ベンガル飢饉(1943年)
人種に関するウィンストン・チャーチルの見解を纏めたWikipediaの記事。チャーチルは「より強く、より高度で、より世知に長けた」「アーリア人の」「文明国」が、「野蛮」で「未開の部族」で「下等な存在」である非白人達を支配する責任を負っていると固く信じていた。非白人達は自らを統治する能力を持たず、「権利」も「権力」も持っておらず、従って植民地帝国が彼等に対してどんな仕打ちをしたとしても(例えばイラク人に対する毒ガス使用)、それは「不正」ではあり得なかった。第二次大戦後になってこうしたあからさまな差別主義が世論の反感を買う様になってからも、チャーチルは例えば移民問題に関して"Keep England White(イングランドを白人だけのものに)"と云うスローガンを支持した。「史上最高の英国人」に選ばれたことも有るチャーチルは、紛れも無く大量殺人や人権弾圧を何とも思わない白人至上主義者だったが、当時の大英帝国では彼の様な差別主義者は有り触れていた。21世紀の今では、「劣った人種や民族」を直接名指しで差別することはNGの場合が多いが、これをロシアや中国やDPRKやイラン等の「劣った国」と云うオブラートに包めば、幾ら差別したところで殆どの英国人は全く気にしない。
Racial views of Winston Churchill
ベンガル飢饉についての解説動画。1943年の飢饉には天災が何等かの影響を及ぼした可能性も無い訳ではないが、これは基本的に大英帝国が自らの植民地帝国の利権を他の植民地帝国(日本)の攻撃から守る為に、植民地の被支配民族(インド人)の生活を後回しにして食糧を奪って来た果てに起こった出来事であって、突発的な惨事ではない。そして食糧支援による緩和策が行われていれば容易に危機を避けられたにも関わらず、インド人やその独立運動を心底毛嫌いしていたチャーチルは、支援の要請を一切断った。余り知られていないチャーチルの処女作 The Story of the Malakand Field Force や、英エジプト軍によるスーダン征服を描いたチャーチルの著作 The River War には「支配民族(dominant race)」の話が出て来るが、彼の人種観はヒトラーのそれと大差無い。無論これは当時の帝国主義者一般にも言えることではあるが、植民地主義の歴史に照らしてみれば、ヒトラーが特別異常だった訳ではない(ヒトラーに特異な点が有るとすれば、人間らしい尊厳を持たない存在である Untermenshcne(非人間、人間以下の人間)の範疇に、一応白人に分類されるユダヤ人を含めた点だ)。チャーチルの自伝も、彼の一番分厚い伝記も、ベンガル飢饉については一言も触れていないが、人種差別に基付くこの様な蛮行は無かったことにして、素知らぬ顔で民主主義や人権の擁護者を気取っているのが、現在の西洋諸国だ。これら植民地主義勢力はスターリンや毛沢東が人為的に飢饉を引き起こして大勢の農民達を殺害したと云うフェイクニュースを流すのが好きだが、それは自分達自身が行って来たことを「敵」に投影しているに過ぎない。
The Bengal Famine and Winston Churchill | BadEmpanada
ベンガル飢饉についてのドキュメンタリー。インドでは昔から何度も飢饉は起こっているが、適切な緩和策(何なら社会主義的再分配政策と呼んでも良い)を行えば、被害は相当程度抑えられることは歴史が証明している。だが1943年当時は必要な緩和策は一切実施されず、日本帝国軍との戦いを背景に、人々の生命よりも戦争が優先された。そしてこれが天災ではなく、必要な措置を執れば避けられた人災であることは、科学的に証明されている。戦争の犠牲者と云うと銃や爆弾によって殺された人ばかりに注目が行きがちになるが、こうした社会的な被害に着目した場合、戦争は全く違う様相を呈することになる。
The Bengal Famine - Short History Documentary
ベンガル飢饉に対する支援要請を断った時のチャーチルの言い草:
「食糧がそんなに足りてないんなら、どうしてガンディーはまだ死んでないんだ?」
「飢饉が起ころうが起こるまいが、どうせインド人はウサギの様に増えて行く。」
Great Bengal Famine of 1943: Winston Churchill's Death Blow | Milestone | बंगाल का अकाल
「チャーチルは強烈な人種差別主義者だった」と指摘すると「人種差別なんて当時は有り触れていた」と反論する人をたまに見るが、彼の人種観が300万のインド人の死に繋がったことを考えると、「有り触れた話」では到底済まされない。600万人のユダヤ人等を殺害したヒトラーを悪党と呼び、300万人のインド人を殺害したチャーチルを「ヒトラーを倒した英雄」(誤。チャーチルは最初は寧ろファシスト陣営を賛美していたが、ヒトラーが手に負えなくなってからは手の平を返した。ヒトラーを倒したのはスターリン)などと賛美する現在の西側/西洋の風潮は狂っている。今の自称「自由民主主義陣営」が実際にはどんな悍ましい蛮行を繰り返して来たか、忘れてしまっている人が多過ぎる。
チャーチルのインド人嫌悪、歴史的飢饉の原因に 印新刊が告発
1943年のベンガル飢饉の原因について、経済学者アマルティア・センの分析。「飢饉は食料供給量の急激な減少によって引き起こされたものではない」と結論付けてはいるが、同時に「飢饉の予知に失敗し、その発生後には飢饉であると認めなかったという著しい政府の失敗」の責任を問うている。
『貧困と飢饉』 第6章 ベンガル大飢饉
約300万のインド人が死亡した1943年のベンガル飢饉では、軍を優先して備蓄を開放しなかった大英帝国総督府の政策の責任であると屢々議論されるが、当時の首相チャーチルは寧ろインド人を責め、飢饉はインド人が「ウサギの様に」子供を産んだ結果であると言い放っている。だが2019/01/22に Geophysical Research Letters に掲載された新たな論文が、責任を否定する大英帝国の主張が科学的に誤りであることを初めて証明した。この論文では印米のチームは1870~2016年の一世紀半に及ぶ気象データを使ってインドの土壌中の水分を調べているのだが、飢饉が起こった当時、ベンガル地域では旱魃の兆候は無く、降雨量は寧ろ平均を上回っていた。つまりこの研究結果は、飢饉はチャーチルの政策によって人為的に引き起こされた人災であることを示唆している。
Science Backs Churchill Hand In Bengal Famine Deaths
Racial views of Winston Churchill
ベンガル飢饉についての解説動画。1943年の飢饉には天災が何等かの影響を及ぼした可能性も無い訳ではないが、これは基本的に大英帝国が自らの植民地帝国の利権を他の植民地帝国(日本)の攻撃から守る為に、植民地の被支配民族(インド人)の生活を後回しにして食糧を奪って来た果てに起こった出来事であって、突発的な惨事ではない。そして食糧支援による緩和策が行われていれば容易に危機を避けられたにも関わらず、インド人やその独立運動を心底毛嫌いしていたチャーチルは、支援の要請を一切断った。余り知られていないチャーチルの処女作 The Story of the Malakand Field Force や、英エジプト軍によるスーダン征服を描いたチャーチルの著作 The River War には「支配民族(dominant race)」の話が出て来るが、彼の人種観はヒトラーのそれと大差無い。無論これは当時の帝国主義者一般にも言えることではあるが、植民地主義の歴史に照らしてみれば、ヒトラーが特別異常だった訳ではない(ヒトラーに特異な点が有るとすれば、人間らしい尊厳を持たない存在である Untermenshcne(非人間、人間以下の人間)の範疇に、一応白人に分類されるユダヤ人を含めた点だ)。チャーチルの自伝も、彼の一番分厚い伝記も、ベンガル飢饉については一言も触れていないが、人種差別に基付くこの様な蛮行は無かったことにして、素知らぬ顔で民主主義や人権の擁護者を気取っているのが、現在の西洋諸国だ。これら植民地主義勢力はスターリンや毛沢東が人為的に飢饉を引き起こして大勢の農民達を殺害したと云うフェイクニュースを流すのが好きだが、それは自分達自身が行って来たことを「敵」に投影しているに過ぎない。
The Bengal Famine and Winston Churchill | BadEmpanada
ベンガル飢饉についてのドキュメンタリー。インドでは昔から何度も飢饉は起こっているが、適切な緩和策(何なら社会主義的再分配政策と呼んでも良い)を行えば、被害は相当程度抑えられることは歴史が証明している。だが1943年当時は必要な緩和策は一切実施されず、日本帝国軍との戦いを背景に、人々の生命よりも戦争が優先された。そしてこれが天災ではなく、必要な措置を執れば避けられた人災であることは、科学的に証明されている。戦争の犠牲者と云うと銃や爆弾によって殺された人ばかりに注目が行きがちになるが、こうした社会的な被害に着目した場合、戦争は全く違う様相を呈することになる。
The Bengal Famine - Short History Documentary
ベンガル飢饉に対する支援要請を断った時のチャーチルの言い草:
「食糧がそんなに足りてないんなら、どうしてガンディーはまだ死んでないんだ?」
「飢饉が起ころうが起こるまいが、どうせインド人はウサギの様に増えて行く。」
Great Bengal Famine of 1943: Winston Churchill's Death Blow | Milestone | बंगाल का अकाल
「チャーチルは強烈な人種差別主義者だった」と指摘すると「人種差別なんて当時は有り触れていた」と反論する人をたまに見るが、彼の人種観が300万のインド人の死に繋がったことを考えると、「有り触れた話」では到底済まされない。600万人のユダヤ人等を殺害したヒトラーを悪党と呼び、300万人のインド人を殺害したチャーチルを「ヒトラーを倒した英雄」(誤。チャーチルは最初は寧ろファシスト陣営を賛美していたが、ヒトラーが手に負えなくなってからは手の平を返した。ヒトラーを倒したのはスターリン)などと賛美する現在の西側/西洋の風潮は狂っている。今の自称「自由民主主義陣営」が実際にはどんな悍ましい蛮行を繰り返して来たか、忘れてしまっている人が多過ぎる。
チャーチルのインド人嫌悪、歴史的飢饉の原因に 印新刊が告発
1943年のベンガル飢饉の原因について、経済学者アマルティア・センの分析。「飢饉は食料供給量の急激な減少によって引き起こされたものではない」と結論付けてはいるが、同時に「飢饉の予知に失敗し、その発生後には飢饉であると認めなかったという著しい政府の失敗」の責任を問うている。
『貧困と飢饉』 第6章 ベンガル大飢饉
約300万のインド人が死亡した1943年のベンガル飢饉では、軍を優先して備蓄を開放しなかった大英帝国総督府の政策の責任であると屢々議論されるが、当時の首相チャーチルは寧ろインド人を責め、飢饉はインド人が「ウサギの様に」子供を産んだ結果であると言い放っている。だが2019/01/22に Geophysical Research Letters に掲載された新たな論文が、責任を否定する大英帝国の主張が科学的に誤りであることを初めて証明した。この論文では印米のチームは1870~2016年の一世紀半に及ぶ気象データを使ってインドの土壌中の水分を調べているのだが、飢饉が起こった当時、ベンガル地域では旱魃の兆候は無く、降雨量は寧ろ平均を上回っていた。つまりこの研究結果は、飢饉はチャーチルの政策によって人為的に引き起こされた人災であることを示唆している。
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