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米国は如何にして今日のイタリアでファシズムを存続させているのか———1943年以来、毎年ファシズムを存続させて来た様に(要点)

ウクライナ紛争は、西側自由民主主義陣営なるものがナチ陣営に他ならなかったことを(そして日本人の99%以上がこの現実に気が付いていないことを)浮き彫りにした。ドイツのナチスを筆頭に、ファシズム陣営は全て第二次大戦で表向きは滅びたことになってはいるが、要はブランド変更しただけで、アメリカ帝国の庇護の下に一貫して「戦後」の西側社会の表でも裏でも活動を続けて来た。日本なんかも解り易い例で、例えば先日暗殺された元首相は、強制労働政策を実施したA級戦犯の孫で、あからさまな軍国主義の賛美者。しかもこの事件に絡んで注目を浴びた組織は、世界各地に根を張る狂信的な反共ネットワークの一部だ。NATOやEUの様な組織の中核にはこうした反共/ファシズム陣営の人材が大勢居る訳だが、それは偶然そうなった訳ではなく、ここに至るまでの脈々とした流れの延長線上でそうなったのだ。「戦後」の西側市民は結局のところ、ファシズムの精算を全く済ませない儘ここまで来てしまったのだと言えるだろう。

 ファシズムが滅びもせずに営々と生き延びて来たことについて、イタリアを題材に簡潔に解説してくれている記事を見付けた、肝の部分だけざっと訳してみた。
How the U.S. Keeps Fascism Alive and Well in Italy Today—As It Has Kept It Alive Every Year Since 1943



 「米国は、イタリアがNATOの属国であり続けることを確実にする為に、イタリアの政治を操作し続けている。」
(ジャンデリオ・マレッティ将軍。1970 年代初頭のイタリア対諜報部長)

 「米国防総省はイタリア半島を、アフリカや中東やその向こうでの将来の戦争用の発射台に変えた。」
(デヴィッド・ヴァイン。『基地国家』の著者)

 「我々は民主主義を輸出したかった。その代わりに輸出したのはファシズムだった。」
(ヴィクター・マルケッティ。元CIAケース・オフィサー)




 イタリアのファシズムは1945年にムッソリーニと共に死んだ訳ではなかった。それは戦後もアメリカ帝国とNATOの庇護の下に存続し続け、新たなファシズム———アメリカの特徴を持つファシズムを誕生させた。米国はイタリアの解放勢力ではなかったし、今でもそうではない。

 ファシズムの21世紀版はFratelli d'Italia(イタリアの同胞)で、右翼の野党政党。これは次の総選挙で政権を取ると予想されているが、2021年1月のクーデターによって選挙を経ずに首相の座に据えられたマリオ・ドラギ政権は、既にムッソリーニ・タイプの政治家で溢れ返っている。ドラギは元EU幹部であり、元ゴールドマン・サックス幹部であり、2015年にはギリシャの民主主義を破壊した元欧州中央銀行総裁。当然の様にアトランティシズム、つまり欧州と米国を繋ぐ「ブリュッセルとNY」のイデオロギーの体現者だ。彼は(他の新自由主義諸国の指導者達と同じ様に)国家システムを弱体化させ、西側の収奪的資本主義に自国を明け渡すことを使命としており、2021年6月には、イタリアの公的債務は2兆6,900億ユーロ(3兆1,700億米ドル)の過去最高を記録した。


 ドラギは中国との協力関係を進めたジュゼッペ・コンテ前首相の外交方針とは決別する意向を明らかにしている。コンテ首相はCOVID-19対策で中国と協力したことで大西洋主義者達の不興を買い、連立政権はリベラルなイタリア・ヴィヴァ(イタリアは生きている)の指示撤回により崩壊した。ヴィヴァの党首マッテオ・レンツィ元首相(2014〜16)は、曾ては「第三の道」や「ポスト・イデオロギー」をスローガンにイタリアを率いることを期待されていた(つまりイタリア版のトニー・ブレアやビル・クリントン)。彼はドラギを持って来る為にコンテを倒したことを公然と認めている。
 



 NATO(北大西洋条約機構)の設立は1949年。その存在目的は、表向きはソ連の脅威から西欧を守ることだったが、非公式の目的は、急成長するアメリカ帝国の覇権に西欧を取り込むことだ。米国は、大英、フランス、ベルギー、オランダ、ポルトガルの各帝国を全て吸収する一方で、西ドイツとイタリアではファシストの残党を保護し、所謂「白人の重責」と称する西洋帝国主義の戦利品を全て継承した。そしてこれがNATOの設立に繋がった。NATOはブレトン・ウッズ協定(1944年)とマーシャル・プラン(1948年)の軍事部門であって、西欧やその植民地に対する米国の投資を保証し、資本主義と帝国主義を再建する為の手段だった。この動きは最終的に、後のEUに繋がるローマ条約(1957年)による欧州経済共同体の設立に繋がる。

 現在イタリアには約12,000人の現役の米軍要員と7つの主要な米軍基地が存在し、NATOがその表向きの存在理由とされているが、これらの部隊が作戦を展開しているのは主にアジア、中東、アフリカだ。ナポリの第6艦隊は1950年以降、地中海、黒海、紅海、カスピ海等で作戦を展開している。イタリアは欧州とアフリカとの架け橋であって、東洋への昔からの玄関口でもある。ワシントンがこれらのハードウェア、大陸間の活動、長期的な戦略を確保する為には、ローマの政権は米国に友好的であるだけではなく、従順であって貰わなくてはならない。


 1943年の時点では、イタリアは米国がプレイしていたグローバル帝国ゲームのグラウンド・ゼロだった。ドイツの方は他の連合諸国と共有しなければならなかったが、イタリアでは英軍の勢力は衰退しつつあり、イタリア半島は実質的に米国の権力者の実験場と化した。米国の資本家階級はイタリアを米国の権力者達にとって安全な場所にする為に、労働者組織ではなく犯罪組織を支援し、ファシズムを生み出した老いぼれた社会的・経済的エリートを一掃するのではなく、ファシズムを復活させることを選択した。

 この野蛮さを証明するものとして解り易いのは、「ソ連封じ込め」の戦略を提唱して全世界に冷戦の恐怖を齎した外交政策戦略家ジョージ・F・ケナンの、1948年の極秘メモだ。
 「我々は人権、生活水準の向上、民主化などと云う曖昧で非現実的な目標を語ることを止めねばならない。剝き出しの力の概念に取り組まなければならない日はそう遠くない。理想主義的なスローガンには邪魔されない方がより好ましい。」
 この権力への意志こそが、戦後のアメリカ帝国の外交政策を形作った。


 米国によるイタリア政治の乗っ取りは米国内で始まった。1942〜45年のアンダーワールド作戦で、米国海軍情報部はNYの港を支配する為に、「イタリア人」麻薬密売業者や性的人身売買業者と手を結んだ。次はシチリア島でのハスキー作戦(1943 年の侵攻)で、OSS(戦略情報局。CIAの前身)は米軍の生活を楽にする為に、イタリアの犯罪者と協力した。ラッキー・ルチアーノヴィト・ジェノヴェーゼの様なイタリアン・マフィアが強大な権力を手にしたのはこうした背景が有ってのことだ。米国政府はこれらの国際犯罪者にイタリアでのフリーパスを与える一方で、地元のパートナーを権力の座に就かせた(シチリア島ビジャルバ市長、カロジェロ・ヴィッツィーニ等)。
 

 1945年にはOSSのスパイ・マスターであるアレン・ダレス(後のCIA長官)が、地元のパルチザンと赤軍の攻勢を前にして、イタリアのナチスのボスであるカール・ヴォルフを筆頭とするドイツ人達の首を救う為に、ドイツの降伏を秘密裏に交渉したが、結局左派の勝利を妨害することは出来なかった。
 

 1945年にムッソリーニが死に、ファシスト組織が解体されたことで、イタリア全土で労働者階級の政治が解放されることになった。共産主義者や社会主義者は勢力を伸ばし、1948年の総選挙では人民民主戦線(PDF)が形成された。だが1947年にOSSが改組されて設立されたCIAは、この選挙に金と嘘とヒステリーを利用して介入した。これにより落ち目の右派が復活しただけではなく、マーシャル・プランやNATOやEUと云う戦後のイタリアの政治路線が決定付けられた。またこれによって米国は(CIAの支援を受けた自民党が必ず政権を取る日本の様に)予め右派の勝利が決定された「民主的構造」をイタリアに強要したが、この罠は今日まで続いている。

 CIAは(日本で自民党に対して行なった様に)キリスト教民主党(1994年まで、日本の自民党の様に長期政権を握った)に資金を提供する一方で、ヴァチカンと協力し、「300人の司教と125,000人の他の聖職者」達がイタリアの大衆向けに反共産主義プロパガンダを大量に繰り出した。ヴァチカンは西洋の帝国主義を支えて来た諜報機関の雛形であり、紛れも無く右派、超保守派であって、至る所に聖職者の肩書きの付いたスパイが居た。「無神論」の共産主義と戦う為に神への信仰心が利用されたが、それは巨大な心理作戦だった。


 ヴァチカンはCIAにとって一種の「学校」、或いはフィルターだった。CIAの最高幹部の何人かは、ヴァチカンやその周辺で、秘密のキャリアを開始した。ウィリアム・ケーシーCIA長官(1981〜87年)などは定期的にヨハネ・パウロ2世とブリーフィングを開いていた。


 1929年、ムッソリーニとピウス11世の間で結ばれたラテラノ条約により、ヴァチカンはイタリアから独立し、1942 年にヴァチカン銀行を設立した。これはイタリアの規制を受けなかった為、右派の資金洗浄を行うオフショア銀行と化した。ナチやマフィアがこの恩恵を受け、CIAの資金転送(例えば1980年代のポーランドの連帯運動へ)も行われた。


 1980年代のヴァチカンの金融スキャンダルは、「イタリアの代替政府」であるプロパガンダ2(Propaganda Due/P2)の存在を明らかにした。これは表向きフリーメイソンの組織と云うことになっていたが、ヴァチカン、イタリアのマフィア、政界、財界、南米の反共政治家等を含む巨大なダーク・ネットワークだった(統一教会の白人版みたいなものとでも言えば良いのだろうか)。戦後のイタリアと云う国はつまり、丸ごとひとつの巨大な秘密作戦の様なものだった訳だ。


 CIAは1950〜60年代には一貫して、与党キリスト教民主党を筆頭として、共産主義に反対するあらゆる政党に資金を提供した。CIAはこうして政治面に影響力を揮う一方で、文化面でも資金を提供した。1950年代には年間2,000万〜3,000万ドル、或いはそれ以上が、イタリアの反共傾向の文化団体や若者団体、新聞、労働組合に注ぎ込まれた。50〜60年代には孤児院から伝道団まで、カトリックが推進する様々な活動に毎年数百万ドルの支援が行われた。だが60年代にはイタリアに於けるCIAの支出は年間1,000万ドル程度にまで減少した。この反共十字軍には巨大石油企業も参加しており、例えばエクソンは1963〜1972年にイタリアの各政党に4,600万〜4,900万ドルの政治献金を行った。



 だがこれらによってイタリアの政党の大部分を買収することは出来たが、イタリア国民を買収することは出来ず、60〜70年代、西欧最大のイタリア共産党は依然として強かった。この草の根の力を押さえ込む為には、カネではなくテロや暗殺と云った手段が用いられた。

 1962年、エンリコ・マッテイの乗った飛行機がミラノ近郊で空中爆発を起こした。彼はイタリアの国営エネルギー企業の責任者であり、イタリアの戦後の経済回復を主導したは、世界の石油業界を支配していた石油カルテル、セブン・シスターズの意向に逆らい、ソ連やアフリカ諸国、中国や中東と独立した公平な取引を行おうとした。1994年に、この犯行はアメリカン・マフィアがシチリアン・マフィアに依頼してやらせたことだと云う証言が出ている。


 1978年、元イタリア首相でキリスト教民主党の党首アルド・モーロは路上で誘拐され、55日後に射殺死体となって発見された。米国は1948年以来イタリア共産党を孤立させることに成功していたが、モーロは70年代に「歴史的妥協」を進め、テロの恐怖で混乱した国内を纏める為に、共産党を含めた「国家統一政府」を作ろうとした。1976年の選挙で共産党は34%以上の票を獲得した。1974年にモーロが外務大臣としてワシントンを訪れた際、米国務長官ヘンリー・キッシンジャーは明確に警告した:「あなたの政治的路線(イタリアの政府に共産主義者を参加させる計画)を止めなければ、大きな代償を払うことになるでしょう。」3年後にこの「政治路線」が実現された正にその日にモーロは誘拐された。これは当時は左翼グループの赤旅団の犯行とされたが、この件に関与した米国人スティーヴ・ピーゼニクが2008年に暴露本を出版し、「安定」の為にモーロが「犠牲」になることを望んだのは米国とイタリアの権力者達であると証言している。モーロの死後、共産主義者達は権力の座から締め出され続けた。
 

 1980/08/02のボローニャ駅爆破事件は、共産党を支持した「アカのボローニャ」に対する権力者達からのメッセージだった。2021年の最新の調査はこれを「国家虐殺」と表現し、この犯行が政府、マフィア、ヴァチカン、CIA、NATOが認可したものであることを公然と示唆した。抗議者達は「誰がやったかは判っている」と書かれたプラカードを持って通りに並んだ。
 we know who did it

 この「国家」はまた、3,000人規模の有名な秘密部隊を擁していた。このNATO/CIAの準軍事組織の存在は1990年にジュリオ・アンドレオッティ首相が議会で秘密の「グラディオ作戦」について証言したことによって明らかになった。これにより点と点が繋がり、60〜80年代の所謂「鉛の時代」に起こった一連のテロ事件の真相が明らかになった。ソ連が侵攻して来たり共産主義者がNATO諸国を乗っ取ったりした時に備えてゲリラ・レジスタンスを作るNATOの計画の一環として、1950年代にイタリアの諜報機関はネオ・ファシストを使って「影の軍隊」を作った。その後国内で共産党の人気が高まるにつれて、グラディオ部隊はより先制攻撃を検討する様になって行った。つまりNATOとCIAは、所謂「緊張の戦略」(恐怖を作り出すことによって民主主義を殺すこと)に対して、イタリア国民い対して汚い戦争を仕掛けていた訳だ。


 元イタリア軍対諜報機関責任者ジャナデリオ・マレッティ将軍は2001年にこう証言している:「CIAは………(米国)政府から指示を受けて、所謂『左への転落』を食い止めることの出来るイタリアのナショナリズムを作りたかった。この目的の為に右翼のテロを利用したかも知れない。」スイスの学者ダニエレ・ガンサーはこの証言を確認し、こう解説している:「グラディオには国内を統制する機能を持たされていた。………ヴェローナのNATO基地の米軍兵士、CIAの代表、SIFAR(イタリアの軍事情報機関)が、イタリアの右翼テロリストと協力して違法行為を計画し、実行に移した。」


 キリスト教民主党は1994年に腐敗により崩壊したが、だからと云って左翼の時代は訪れなかった。代わりに公然とファシスト構造と繋がりを持つ億万長者、シルヴィオ・ベルルスコーニがローマを支配することになった。彼は1994年から2011年まで3つの政府の首相を務め、1994年に彼が一夜で作った政党フォルツァ・イタリアはそれ以来、イタリア政治の中心とまでは言わなくとも主要なプレイヤーであり続けている。


 ベルルスコーニは前述の反共主義のイタリア秘密政府、P2と直接繋がっていたPSのコーディネーターは「私はファシストであり、ファシストとして死ぬ」と宣言したことで悪名高いリーチオ・ジェッリ。彼はフランコとムッソリーニに兵士として仕え、CIAにはエージェントとして協力した。ベルルスコーニは彼の遺産だった。1994年の講演で、彼はベルルスコーニがP2の計画を実行していると説明している:「彼は私の民主主義再生の計画を完璧に実行しています。………少なくとも著作権は私にくれたっていい。」




 イタリアの戦後ファシズムの犠牲者の中で特に著名なのが、詩人、小説家、映画監督、ジャーナリストにして共産主義者のピエル・パオロ・パゾリーニ。彼は1975/011/02にローマ郊外で無惨に殺害された。彼は知り過ぎたのだ。
 「私は責任者達の名前を知っています………それらは実は権力の安全を確保する為に行われた一連の『クーデター』なのです。
 CIAの助けを借りて、反共産主義の十字軍を作り上げた権力者達の名前を知っています。
 ミサの合間に、若いネオ・ファシスト、いや、ネオ・ナチに指示を与えていた連中の名前を知っています。
 私は、自殺的でファシスト的な残虐行為を選んだ悲劇的な若者達や、シチリア人であれ誰であれ、殺し屋やヒットマンとして自分を売り込んだ一般的な犯罪達の背後に居る、相当な重要人物達の名前を知っているのです。」


 パゾリーニはこれらの名前は「米国が許可した場合にのみ」公開出来ると知っていた。2015年にマッテオ・レンツィ首相が「イタリアはNATOまたは米国の囚人です」と発言した時、彼はパゾリーニのこの言葉に言及していた。

 パゾリーニは、イタリアは2つの国から成っていると書いている:「腐敗した国の中の綺麗な国………愚かな国の中の知的な国………消費主義国の中の人間的な国………。」つまり一方は「メイド・イン・イタリー」(イタリア共産党)であり、他方は「メイド・イン・USA」或いは「メイド・イン・NATO」(マフィア、ヴァチカン、キリスト教民主党)と云う訳だ。別の表現を使えば、イタリアは「占領された国」なのだ(日本と同じ様に)。

 そして今日、米国が第三次世界大戦の準備をしている為、イタリアは自動的に巻き込まれている。選択の余地は無い。イタリアは囚人であり、占領された国であり続けている。米国は第二次世界大戦で勝利を収めたイタリアのパルチザンに対しては或る程度勝利を収めた。だが、現代イタリアの魂を巡るこの戦争は継続中だ。
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Author:川流桃桜
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