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ウクライナの歴史

★クリミアの歴史についてのRTの解説記事。
スターリンの怒りからフルシチョフのウクライナへの贈り物まで:クリミアのタタール人少数派は死、悲惨、追放に直面して来た(要点)

ロシアRTによる歴史解説。現在ロシア人に対する民族浄化の支持者を排出するまでになった徹底的な反ロシア地域であるウクライナ西部のガリツィアは、曾ては寧ろサンクトペテルブルクに最も忠実だった。だが1772年にオーストリアの支配下に置かれてからは、分断統治の手段としてそこに住んでいた親ロシアのルシン人のポーランド化が進められた。ウィーン会議(1814〜1815年)からクリミア戦争(1853〜1856年)の頃まではロシアは欧州の覇権国だったので、ルシン人の間でも新ロシア運動が盛んになったが、ポーランド化が効果が無いと悟った墺当局は今度は彼等をウクライナ人と呼び始めた。1880年代初頭に墺露関係が悪化し始めると、親ロシア派はロシアの「第5列」であると云う認識が生まれ、墺当局による弾圧と親ロシア派内部の分裂により、最終的に第一次大戦の頃には、ガリツィアから親ロシア派とルシン人は略完全に姿を消していた。
Ukraine's most nationalist region was once a hotbed of pro-Russian sentiment – how and why did it change?

★2014年のギャラップ世論調査から幾つか抜粋してみた。ウクライナが東西によって全く異なる国であることが確認出来る。
ギャラップ世論調査(2014年):ウクライナに於けるニュース収集と政策認識(抜粋)

櫻井ジャーナルさんが使用している地図が解り易い。現在のウクライナは民族/宗教/言語に関してツギハギ細工の様なもので、統一された実体としては脆い部分を持つ。これらの多様性を包摂し他民族共生国家を目指していれば、或いは今日の様な事態にはならなかったかも知れないが、西側は冷戦後のウクライナを経済的に侵略するだけでは飽き足らず、2度のクーデターの後、長らく自分達が各地で飼っていたナチに支配させ、「ロシア語を話す者は子供であろうとテロリスト」などと云う無茶苦茶な民族浄化を始めた。民意を重んじるのが民主主義なら、2014年以降のキエフ・クーデター政権は間違い無く反民主主義路線を突っ走っていることが、この地図からも分かる。またこの地図を見れば、クラマトルスクやマリウポリやハリコフでロシア軍が住民を虐殺する理由など無いが、ウクライナ軍にはその理由が有ることも見て取れる。

ハリコフでNATO/キエフ軍はロシア/ドンバス軍のトラップにかかった可能性

1990年と比較した今の旧ソ連諸国の経済状況。1990年代には「西欧諸国の様に市場を開けばドイツやフランスの様に豊かになれる」と云う口車に乗せられて西欧や米帝の手痛い経済的侵略を被った国々が多かったのだが、今では殆ど回復して冷戦末期よりも豊かになっている。が、例外が2つ。西側ナチ陣営の対ロシア戦争の手駒となっているジョージアは1990年の約9割程度で、同じく手駒のウクライナは6割以下にまで落ち込んでいる。ゼレンスキーの「復興」計画とやらがこの儘邪魔されずに進められれば、更に悲惨な未来が待っているだろう。

Which Post-Soviet Economies Have Grown the Most Since 1990?

★ソ連の解体はソ連人民の意思に反して行われた。この記事ではウクライナに焦点を当てている。
ウクライナ人が1991年にソ連邦の維持に投票したものの、同年結局独立することになった経緯(要点)

現在の状況を理解する為にウクライナ版ファシズムの歴史を説き起こした記事の寺島翻訳メソッドNEWSさんによる邦訳。反共主義/ファシズムの系譜はCIAやMI6の庇護の下、現在まで脈々と続いている。
現在ウクライナ政府を実質支配している民族主義ファシスト集団の残忍な手口の伝統は、第二次世界大戦以前に遡る

バルバロッサ作戦と並行して計画された、ナチスドイツの「東部総合計画」についてのWiki記事。過去の事例と照らし合わせてみると、2014年以来キエフのクーデター政府が行なっているロシア人に対する民族浄化は、現代版バルバロッサ作戦たるNATOの東方拡大の当然の帰結だったと云う気もして来る。
東部総合計画

ウクライナの国会議員2名は、チェチェン・イチケリア共和国の主権を承認する法案を提出。チェチェン・イチケリア共和国は1994年にチェチェンの分離主義勢力がロシアからの独立を宣言して作った組織犯罪の蔓延するイスラム国家だが、第一次(1994年〜)、第二次(1999年〜)チェチェン紛争を経て2007年にラムザン・カディロフがチェチェン共和国の首相に就任して紛争が完全に終結してからは、国際的に未承認(唯一承認していたアフガニスタンのタリバン政権は2001年の米軍の侵攻により崩壊した)の国家/武装勢力として存続している。チェチェンの「アフマト」特殊部隊は現在ロシア軍の特別軍事作戦に従事し、対テロ戦の経験を活かしている。まぁウクライナのナチは要するにチェチェン分離派と同じで西側の戦略的な手駒(傭兵)な訳だから(反ロシア白人至上主義者かイスラム過激派かと云う違いが有るだけ)、ウクライナ議会の行動は或る意味筋が通っている。

Ukrainian lawmakers support secession of Chechnya

「ロシア=ウクライナ戦争」の起源を、ソ連解体時から辿ったドキュメンタリー。元ウクライナ首相ミコラ・アザロフや、SBUに不当逮捕され拷問を受けた元ハリコフ大学副学長アレクセイ・サムイロフのインタビューを含んでいる。2005年にペンタゴンがウクライナ政府(当時はユシチェンコ政権)にバイオラボ建設を承諾させる上で仲介役を果たした2人の米上院議員の内、一人はバラク・オバマだった。西側自由民主主義ナチ勢力のロシア侵略路線はこの30年間一貫している。
WHY THE WAR BETWEEN RUSSIA AND UKRAINE BEGAN?


ウクライナに於けるロシア語差別の歴史を振り返る記事。ロシア語差別は2014年のマイダン・クーデターの後からでも、2004年のオレンジ革命の後からでもなく、ソ連崩壊後に既に進行しており、1996年の憲法でウクライナ語が公用語として定められたのは、それまでに確立されていた慣行を纏めただけ。ソ連崩壊後の約20年でロシア語を教える学校は数分の一に激減したが、これは現実の言語人口比に全く合っていない。社会学的調査に拠ればウクライナ人の約8割がロシア語を母語としているにも関わらず(ウェブでウクライナ語で読まれているのは政府のサイトだけ)、政府は公式データを改竄してロシア語話者を少なく見積もっている。1991年のウクライナ独立時にはロシア人の強制的なウクライナ化は許可されていなかったが、現在はポロシェンコ政権下(2019年)で可決された法律によって、ロシア語話者の差別が憲法に組み込まれており、公的機関や学校制度のみならずメディアでも厳しい制限が課されており、発禁措置等のロシア文化の抹殺も行われている。
The Russian language in post-Soviet Ukraine: 30 years of discrimination against the country's most popular tongue
 寺島メソッド翻訳NEWSさんが邦訳を作って下さったので紹介しておく。ロシアについてどんな与太話を信じようがそれはその人の自由だが、文化的ジェノサイドはどう考えてもまともな人が支持すべきものではないと思う。
ロシア語絶滅が、現在のウクライナ政府の最優先事項

欧州最初の強制収容所であり、オーストリア=ハンガリー帝国が設立し、ウクライナのナショナリストが大勢雇われたクラーホフ収容所(1914〜1917年)、1943年のヴォルィーニ虐殺から1954年までのバンデラ主義者による蛮行、そして2014年以来続いているナチスによる拷問や暴行についての解説記事。ウクライナ兵がロシア兵捕虜を拷問し残酷な仕方で殺害する動画や映像が出回って衝撃を与えているが、これらの残虐行為は今に始まったことではなく(具体的に書くと胸が悪くなるので止めるが)、1世紀に亘る政治的暴力の系譜の延長線上で起きたことだ。
How a century of political violence in Ukraine is linked to the atrocities of today

ナチスドイツが1941年にベラルーシに設置したミンスク・ゲットー(約12万人が収容され、少なくとも10万5,000人が死亡した)で生き残った2人のユダヤ人の証言(英語字幕付き)。ポグロムが10回行われ、住民達は飢えと絶えざる恐怖に脅かされていた。公然たる虐殺が日常だった。
 戦後はファシズムはもう終わったと思った。だが違っていた。今ウクライナで起こっていることは、戦前にドイツで起こったことと同じだ。リトアニアでも同じことが起こっている。西側は間違っている。
Surviving the Minsk Ghetto | RT Documentary


ヴォルィーニ(ヴォリン)の虐殺についての記事。今のウクライナのナチスが英雄と崇めるバンデラに従う親ナチス・ウクライナ民族主義者グループは「モスクワ、ポーランド、マジャル人、ユダヤ人」に対して民族浄化を行って来たが、1943/02/09からは数ヶ月に亘ってヴォルイーニでポーランド人に対する大量虐殺が始った。殺人者達は悪魔的な創意工夫を発揮し、犠牲者の生命だけではなく文化的価値をも破壊しようとした。1944年の冬までに、合計4万〜6万人のポーランド人、数千人のウクライナ人、千人以上のユダヤ人、約135人のロシア人が殺害された。
 これは現在ナチを擁しているウクライナとウクライナを支持しているポーランド双方にとって不都合な歴史的事実だ。
‘They used axes to spare the ammo’: How modern Ukraine's Nazi heroes massacred civilians during WWII
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川流桃桜

Author:川流桃桜
一介の反帝国主義者。
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