ふとこの9年を振り返ってみる。
2020/12/05(土)の呟きより。
2011年は勿論国内で大きな問題が持ち上がっていたし、私自身も生活が激変したことも有って、国際状況は殆どまともにチェックしていなかった。何だかよく解らないな、とは思いつつも、今から振り返ればまさかあれだけ大量の偽情報が垂れ流されているとは予想していなかったので、最初の数年は混乱した。
西側諸国メディアの大政翼賛体制が完成したのも恐らくこの前後だろうと思う。志の高い試みだと思っていたアルジャジーラなんかはアッと云う間に変質したし、互いに矛盾したり辻褄の合わない大量の情報を前にして、どのメディアの情報なら信頼出来るのか、暫く手探り状態が続いた。
流れが変わったと思ったのは、ロシア軍の介入後だったろうか。同じ頃に様々な代替メディアも各地で発達し、徐々に違う構図が見える様になって来た。信頼出来る情報源の模索が続くと同時に、良心と知識を持った本物のジャーナリズムなど最早絶滅危惧種であると云う惨状も次第に見えて来た。
私自身の政治に対する姿勢も、2011年以降大きく変わった。それまでは余りに嘘と欺瞞が多くてひたすらうんざりさせられる政治的テーマは寧ろ意図的に忌避して来た。隠された歪められた事実を知る為に割かねばならない時間と労力は莫大で、私はもっと他にやりたいことが山程有ったのだ。
だが巨大な嘘によって人々の生活がメリメリバキバキ音を立てて破壊されて行く現状を目の当たりにして、これは誰であろうと嘘に気付いた人が多少なりとも声を上げて行かないと本当にヤバいのではないか、と思い直し、微力で不器用ながらも少しずつ情報発信を心掛ける様になった。
だがやはり障害は大きかった。私が周囲から浮いていたのは元々だが、周囲の誰も事実などに関心が無く、誰も彼もが、他の皆が信じている嘘の方に寄り掛かりたがっている様で、空回りが続いた。私のおせっかいなど誰も望んでいない様だった。
それにリテラシー格差が大き過ぎて、殆どの場合はそもそも話が通じないと云う現実を改めてまざまざと突き付けられて、何で私はこんな無駄なことをやっているんだと度々自問した。誰も喜ばない。私の言動は人を不安にするだけだ。正直しんどかった。私生活の立て直しにも、それなりに時間が掛かった。
しかしそれでも、この世界に嘘ではなく事実の方を重んじる人々はまだ大勢居た。そしてその人達の、時に過りもするだろうが嘘の無い真摯な言葉に接することによって、私は独りではないのだと心慰められた。勉強する分野を広げてそれまでの蒙を啓かれるのも、意義の感じられる経験だった。
自らの無知と無能と無力さに苛まれることが無くなった訳ではないが、少なくともそれは私だけの問題ではないのだと知ることは出来た。私の孤独は他者の孤独によって希釈された。他者の成功と失敗と奮闘と試行錯誤は、私に新たな課題と勇気を与えてくれた。
恐らく明日の朝にでもなれば恥ずかしくて言えなくなるだろうから今の内に言っておきます。この狂った世界で恥と過ちと逡巡と迷いだらけの私がまだ正気を保っていられるとしたら、それはこのSNSを含めて、まだ諦めていない人達が世界中で抗い続けていることを知っているからです。有難うございます。
皆さんが居てくれて本当に良かった。
2011年は勿論国内で大きな問題が持ち上がっていたし、私自身も生活が激変したことも有って、国際状況は殆どまともにチェックしていなかった。何だかよく解らないな、とは思いつつも、今から振り返ればまさかあれだけ大量の偽情報が垂れ流されているとは予想していなかったので、最初の数年は混乱した。
西側諸国メディアの大政翼賛体制が完成したのも恐らくこの前後だろうと思う。志の高い試みだと思っていたアルジャジーラなんかはアッと云う間に変質したし、互いに矛盾したり辻褄の合わない大量の情報を前にして、どのメディアの情報なら信頼出来るのか、暫く手探り状態が続いた。
流れが変わったと思ったのは、ロシア軍の介入後だったろうか。同じ頃に様々な代替メディアも各地で発達し、徐々に違う構図が見える様になって来た。信頼出来る情報源の模索が続くと同時に、良心と知識を持った本物のジャーナリズムなど最早絶滅危惧種であると云う惨状も次第に見えて来た。
私自身の政治に対する姿勢も、2011年以降大きく変わった。それまでは余りに嘘と欺瞞が多くてひたすらうんざりさせられる政治的テーマは寧ろ意図的に忌避して来た。隠された歪められた事実を知る為に割かねばならない時間と労力は莫大で、私はもっと他にやりたいことが山程有ったのだ。
だが巨大な嘘によって人々の生活がメリメリバキバキ音を立てて破壊されて行く現状を目の当たりにして、これは誰であろうと嘘に気付いた人が多少なりとも声を上げて行かないと本当にヤバいのではないか、と思い直し、微力で不器用ながらも少しずつ情報発信を心掛ける様になった。
だがやはり障害は大きかった。私が周囲から浮いていたのは元々だが、周囲の誰も事実などに関心が無く、誰も彼もが、他の皆が信じている嘘の方に寄り掛かりたがっている様で、空回りが続いた。私のおせっかいなど誰も望んでいない様だった。
それにリテラシー格差が大き過ぎて、殆どの場合はそもそも話が通じないと云う現実を改めてまざまざと突き付けられて、何で私はこんな無駄なことをやっているんだと度々自問した。誰も喜ばない。私の言動は人を不安にするだけだ。正直しんどかった。私生活の立て直しにも、それなりに時間が掛かった。
しかしそれでも、この世界に嘘ではなく事実の方を重んじる人々はまだ大勢居た。そしてその人達の、時に過りもするだろうが嘘の無い真摯な言葉に接することによって、私は独りではないのだと心慰められた。勉強する分野を広げてそれまでの蒙を啓かれるのも、意義の感じられる経験だった。
自らの無知と無能と無力さに苛まれることが無くなった訳ではないが、少なくともそれは私だけの問題ではないのだと知ることは出来た。私の孤独は他者の孤独によって希釈された。他者の成功と失敗と奮闘と試行錯誤は、私に新たな課題と勇気を与えてくれた。
恐らく明日の朝にでもなれば恥ずかしくて言えなくなるだろうから今の内に言っておきます。この狂った世界で恥と過ちと逡巡と迷いだらけの私がまだ正気を保っていられるとしたら、それはこのSNSを含めて、まだ諦めていない人達が世界中で抗い続けていることを知っているからです。有難うございます。
皆さんが居てくれて本当に良かった。
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