ロシアの特別軍事作戦に対する20の建設的批判(要点と補足)
ロシア軍の特別軍事作戦について、西側のフェイクニュースに騙されておらず、「プーチンは現代のヒトラー!」の様なアホみたいな妄想戦記を相手にしていない人達の間でも、色々と批判する声は上がっている。但しそれらは主として建設的な批判であって、「プーチンを倒せ!」とか「ロシア軍をやっつけろ!」の様な幼稚園児向けヒーロー番組みたいな思考停止した声とは懸け離れている。私がよく参考にしている地政学アナリスト、アンドリュー・コリブコ氏もまたロシアの特別軍事作戦について20の欠点を指摘している。まぁロシア政府やロシア軍にはそれなりに止むを得ざる事情なんかも有るのかも知れないが、彼の指摘もまた的を得ているものが多いと思うので、多少補足/翻案(コリブコ氏の文章は正直言って解り難いので)しつつ、要点を纏めてみた。
20 Constructive Critiques Of Russia’s Special Operation
1)2022年の作戦開始は少し遅かったかも知れない。
愛国的な批判の中で最も人気が有るのは、作戦開始が遅過ぎたと云うもの。実際ドンバスその他の地域の現地レポートなんかを観ていると、「救けに来てくれるなら2014年に来て欲しかった。私達はこの時を8年間待っていたんだ」と云う声をよく耳にする。この種の主張をする人は、2014年夏か、遅くとも2020/2021年夏までに開始されるべきだったと考えている。現実問題として2014年の時点ではロシアは経済制裁への対策も、軍の近代化も出来ていなかったろうが、2020/2021にはこの問題を外交的に解決出来るのではと云う希望が有った。
2)ロシアは西側が誠実に交渉しないことを知るのが遅過ぎた。
この点はポール・クレイグ・ロバーツ氏なんかがもっと過激なことを言っていて、西側は救い様の無い嘘吐きなんだから、交渉を続けようとするプーチンは甘過ぎる、などと批判を繰り返している。プーチンは極めて理性的な人物なので、相手も理性的に対応してくれることを信じたかったのかも知れないが、結果を見れば彼の期待が見当外れだったことは明らかだ。
3)外交的配慮の所為で、軍と市民は心理的に紛争の準備が出来ていなかった。
ロシアはNATOの東方拡大によって齎される安全保障上の脅威について、詳細を明らかにして来なかった。これは米国の「面目を保つ」為であって、事実をぶちまけて相手の面目を潰す様な真似をすれば交渉が駄目になるのではと恐れたからだ。だがその代償として、軍と市民は紛争に対する心理的準備が出来ていなかった。
4)特別作戦のタイミングは実質的に米国とキエフによって決定された。
ロシアが特別軍事作戦を開始したのは、NATOによる核の脅迫を含む、ウクライナのNATO加盟によって引き起こされるロシアの安全保障上の脅威の増大(02/19のゼレンスキーのミュンヘン安全保障会議に於ける核開発発言)と、ドンバス戦争のフェーズ3(02/16から砲撃が再び激化)を受けてのものだ。従ってこのタイミングを決定したのは実質的にはモスクワではなくキエフと米国だ。
5)ロシアはウクライナ紛争で戦略構想を持っていなかった。
ロシアは大規模な軍事介入が必要になる可能性は低いと誤解していた(念の為に準備はしていたが)。米/NATO/キエフは交渉を第三次攻撃の為の隠れ蓑として利用していた訳だが、戦略的主導権を握っていたのは常に彼等の方であって、ロシアはこれを理解出来ていなかった。
6)外交的配慮が逆にロシア外交の信用を落とした。
西側大手メディアはロシアの軍事的脅威についての恐怖を煽って世界の認識を操作したが、ロシアは外交的配慮から、NATOとキエフがロシアに対して齎している安全保障上の脅威について、外交上の配慮から詳細を明らかにしなかった。だがこれによって、外交を隠れ蓑にしているのはロシアであって西側ではないとの誤った印象を多くの人が持つことになった。
7)作戦遂行上の安全確保の代償として、ロシアの外貨準備3,000億ドルが失われることになった。
上述の外交的配慮は当時としては理解出来るものだったが、仮に作戦に先立って外貨準備を自国に引き上げていたとしたら、モスクワは軍事的意図を持っているとのメッセージを西側に伝えることになり、ドンバス第三次攻撃計画が加速されることになっただろう。作戦遂行上の安全を確保する目的でも、外貨準備は諦めねばならなかった。ロシアがジレンマに陥っていたのは間違い無い。
8) ロシアは西側がロシアのメディアを検閲したり活動不能にしたりすることを予測していなかった。
「民主主義」を自称する西側がまさか自らその価値観(ソフトパワー)を貶める様な真似はしないだろうとロシアは思っていたが、西側はそのまさかをやらかしたので、ロシアは完全に意表を突かれた。ロシアはRTやスプートニクへの過度な依存を避けて創造的な仕方で情報発信を多様化させ、西側でのソフトパワーを維持すべきだった。
9)指揮官達の間での軍事的目的の不一致が作戦を複雑にした。
作戦開始当初、ロシア軍は多方面からウクライナに侵入したが、後から振り返れば、それは当初考えられていたよりも遙かに調整が不十分だった様に思われる。敵を包囲する為の基本計画には程遠く、多かれ少なかれ自律的な指揮官達が密接な協力無しに現場でそれぞれの軍事目標に対応した結果であったと思われる。
10)政治主導の交戦規則が作戦の軍事的効果を阻害した。
ロシアは紛争の外交的解決の余地を残すべく、数ヵ月に亘って交戦規則を制限した。その結果ロシア軍は民間人の犠牲を減らす為にかなりの行動制限を受けることになり、交渉の可能性は結局米国の意向で英国によって潰された。後から振り返れば、こうした努力は戦略な成果を上げず、結果として紛争を不用意に長引かせることになった。
11)ロシア諜報部はウクライナのソフト・セキュリティの回復力を見誤った様だ。
上述の指揮官同士の調整不足に対する説明として考えられるのは、ロシア情報部が米国の支援を受けたネオナチ政権の社会政治的回復力(ソフト・セキュリティ)を見誤ったことだ。彼等は特に前線後方で直ぐ崩壊するだろうと予測していた様だが、それ以外の予測が出来ていたら、もっと綿密な調整が出来ただろう。
12)ロシア諜報部はまた、米国のキエフへの関与を不正確に評価していた様だ。
モスクワは西側からの大規模な軍事支援が、これ程の規模・範囲・ペース・期間でウクライナに殺到するとは思っていなかった。ロシアは3月末までにウクライナの主要な軍事インフラを完全に破壊したので、純粋にキエフ軍とロシア軍との戦いだったら決着はとっくに付いている筈だが、西側の支援によってその成果も相殺され、紛争が継続されることになった。
13)EUの真の戦略的自律性について、ロシア諜報部のもうひとつの欠点。
ロシア諜報部は、ドイツ主導のEUが戦略的には現実より遙かに米国から自立していると確認していた様で、それ故紛争の早期解決に向けた仲裁に大きな期待を寄せていた。ブリュッセル/ベルリンとモスクワは主にエネルギーを通じて複雑な相互依存関係に在るが、これは米国からの圧力によって、客観的利益を犠牲にして最初から破綻してしまった。
14)誤った諜報と希望的観測が、ロシアに複雑な連鎖反応を引き起こした。
ロシアが作戦に先立ってウクライナと西側の戦略的状況を正確に把握していれば、その後の複雑な連鎖反応を避けることが出来たかも知れない。外交的には軍事的手段に訴える理由を事前に世界に伝え、軍事的には「衝撃と畏怖」の形を取ることで、もっと調整出来ていたかも知れない。
15)善意の意思表示によっては、キエフに和平プロセスの具体的な進展を確信させることは出来なかった。
ロシアのキエフからの撤退、蛇島からの撤退、穀物取引———これらはキエフが和平プロセスの具体的な進展を確信するよう意図して行われた善意の表明だったが、無駄に終わった。モスクワが「戦争、征服、飢饉」に執着しているとの西側大手メディアの誤った主張を打ち消しはしたが(とコリブコ氏は言っているが、そうかな?)、その成果では不十分だ。
16)地上での激戦の勝利が軽視され、不適切な防衛が行われた。
ハリコフやヘルソンでの戦線後退は、これらの戦線を適切に防衛していれば避けられたかも知れないが、地上での激戦の成果が当然視された為にそうはならなかった。他にどの様な要因が働いていたのか現時点では不明だが、少なくとも当局はその課題を認識はした様だ。
17)部分動員・戒厳令の発令はもう少し早くても良かった。
経験を積んだ予備役の部分動員と、ノヴォロシアの戒厳令は、もう少し早く命じていればもっと効果が有った筈だが、恐らく特別作戦が目的達成に困難を抱えているとの印象を与えるのを避けたかったのだろう。従ってこの点に不釣り合いな注意が払われたことを示唆している。
18)市民は紛争が防衛的なものへと発展することを予期していなかった。
キエフが2014年以前のロシア国境内の居住地に砲撃を続け、クリミア橋への自爆攻撃と新たに再統一されたヘルソン州の右岸を再征服したことは、モスクワにとって紛争が攻勢から守勢に転じたことを裏付けている。だが国内外を問わず、市民はその様な事態の展開に対する心理的な備えを与えられていなかった為、混乱と失望、更には憤りを助長することになった。
19)具体的な軍事目標よりも、漠然とした知覚管理の懸念が優先された。
西側にとってはウクライナ紛争は物理的な戦争である以前に認知戦争だが、ロシアでも具体的な軍事的目標の達成より、国内外の一般市民に対する特別作戦のイメージに関する漠然とした懸念が優先された。交戦規則を自己制限し、善意の意思表示を繰り返し、一貫して外交的解決を優先し、ハリコフとヘルソンで後退し、人々に紛争が防衛的なものに発展する心構えをさせることに失敗したことは、このことによって説明出来る。人々からどう見えるかを気にしたのだ。
20)軍事的大詰めは依然として捉え所が無く、ロシアは事態の形成に一層の苦戦を強いられている。
ロシアが攻勢から守勢に転じるという予想外の展開となったことで、ロシアは軍事的展開の形成に苦戦を強いられ、敵に戦略的勢いを奪われ、大詰めを決定付けられる立場に在る。損失を取り戻す為に全面戦争をしない限り、ロシアに今出来ることは、統制線(Line of Control)を固め、紛争を凍結させ、現地で得たものを既成事実化し、脱エスカレーションの中で「面子を保つ」ことだ。
以上の様に、ロシア軍の特別軍事作戦には様々な欠点が有る。だが全体としては悲観的になる必要は無く、プーチン大統領がスロヴィキン陸軍大将を作戦全体の司令官に任命したことで、軍事情勢が統制線に沿って安定し、戦略的にモスクワに有利な膠着状態になり、グローバルシステムへの多極化への移行が完成されると云う確かな希望が生まれている。
20 Constructive Critiques Of Russia’s Special Operation
1)2022年の作戦開始は少し遅かったかも知れない。
愛国的な批判の中で最も人気が有るのは、作戦開始が遅過ぎたと云うもの。実際ドンバスその他の地域の現地レポートなんかを観ていると、「救けに来てくれるなら2014年に来て欲しかった。私達はこの時を8年間待っていたんだ」と云う声をよく耳にする。この種の主張をする人は、2014年夏か、遅くとも2020/2021年夏までに開始されるべきだったと考えている。現実問題として2014年の時点ではロシアは経済制裁への対策も、軍の近代化も出来ていなかったろうが、2020/2021にはこの問題を外交的に解決出来るのではと云う希望が有った。
2)ロシアは西側が誠実に交渉しないことを知るのが遅過ぎた。
この点はポール・クレイグ・ロバーツ氏なんかがもっと過激なことを言っていて、西側は救い様の無い嘘吐きなんだから、交渉を続けようとするプーチンは甘過ぎる、などと批判を繰り返している。プーチンは極めて理性的な人物なので、相手も理性的に対応してくれることを信じたかったのかも知れないが、結果を見れば彼の期待が見当外れだったことは明らかだ。
3)外交的配慮の所為で、軍と市民は心理的に紛争の準備が出来ていなかった。
ロシアはNATOの東方拡大によって齎される安全保障上の脅威について、詳細を明らかにして来なかった。これは米国の「面目を保つ」為であって、事実をぶちまけて相手の面目を潰す様な真似をすれば交渉が駄目になるのではと恐れたからだ。だがその代償として、軍と市民は紛争に対する心理的準備が出来ていなかった。
4)特別作戦のタイミングは実質的に米国とキエフによって決定された。
ロシアが特別軍事作戦を開始したのは、NATOによる核の脅迫を含む、ウクライナのNATO加盟によって引き起こされるロシアの安全保障上の脅威の増大(02/19のゼレンスキーのミュンヘン安全保障会議に於ける核開発発言)と、ドンバス戦争のフェーズ3(02/16から砲撃が再び激化)を受けてのものだ。従ってこのタイミングを決定したのは実質的にはモスクワではなくキエフと米国だ。
5)ロシアはウクライナ紛争で戦略構想を持っていなかった。
ロシアは大規模な軍事介入が必要になる可能性は低いと誤解していた(念の為に準備はしていたが)。米/NATO/キエフは交渉を第三次攻撃の為の隠れ蓑として利用していた訳だが、戦略的主導権を握っていたのは常に彼等の方であって、ロシアはこれを理解出来ていなかった。
6)外交的配慮が逆にロシア外交の信用を落とした。
西側大手メディアはロシアの軍事的脅威についての恐怖を煽って世界の認識を操作したが、ロシアは外交的配慮から、NATOとキエフがロシアに対して齎している安全保障上の脅威について、外交上の配慮から詳細を明らかにしなかった。だがこれによって、外交を隠れ蓑にしているのはロシアであって西側ではないとの誤った印象を多くの人が持つことになった。
7)作戦遂行上の安全確保の代償として、ロシアの外貨準備3,000億ドルが失われることになった。
上述の外交的配慮は当時としては理解出来るものだったが、仮に作戦に先立って外貨準備を自国に引き上げていたとしたら、モスクワは軍事的意図を持っているとのメッセージを西側に伝えることになり、ドンバス第三次攻撃計画が加速されることになっただろう。作戦遂行上の安全を確保する目的でも、外貨準備は諦めねばならなかった。ロシアがジレンマに陥っていたのは間違い無い。
8) ロシアは西側がロシアのメディアを検閲したり活動不能にしたりすることを予測していなかった。
「民主主義」を自称する西側がまさか自らその価値観(ソフトパワー)を貶める様な真似はしないだろうとロシアは思っていたが、西側はそのまさかをやらかしたので、ロシアは完全に意表を突かれた。ロシアはRTやスプートニクへの過度な依存を避けて創造的な仕方で情報発信を多様化させ、西側でのソフトパワーを維持すべきだった。
9)指揮官達の間での軍事的目的の不一致が作戦を複雑にした。
作戦開始当初、ロシア軍は多方面からウクライナに侵入したが、後から振り返れば、それは当初考えられていたよりも遙かに調整が不十分だった様に思われる。敵を包囲する為の基本計画には程遠く、多かれ少なかれ自律的な指揮官達が密接な協力無しに現場でそれぞれの軍事目標に対応した結果であったと思われる。
10)政治主導の交戦規則が作戦の軍事的効果を阻害した。
ロシアは紛争の外交的解決の余地を残すべく、数ヵ月に亘って交戦規則を制限した。その結果ロシア軍は民間人の犠牲を減らす為にかなりの行動制限を受けることになり、交渉の可能性は結局米国の意向で英国によって潰された。後から振り返れば、こうした努力は戦略な成果を上げず、結果として紛争を不用意に長引かせることになった。
11)ロシア諜報部はウクライナのソフト・セキュリティの回復力を見誤った様だ。
上述の指揮官同士の調整不足に対する説明として考えられるのは、ロシア情報部が米国の支援を受けたネオナチ政権の社会政治的回復力(ソフト・セキュリティ)を見誤ったことだ。彼等は特に前線後方で直ぐ崩壊するだろうと予測していた様だが、それ以外の予測が出来ていたら、もっと綿密な調整が出来ただろう。
12)ロシア諜報部はまた、米国のキエフへの関与を不正確に評価していた様だ。
モスクワは西側からの大規模な軍事支援が、これ程の規模・範囲・ペース・期間でウクライナに殺到するとは思っていなかった。ロシアは3月末までにウクライナの主要な軍事インフラを完全に破壊したので、純粋にキエフ軍とロシア軍との戦いだったら決着はとっくに付いている筈だが、西側の支援によってその成果も相殺され、紛争が継続されることになった。
13)EUの真の戦略的自律性について、ロシア諜報部のもうひとつの欠点。
ロシア諜報部は、ドイツ主導のEUが戦略的には現実より遙かに米国から自立していると確認していた様で、それ故紛争の早期解決に向けた仲裁に大きな期待を寄せていた。ブリュッセル/ベルリンとモスクワは主にエネルギーを通じて複雑な相互依存関係に在るが、これは米国からの圧力によって、客観的利益を犠牲にして最初から破綻してしまった。
14)誤った諜報と希望的観測が、ロシアに複雑な連鎖反応を引き起こした。
ロシアが作戦に先立ってウクライナと西側の戦略的状況を正確に把握していれば、その後の複雑な連鎖反応を避けることが出来たかも知れない。外交的には軍事的手段に訴える理由を事前に世界に伝え、軍事的には「衝撃と畏怖」の形を取ることで、もっと調整出来ていたかも知れない。
15)善意の意思表示によっては、キエフに和平プロセスの具体的な進展を確信させることは出来なかった。
ロシアのキエフからの撤退、蛇島からの撤退、穀物取引———これらはキエフが和平プロセスの具体的な進展を確信するよう意図して行われた善意の表明だったが、無駄に終わった。モスクワが「戦争、征服、飢饉」に執着しているとの西側大手メディアの誤った主張を打ち消しはしたが(とコリブコ氏は言っているが、そうかな?)、その成果では不十分だ。
16)地上での激戦の勝利が軽視され、不適切な防衛が行われた。
ハリコフやヘルソンでの戦線後退は、これらの戦線を適切に防衛していれば避けられたかも知れないが、地上での激戦の成果が当然視された為にそうはならなかった。他にどの様な要因が働いていたのか現時点では不明だが、少なくとも当局はその課題を認識はした様だ。
17)部分動員・戒厳令の発令はもう少し早くても良かった。
経験を積んだ予備役の部分動員と、ノヴォロシアの戒厳令は、もう少し早く命じていればもっと効果が有った筈だが、恐らく特別作戦が目的達成に困難を抱えているとの印象を与えるのを避けたかったのだろう。従ってこの点に不釣り合いな注意が払われたことを示唆している。
18)市民は紛争が防衛的なものへと発展することを予期していなかった。
キエフが2014年以前のロシア国境内の居住地に砲撃を続け、クリミア橋への自爆攻撃と新たに再統一されたヘルソン州の右岸を再征服したことは、モスクワにとって紛争が攻勢から守勢に転じたことを裏付けている。だが国内外を問わず、市民はその様な事態の展開に対する心理的な備えを与えられていなかった為、混乱と失望、更には憤りを助長することになった。
19)具体的な軍事目標よりも、漠然とした知覚管理の懸念が優先された。
西側にとってはウクライナ紛争は物理的な戦争である以前に認知戦争だが、ロシアでも具体的な軍事的目標の達成より、国内外の一般市民に対する特別作戦のイメージに関する漠然とした懸念が優先された。交戦規則を自己制限し、善意の意思表示を繰り返し、一貫して外交的解決を優先し、ハリコフとヘルソンで後退し、人々に紛争が防衛的なものに発展する心構えをさせることに失敗したことは、このことによって説明出来る。人々からどう見えるかを気にしたのだ。
20)軍事的大詰めは依然として捉え所が無く、ロシアは事態の形成に一層の苦戦を強いられている。
ロシアが攻勢から守勢に転じるという予想外の展開となったことで、ロシアは軍事的展開の形成に苦戦を強いられ、敵に戦略的勢いを奪われ、大詰めを決定付けられる立場に在る。損失を取り戻す為に全面戦争をしない限り、ロシアに今出来ることは、統制線(Line of Control)を固め、紛争を凍結させ、現地で得たものを既成事実化し、脱エスカレーションの中で「面子を保つ」ことだ。
以上の様に、ロシア軍の特別軍事作戦には様々な欠点が有る。だが全体としては悲観的になる必要は無く、プーチン大統領がスロヴィキン陸軍大将を作戦全体の司令官に任命したことで、軍事情勢が統制線に沿って安定し、戦略的にモスクワに有利な膠着状態になり、グローバルシステムへの多極化への移行が完成されると云う確かな希望が生まれている。
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