

農業はもともと博打です。

 宮沢賢治先生の「それでは計算いたしましょう」という詩に、
「何十年に一度という悪天候の時には藁だけ取ると言う覚悟で大博打をやってみますか」というのがあります。
 グスコーブドリの伝記にも、窒素肥料のやり過ぎで稲にイモチ病が出て全滅したり、干ばつで稲がダメになる場面があります。彼の母校の岩手農業学校も、東北の火山灰で痩せた冷害の対策のために建てられたというコメントが「宮沢賢治 その愛」という映画で出てきますし、東北の貧農が当時、凶作などで娘を得る場面もあります。少し前には口減らしまでしていました。
 先生の詩でも、「野の師父」という言葉があります。地主は農業など全くやっていません。現場で実際に仕事をしていたのは農民であり、ロシアも同じです。
 地主が管理しなくなったから減収になった? それは、自民党が民主党になったら農業が崩壊したかというのと同じ愚かな議論であり、ソビエト革命も同じです。
プロフィール

川流桃桜

Author:川流桃桜
一介の反帝国主義者。
2022年3月に検閲を受けてTwitterとFBのアカウントを停止された為、それ以降は情報発信の拠点をブログに変更。基本はテーマ毎のオープンスレッド形式。検閲によって検索ではヒットし難くなっているので、気に入った記事や発言が有れば拡散して頂けると助かります。
全体像が知りたい場合は「カテゴリ」の「テーマ別スレッド一覧」を参照。

最新記事
カテゴリ
最新コメント
月別アーカイブ
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR