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アルゼンチンは200年間、新植民地主義の負債に囚われている:経済史事例研究(要点)

アルゼンチンの対外負債について解説した記事の要点を纏めてみた。要点、と言う割に大分長くなってしまったが(私自身、金融分野はやや不得手なので)、これは西洋の自称自由民主主義陣営、つまり植民地主義陣営が、如何にして植民地独立後も実質的に支配権を維持し続けているのかがよく解るケース・スタディだ。同じ様なことはグローバルサウスの何十もの国々で起こっているが、先進諸国も今やターゲットになっているので、日本人とて他人事ではない。
How Argentina has been trapped in neocolonial debt for 200 years: An economic history



 アルゼンチン二百年の歴史は、deuda(負債。英語でdebtのこと)を抜きにしては語れない。これは借金ではなく、対外債務(公的債務と民間債務の両方)、つまり外国の債権者に対する債務を意味する。デウダは世界貿易通貨である外国通貨に基付いており、曾ては英ポンドだったが、第二次大戦以降は米ドル。無論アルゼンチンはドルを刷れない。それをやるのは米国の民間組織であるFRB。他のグローバルサウスの国々もそうだが、アルゼンチンがドルを手に入れるには、輸出と借入の2つしか方法が無い。

 ドルの必要性を減らす方法は幾つか有る。例えば国内産業を成長させて輸入を減らしたり輸出額を増やしたりする、近隣諸国と連携して独自の地域通貨やルール、ドルを回避する物々交換システムで取引する、等だ。これらは主権国家にとっては当たり前の経済政策に過ぎないが、今だに半植民地状態に苦しむアルゼンチンにとっては儚い夢でしかない。



慢性的な債務危機

 デウダはインフレ、給与、雇用、公共サーヴィス、選挙等、あらゆる人の日常生活に影響を与える。そしてまた歴史・文化・メディア・人種・階級に関する意見等を形作る。

 アルゼンチンは債務不履行を8回繰り返している上、米国が管理するIMFからの最大の債務不履行記録(2001年に950 億ドル)と最大の融資記録(2018年に570億ドル)を持っている。これらは直接的には1990年代の新自由主義政策の産物だが、アルゼンチンの支配階級はこの200年間、余り変わっていない。



最初の負債を忘れない

 1816年、アルゼンチンはスペインの植民地から独立。その8年後、アルゼンチンは大英帝国の民間のベアリングス銀行から100万ポンド(今日に換算すると1,100億ポンド)の融資を獲得した。だが港や新しいインフラ建設に使われる筈だったこの資金は、英帝が支援するブラジルとの戦争(1825〜28)に消えて行った。アルゼンチン唯一の外貨獲得源である港は3年間封鎖された。しかも約束された100万ポンドの内Aが受け取ったのは57万だけで、残りはアルゼンチン・英帝両国の腐敗した貿易業者や金融業者、仲介者への手数料に消えて行った。送金された金も、金貨だったのは20%未満で、残りは紙幣だった。

 1827年にアルゼンチンは最初の債務不履行に陥り、英帝で建設中だったフリゲート艦2隻が銀行に押収され、海軍は弱体化した。その為数年後に英帝がフォークランド(正式名称はマルビナス島)を占領した時も抑止することが出来ず、フォークランドは21世紀に今に至るまで、大英帝国の植民地になっている。

 19世紀中に更に2度債務不履行が起こり、増大する金利を払い続ける為に新たな国債を発行しなければならなかった。最初の債務が正式に返済されたのは何と1904年になってからで、元の価格の約8倍の費用が掛かった。

 表向き独立した後も旧植民地を返済不能な債務の罠に掛けて支配する新植民地主義の実験は、アルゼンチンに典型的に見ることが出来るが、これは巧妙に設計された財政・外交・政治・法的戦略の結果だ。



窃盗、強奪、共犯者
 
 こうした新植民地主義的な恐喝計略は、3つの主要な効果を齎す。

 1)発展途上国の実体経済から北半球の超富裕層や家族(主に欧米のオフショア・タックスヘイヴンに拠点を置いている)への富の移転。
 
 2)独裁政権の樹立、IMF等の機関の利用、、米国の裁判所よる海外資産押収等の手段によって、債権者は債務国の金融・経済・労働・外交政策を決定する力を手に入れる。こうして表向きは民主主義国であっても、実態は半植民地である国が出来上がる。

 3)これらの経済的侵略政策は、外国支配体制を永続させる為の基盤である、現地の寄生的資本家階級を強化する。自国を外国に搾取させることによって富を築いているこうしたブルジョア売国奴はアルゼンチンのみならず、ラテンアメリカ全域で依然として勢力を揮っている。

 1945年にIMFが設立された当初、アルゼンチンは参加を拒否した。その後民主的に選出されたフアン・ドミンゴ・ペロン大統領は国内産業を促進し、デウダの影響を一時的に無力化したが、彼は1955年の血生臭い軍事クーデター(大統領官邸とブエノスアイレス中心部が爆撃され、約360人が死亡した)によって失脚した。後を継いだ独裁者ペドロ・エウジェニオ・アランブルは直ちにIMFに加盟した。反共主義者アランブルはソ連との関係も断ち切り、アルゼンチンを米国の新植民地軌道に乗せた。



1976-1983:死から負債へ 

 アルゼンチンは世界最大の農業生産国であり、農業は国の主要な外貨獲得源(もうひとつは融資)だが、20世紀前半、特に1930年代から50年代には目覚ましい産業成長を遂げた。それまでアルゼンチンは総GDPで世界で最も裕福な国トップテンに入る国であって、1895年と1896年には1人当たりのGDPが世界第1位だった。

 1946年にペロン大統領が就任した時、1人当たり所得は世界第7位だったが、1955年に米国が支援する軍事クーデターでペロン大統領が失脚した時には16位だった。これはラテンアメリカ諸国では最高で、米国の約半分だったものの、これ以降アルゼンチンの1人当たりのGDPが回復することは無く、2016年には63位にまで落ち込んだ。

 ワシントンの冷戦に巻き込まれる前は、アルゼンチンは主要な経済大国だった。政治的に不安定で、後進的な地主と買弁階級によって支配されていたにも関わらず、急速な成長、大規模な移民の流れ、初期の工業化は、植民地の現状に挑戦する可能性を作り出していた。



(マルクス主義者の)テロに対する古い戦争

 米国が人口6億6,000万人以上のラテンアメリカ諸国を支配する基本戦略のひとつは、独立した経済発展を意図的に妨害することだが、産業を成長させ、多様な移民によって産業労働者階級が強化されたアルゼンチンは、弱体化するのが困難だった。貧困・ファシズム・戦争から逃れて同国に辿り着いた何百万もの人々の多くが社会主義者や左派だったので尚更だった。

 冷戦時、どちらの陣営にも与しない第三の道を選ぼうとしていたペロン大統領が1955年のクーデターで排除されると、アルゼンチンはその後約20年間、軍事クーデターと米国の支援を受けた断続的な右翼独裁のスパイラルに陥った。1970年、元独裁者のアランブルが暗殺された事件の真相は未だ不明だ。

 米国政府が仕組んだコンドル作戦が状況を悪化させた。これは反乱軍の支援、諜報機関の連携、潜入・拷問・暗殺の訓練によって、ラテンアメリカから全てのマルクス主義勢力を根絶しようとする秘密計画だった。アルゼンチンの最後の独裁政権(1976=83)の指導者達は、後に人道に対する罪で起訴されて有罪判決を受けたが、彼等は自らの使命を戦争、より正確には「マルクス主義者のテロ」との戦争と表現していた。反乱軍の暴力は国家テロや弾圧に比べたら微々たるものだったが、これは1955年以降、政権に対する反対意見や抵抗を迫害し絶滅させる口実として利用された。

 当時の死の部隊として悪名高いトリプルA(Argentine Anticommunist Alliance/アルゼンチン反共同盟)は、イタリアの悪名高いプロパガンダ・デュー(P2)と密接な繋がりを持っていた。1982年に解体されたP2は表向きはフリーメイソンの組織だが、CIA・NATO・イタリアの諜報機関と繋がりを持つ犯罪組織であり、ファシストが作った「イタリアの影の政府」だった。第一次冷戦の最盛期には、米国や欧州政府が監督するこうした様々な極右組織が陰謀を繰り広げていた。



「再編成」

 1976年に米国が支援する軍事クーデターが起きた時点で、アルゼンチンのインフレ率は700%に達し、政治的暴力は既に極限に達していたが、クーデター後は更に国家テロ、強制失踪、組織的なレイプと拷問、恣意的な拘禁、無数の人々の強制追放、何百万冊もの本の焼却、ディストピア的監視、プロパガンダのキャンペーンが続いた。そしてチリのピノチェト政権の様に、シカゴ・ボーイズが監督する新自由主義的「経済リセット」の実験が開始された。これは「国家再編成プロセス」と呼ばれた。熱狂的な反共産主義者である独裁者ホルヘ・ラファエル・ビデラはこの「プロセス」の殆どの期間で権力の座に就いていたが、彼は2013年に刑務所で亡くなるまで、数え切れない程の犯罪を自慢していた。

 経済的ショック療法を主導したのは実際には次の2人だ。

 ・アドルフォ・ディス:アルゼンチン中央銀行総裁。シカゴのミルトン・フリードマンの弟子であり、元IMF事務局長。

 ・ホセ・アルフレド・マルティネス・デ・ホス:経済大臣。ケンブリッジ大学卒であり、アルゼンチンの大企業数社のCEOであり、デヴィッド・ロックフェラーの個人的な友人。

 他も似た様の経歴の持ち主だらけで、米国のエリート大学の学位持ち、IMFや世界銀行、その他ワシントンが支配する新自由主義機関出身の人々が大勢居た。



「スウィート・マネー」:新自由主義的ショック療法と脱工業化

 ホスやその周囲の人々が私腹を肥やす一方、貿易障壁が取り除かれて欧米の商品がアルゼンチンに殺到し、補助金が打ち切られ、賃金が凍結されて人件費が壊滅的に低下し、実質給与は1980年までに約40%低下した。競争の激しい業界は淘汰されて寡占が進む一方、大規模な脱工業化が行われ、産業の研究開発、数万の雇用、大規模な公共投資が崩壊した。

 1979年には「インフレ対策」の口実で、ペソと米ドルの間の人為的な為替規制システムが導入され、対外債務は激増。国内製品よりも輸入製品を優先された為に何千もの企業が倒産した。そして米ドルで低利の融資を受け、ペソで法外に高い利子を受け取ると云う詐欺的手法が可能になったことで、投機家達は大儲けしたが、そのツケはアルゼンチンの労働者達が(米ドルで)支払わされることになった。

 輸入は1976〜80年に550% 以上増加し、これは「スウィート・マネー」と呼ばれる消費主義の神話を促進した。ペソの過大評価は、多くのアルゼンチン人が突然海外旅行や買い物に行ける様になったことを意味した。工場が閉鎖され、母親や祖母達が行方不明になった子供や孫達を探して途方に暮れる一方で、1978年のサッカー・ワールドカップで優勝した後の多幸感は、ナショナリストのプロパガンダを花咲かせた。


 このシステムは2年間人々を騙すことに成功したが、1981年になると突然ペソの切り下げが始まり、ペソの価値は失われて米ドル建ての債務は返済不能になり、倒産する企業が増えた。翌月、ビデラ政権は崩壊し、後に不況と経済的混乱が残された。



詰めの再編

 1982年、弱体化した軍事政権は大英帝国とフォークランド紛争を開始したが、これは大惨事に終わった。その後の金融規制緩和は、制御不能な資本逃避、破壊的な投機計画、横行する詐欺、銀行を含む数十の金融会社の破綻に繋がった。世銀のデータでは、1976年の政府の対外債務は46億ドルだったが、1983年には256億ドルに膨れ上がっていた。これは80年代終わりには更に520億ドルになり、2004年には1,030億ドルに急増した。これは民間の対外債務を含まない数字だ。


 米国が支援する国家テロの28年間(1976〜2004年)、世界のGDP成長率の平均は90%だったが、アルゼンチンは僅か49%。デウダは2,200%以上増加したが、これはつまりGDPの伸びの45倍の割合で増加したことになる。その意味するところは、経済的黙示録だ。



1983-2001:希望からデフォルトへ

 1983年にラウル・アルフォンシンが当選したことで、米国が支援する軍事独裁政権は終わり、新政権は国の経済と主権を弱体化させて米国に依存させる為の負債の正当性に異議を唱えた。

 だが政府は依然として、アルゼンチンが必要とするドルを提供出来る唯一の機関であるIMFと世界銀行との交渉に依存していた。1989年にはハイパー インフレ危機が起こり、1990年には更に悪化し、賃金と貯蓄は急速に蒸発し、貧困と極度の貧困が急増し、暴動と略奪が勃発した。雪だるま式に増えた未払い債務は、「構造調整プログラム」の為の土台を整えた。

 ワシントン・コンセンサスは、更なるショック療法、即ち金融規制緩和、輸入関税の撤廃、公共サーヴィスの削減、公共資産の急進的な民営化を要求した。



医師と治療と副作用

 ジェフリー・サックスの様な新自由主義経済学者がボリビアやアルゼンチンで実施したショック療法の核心は、通貨を何等かの方法で米ドルにペッグして過大評価することだった。これは確かにインフレを抑える最も簡単な方法だが、国内市場と人々を弱体化させる側面を持つ。具体的には労働指導者の追放、大量解雇、労働者と先住民の貧困化、実質経済成長の弱体化だ。御用学者達が提案するこれらの「ショック療法」は、支配階級に悪影響を与えるようなことは決して無い。

 ボリビアのエボ・モラレス大統領は2019年に米国が支援する極右のクーデターで倒されるまでに、これとは真逆の路線を行って大規模な経済成長を達成して1人当たりGDPを3倍以上にまで拡大し、緊縮財政を要求するこの「ショック療法」が擬似科学であることを証明した。




メネムとカヴァロ:饗宴

 1989年にカルロス・メネムが権力を握ると、彼はビデラ独裁時代に犯された全ての犯罪を許した。有力な地主や保守的な支配層の支持を得て、農産物の輸出に対する税や規制を撤廃した。ハイパーインフレは1990年に20,000%に達したが、IMFの圧力と相俟って、この危機は更なる「ショック療法」の正当化に利用された。


 1991年にドミンゴ・カヴァロが経済相に就任すると、彼は「1対1」と呼ばれる従来の新自由主義政策の焼き直しを実施したが、これは通貨を人為的且つ強制的にドルにペッグする(または過大評価する)ことによってインフレを阻止すると云う原理に基付いていた。政府は新しい通貨を発行し、1アルゼンチン・ペソが1米ドルの価値に固定された。これはつまりペソの事実上のドル化であり、アルゼンチンの通貨主権の放棄を意味した。

 インフレ率は確かに略ゼロになったものの、労働者の購買力は低下した。カヴァロは西洋では天才だと賞賛されたが、これで終わりではなく、アルゼンチン史上最大の規制緩和と民営化がこれに続いた。数年の内に、年金制度、国鉄、銀行、電話網、国営航空会社、港湾、郵便、水道網、電力網、ガス網、テレビ・ラジオ網、一部の医療サーヴィス等が民営化された。海軍、化学、航空宇宙産業、国営石油会社も民営化された。合計400社以上の公営企業が民営化され、欧米の企業が事実上一晩で国を丸ごと買い取った。

 野蛮な腐敗と不適切な管理が横行し、一部のサーヴィスの価格は最大10倍に膨れ上がり、他は崩壊した。世界で8番目に大きいネットワークであった29,000マイルの鉄道網は殆ど解体された。何千人もが仕事を失い、公共インフラは埋め立て地に変えられた。これらの廃墟の多くは30年経った今でも、解体も改築もされず放置された儘になっている。

 過大評価された通貨に基付く1991〜94年の成長よってメネムは2期目の当選を果たしたが、1995年には失業率が18.8%に達した。輸入品が増えて第二の「スウィート・マネー」と呼ぶべき消費主義が花咲いたが、その裏で輸出は打撃を受け、貿易赤字が拡大した。




フェルナンド・デ=ラ=ルアとカヴァロ:カオス

 構造調整により景気は後退し、失業、極度の貧困、飢餓が記録的な水準に達し、資本が国外に流出し始めた。高価な赤いフェラーリを乗り回していたメネムに対する嫌悪感が広まって1991年にフェルナンド・デ=ラ=ルアが大統領に当選したが、リベラルな新政権もIMFの自殺勧告を実行し続け、公共サーヴィスと年金の削減、労働者保護の縮小を繰り返した。

 2000年12月、政府はIMFから370億ドルの「救済」パッケージを獲得したが、その条件は、赤字をゼロにすることによって国家と経済を壊滅させることだった。再交渉は失敗して経済相は辞任、後任にはカヴァロが返り咲いた。やることはメネム政権と同じだった。



2001:ミッション達成

 2001年11月、銀行の取り付け騒ぎが発生した。政府は銀行救済の為に全銀行口座を殆ど凍結させ、引き出しを制限した(1人1週間につき250ドル)。長年の金融規制緩和と景気後退の後で突然流動性が制限された訳だが、IMFは肝心な時に救済を拒否したことでこれに止めを刺した。数週間の間、ゼネスト、略奪、暴力、そして数人の死亡が続いた。夜間外出禁止令に反発した人々は大統領前広場を襲撃し、デ=ラ=ルアは辞任してヘリコプターで屋上から逃げた。2001/12/23、アルゼンチンは公式に950億ドルの債務不履行に陥った。



負債から逃れる夢

 記録的な貧困、子供の栄養失調の増加と乳幼児死亡率の上昇、壊滅的な失業率、海外への移住の増加———曾ての経済大国であり、何百万人もの移民がより良い生活を求めてやって来た国のイメージは完全に打ち砕かれた。アルゼンチンは単に破産しただけではなく、主権国家として社会的、経済的、政治的に破壊された。国家・生産構造・通貨・貿易・公教育・医療・公共交通機関———全てが新植民地主義によって略奪された。新自由主義的「ショック療法」は、ラテンアメリカの他の半植民地でも同様の結果を引き起こした。

 にも関わらずフリードマンの様な新自由主義の伝道者達は政府の統制は悪いことだと主張し続け、貧しい労働者、特に抑圧された黒人、先住民や混血のコミュニティの人々は、裕福な人々と違ってお金の管理が出来ないかの様な前提で話をする。だがこれらの主張は発展途上諸国に於ける外国支配、意図的な略奪、開発の阻害等の要因を無視している。IMFや世銀が命じる自殺的措置は外国やオリガルヒを富ませはするが、それは労働者の生活、実体経済、内需、民主主義、法治主義等を破壊した上に成り立っている。



一度騙された時は相手の恥。二度騙された時はこちらの恥

 債務不履行の数日後、エドゥアルド・ドゥハルデ暫定大統領はベソ=ドル固定措置を廃止。ペソは一晩でその価値の40%を失った。この長期通貨切り下げは、疲れ果てた人々と経済全体に呼吸する余地を与えた。同時期、新しい創造的なエネルギーと大衆運動がラテンアメリカ中で出現していた。

 2003年、進歩的なペロン主義者であるネストル・キルチネルが僅か22%の得票率で大統領に就任。債務の無い経済に向けた強固な土台作りを行い、ヴェネズエラのウーゴ・チャベスやブラジルのルラ・ダ・シルバの様な所謂「ピンクの潮流」に加わった。



さらば、IMF

 或る国が財政的に絶望的であればある程、債券を購入する意思の有る投機家を見付ける為に、債券の利率は通常高くなる。つまり投機家にとっては、リスクの高い国の債権を取引する方が、リターンも大きくなる。IMFと債券保有者は表向きは分離されていることになっているが、実際には協力し合い、その効果を最大化する為にお互いを必要としている。IMMFが新自由主義改革を命じて国の経済を破壊すれば、その分だけ投機家達は儲かるのだ。キルチネルはこの圧力に逆らった。

 2005/12/16、キルチネルはアルゼンチンがIMFの債務を全額外貨準備で返済すると発表。当時中央銀行は準備金として270億米ドルしか保有していなかったが、それでも過去最低水準を上回っていた。早期返済の決定により、8億4,200万ドルの利息が節約出来たと推定されている。アルゼンチンの人々が直面していた大きな問題に対する長期的な解決策には程遠いものだった、これはゲームチェンジャーだった。

 この動きは数ヶ月前、ブラジルのルラ大統領がIMFに全額支払った例に続いたにも関わらず、この決定はキルチネルの支持者・批判者双方に衝撃を齎した。そしてこの動きは腐敗した支配層の一部を苛立たせた。彼の前任者達の誰もがこの様に負債を返済しなかったのは何故なのか? これで返済出来るのなら、IMFの「援助」はそもそも必要が無かったのではないか? と云う疑問が出て来るのは避けられないからだ。



債務再編とハゲタカ共

 2003年、キルチネルは様々な債権者グループとの複雑な交渉プロセスを開始したが、これは裕福な債権者達を怒らせて不首尾に終わった。2005年になると政府は交渉を断念し、国債を最大66.3%引き下げる一方的な提案を行った。これは殆どの債券保有者に受け入れられ、不履行となった債務の76%(当時は合計818億ドル)の再編が終了した。

 2010年、キルチネルの妻クリスティーナ(CFK)が大統領に就任し、不履行債務の合計91.3%を再編した。全ての経済指標が強い回復を示し始め、アルゼンチンは国際信用市場での地位を取り戻しつつあった。

 2005年と2010年の提案を拒否し、残りの不履行債務を持っていたのは所謂「ハゲタカ・ファンド」だった。主権国家は通常、他国の裁判権には服さないが、米国の1976年の外国主権免除法はこれに抜け穴を与えるものだった。1992年、億万長者のケネス・ダートが債務危機に陥ったブラジルを訴えることでパンドラの箱を開けた。ソ連が解体されて世界中で新自由主義が押し付けられる流れの中で、裕福な投機家達はダートの例に従い、債務者に対する恐喝訴訟を繰り返した。



戦いと裏切り者

 2001年の危機に付け込んだハゲタカ・ファンドとキルチネル政権との、米国の法廷での争いは長期に及び、2012年、NYの裁判所はアルゼンチンはハゲタカ・ファンドに全額支払わなければならないと云う判決を下した。これは例えば最大の債権者ポール・シンガー(米共和党の最高額寄付者)の会社が、初期投資の15倍の利益を得ることを意味していた。この支払いが済むまで、他の債権者達への支払いは禁じられたが、これは当時関連する殆ど全ての銀行口座と資金転送が米国の管轄だった為に技術的に可能になった。これによってアルゼンチンは、政府が支払いを命じたにも関わらず、支払い期限を守れないと云う理由で不履行と見做されると云う、逆説的な状況に置かれることになった。

 取引の凍結を解除する唯一の方法は、アルゼンチンが億万長者と投機家の寄生グループに服従することだった。2014年の国連総会で、CFKはこれらの企業は米国の法律を兵器化していると非難し、「国の経済を不安定にし、投機と云う罪から貧困、飢餓、悲惨を生み出す経済テロリストである」と主張した。彼女は2015年12月に任期を終えたが、依然としてハゲタカ・ファンドへの支払いを拒否した。

 次の大統領は右翼の億万長者で、メネムの民営化によって一財産築いていたマウリシオ・マクリ。当時アルゼンチンの債務の対GDP比率は52.6%だったが、マクリが2019年に政権を去った時には90.2%にまでまた膨らんでいた。しかも再び債務不履行が起こったのだ。



負債を再びグレートに:マウリシオ・マクリ

 2015/12/07、元JPモルガンのトレーダーであり、アルゼンチンの将来の財務大臣であり、中央銀行のマネージャーであるルイス・カプートがNYへ飛び、ハゲタカ・ファンドの代表と会談した。その3ヶ月後、マクリ政権は93億ドルをハゲタカ共に支払い、NYの裁判所は他の債権者への支払いブロックを解除した。この時ハゲタカはポール・シンガーだけでも合計1,180%の収益を上げ、しかも訴訟費用はアルゼンチン持ちだった。
 
 屈辱的な巨額の身代金を払ったマクリは、国際信用市場への早期復帰を望んでいた。彼は幾つかの規制を撤廃し、2011年に導入されていた外国為替規制も撤廃し、億万長者達が望んでいたドルを購入する「自由」を復活させた。

 1976〜83年と1989〜99年までの二度の新自由主義的略奪に続く三度目の略奪は、最も速く、且つ初めて、専ら金融的な手法に基付いていた。マクリ政権はアルゼンチンの比較的健全な財政を、2年足らずで壊滅させた。



債権の饗宴とマクリ危機(Macrisis)

 規制されないドルの大量流入はインフレを引き起こした。資本規制が無くなった所為で、国外への資本逃避も急激に加速した。御用メディアや評論家は政府の自殺的政策を擁護して人々のドルへの欲求を掻き立て、アルゼンチンが今や「世界に開かれている」ことを宣伝した。

 マクリ政権下で、裕福な家族や投機的な企業は資産をドル化し、より収益性の高い国外市場に移動した。ペソの高い金利から利益を得る詐欺も復活した。外貨の無秩序な需要を支える為に無謀な国債発行が行われた。2018年の時点で、米国の違法な一方的制裁と執拗な経済戦争に苦しめられていたヴェネズエラを除けば、アルゼンチン・ペソは世界で最もパフォーマンスの悪い通貨となった。2つの通貨危機が起こり、あらゆるマクロ経済指標は暴落が差し迫っていることを示していた。



トランプのIMFが颯爽登場

 2018/05/08、マクリはIMFに財政援助を正式に要請したと発表した。IMFの方ではアルゼンチンの状況を「持続不可能」と見做し、マクリの面子を保つことにしかならない融資に反対していたが、当時ヴェネズエラにクーデターを仕掛けていた米国のトランプ政権は、マクリをこの違法行為の重要な同盟者と見做していた。マクリは自称暫定大統領であるホアン・グアイドを、ヴェネズエラの国家元首と認めた一人だった。

 トランプはIMF史上最大の融資をアルゼンチンに提供するよう強要した。IMF協定第6条第1項は、資本流出対策としてIMFの一般財源を使用してはならないと定めているので、これは違反行為なのだが、最終的にこの詐欺は合意に達し、マクリは440億ドルを受け取った。

 このカネは僅か11ヶ月で蒸発した。これはアルゼンチン国民ではなく国内外のオリガルヒのポケットに流れ込み、経済発展ではなく、投機家と債務の利益によって生み出された大量の米ドル需要に資金を提供しただけだった。翌2019年には、マクリ政権は支払いの一部を延期した。これは2001年以来初めての公式の債務不履行だった。



マクリの失脚とCFKの復活

 マクリ下政権では野党に対する司法攻撃が盛んで、これには米国大使館や諜報機関の干渉、腐敗した裁判官、違法な監視、メディア・プロパガンダの洪水が含まれていた。インフレは急上昇し、賃金の価値は急落し、失業率は上昇し、貧困率はマクリが辞任した時には略40%に達していた。極度の貧困は10人に1人だった。マクリ政権4年間の資本逃避の総額は798億ドル、負債の利息の支払いは407億ドルだった。

 IMFの融資により、マクリは再選を狙うまでの2年間の猶予を得た。だが2019年8月の予備選挙ではCFKとアルベルト・フェルナンデスの同盟が48%で勝利した。メディアは同時期の債務不履行を債務不履行とは呼ばず、"reperfilamiento(reshaping)"と云う新しい言葉を作り出して、有権者達が事態を理解することを妨げた。このプロパガンダ攻勢はマクリの支持率を40%にまで押し上げたが、最終的にCFKとフェルナンデスが48%で勝利した。保守派は全国で人気の高かったCFKの評判を落として排除する必要を感じていたが、これは後に2022年12月の司法クーデターとして実現することになる。



負債、パンデミック、超保守派のヒステリー

 中道から左派までの巨大連合によるフェルナンデス政権とカリスマ性を持ったCFKは、オヒガルヒの主流メディアは執拗にプロパガンダ攻撃を始めた。だが2020年にCOVID-19パンデミックが始まると、アルゼンチンの危機は全く新しいレヴェルに到達した。マクリ政権は2018年9月に保健省を解体していた。従って2020/03/03にブエノスアイレスで最初の症例が「確認」された時、新政府はまだ保健行政を復活させようとしている途中だった。



負債の再交渉?

 フェルナンデス新大統領は、IMFがマクリ政権に貸与した440億ドル全ての支払いを2024年まで停止すると発表した。2020年2月にはCFK副大統領は、資本流出対策目的の融資を禁じたIMFの規定を引き合いに出して、債務が違法であると公に示唆した。

 1990年代の新自由主義的な災厄の後、IMFは自らをより協力的で人道的な機関として再ブランド化しようとした。COVID -19パンデミックによって、IMFは悪名高い緊縮政策への執着を和らげ、債務整理よりも経済成長を優先することを受け入れざるを得なくなった様に見える。これが真の意味でのパラダイム・チェンジなのか、それとも単なるマーケティング・キャンペーンなのかは定かではないが、アルゼンチン人は深くこれを疑っている。
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川流桃桜

Author:川流桃桜
一介の反帝国主義者。
2022年3月に検閲を受けてTwitterとFBのアカウントを停止された為、それ以降は情報発信の拠点をブログに変更。基本はテーマ毎のオープンスレッド形式。検閲によって検索ではヒットし難くなっているので、気に入った記事や発言が有れば拡散して頂けると助かります。
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