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西側/西洋社会が今まで見て来なかった、見ないことにして来たもうひとつの現実

Vijay Prashad著、Red Star Over the Third World のレビュー。




 1917年のボルシェビキ十月革命について実に様々な評価が行われているが、細かい点を無視してざっくり大別すると次の3つに分けられるかと思う。
 1)資本主義の福音を理解せぬ狂信者の一群、血に飢えて権力欲に取り憑かれて暴力を煽ってロシアを乗っ取り、世界支配の野望を展開し始めた。
 2)十月革命は二月革命の延長であり、帝政ロシアの圧政に対する、1789年のフランス革命より更に徹底した真の人民革命である。
 3)十月革命はクーデター、今で言うカラー革命に近いものであり、二月革命との間には断絶が有る。

 私は数年前から、1)が西側社会全体に左右問わず余りに深く浸透している現状を目の当たりにして、反共/反ロシア・プロパガンダは今まで考えていたよりもずっと深刻な問題であるのではないかと思って、関連する書籍等を探してみたりしているのだが、その過程で3)の解釈を色々と知ることになった(どうも根拠の無いこじつけとは言えない諸事実が色々有る)。この歴史解釈の問題を今取り上げねばならない理由は色々有るが、ロシアのプーチン大統領が最近、ソ連を批判する発言を繰り返していることは、この解釈の問題が単なるアカデミックな領域に留まるものではなく、アクチュアルな政治的意味を持っていることを示唆している。例えば現在のウクライナを含むロシアの国境問題の原因は、法的妥当性の疑われるフルシチョフによるウクライナへのクリミアの譲渡等も問題なのだが、そもそもはレーニンが第一次大戦から手を引く為に結んだブレスト=リトフスク条約によってロシアを分割したことが発端だ。戦争を終わらせることは多くのロシア人が望んでいたことかも知れないが、この措置は真にロシアの人民の利益に適うものだったのか?と問うてみると、疑問符が付くことは否めない。プーチン氏は帝政ロシア末期の改革者ストルイピンを高く評価しているそうなので、帝政内部からの改革が上手く行っていれば、ロシアそもののの解体に至ることも無く暴力的な手段に訴えることも無く、比較的スムースに時代への適応が出来ていたのではないか、と考えているのかも知れない。十月革命は時代を先に進める為に必要な過程だったのか? それは真に人民の意思を代表していたのか? 世論調査結果を見ると、ソ連時代を懐かしむロシア人は今だに多い様だが、外部の人間である私なんかは、まぁソ連が崩壊して西側資本主義陣営に経済的に侵略されて散々な目に遭ったのだから無理の無いことだろうな、と単純に思ってしまうのだが、調査結果をよく見ると、経済的理由と共に「国としての一体性」を理由として挙げる人が多いのに驚く。経済問題以上に、文化的・民族的な問題はロシア人の心にとって大きな比重を占めているのかも知れない。私は歴史にもロシア文化にも詳しい訳ではないのだが、そうした諸事実を考慮に入れてみると、十月革命は単純に「人民の勝利」と呼べない側面が色々有ることに気が付く。

 本書は2)の解釈に立った上で、十月革命とその後の展開が、第三世界/グローバルサウス諸国の共産主義・社会主義陣営に対して及ぼした様々な影響を一般向けに解説したものだが、そう云う訳で私は、十月革命に対する本書の解釈は些かナイーヴ過ぎるのではないかとは思う。但し十月革命とソ連が植民地諸国や虐げられた集団に対して与えた肯定的なインパクトに関しては、恐らく過度に疑う必要の無い確立した事実として、本書に同意して良いのではないかと思う。ソ連は一時期、解放と自由を望む世界の多くの人々にとって確かに希望の星だった。それは何故だったのか。

 共産主義の定義は人それぞれだが、「労働者自身による生産手段の管理」と云う狭い意味で捉えれば、そんなものを本当に実現した国がひとつでも実在するかは疑わしい(そもそも厳密な意味での共産主義/コミューン主義と国家システムとが両立可能なのかについて疑問が浮かぶ。まぁそれを言ったら自由市場に基付く資本主義国家なども、曾てひとつも存在したことは無いのだが)。広い意味では、共産主義とは資本主義に対するアンチテーゼだ。そして資本主義とは世界の多くの国にとっては即ち植民地主義であり帝国主義であり奴隷制であり、差別と分断による暴力的支配に他ならない。従って植民地主義や帝国主義、奴隷制や分断統治に対する抵抗、或いは旧態依然とした抑圧的体制に対する抵抗全般が、酷くざっくりと「共産主義」と呼ばれる傾向が有る。単純な人は「共産主義とは何か」と画一的な理念から演繹して現実の共産主義現象を理解したがるが、それは不適切だ。「共産主義」と云う言葉の、コミュニケーションの現場に於ける実際の使われ方に着目しなければ、共産主義の定義について延々と不毛な議論に入り込むことになる。共産主義を標榜するソヴィエト連邦は従って、解放を求める人々が等しく目指すべき道を体現するものと思われたのだ。

 共産主義の何たるかについては資本主義システムの中核国と周辺国とでは評価が異なるのだが、中核国の思想家や活動家は、この点を深く考えようとしない。本書では帝国内部の労働者の多くは往々にして帝国主義者であり、従って植民地の労働者とは利害を異にすることが指摘されているが、この辺のギャップが不可視化されていることが、グローバルサウスに於ける共産主義現象に対する理解を妨げている。宗主国や旧宗主国内部の労働者が思い描く共産主義と、植民地や旧植民地の労働者が思い描く共産主義との間にはズレが有るのだ。後者の場合、共産主義とは自由と民主主義、主権と尊厳を求める人々の希望や活動を緩く一括りに言い表したものに他ならない。女性の地位向上も土地改革による農奴や農業プロレタリアートの解放も、等しく「共産主義」だったのだ。先進諸国では現在進行形の新植民地主義についての関心は極めて低いので(ポストコロニアリズムについての議論は多少有るが、新植民地主義について批判しているのは更に少数の一部の反帝国主義的左派だけに過ぎない)、このズレに気が付いている人は恐らく殆ど居ない。私の様な少数派にとっては、2022年のウクライナ紛争を契機として、西洋の帝国主義的一極覇権体制から多極化世界への移行が一気に可視化された観が有るのだが、西洋の大多数の人々にはこの世界史的な大変動が見えていないのは、そうした背景の積み重ねが有るからだろうと思う。彼等はグローバルな資本主義システムの主要な犠牲者達には大して関心を払わない。関心を払うのは、被害が自分達にまで及んで来た時だけだ(顕著な例として日本共産党を見てみると良い。彼等は時に自民党などよりも遙かに好戦的で、熱心に新冷戦プロパガンダを支持していながら、厚かましくも「平和の党」を自称している。そして帝国主義のハイブリッド戦争と懸命に戦う世界の他の共産党や社会主義政党、労働者政党の連帯の輪には全く加わろうとしない。彼等は世界の他の部分について学ぶことを完全に止めてしまった。彼等は国内の有権者達の目先の関心を買うことにしか興味が無く、その為になら違法な戦争や介入や人道犯罪だって平然と称揚する。そして確信犯ではないと好意的に仮定するなら、恐らくはそのことについての自覚が全く無い)。

 旧植民地諸国にとって、新植民地は正に現在進行形の問題だ。例えば2022年7月にロシアのラヴロフ外相はアフリカの複数紙に対し、ロシアがアフリカ大陸の「脱植民地化のプロセスの完了」を支援することを約束した。債務の罠や「対テロ戦争」、クーデターやカラー革命等のハイブリッド戦争によって西側から経済的・軍事的・政治的に支配されているアフリカ諸国にとって、中国の一帯一路構想は経済的独立と繁栄に至る希望を与えているが、ロシアの場合は経済面もそうだが、特に安全保障面での希望を与えている。この点でロシアはソ連の「脱植民地化の支援」と云う伝統を復活させていると言える。これは2014年にクーデターによってウクライナを政治的に侵略し、自分達が支援するナチによるロシア人への民族浄化を止める為のロシアの反撃を以て「侵略」であるかの様に描き出し、ロシアを拡張主義的帝国と見做すことで「ロシアの脱植民地化」なる奇怪なフレーズを振り回している西側/西洋諸国とは対照的だ。西洋は人道的な言葉を使って実際には非人道的な行為を繰り広げているが、ロシアは彼等からのフェイクニュースの猛攻に対し嘘によって反撃することを拒否し、しっかりと事実と真実と人道の側に付いている。中東やアフリカ諸国では、ロシア軍のナチ退治に加勢したいと、何百人もがロシア領事館の前に列を作っていたことが報じられたが、これは1930年代にファシストのフランコ軍と戦う為に世界中の共産主義者や社会主義者がスペインに志願兵として集結したことを思い起こさせる。彼等は別に「ロシアの味方をしたい」と云う党派的な発想から義勇軍に参加した訳ではないだろう。普通のまともな人は大抵ナチスが嫌いなものだ。ナチズムは全世界共通の敵だと云う認識が有るからこそ、彼等は遠いウクライナにまで出向いて自分達の命を懸けようとしているのだ。

 これに関して、本書はまた重要な指摘をしている。植民地諸国の人々からすれば、ナチズムは植民地主義の親戚だ。西洋では両者は別物であるかの様に扱われているが、差別に基付く抑圧とジェノサイドのシステムは、被害者の視点からすればどちらも大差は無い。ヒトラーのナチス・ドイツはユダヤ人等を600万人殺害したが、レオポルド2世のベルギーはそれ以前に1,000万人ものコンゴ人を殺害したのではなかったか。両者を完全に別物であるかの様に扱い、ナチズムに対する(表面的な)反省はしても、それが植民地主義に対する反省と繋がらなかったことが、第二次大戦後の世界に於ける西洋諸国の暴力的な新植民地主義―――テロ、暗殺、クーデター、カラー革命、組織犯罪、無差別爆撃を含む軍事侵攻、代理勢力を使った不安定化工作、制裁、債務、ect………―――の横行に繋がったのではないかと、本書は指摘する。この指摘はウクライナに於ける西洋諸国のナチ支援の現実によって端的に裏付けられている。ナチズムとは帝国主義や植民地主義が人々を分断統治する為の方便なのだ。
 
 因みにウクライナのナチを観察することから、ひとつ興味深い洞察が得られる。1930年代のバンデラ主義者達はユダヤ人やポーランド人を殺害対象にしていた訳だが、彼等の主な標的は今やロシア人だ。恐らくこれはスポンサーの意向を反映したものだろうと思うが、つまりこれは差別の対象に選ばれる人種や民族は、その時々の戦略に応じて或る程度恣意的に選択されると云うことだ。「差別は生まれるものではなく作られるものだ」と云う発想を念頭に置いておけば、差別と戦う際に、真の敵を見定める参考になるのではないだろうか。或るインタビューでウクライナのナチがロシア人のことを「共産主義者」と呼んでいたことが私は印象に残っている。多少なりとも国際情勢を理解している人であれば、今のロシアが共産主義の国だなどと考える人は先ず居ないが、恐らく「共産主義」の中身はどうでも良いのだ。これは100年前から続く反共プロパガンダ(反共ではなく反ロシアだと考えるとそれ以前)の延長線上で起こっていることなのだ。反共主義とファシズムはイコールである、と云うのはかなり大雑把な括り方だが、そう考えると、第二次大戦後の「冷戦(反共十字軍)」なるものが結局何だったのか、スッキリ頭の中が整理出来る様に思う。ウクライナからの白人以外の避難民や、ウクライナ以外から来た肌の白くない難民達への差別的な扱い、ウクライナよりも遙かに酷い人道的危機に陥っている肌の黒い人々の国々に対する支援・対応の放置・後回し、狂った様な反ロシア・プロパガンダに乗じて展開されるあからさまなロシア人やロシア文化の差別(ロシア人の多くは白人に分類されるにも関わらず!)………これらの現実を前にして、植民地主義や帝国主義は、根本的に人を差別するシステムの上に成り立つものではないかと思わずにはいられない。

 西側市民の大多数は、日本人も含めて、植民地主義の遺産や新植民地主義の現実について、殆ど何も理解していない。解り易い例は例えば2019年の香港の「民主化運動」だ。代替メディアやSNS等で自分から情報収集している層には最初から明らかだったのだが、あれは明らかに草の根運動ではなくカラー革命工作だった。だが植民地についての極く一般的な知識が有れば、西側大手メディアによる公式の説明に疑問を抱くのはそう難しいことではない。香港とはどんな所だったろうか。大英帝国は、帝国の擁護者達すら顔を赤らめる様な卑劣で恥知らずで野蛮な阿片戦争によって、中国から香港を奪い取った。そして信じ難いことに21世紀直前の1997年に至るまで、香港を植民地として支配し続けた。これは中高の教科書にも書いてある極く基本的な事実だし、嘘だらけのマスコミ報道でもこの程度は知ることは出来る。植民地なのだから香港市民には当然政治的諸権利は無く、総督は帝国の女王なり国王なりによって本国から直接派遣されて来た。殆どの香港人は二級市民の扱いで、抗議する者には厳しい弾圧が待っていた。そして治外法権区なのを良いことに、大英帝国は国際的な組織犯罪の重要拠点として香港を利用し続けて来たのだ。香港の「民主主義」について、世界で最も語る資格の無いのは大英帝国だ。

 「民主化運動」の発端は何だったろうか。それは或る香港市民が旅行先の台湾で殺害されたが、殺人犯には引き渡し条例が無い為に本土の司法権が及ばず、逮捕出来ない状況を是正しようと云う香港当局の動きだった。つまり治外法権状態を改めようとした訳で、これは本土返還後も大英帝国の強い影響下に置かれていた香港が、主権を一部回復することを意味していた。香港の判事の9割以上を外国人が占めており、犯罪者にとっての避難所としての不名誉な評判を獲得していた香港にとって、これは名誉挽回のまたとないチャンスだった訳だが、扇動された抗議者達がこれに対して「中国本土によって政治的に利用される可能性が有る」と噛み付いた訳だ。抗議者達の殆どは十代から二十代の若者達で、つまりは植民地支配の現実を自分達の体験として知ってはいない世代だ。彼等はユニオン・ジャックを振りながら無意味な破壊行為を繰り返し、公然と旧宗主国の介入を要求した。南アの黒人の若者がアパルトヘイトの復活を求めて旧宗主国に助けを求める様なもので、常識的に考えればこれ程倒錯した光景は無い。はっきり言ってイカれている。日本人なら似た様な状況を容易に想像出来る筈だ。若し、在日米軍人や軍属の犯罪行為が見逃され、或いは軽微な罰で済んでしまう現状を改善しようと、沖縄県知事が日米地位協定の改正なり破棄なりを要求した時、沖縄の若者が星条旗を振って「県知事の横暴から民主主義を守れ!米軍は沖縄県を罰せよ!」とか叫んだとしたらどうだろうか。日本の司法の権限が米軍人や軍属に及ばない現状を以て「民主主義が守られている状態だ」などと主張されたら、沖縄県人は一体どう思うだろうか。他国の制度や人々をこれ程見下した話は無い。

 だが、現実の沖縄の地元メディア2紙は、共同通信等の大手の報道を転載するばかりで、この問題について独自の考察や調査を行おうとはしなかった。SNSでの反応を見る限り、沖縄の読者達の殆ども、これに特に違和感を抱かなかった様だ。何故だろう。初歩的な世界史の知識と一寸ばかりの想像力が有れば、そして日々メディア報道を鵜呑みにせずに行間を読む努力を行なっていれば、香港の状況がどれだけ馬鹿げた茶番であるかは容易に気付くことが出来た筈だ。だが彼等には出来なかった。恐らく国内の状況と国外の状況は全くの別物だと云う前提で物事を考え、自分達の置かれている状況と香港の状況を同列に置いて比較することが出来なかったのだろう。米軍基地に反対する沖縄県人が立ち向かっていた敵と、カラー革命工作に抵抗する香港当局が立ち向かっていた敵は、根本的には同じものだと私は思うのだが、この事実は沖縄県人は自分達が何を相手にしているのか、大局的な観点からは全く理解出来ていないのではないか、と云う深刻な疑念を抱かせる。彼等の多くは「米軍の言いなりになって動く横暴な日本政府」と「権威主義的な中国政府」のイメージを重ね合わせていた様だが、沖縄と香港では構図は真逆なのだ。彼等が本来声援を送るべきは香港行政府や香港警察であって、無自覚な帝国の手先として機能している無知で経験の無い抗議者達ではなかった筈だ。だが恐らく帝国主義の問題は、彼等にとっては飽く迄自分達の身の回りに降り掛かって来る範囲でしか理解されていなかったのだ。連帯の可能性は、彼等自身の無知と無理解によって閉ざされていた。彼等は「ビッグ・ピクチャー」が見えない儘、手探り状態で戦っている。そしてその根底には恐らく、曾ての半植民地であった中国に対する差別感情が蟠っている。何故だろう、帝国と戦っていた筈の沖縄県人は、自分では気付かない内に、帝国自身の眼差しで物事を見ているではないか? 彼等は認知構造を植民地化されている………。

 今の日本人の生活レヴェルは何故どんどん低下しているのか? 多少なりとも植民地主義や帝国主義の歴史を知っている者であれば、先例を見付けるのは簡単だ。帝国主義システムは、昔植民地や旧植民地に対してやっていたことを、今度は自国内の国民に対しても行う様になって来たのだ。帝国内部の労働者は往々にして帝国主義者だと先に述べたが、最早それでは済まされない。世界全体の問題が理解出来なければ、国内問題も理解出来ない時代に突入したのだ。ロシア軍の特別軍事作戦開始後、プーチン大統領はこれからの世界は主権国家と植民地とではっきり命運が分かれると述べた。この発言が何を意味しているのかピンと来た西側市民が一体どれだけ居るだろう(そもそもそう云う発言が行われたことを知っている人がどれだけ居るだろう。報道の自由がどんどん破壊されて行っていると云う自分達自身の状況の問題に真剣な関心を払っている人がどれだけ居るだろう)。この後期資本主義システムは到底持続不能だが、被害が拡大する前に、この獣を止めなければならない。その為には先ず現代世界の大局的な理解が何よりも必要になる。視野が狭くてもどうにか生きて行けた時代はもう疾っくに終わっている。

 本書の著者は、14歳の時に初めて『資本論』を読んだとか云うバリバリのマルクス主義者なので、彼が口にする共産主義や社会主義と云う言葉は、単に抽象的な議論のテーマのひとつではない、具体的な現実に裏付けられた、彼が生きる生活を形作る重要な一要素だ。どんな思想も真摯に生きられねば生命を吹き込まれないが、ここで考えなければならないのは、血肉の通った生身の人間によって生きられた思想、具体的な歴史的・社会的な状況の中で具体的に想定され遂行された思想だ。本書の中で著者はレーニンの言葉を借りてこう言っている、「マルクス主義の真髄、マルクス主義の生きた魂とは、具体的な状況の具体的な分析である。」本書のタイトルの元ネタとなったエドガー・スノーの傑作ルポ『中国の赤い星』には、こんな一節も有る:「中国の共産主義運動の全歴史を偉大な宣伝旅行といえるし、それは恐らく一定の思想が絶対に正しいことの主張というより、彼らの生存権の防衛というべきであろう。」宙に浮いた理念としての共産主義ではなく生きられた現実としての共産主義とは、具体的な諸条件に於て具体的な願望や欲望や利害関心を持った個々の人間達の営みに、偶々その様な名前が好んで付けられたに過ぎない。現在共産主義や社会主義については判で押したような空疎なステレオタイプによって語られることが余りにも多いが、それはそうした思想を生きる具体的な人々に対する関心が欠落しているからだ。無関心は無知を生み、無知は更なる無関心を助長する。第二次安倍政権が発足して最初に起こったことが生活保護受給者へのバッシングで、当時は生活保護の実態とは懸け離れた馬鹿馬鹿しい誹謗中傷が散々繰り広げられたが、新冷戦プロパガンダとは、言ってみればこれを全世界規模に拡大した様なものだ。これにあっさり騙されるのは、貧しく虐げられた具体的な人々への関心が欠如しているからだ。関心が無いから、TV画面の向こうに生きた人間が存在していることが腹から理解出来ていないから、デタラメ放題な嘘を聞かされても「ああ、そんなものか」で済ませてしまう。疑問を持たないのは、世界に対する関心が無いことと同じだ。

 例えば著者の国インドは、今世界で最も労働運動が意気軒高な国のひとつだ。2020年と2021年、インドでは2億5,000万人がゼネストに参加した。全人類の何と3%にも相当する人々が一斉に立ち上がって、新自由主義政策に対してNOを突き付けたのだ。労働運動としてはこれは間違い無く人類史上最大規模だが、彼等に声援を送る西側の労働者達は一体どれだけ居ただろう? そもそもそんな活動が行われていたことを知っている人が、西側社会にはどれだけ居るだろう? 帝国主義勢力の大手メディアは度々自由や民主主義を水戸黄門の印籠の様に掲げて他国への介入を正当化するが、草の根運動による人民による直接的意思表示が、民主主義的価値観を体現するものでなかっとしたら何なのだろう? この動きは黙殺によって迎えられた。別の例を挙げよう。クリミアやウクライナ東部4地域は住民投票を行なってロシアへの帰還を決めたが、西側の政府やメディアはロシアによる侵略だと騒ぎ立てた。だが住民達による直接投票以上に民主主義的なプロセスなど存在するだろうか? 民主主義が大事だと言うなら、何故彼等は現地へ査察団を送って、不正が行われないか実際にチェックしなかったのだろうか? 独立した国際査察団は投票で不正が行われた事実など何ひとつ確認していない。複数の世論調査の結果も、現地住民の圧倒的大多数がロシアとの統合を望んでいることを示している。独立ジャーナリスト達による数々の現地レポートも、これらの投票を殆どの住民達が熱心に待ち望んでいた様子を伝えている(そして投票期間中も、ウクライナ軍による民間人を狙った砲撃が続いていたことが確認されている)。これらの事実もまた黙殺され、事実に基付かずにロシアを誹謗中傷する野蛮な怒号に掻き消された。

 今はインターネットと云う非常に便利なツールも存在するので、世界情勢について本当のことを知ることは、知る意思の有る人々にとっては昔より容易になっている。だが殆どの西側市民はそうした努力を行おうとしない。関心を払おうとしない。彼等は益々大政翼賛化して政府や軍や諜報部と一体と化したマスコミの卑劣な嘘に、自分達の精神をむざむざ汚染させている。彼等は何故、自らの知性と良心を巨大な権力者達が蹂躙することを許しているのか? 彼等は益々自分達だけのガラパゴス化した狭い世界の中に閉じ籠り、自分達の生活を向上させる為に苦闘している外の世界の人々に関心を払おうとしない。彼等にとって旧植民地諸国の現実は、植民地時代と同じく、完全に不可視のものであって、存在していないのも同じなのだ。そして抵抗する人々はテロリストであり独裁者であり侵略者であって、「敵は我々の外に居る」と思い込んでいた方が、心理的にもラクなのだ。「野蛮人」を見下している間は、鏡を覗き込んで醜い現実に失望しなくても済む。「もう一方の世界」の現実の否認は、最早旧宗主国諸国の市民の大多数にとって、アイデンティティの重要な一部と化しているのだ………。

 本書はそうした堕落した状況に抵抗を試み、世界の将来に希望を見出し、抵抗の為の有効な展望を得たいと望む読者に向けて書かれたものだ。今、世界の一部はどう仕様も無い程に腐っている。が、世界の他の部分は別の道を歩み始めようとしている。その現実を理解したければ、何よりも先ずすべきなのは、今まで見て来なかった現実、見ないことにして来た現実に、きちんと向き合うことだ。これを省略することは出来ない。嘘と欺瞞を誤魔化して現実を否認して済ませられて来た時代はもう終わったのだ。
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理解出来ない人が多いようです

 もともと私は弱い者いじめが嫌いで自分も小学校時代、いじめのターゲットにされたが担任に見て見ぬふりをされていた経験があります。
 さらに同じアジア系としてジェロニモことゴヤクラのレジスタンスに共感していますし、フランスのレミゼラブルやフランス革命、南米の音楽は好きですが、アメリカの映画も音楽も昔から全部嫌いで例外はジョンレノンと反戦平和主義者だけでした。
 特にリンカンがインディアンを最も虐殺していたと知り一気に嫌いになりました。
 世の中は権力者が動かしており弱者の意見は粉砕され弾圧される、世界はそれが全てだと思っています。
 ナチスが虐殺を繰り返した時、アメリカはドイツに戦争を仕掛け街を廃墟にしましたが解放者と呼ばれています。実際の功労者はロシアでしたが。
 ところがウクライナが虐殺を繰り返しロシアが介入した事は絶対に許されない戦争犯罪だと思っている人が多く、安倍批判のブロガーにその点を告げ、UCRANE ON FIRE, NO TO NATOなどを勧めましたが理解して頂けませんでした。
 歴史や学問に詳しい人なので期待したのですが、意外に自分が賢いと思っている人が、私の様に自分の無知と要領の悪さ、学習能力の低さと理解力の欠如に悲しんでいる人間が先入観抜きで理解出来る事もわからない事が多いですね。
プロフィール

川流桃桜

Author:川流桃桜
一介の反帝国主義者。
2022年3月に検閲を受けてTwitterとFBのアカウントを停止された為、それ以降は情報発信の拠点をブログに変更。基本はテーマ毎のオープンスレッド形式。検閲によって検索ではヒットし難くなっているので、気に入った記事や発言が有れば拡散して頂けると助かります。
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