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イランの飢饉

これまた忘れ去られた第二次世界大戦中の惨事として、イランでは1939〜1945年に飢饉により300〜400万人が死亡したと推定されている(正確な統計が存在しな事例の常として、詳細には議論の余地が有る)。第二次大戦で一応中立を謳っていたイランは、ソ連と英帝に占領された。イランは、ソ連に対する米帝からの支援の重要なルートだった。英帝占領地域では軍事占領政策自体が人々の生活を圧迫しており、米帝当局はイラン人の生活を保障すると約束はしていたが、1942年の不作が状況を急速に悪化させると、イラン当局に責任を丸投げした。1943年にソ連が支援を送るまで、飢饉と病気は悪化し続けた。チフス等の影響も有って飢饉の影響を正確に測定するのは難しいが、この問題は略忘れ去られた問題であって、議論は殆ど進んでいない。Wiki記事に拠ると、この問題について本を書いた研究者は Mohammad Gholi Majd 氏しか居ないそうだ。
The Famine the World Forgot - WW2 Special


忘れ去られた第一次世界大戦最大の惨事は、1917〜29年にペルシャ(後のイラン)で起こった飢饉だ。当時ペルシャを占領していた大英帝国軍の施策により、800万〜1,000万人、当時の人口の約半分以上がこれにより失われた。一部で旱魃が起こったことは事実だが、それらは有り触れたものであって、ここまでの被害が出したことは無かった。英帝が意図的にペルシャ人を殺害しようとしたのかどうかは不明だが、状況を改善する為の対策を一切行わなかったのは事実であり、イラク・インド・米国からの輸入は禁止された。この問題を研究した Mohammad Gholi Majd 氏に拠れば、この人為的な飢饉の惨事の記憶は長い間抑圧されて来たが、それはその後(CIAとMI6のアイアス作戦により失脚させられたモサデクの時代を除けば)60年間イランを支配し続けることになったパフラヴィー朝が、大英帝国が作ったものだからだ(ペルシア・コサック旅団の軍人レザー・ハーンは1921年にクーデターを起こし、1925年にレザー・シャーとして皇帝に即位したが、パフラヴィー朝時代のイランの石油利権は、大英帝国のBPが独占することになる)。
British Complicity in the Iranian Holocaust

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川流桃桜

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