嘘で分断された世界で、それでも前を向く
2021/09/03(金)の呟きより
政治的な嘘を見破るのが上手い人が、科学的な嘘に何時までも騙されていたりする。逆に科学的な嘘は見抜けている人が、政治的な嘘を固く信じ込んでいたりする。この世は実に様々な嘘で満ち溢れているので、全方位の嘘をカヴァーするのは仲々難しい。
私にもまた、自分ではまだ気が付いていない嘘が沢山有る筈だ。常に新たな解釈に対して扉を開いているよう、精神の柔軟さを保つよう心掛けたい。奢っていると足下を掬われることになる。
人間は所詮有限的な存在だ。自分の置かれている状況の中で各々最善を尽くすしか無い。だが置かれている状況を見誤っている可能性は常に存在する。全て見通せている状況などフィクションの中にしか存在しないし、割り切れない余りは常に私達の視野の外に潜んでいる。
現実とはそんなものだし、またそうでなくてはならない。世界は私達の想像を超えて豊穣で、生きることは新たな可能性との出会いによる驚きの連続だ。
老子はこう言っていた、「道の道とすべきは常の道に非ず」。「これこそが世界だ」と思い込んだ瞬間に、世界は石化して死ぬ。そこに変化は無いし、成長も驚きも無ければ、神秘も無い。そんなのは、何と云うか、面白くない。
自分がそれまで知らなかった世界の表情と出会うことを、私は恨んだり憎んだりはしたくない(今まで知らなかったなんて悔しい、とは思うかも知れないが)。それは世界が私の想像よりも多様で多元的で多産であったことの証だ。私にはまだ開拓すべき原野が残されていることの証だ。
それは世界からの贈り物だ。無知であることは必ずしも呪いではない、世界がまだ私達に無数の出会いを用意してくれていると云う祝福の裏返しだ。私はそれを無碍に突き返す様な真似はしたくない。出来れば喜びに満ちてそれを抱き締めてみたい。
私達はどう仕様も無く分断されている。だがそこにはささやかな慰めが、喜びが残されている。間違っているとかいないとか云う判断基準を超えて、私達は新しい姿をした世界の直中に向けて歩き続けて行く。予測困難な絶えざる変化の中で、私達は新しい地平線を見付けて行く。道は更新され続ける。
この終わりの無い悪夢の様な状況の中で、生を味わい噛み締めることを諦めるべきではないと、私は思う。寧ろ貪欲に、私達は生きることを求めるべきだ。そして生きるとは変化し続けることだ。
私は、世界は、良くも悪くも日々生まれ変わって行く。それを拒むべきではない。恐れずに顔を上げて前を向き、両腕を一杯に開いて、頬に当たる嵐の感触を精一杯感じ取ろう。それは時に痛いが、痛いだけではない。それが何なのかを探りに行こう。答えを探しに行くのは楽しいことだ。
そうでなければ、私達は一体何の為に闘っているのだろう?
政治的な嘘を見破るのが上手い人が、科学的な嘘に何時までも騙されていたりする。逆に科学的な嘘は見抜けている人が、政治的な嘘を固く信じ込んでいたりする。この世は実に様々な嘘で満ち溢れているので、全方位の嘘をカヴァーするのは仲々難しい。
私にもまた、自分ではまだ気が付いていない嘘が沢山有る筈だ。常に新たな解釈に対して扉を開いているよう、精神の柔軟さを保つよう心掛けたい。奢っていると足下を掬われることになる。
人間は所詮有限的な存在だ。自分の置かれている状況の中で各々最善を尽くすしか無い。だが置かれている状況を見誤っている可能性は常に存在する。全て見通せている状況などフィクションの中にしか存在しないし、割り切れない余りは常に私達の視野の外に潜んでいる。
現実とはそんなものだし、またそうでなくてはならない。世界は私達の想像を超えて豊穣で、生きることは新たな可能性との出会いによる驚きの連続だ。
老子はこう言っていた、「道の道とすべきは常の道に非ず」。「これこそが世界だ」と思い込んだ瞬間に、世界は石化して死ぬ。そこに変化は無いし、成長も驚きも無ければ、神秘も無い。そんなのは、何と云うか、面白くない。
自分がそれまで知らなかった世界の表情と出会うことを、私は恨んだり憎んだりはしたくない(今まで知らなかったなんて悔しい、とは思うかも知れないが)。それは世界が私の想像よりも多様で多元的で多産であったことの証だ。私にはまだ開拓すべき原野が残されていることの証だ。
それは世界からの贈り物だ。無知であることは必ずしも呪いではない、世界がまだ私達に無数の出会いを用意してくれていると云う祝福の裏返しだ。私はそれを無碍に突き返す様な真似はしたくない。出来れば喜びに満ちてそれを抱き締めてみたい。
私達はどう仕様も無く分断されている。だがそこにはささやかな慰めが、喜びが残されている。間違っているとかいないとか云う判断基準を超えて、私達は新しい姿をした世界の直中に向けて歩き続けて行く。予測困難な絶えざる変化の中で、私達は新しい地平線を見付けて行く。道は更新され続ける。
この終わりの無い悪夢の様な状況の中で、生を味わい噛み締めることを諦めるべきではないと、私は思う。寧ろ貪欲に、私達は生きることを求めるべきだ。そして生きるとは変化し続けることだ。
私は、世界は、良くも悪くも日々生まれ変わって行く。それを拒むべきではない。恐れずに顔を上げて前を向き、両腕を一杯に開いて、頬に当たる嵐の感触を精一杯感じ取ろう。それは時に痛いが、痛いだけではない。それが何なのかを探りに行こう。答えを探しに行くのは楽しいことだ。
そうでなければ、私達は一体何の為に闘っているのだろう?
スポンサーサイト