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資本主義のアイデンティティとしての反共主義

Twitterでの2020/05/27(水)の投稿より。



江戸幕府は士農工商の下に「穢多・非人」と云う被差別身分を作ったが、大多数の人々が「自分達の生活はあいつらに比べたらマシだ」と思い込むことによって、現体制に対する不満のガス抜きが図られた。

20世紀以降の西側資本主義諸国も同じ様な手を使った。共産主義諸国を悪魔化し、それらの国々での暮らしがひたすら悲惨なものだと宣伝することによって、現体制に対する人々の疑問を封じ込めた。

資本主義の中核諸国は、同時に人々が共産主義に走るのを防ぐ為に社会主義的な修正を次々と行い、その結果人類史上空前の繁栄が齎されたのは、ピケティの『21世紀の資本論』が示した通り。中核諸国限定ではあるが、人々が熱狂した「資本主義」の中身は「社会主義的な資本主義」のことだった。

そうした資本主義プロパガンダを信じて来た人々にとっては、自分達の「敵国」が、自分達が思っていたよりもずっとマシな国だった、或いはひょっとしたら自分達の国よりも優れているかも知れない、と認めることは、即ち自分達の国についての深刻な反省を迫られることを意味する。

劣った他者が居たからこそ自分達の現状を肯定し満足していられたのに、実はそんな他者など存在しない、と云うことになったら、場合に依っては何を信じて良いのか解らなくなるだろう。恐怖すら感じるかも知れない。

現在の日本人を含めた西側市民の執拗な反中・反ロシア感情の裏側には、そうした一種実存的とも言える危機感が潜んでいるのではないだろうか。現状を改善するには単に事実を指摘するだけでは不十分で、その種の言葉に出されない不安を掬い上げる、何か心理的な仕組みが必要なのだと思う。
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西側の民主主義は資本主義の手の平の上から脱出出来るのか?

Twitterでの2020/03/18(水)の投稿より。




・西側市民の考える「民主主義」像の行き詰まり

この芸人の無知さ加減を嗤うのは簡単だ。だが今の日本の自称左派やリベラルが最早ネトウヨと大差無い現状を考えると、教条通りの欧米型議会制民主制度のみが民主主義でそれ以外の可能性は無いとする思考停止した連中も、私には度し難い視野狭窄に陥っている様に見える。
https://www.news-postseven.com/archives/20160413_400639.html

西側の民主主義制度の限界を論じた本は無数に出ているけれども、その多くが空回りしている様に見えるのは、恐らく「民主主義と資本主義は両立可能なのか」と云う問いをラディカルに問う力が圧倒的に不足しているからではないかと思う。

民主主義が善であるとするならその理由は何なのか、その善が可能となる為にはどの様な諸条件が必要なのか、その善を実現する為の制度としてどの様な可能性が考え得るのか。

色々とアイディアを出し合い議論を繰り返し試行錯誤する必要が有ると思うのだけれども、それらの前提となる世界認識がやはりずれている。西側諸国の人々は基本的に自分達だけで完結した世界をイメージしているから、視野が狭い。不可視にされてしまっている領域が見えていないし、そもそも関心が無い。

だからその不可視の領域が生権力の網の目によって拡大されて行っても、仲々その事実に気付かない。自分達の世界(=可視領域)が元々閉じて自足したものであったと思っているから、その範囲が狭められて行っても、実はそうでなかった、世界はもっと広かったのだと云う事実に気付き難い。

自分達自身が不可視の領域に徐々に落とし込められ、尊厳も存在意義も持たない「非人間(或いは没人間)」の仲間入りをさせられていることに気が付く為には、そもそも自分達の視野が枠の中に収められていることを自覚している必要が有る。

だが以前は他者に対して向けられていた無関心が徐々に己を蝕むにつれ、そうした境界の感覚も薄れて行く。現実感覚が剝奪されて行く。世界を作り上げる主体としての個のリアリティが、TVスクリーンの向こうに吸い込まれて行く。だから世界を変えることが出来ない。世界に変えられる儘になって行く。

資本主義との対決が必要になってくるのはこうした理由からだ。理念ではなく歴史的実体としての資本主義は一国で完結したことは無かった、それは常にグローバルなシステムだった。そしてそれは中核部の周囲に無数の不可視の周辺部分を作り出すことによって拡大を続けて来た。

資本主義は世界を別けるシステムであって、新自由主義はそのエッセンスが凝縮して反動を起こしたものと見ることが出来る。いや新自由主義を私達は今、他にどう考える「べき」なのだろうか?

それは敵であって、「偶々一時的に失敗してしまったシステム」などではない。それは本質的に平等主義的な価値観とは敵対するものなのだ。新自由主義は倒されるべき「敵」として定義し直されなくてはならない。

だが長年の洗脳によって飼い馴らされて来た西側市民には、その問題を突き詰めて考えるだけの度胸も知識も経験も無い。だから結局色々試した挙げ句に腑抜けたことしか言えないことが多い。今の西側世界に本物の左派、平等主義者、人民主義者と呼べる様な者がどれだけ居るだろうか?

だが今やそうした尻込みは許されるべきではない。民主主義を本気で建て直したいなら、西側の民主主義を可能にして来た諸条件の内、少なくともその経済的諸条件を規定して来た資本主義の問い直しを避けることは最早出来ない。民主主義の理念は一遍その前提条件まで遡って解体される必要が有る。






・先へ進む為のヒントは何処に?

その為のヒントを教えてくれるのは、曾て、或いは今に至るまで、第三世界や発展途上国、グローバルサウス等と呼ばれて来た、資本主義システムに於ける周辺部分、即ち、最初から不可視の領域に落とし込まれて来た人々の国の経験と知恵だ。

彼等は最初から不可視の存在だった。強制的に不可視にされていたのだ。だから彼等は苦闘の歴史を通じて自らを可視の存在に、声や顔を持つ存在に、尊厳と権利と希望を持つ存在に作り変えて来た。彼等は先達だ。資本主義に抗する闘いに於ける先発者達だ。

西側諸国では一旦縮小し殆ど絶滅させられたかに見える周縁部の「没人間」は、彼等の間では元々スタンダードだったのだ。彼等は途方も無い犠牲を払って、自らの位置を今の世界秩序の中に獲得して来た。

彼等の経験は今西側市民が学ぶべき知恵の源泉であって、決して偏見や思い込みや差別感情によって軽視したり蔑ろにして良いものではない。それは彼等に対する敬意だけではなく、私達自身の知性と想像力に許された可能性の為にこそ、そうすべきなのだ。

誰であろうと学べる相手からは学ぶ、いや学ぶべき相手からこそ学ぶ、と云う謙虚な姿勢こそが、今の私達に求められていることだ。

今までの思い上がった信念を一度手放して、曾ては不可視だったそれらの他者の声に耳を澄ませることこそが、私達が破壊的な副作用を最小限にして今までの自分達を解体することの出来る、最も有効な道だと私は信じる。

古い信念はもう諦めろ、それらを救うには最早手遅れだ。変革は不可避だと覚悟を決めろ。それは誰それの首を挿げ替えろ、と云ったレヴェルで済む話からは懸け離れている。少なくともここ五百年ばかりのこの西側民主主義=グローバル資本主義システムを一旦ゼロから作り直す覚悟が必要なのだ。

私達の希望は、曾て私達が蔑み、軽蔑し、嘲弄し、或いは憎み、怖れ、目を逸らし続けて来た領域からこそ現れ出る。彼等の声に謙虚に、赤子の如くに、生まれて初めて彼等に接する様に、耳を傾けなくてはならない。

古い偏見は老人の贅沢な我が儘に過ぎない。それは最早シュレッダーに投げ込まれなければならない。無意味なプライドは捨てろ。それは帝国主義者の思い上がりに過ぎない。真の自尊心はそんなものからは生まれない。他者を貶めたところで足元が崩れるのは避けられない。

それよりも今まで見ようとしなかったものを見るべきだ。見たくなかったものを見るべきだ。夜郎自大な自縄自縛に陥った傲岸不遜な居直り強盗である現状を直視しろ。そこから抜け出したいなら、今まで決して正面から向き合って来なかった他者と真摯に向き合うしか無い。

それ以外に何か有効な道が有るか? 少なくとも私には思い付かない。

その他者は何処に居るか? 目の前に居る。目を開けて見れば良いだけだ。それは秘密でも妄想でも陰謀でもない、単なる現実だ。私達が見ようとして来なかった、実に単純明快な事実の集合体に過ぎない。それはそこに在る。気が付けば良いだけの話だ。気が付かない振りを続けるのはもう無理だ。諦めろ。

資本主義社会で平等主義は可能なのか?

Twitter での2020/05/30(土)の投稿より。
https://twitter.com/kawamomotwitt/status/1266387217368223745






今アメリカ帝国で起きている抗議行動と弾圧は、広い目で見ればやはり資本主義国特有の問題だと思う。人種差別が資本家階級によって人為的に助長されて来た歴史を知らない人は「何のこっちゃ?」と思うかも知れないが、差別と分断は資本主義統治の基本だ。

平等主義はアメリカ社会には今だに根付いていないと思う。アパルトヘイトが辛うじて撤廃されてからまだ半世紀程度。差別を許さない制度整備は或る面では整えられて来たが、経済的な面では寧ろ後退した部分が大きいのではないだろうか。

「自由」とか「民主主義」とかのスローガンがよく持ち出されるが、これらは何れも平等主義と両立するとは限らず、寧ろ対立することが多い。「不平等な自由」、「不平等主義に基付く民主主義」は論理的に有り得るだけでなく歴史的に実在して来たし、今もしている。

自由よりも平等を前面に押し出して来た政治体制の代表格が共産主義。あれはあれで過激な側面も多いが、20世紀の共産主義化は近代化と略同義だったので、その辺の事情を割り引いて考えなければフェアではないと思う。近代化の過程ではどの国だって相当荒っぽいことが起こっている。

「共産主義体制は権威主義的」と西側では念仏の様に言われる訳だが、共産主義は少なくとも人間の階層化を許さない、と云う姿勢が根幹に有る。差別を制度として認めない。組織の中での序列は作るだろうが、人間そのものは平等だ。

「共産主義の脅威」が唱えられていた冷戦時代は、資本主義諸国も自国内での不満の高まりを抑える為に、平等主義的な取り組みをせざるを得なかった。だが冷戦が終わると再度タガが外れた。資本主義の金融化がそれに拍車を掛けた。

後期資本主義の行き着く先が、今の様な分断社会。今まで周辺諸国に押し付けて来て、中核諸国では仲々目に入らなかった暴力が、搾取のフロンティアの消滅によって中核諸国の内部にも入り込む様になった。資本の論理の必然とも言える。

金融の力はこのままではじわじわと社会全体を食い潰して行く。人為的に煽られたコロナウィルス・パニックを口実としたショック・ドクトリンが、状況を更に悪化させている。

ジャック・ロンドンは社会主義SF『鉄の踵』で、資本主義社会の末路として似た様な闘争を描いたが、彼の予見とは違って今の資本主義諸国には、まとまった労働者階級の組織は存在しない。人々は分断化、孤立化させられ過ぎて、今や大規模に団結出来ない。この先に明るい出口が有るのかは明らかではない。

偽りの環境主義〜グレタ・ブームについて〜

※以下に書いたものは2019年にTwitterで書いたスレッドを纏めたものだが、少し長くなってしまったので、自分の頭の整理がてら、ひとつの記事に纏めることにした。今では若干考え方が変わってしまった部分も有るが(例えば中国の姿勢等)、取り敢えずその儘掲載することにする。
https://twitter.com/kawamomotwitt/status/1180833368985858048





・グレタ・ブームとは何か?

最近気候変動問題に関して国連で演説を行った10代の活動家、グレタ・トゥーンベリ氏についての報道は日本でも世論の関心を引いた様です。

この件は表面に見えているよりも遥かに深刻な問題を孕んでいると私は思うのですが、どうも日本ではその点に気が付いている方が殆ど居ない様で、まともな議論を行う遥か以前の段階に在る様です。

私が最近読んだ Cory Morningstar 氏の"The Manufacturing of Greta Thunberg" はこの問題について扱った非常に啓発的な本で、私自身も教えられるところが多かった為、自分の頭の整理がてら、少し要点を纏めてみることにします。
https://www.amazon.co.jp/Manufacturing-Greta-Thunberg-English-ebook/dp/B07WNRN4F2/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=Manufacturing+of+Greta+Thunberg&qid=1570275932&s=digital-text&sr=1-1

以下の連投は主にこの本から得られた知見をベースに、多少独自の考察で補足してみたものです。当初の予定より随分長くなってしまったので細部の粗は御容赦下さい。具体的な個人・団体名や参照文献等について詳しい情報を知りたい方は、この本を当たってみて下さい。kindle版ならたったの212円です。では始めます。






・グレタ・ブームは自然発生的なものではない、周到に計算されたものである

「グレタ・トゥーンベリ氏は大人達に利用されている!」と主張する人達が居る。彼等は恐らく単に左派的な主張が嫌いだとか、女子供が政治に口を出すのは生意気だとか云う偏見に基付いてそう言っているに過ぎないのだろうが、面白いことに彼等は図らずも偏見に基付いて真相の一端に触れている。

彼女が大人達に利用されていると云う点は実は事実だ。

グレタ氏の母親はオペラ歌手にして環境活動家のマレーナ・エルンマン氏。父方の先祖の一人は何とノーベル化学賞を受賞したスヴァンテ・アレニウスだそうで、1896年に温室効果説を提唱した人物、謂わば地球温暖化問題の始祖である。

グレタ氏が有名になったのは草の根活動の成果ではなく、"We Don't Have Time"と云う組織がSNSやマスメディアを使って最初から組織的にマーケティングやブランディングを行った結果だ。彼女の「金曜日の学校スト」は最初から大人達によって周到にプロモートされていた。
https://www.wedonthavetime.org/

これには"Zero Hour"、ジェイミー・マーゴリン(別の10代の活動家で、彼女自身もまたプロモーション対象)、アル・ゴアの"Climate Reality Project"、"People's Climate Strikes"、"350.org"等の他の気候団体や諸個人も連動している。
https://journal-neo.org/2019/09/27/greta-thunberg-and-big-biz-climate-charade/

そしてこれが更に他の何十もの気候問題を扱うNGO等の手によって拡大されることになる。

"We Don't Have Time" CEOの Ingmar Rentzhog 氏はグレタ氏の母親とは元々活動家仲間で、他にコミュニケーション・コンサルタント事務所も創設している。

シンクタンクの"Global Utmaning(Global Challenge)"やアルゴアの"Climate Reality Project"、”European Climate Policy Task Force"等とも繋がりが有る人物。

2018年のスウェーデンで環境問題に関して最も影響力を持つ人物ランキングのNo.1であり、No.2がグレタ氏だったが、インタビューでは彼女を自分達がプロモートしたことについては黙っている。

"We Don't Have Time"の主な活動分野はソーシャルメディア、デジタル広告、そしてカーボンオフセット。「気候アクションの為の世界最大のソーシャル・ネットワークの構築」を掲げており、気候問題について活発に活動出来る活動家の育成を目指している。

グレタ氏もそうだが、プロモートされるのは主として恵まれた家庭の白人の若者だ。

同じ様に気候NGOの大人達によってプロモートされる若者達は多い。彼等の気候運動は自発的なものであると宣伝されるのが常だが、その実大人達が細かく指示を出していて、メディア報道にも基本的枠組みが用意されている場合が多く、都合良く編集した状態で大人達のメッセージを拡散する。

若者達はその為の使い勝手の良いマスコットとして利用されている。

"We Don't Have Time" 等の気候NGOが用いる戦略は、人々、特に若者に「感情的投資」を行わせることだ。理性ではなく憎悪や怒りを駆り立てることで、若者の善意を新たな形態のソフトパワーとして利用することが出来る様になる。

その為に批判的思考や議論ではなく直接行動を促す様々な心理的な仕掛けが考案されている。これは人心操作の為の戦略的な社会工学に基付いており、Margaret Klein Salamon の様な心理学者がこの戦略立案に関わっている。
https://climateemergencydeclaration.org/usa-margaret-klein-salamon-how-to-go-into-emergency-mode/

行動科学を応用したこの戦略は「人々を緊急事態モードへと導く」("The Climate Mobilization" の報告書の表現)為のもので、グレタ氏の有名な「家が火事になっていると考えて下さい」と云う殺し文句はこの路線に則っている。

"We Don't Have Time" や "Zero Hour" の様な名称を見れば直ぐ解る通り、彼等は「とにかく時間が無いんだ!」と危機感を煽ってパニック状態に陥れることで、若者達から批判的思考を奪っている。

冷静に考えてみて欲しいのだが、「今必要なのは議論ではなく行動である、今直ぐ行動しなければ未来は無い!」と人々を急き立てる手法は或る種の特殊詐欺の手口と同じである。

「明日までにこの口座に指定した金額を振り込まないと大変なことになりますよ」と言って予め時間的余裕を奪っておいて相手を心理的に追い詰め、冷静な判断力が無くなったところで自分の思い通りに行動させる訳である。

これは単なる世論喚起と呼べる様なものではなく、倫理的な問題を孕んだ手法だ。

これによって彼等は「戦時方式の動員」を行い、「第二次世界大戦と同じ規模の(と云う表現が実際に使用されている)」総動員体制へ向かうよう、世論を誘導することが可能になる。

日本では余り紹介されていないが正に戦時プロパガンダと見紛うばかりの広告も作られており、これは一種のショック・ドクトリンである(後述するが、皮肉なことにこの言葉を考案したナオミ・クライン氏自身は気候変動問題についてはショックを煽る側に回ってしまっている)。






・グレタ・ブームの背後で動いている面々

グレタ氏をプロモートしている諸団体の動機は、右派の人々が妄想している様な左派的なイデオロギーではなく、寧ろ具体的な利潤動機に基付いている。背後に居るのはグリーンビジネスを推進するグローバル企業だ。

ビッグオイル(巨大石油企業)が大規模な資金を投じて気候変動を否定するプロパガンダ・キャンペーンを行っていることは知っている人も多いだろうが、実は彼等を敵視して気候問題について活発に活動を行っているNGOや市民運動に対しても、同じ勢力が支援を行っている。

例えば気候変動問題に関する重要なアクターである "The Climate Group" や "We Mean Business Coalition" は、グローバル・パワーエリートの代表格のロックフェラー財団が作らせたもので、他の数多くの主要な気候問題組織ともパートナー関係に在る。

2014年の"People's Climate March"も、ロックフェラー財団等が指揮したものだ。

そこから生まれた "Climate Mobilization" には、世界各地で民主化運動を擬装したカラー革命工作を行っているジーン・シャープの「アルバート・アインシュタイン研究所」も参加しているので、これは市民運動を擬装した帝国主義勢力のソフトパワーの一部と位置付けるのが適切だろう。

"Extinction Rebellion" は市民運動だが、これも2018年9月から "Climate Mobilization" と協力しており、大手メディアで取り上げられる様になったのもこれが理由だ。メディアは単に良い話題になるから彼等を取り上げている訳ではない。では何が目的なのか。


グレタ氏は「科学者の言葉に耳を傾けよ」と主張している訳だが、同じ様なことは3.11後の日本人も散々聞かされて来たことを思い出すべきだろう。科学者と云えども人間。特に気候変動の様な複雑怪奇な現象に対する対策に関しては、全く異なる提言を行うことも可能だ。

「科学」と一口に言っても、「それは何を目的とした科学なのか」「誰の為の科学なのか」「誰のカネで行われた研究なのか」等を問うてみる必要が有る。

(例えば先述した様にグレタ氏自身はセレブの白人だが、環境主義者の一部が「科学的」な白人至上主義、即ち優生学と親和性が高いのは、余り触れられざる事実である。
https://newrepublic.com/article/154971/rise-ecofascism-history-white-nationalism-environmental-preservation-immigration

環境問題が左派の専売であると思ったら大間違い。「科学」は帝国主義を支え、人々を分断し抑圧する道具として機能することも十分可能なのだ。)

グレタ氏が具体的に要求していることは最初から一貫している。「パリ協定を批准せよ」だ。

パリ協定の欺瞞性は既にあちこちで指摘されていることなのでここでは繰り返さないが、これは気候活動家達が問題の元凶として非難しているグローバル資本主義システムを廃止するのではなく、寧ろ再編した上でこれまで以上にどんどん拡大して、

貧しい国々(主にグローバルサウス)に負担を押し付けろ、と言っているのに等しい。
https://www.clivespash.org/wp-content/uploads/2015/04/2016-Spash-This-Changes-Nothing.pdf

(因みにパリ協定自体も正にビッグオイルによって推進されている。)
https://theintercept.com/2018/12/08/shell-oil-executive-boasts-that-his-company-influenced-the-paris-agreement/

「環境破壊の元凶たる資本主義の暴走を止めろ」ではなく「修正を加えてもっとどんどんやれ」と言っている訳である。これは多少解説を要するかも知れない。

環境破壊を行って来た資本主義システムを非難する多くの気候NGOの主張を良く聞けば、「資本主義は駄目だ」ではなく「資本主義は修正が必要だ」、言い換えれば「思い切った手直しをすれば資本主義はまだまだやれる」と云う内容であることに気が付く。

価値観の根本的な変更が求められている時に彼等が言っているのは「価値観は変更しなくても良い。寧ろもっとこの発想を押し進めて工夫すれば全ては解決する」と云うことだ。これは真の革命と呼べる様なものではなく、寧ろ保守的な発想である。

グローバル企業と繋がる気候NGOの主張は要するに「新たなマーケットの開拓に投資せよ」と云うことに尽きる。

世銀の報告では年金ファンドは100兆ドルの資産を有しているが、新たなインフラ投資に費やされた金は過去25年間で2兆ドルに満たない。彼等の目的のひとつはこの金を吐き出させること。気候インフラに人々のカネを投資させ、新たな市場を開拓するのである。
https://www.atlanticcouncil.org/blogs/energysource/the-climate-finance-partnership-mobilizing-institutional-capital-to-address-the-climate-opportunity/

その為には危機感を煽り、その一方で「グリーンでクリーンで気候に優しい」ビジネスの良さをアピールせねばならない。グレタ氏もそうだし、「グリーン・ニューディール」を唱導する米オカシオ=コルテス議員の最近の人気の高まりも、この為のプロモーション活動が背景に有る。

『ヴォーグ』『ピープル』『ローリング・ストーン』と云ったセレブ雑誌がオカシオ=コルテス氏や先述のジェイミー・マーゴリンの特集を組むのも同じ流れで、アル・ゴアやゴールドマン・サックスが支援している。ディカプリオの様な「エコ・セレブ」の宣伝もこれと連動している。

2008年にオバマ政権は金融危機を引き起こした元凶たるウォール街に対して、被害者である市民の救済そっちのけで緊急援助を行った訳だが、「政治的に正しい」スローガンの下で、似た様なことを資本主義社会全体に対して行おうと云うのが「グリーン・ニューディール」の実態だ。

リスクは市民達が背負い、儲けは投資家達が頂く、と云うお馴染みの構図がここでも見られる。

二酸化炭素に話を絞ると、排出量に関するグリーンピース等の要求は昔より大分緩くなっているが、この変更についての「科学的」な根拠は無い。

「二酸化炭素の排出量をゼロに」は今では「実質ゼロに」と言い換えられているが、これは「二酸化炭素排出量をゼロにしろ」と云う意味ではなく、「ビル・ゲイツの『ミッション・イノヴェーション』が唱導する様な二酸化炭素貯留技術開発に投資しろ」と云う宣伝文句をそれっぽく言い換えたものである。

二酸化炭素を従来通り大量に排出しても、その分回収してしまえば「実質ゼロ」と見做すことが出来る、と云う訳だ。

パリ協定や「ミッション・イノヴェーション」やカーボンオフセットの様なビジネスモデルは、二酸化炭素放出の削減を齎すものではなく、寧ろ炭素ベースのライフスタイルをその儘維持した上で収益を上げ続ける方法を提議している。

そしてこれはそもそも問題を作り出した西側諸国にとって都合の良い利益しか生み出さない。

こうしたマッチポンプ的手法を使えば、パワーエリート達は全地球環境を相手に際限無く収益を得続けることが出来る。これはアメリカ帝国軍がイラクを侵略して破壊する一方で、ベクテルの様な巨大企業がイラクの「復興」で何十億ドルも儲けた手法を連想させる。

従って「クリーンエネルギー革命」はビッグオイルの覇権を何等脅かすものではなく、実は補完する関係に有る。

「グリーン経済」と云う美しい理想はグローバル資本主義社会に君臨するパワーエリート達に新たなマーケットを用意し、大規模投資の可能性を開いて経済成長を促す為の思想的兵器として機能している。

これは到底「環境保護」とは言い難い。自然をそれ自体として尊重するのではなく、寧ろ金儲けの為に自然をもっと徹底的に利用し尽くせ、と言っているに等しい。

グリーン経済構想が要求するのは、例えば以下の様な新たな経済成長を齎す新たなテクノロジーへの大規模な政府投資である。

・二酸化炭素貯留技術とそれに関連するバイオ・エネルギー
・石油増進回収
・急速で完全な脱炭素

・「生態系サーヴィスへの支払い(Payment for ecosystem services 環境の持つ価値の市場への取り込み)」
・核技術、等々。

こうした構想をぶち上げているNGOや諸個人の背後には巨大なカネの流れが存在している。グレタ氏の件では彼女とジョージ・ソロス氏の関係が一部で取り沙汰されたが、これは氷山の一角。

グリーン経済を推進する動きには国連、世銀、イングランド銀行、EU委員会、機関投資家等々、地球環境の破壊に大いに貢献して来た勢力が軒並み顔を揃えており、シエラクラブ等の大手気候NGOはこれらの「表の顔」として機能している。
https://journal-neo.org/2019/09/25/climate-and-the-money-trail/

気候問題を扱っている最も巨大な組織のひとつはマッカーサー財団が作った「世界資源機構(World Resources Institute)」だが、これには世銀やUSAIDの他、ブルームバーグやゲイツ、ロックフェラー、シェル、IKEA等々の世界に名だたる巨大財団が寄付を行っている。

幹部はグローバル巨大企業や機関投資家や大手NGOや巨大銀行等と繋がりの有る人物ばかり。

他の「新気候経済(New Climate Economy)」や「自然資源連合(Natural Capital Coalition)」の様な組織にしても同様で、資金の流れと並んで所謂回転ドア式の人事制度によって、グローバル資本主義推進勢力とズブズブの関係に在る。

世界経済フォーラムに出席する様な面子が、「グリーン」な肩書きを付けただけと思えば良いのではないだろうか。

彼等の目的は環境破壊問題の元凶たる資本主義経済を再活性化し、新たな市場を開拓し、成長産業を発足させ、新たな経済成長を目指すことだ。今日行われている気候変動の危機を煽る為の動員は、その為にグローバル企業や財団が資金提供と管理を行い、戦略的に指揮しているキャンペーンに他ならない。






・偽の環境主義の目的は環境保護ではない

「環境に優しいなら資本主義でも良いじゃないか。何が問題なんだ」と思う人も多いかと思うが、これはそう云う生易しい話ではない。

気候危機の動員を行っているパワーエリート達がこうした諸々の工作によって究極的には何がやりたいかと云うと、今言った様に資本主義経済の再編・強化である訳だが、これは即ちグローバルな収奪システムの徹底を意味する。

その為にどうしても必要なのが、「自然の金融化(Financialization of Nature)」、即ち地球環境そのものの金融商品化&民営化である。地球そのものを金融資本主義市場に於ける投機の対象へと変えるのである。
https://www.youtube.com/watch?time_continue=300&v=-GwwEC-mmOU

「グリーン経済」と云う美名は「地球環境そのものを商品化する」為の包装紙として機能している。

例えば「生態系サーヴィスへの支払い(Payment for ecosystem services)」とは言い換えてみれば地球上の生態系に連なるあらゆるものに値札を貼れと云う主張であって、地球環境そのものが商品と化す訳だから、これが孕んでいる潜在的な利益は測り知れない。

投機家達にとってみれば涎が出る程実現したいプランだろう。

「自然とは価値有るものである。この価値有るものをしっかり守る為にはどうすれば良いのか? 自然に価格を付ければ良い。環境を市場ベースで解釈し直し、市場ベースの解決法を探る『グリーン』な政策であれば、市場がそれを推進するインセンティヴが得られる、良いことじゃないか」、と云う訳である。

が、それが本当に地球環境やそこに暮らす人々の為になるかと云うと、全く反対の結果が齎される可能性が高い。例えば自然の重要な一部であり人間の生活にとって最も欠かすことの出来ない「水」を金融商品化した水道民営化問題ひとつ取ってみてもそれは解る。

民主的ガヴァナンスの及ばない新自由主義の暴走を放置した儘安易に民営化を進めてしまうと、それが環境にも人間社会にも致命的なダメージを与えかねないことは数多の前例が証明している。

「科学の言うことを聞け」と云う主張がこの文脈に於て用いられる場合、それは「自然を客体化せよ」「市場の投資対象にせよ」「利益を上げる為の道具と見做せ」「自然を金銭的な物差しで測れ」をオブラートに包んで直ぐには中身が判らないようにしたものに他ならない。

「グリーン金融商品」の開発は、現在国連、世銀、IMF等が先頭に立って行っているが、非常に危険な流れと言うべきだろう。

「グリーン・ニューディール」「自然の為のニューディール」は、一見進歩派にとっては非常に受け入れ易い政策パッケージの様に思えるし、実際多くの進歩的知識人や活動家や政治家等が支持している。

が、「誰がそうした考えを称揚し拡散させているのか」、そして「それが将来的・潜在的に含意するものは何なのか」と云うことに着目した場合、これが実際にはトロイの木馬として利用される可能性を考えない訳には行かない。

「自然の金融化」はそもそも複雑極まり無い自然のシステムを、市場に於ける価値によって測定し、改変し、操作することが可能だと云う傲慢な楽観主義に基付いている。これは長期的に見れば大規模な環境破壊を齎す可能性の高い考え方だ。

西側市民にとっても「自然」のイメージは何時の間にか木や虫や鳥から、風力タービンや太陽光発電板へと変わってしまって来ている。市民の間でも、自然をそれ自体として尊重するのではなく、市場価値によって自然を判断することに抵抗が無くなって来ている。

良きガヴァナンスが欠落した状態で、自然の金融化が行われてしまうと、後は歯止めが利かなくなる可能性が非常に高い。

最悪のシナリオでは、「地球環境を守れ」と云うスローガンの下、これまで散々地球環境を破壊して来たのと正に同じグローバル資本主義/帝国主義/新植民地主義/軍事主義の手によって、これまでとは比較にならぬ規模の環境破壊が進められることになる。
https://www.thenation.com/article/wrong-kind-green-2/

「資本主義経済は危機の時代を迎えている」と云う意識はパワーエリート達にも共有されているが、気候変動問題は「グリーン経済」の構築によって金融を再編し、新たな市場を開拓することによって資本主義経済を救済し、延命を図る為の口実として喧伝されている。

気候危機は彼等には最大のビジネスチャンスとして捉えられている。そしてその利益は多数者ではなく少数のオリガーキーのみが受けることが出来る。それは人類史上最悪の収奪システム構築へと繋がる動きだ。

偽の活動家達は環境破壊を齎して来たグローバルビジネスそのものの変化を求めるのではなく、既存のグローバルビジネス・システム内部での変革を求めている。これは真の抵抗・変革運動ではない。

非営利産業複合体とメディアはどちらもパワーエリートから資金提供を受けており、企業が望んでいることを「人々が望んでいることだ」と見せ掛ける為の周到な擬装装置として機能している。

偽の活動家達は高級取りで、ジェット機で世界中を飛び回り、TEDで発言する機会も与えられ、何より権力の座に近い。彼等が働くNGOは謂わば「緑の免罪符」の発行所である。抑圧からの解放を求める声は、実際には抑圧のシステムを延命させる為のトリックと区別が付かない状態になっている。

それに気候問題を扱う大手NGOの運営は基本的に閉鎖的で非民主主義的でエリート主義。運動に参加している人々の意思を反映する仕組みが整っているとは言い難い場合が多い。

彼等が本当に人々の利益を代弁してくれる存在なのか、本当に地球に優しいことを主張しているのか、信じて応援する前に先ず考えて吟味する姿勢が必要だ。
https://www.youtube.com/watch?v=IAUrzee9jfc

ここで少し付け加えておくと、「自然資本」の収奪だけではなく、「社会資本」の収奪もこの動きに含まれる。

例えば "We Don't Have Time" はグレタ氏の様な若者達をインフルエンサーとしての能力(解り易く言うと「いいね!」の数」)によってランク付けしているが、これなども人間関係を資本価値へ還元する動きの一環だ。

別の例では、30歳以下の人材を集めて "change-makers" の育成を目的とする "Global Shapers"(構想したのはアル・ゴア等) は世界171ヵ国に拠点を持っているが、その多くはそもそも気候変動には殆ど何の責任の無い国々である。

アンケート結果では、ここで育成された若者達の90%が、テロや貧困、失業と云った諸問題よりも気候変動が一番の関心事だと答えている。

そして誰が気候変動の責任を負うべきかと問われた時、個々人と答えたのが34.2%だったのに対して、グローバル企業と答えたのは9%しか居なかった。これが善意を装った洗脳でないなら何と呼ぶべきだろうか。

こうした活動家の育成が利潤動機に裏付けられていることは明白だ。若者達の善意はこうした形でも搾取されている。






・環境破壊は気候変動だけではない

「気候変動への取り組みこそが他のどの課題にも増して最優先されねばならないのであり、その為には二酸化炭素排出量を減らさねばならない」と云う主張は、環境問題に限らず他の数多くの課題に対する人々の関心を薄れさせ、資金や人員が割かれなくなる結果を齎しかねない。

その場合環境問題に話を絞っても「地球環境を守れ」と云う主張によって、却って環境破壊が放置されると云う結果を招くことになる。環境破壊は気候変動だけではない。幾つか挙げてみよう。

例えば現時点で人類に可能な最悪の環境破壊は「核の冬」だが、冷戦時代よりも核戦争の可能性が高まっていると云う現実は、西側メディアの報道からは殆ど見えて来ない。

寧ろ核戦争の脅威を高めている側(アメリカ帝国とその協力諸国)ではなく、その脅威を抑え込もうとしている勢力(ロシア、中国、イラン、北朝鮮等)の方が寧ろ脅威なのだと云う刷り込みが行われている。

またアメリカの軍事主義もまた地球環境にとっては深刻な脅威だ。辺野古の珊瑚礁破壊などは氷山のほんの一画で、アメリカ帝国やその協力国が各地で引き起こした紛争や戦争やテロは、多大な死傷者や難民と共に直接的な環境破壊を齎している。

ひとつだけ挙げれば朝鮮戦争やヴェトナム戦争時に残された無数の不発弾は今でも現地の人々や家畜や野生生物の生存を脅かしているが、西側の諸政府は勿論、メディアや人権団体や環境団体はこうした問題には殆ど関心を持たない。

「原子炉は二酸化炭素を出さない」と云う理由から地球温暖化問題を原発推進の為に利用する動きはそれ程活発ではなくなった様だが無くなった訳ではない。

原発から出る温排水は周囲の海や湖の水温を平均7℃も上昇させ、直接的な局所的温暖化を引き起こしているが、これもメディアは殆ど触れない。

気候変動以外にも注目せねばならない環境破壊は色々有るのだが、気候変動のみがクローズアップされることで、これらの諸問題が放置される危険性が有る。






・資本主義に乗っ取られたNGO

悪夢的と言えるのは、環境や人権問題運動を推進している主要なNGOや非営利産業複合体の大半が、今や実質的にグリーン・ビジネスに邁進するグローバル企業と足並みを揃えていることだ。これらの活動は最早企業のロビー活動と明確に区別することが不可能な状態になっている。

グリーンピースやアムネスティ、WWFと云った比較的知名度が高く一般受けの良い組織であっても、回転ドア方式の人事や資金の流れによって先述したNGO等と一体化しており、時として帝国主義的陰謀の一翼を担うことも有る。

(例えばリビアの人道危機がでっち上げられてNATOの違法な攻撃を行い、カダフィ大佐が殺害された時、アムネスティはその先棒を担いだ。人権保護を唱えつつ、実際には人権侵害に加担した訳である。)

CIAが表の顔としてNEDやUSAID等を通じて世界中でカラー革命工作を行っている様に、非営利産業複合体は、実際にはグローバル企業が直接顔を表に出さない為の代理機関として機能している。

アルンダティ・ロイ氏が指摘した「抵抗のNGO化」の行き着いた先がこれである。資本主義社会に君臨するパワーエリート達が世に送り出す重要な商品のひとつが「世論」であるが、どうもこのことに気が付いていない人が多過ぎる。
https://www.youtube.com/watch?v=rgYaZAUzwuY&feature=youtu.be

気候変動を巡って現在取り沙汰されている対立構造は表面的な偽の対立に過ぎない。どちらもグローバル資本主義勢力によって推進されているのだ。「地球は温暖化しているのか否か/気候は変動しているのか否か」と云う対立は、本当の問題から目を逸らさせる為の目眩ましとして機能している。

西側市民の置かれた状況としては、どちらに転んでもグローバル・パワーエリート達の手の平の上で転がされてしまうことになる。

ナオミ・クライン氏が『これがすべてを変える』で描き出した様な対立の構図は、パワーエリート達の手による環境運動の大規模な乗っ取りが既に何十年も行われて来て、結果を見ればそれが略成功している、或いは少なくとも彼等の望む通りの状況が出来上がってしまっている、と云う事実を見落としている。

「自分達を批判する人々を支援して彼等の主張を骨抜きにする」と云う手法は奇抜に思えるかも知れないが、現在では広く使われている戦略だ。

現在の左派的運動の多くはこうしたカネを受け取っており、例えば西側の左派の政治家であれば実質的に新自由主義路線から大きく外れたことは言わない様な仕組みが出来上がってしまっている。

クライン氏の描く構図は、彼女が調査し得た限りについては貴重な情報を与えてはくれるのだが、今言った様にパワーエリートによる環境運動への浸透を過小評価してしまっている為、結果的に問題の本質から人々の目を逸らしてしまう働きをしている。
http://www.wrongkindofgreen.org/2013/09/18/the-problem-with-the-big-greens-naomi-klein-gripe/

これは別に彼女が個人として現状の資本主義システムを維持・拡大することに賛同していると云う話ではない。結果的にそうなっていると云うだけで、彼女自身にはその自覚は無いだろうと思う。単に事態の全貌を理解するには彼女の想像力が若干不足していると云うだけの話である。

何しろクライン氏自身の環境活動がロックフェラー等の巨大財団や億万長者達から多額の寄付を受け取っているのに、それが意味するところについて彼女が何か悩んでいる様な素振りは見えない。問題は目の前に存在しているのに、それが見えていないだけではないだろうか。
http://www.wrongkindofgreen.org/2015/10/02/financing-the-message-behind-naomi-kleins-this-changes-everything-project/?fbclid=IwAR0mtT7qTecDxhz7gIJjtDmvr8ajuxAEE4kJZBxCERt_cEAGaAGENRV6ozc

これは所謂「部屋の中の象」。象はそこに厳然として居るのに、余りに巨大過ぎ、また余りに当たり前過ぎて、結果的に誰の目にも映っていない。クライン氏自身はあれだけ資本主義を攻撃しているにも関わらず、結果を見れば、彼女は資本主義の広告塔として機能している。

同様に例えばバーニー・サンダース氏は、米政治家の中では最も「反資本主義的」と見做されている人物だが、彼の様な人物でも、資本主義が生み出した問題に対して資本主義の枠内での解決策しか提議することが出来ていない。
https://newrepublic.com/article/154186/bernie-sanders-democratic-socialist-failure-envision-world-without-capitalism

これは左派の知的貧困の問題であって、想像力と知識の欠如の問題である。

資本主義社会のパワーエリート達は数十年掛けて巨額の資金を投じて内部から左派の思想的な乗っ取りを企てて来た。左派の凋落の原因はそればかりでもないかも知れないが、現状を見る限り、思想的な乗っ取りは略完了していると見るべきだろう。

今や西側に本物の左派と呼べる団体や個人がどれだけ存在しているのか疑わしい。

後述する様に気候変動によって最も被害を受けるのはグローバルサウスの人々だが、西側左派が彼等に示す無関心を見れば、今の左派がどれだけ骨抜きにされているかが直ぐ解る。少なくとも今の西側左派からはインターナショナリズムの精神は殆ど消え失せ、彼等の関心は主に国内事情にのみ向いている。

国外問題については、西側左派は西側メディアの垂れ流す帝国主義的なプロパガンダ路線に忠実だ。従って全地球規模で進行している事態を、全地球的視座から評価することが出来ていない。

頑固な例外も勿論幾つも存在しているが、そうした勢力は基本的に大手マスコミを味方に付けることが出来ないので、概して発信力が低い傾向が多いのが悩みだ。

繰り返すがこれは「活動家達が悪意を持って資本主義の陰謀に加担している」と云う話では全くない。「パワーエリート達が人々の善意を利用し、彼等の思考と行動を自分達の望む形に誘導している」と云うだけの話だ。

環境問題に関するどんな草の根運動も、大きく展開しようとすれば大抵何処かでこうした資本主義的NGO等の影響を受けることになる。その罠から逃れることは非常に難しく、逃れ得たとしても、それは大資本の支援が得られない為、社会的に大きな影響力を持つことは難しい。

市民達が何をやろうとも結局は何処かで巨大資本に搦め取られる、と云う、資本主義のどん詰まりの様な絶望的状況が出来上がっている。

これは運動に参加している個々人の思惑や信条とは関係が無い。当人達がどれだけ善意に溢れていようと、一旦こうして作られた大規模な誘導システムの中に入ってしまえば、結果的に帝国主義の手先として機能することになる。善意と生半可な知識と中途半端な想像力だけでは太刀打ちは難しいのだ。

先述したリビアの件にしても、アムネスティの職員はひょっとしたら純粋な善意に溢れた人々であって、うっかりデマを信じ込んでしまっただけかも知れない。だがそれはその行動の結果を正当化するものではない。

彼等のしたことは紛れも無く帝国主義的侵略の側面支援だ。「地獄への道は善意で舗装されている」と云う言葉を思い出そう。






・偽の環境主義は新植民地主義でもある

問題の気付きを遅らせているもうひとつの要因は、現在のグローバル資本主義システムに於ける周辺諸国と中核諸国の余りの格差と、それに伴う情報の分断だ。

グリーン経済構想に於て真っ先に狙われるのはグローバルサウス、特にアフリカである。これも表面には仲々出て来ない話題だが、気候変動問題を扱う諸団体は再三「第四次産業革命」について言及している。これにはコルタンやコバルト等のレアメタルが必須だが、これらは主にアフリカ諸国から産出される。

繰り返す様に気候変動問題を喧伝させているパワーエリート達は経済成長を諦めてなどいない。寧ろこれから史上空前の経済成長が始まるのだと意気込んでいる。

ところが経済成長を維持しつつ炭素中立(carbon neutral)な社会を実現するには、それに必要な鉱物や金属を、2100年までに今の何と5倍入手しなければならないのだ。この分野に於て西側が優位を維持する為には、それらへの優先的なアクセスが確保出来ていなければならない。
https://www.mdpi.com/2079-9276/8/1/33

従ってアフリカに今まで以上に徹底した収奪の仕組みを構築することが急務となる。これが将来的にどれだけの直接的・構造的暴力を必要とするのかは、一寸想像が付かない。気候変動を扱う大きな組織や運動の多くはこの問題について沈黙を守っているが、大変な偽善だと言わざるを得ない。

例えばゴリラ保護で有名なジェーン・グドール氏はグレタ氏を応援している活動家の一人だが、彼女の基金は巨大企業から多額の寄付を受け取っている。
http://www.wrongkindofgreen.org/tag/jane-goodall-institute/

彼女は第四次産業革命がコンゴに紛争を引き起こし、多くの人々やゴリラに死を齎しているにも関わらず、それを非難するどころか旗振り役を買って出ている。

「グリーン」の美名の下でアフリカで何が行われるかは、ビル・ゲイツやアル・ゴアの様な「緑の帝国主義者」達が先鞭をつけている事業を見ればその方向性は見当が付く。

例えば、日払いの異常に厳しい条件で太陽光発発電装置のローンを組ませておいて、基本的な生活インフラすら整っていない地域に24インチTVを高値で売り付け、更にビッグデータを収集する。これは断じて貧しい人々に対する支援的なビジネスではない、単に貧しい人々を食い物にしているだけだ。

或いはもっとずっと以前にロックフェラー財団等が「緑の革命」の名の下で行った諸事業が結果的に環境破壊や格差の拡大を齎し、西側巨大企業の利益を増大させたことを想起しても良いだろう。
https://amzn.to/2o8VJ3D

「地球環境に優しい」と云うスローガンの下に行われるこれらの事業は、結果的にアフリカの経済的自立を阻害し、西側企業に依存せざるを得ない体制を生み出している。

これは西側の繁栄の為にグローバル・サウス諸国を意図的に低開発状態に置く、緑の仮面を被った新植民地主義であると見做すべきであって、軍事的帝国主義と地続きの関係に在ると捉えるべきだろう。

残念なことに西側諸国の人々のアフリカに対する関心は極めて低い。これは主に人々が意図的に無知な状態に置かれていることに因るものだが、今現在進行中の収奪についても、西側市民の殆どは詳しい実態を知らない。何より得られる情報の量が圧倒的に少ないのだ。

事態が今より更に悪化したとしても、西側市民が異常に気が付くのはずっと先になる可能性が高い。「グリーン経済」が実際に軌道に乗せられるシナリオにも依るだろうが、西側市民は短期的には利益を得るケースも考えられる為、それも事態の発覚を更に遅らせることになるだろう。

ここで気になるのが中国との関係だ。周知の通り中国は近年アフリカ諸国との関係を深めている。

グレタ氏を非難する日本の人々の中には、彼女が中国を槍玉に上げないことに不満を洩らす人々も居る様だ。それを根拠に彼等は「グレタ氏の背後には中国が存在する」と云う妄想を膨らませている様だが、今まで述べて来た通り、グレタ氏は紛うこと無き西側資本主義の落とし子だ。

だがここでもまた単なる無知と偏見が、本来の意図とは全く別に、巧妙に隠された真相の一端に触れている、と云う興味深い現象が起きている。

気候変動問題は本来「グローバル」な問題の筈なのだが、今まで延べて来た通りこの問題の危機感を煽っている勢力が目論んでいるのは西側資本主義経済の再編と強化。

そしてグレタ氏が表の顔を務めている様な非営利産業複合体がマーケティングを行おうとしているのは西側資本主義社会の市民や政治家に対してである。

気候変動問題はこの意味では西側資本主義社会内部の問題なのだ。だから「中国式の社会主義」を推進して現在空前の大成功を収めている中国は、単に彼等の売り込み対象外である、と云う可能性が考えられる。

この辺は純然たる憶測になるのだが、ひょっとしたら中国に対しては今後西側に対してとは違うアプローチでグリーン経済の支配下に置こうとする試みが為されることになるかも知れない、と私は思う。いや、私が知らないだけで既に為されているのかも知れない。

中国は今のところパリ協定に協力的な姿勢を見せてはいるが、例えば今後事態が進行してグリーン経済の導入に難色を示す様なことにでもなれば、中国を「地球環境を破壊する邪悪な国」として悪魔化するキャンペーンが張られる可能性は無いとは言えない。

また中国の一帯一路構想は、アフリカを始めとするグローバルサウスに対する経済的・政治的エンパワーメントとして機能し得るので、西側帝国主義勢力にとっては正に脅威として映るだろう。その意味でも中国はグリーン経済の敵として描かれるシナリオは十分に考えられる。

西側市民の多くは今だに深く反共プロパガンダに洗脳されている上に、こうした世論誘導に対しては免疫が殆ど無いので、あっさり引っ掛かる可能性が大きい。

中国の一帯一路構想や生態文明(Ecological Cizilization)構想が環境問題の分野でどれだけのインパクトを与えるのか、その評価は完全に私の手に余るのでここでは扱わないが、これも今後の重要な課題として専門家によって詳細に検討されなければならないことだと思う。識者の研究を俟ちたい。






・内政干渉の口実としての環境主義の可能性

これに関連してもう一点、気候変動問題が孕む大事な意味を指摘しておいた方が良いと思う。現在起こっている環境破壊は多くは局所的なものだが、環境破壊問題全般が気候変動問題に摺り替えられることで、舞台はグローバルなものに置き換わる。

言い換えれば個々の環境破壊ではなく気候変動問題に取り組む時には、全地球規模での対応が必要になる。と云うことは、世界中の人々が影響を受ける問題だからこそ、これを突破口として市場の魔の手が軍事的手段を含む様々な形で易々と国境を超える可能性も考えておくべきだと私は思うのだ。

西側諸国はこれまでも人権保護や人道的介入、独裁者の排除やテロとの戦争を口実に他国に介入を繰り返して来た訳だが、環境保護もまたその口実リストに入れられていると考えるべきだと私は思う。実は既にそれらしい兆候が無い訳ではない。

ボリビアのモラレス大統領はアメリカ帝国の「裏庭」に甘んじるのを好しとしないガッツの有る政治家の一人だ。西側グローバル企業にとっては目障りな存在である。

ところが最近、アマゾンの火災をボリビアのモラレス大統領の責任にしようとする世論工作が為されている。これなどはモラレス政権に圧力を掛け、或いは排除する為のひとつの手段と見るべきではないだろうか(以下の記事ではこれを「グリーンな中傷」と名付けている)。
http://www.wrongkindofgreen.org/2019/09/19/green-smearing-from-nicaragua-to-bolivia/

国家主権は確かに大事だ。だが事は地球全体に関わる。グローバルな問題なのだから、グローバルサウスの小国の我が儘なんか聞いていられない………と云う理屈で、侵略や内政干渉が正当化される。

違法行為に対して、「科学」がお墨付きを与えてくれると云う訳だ。秘かにそんなシナリオが描かれている様な気がしてならない(単に杞憂の可能性も有るだろうが)。






・資本主義プロパガンダに注意しよう

何れにしろグローバル企業や西側帝国主義勢力の表の顔として機能している国連やNGOが危機を訴えている際には、その声の中身を注意して見て行く必要が有る。

一部の特権階級の利益至上主義の為に世論を誘導しようとする強大な動きが厳然として存在している。騙されない為には、特殊詐欺と同じで、とにかく過去の手口を学ぶのが一番だ。同じ様な手口を使っているカラー革命等は大変参考になる。

西側プロパガンダの力がどれだけ強力なのかは、例えば肥満の問題を考えれば直ぐに理解出来る。肥満は健康的にも経済的に自分達の為にならないことは誰にだって理解出来る。だがそれでも人々は食べ続ける。80年代以降、米国を中心として西側の肥満問題は悪化する一方。

これは広告の力が引き起こした事態に他ならない。広告は人々をして、自分達の利害とは全く相反する行動へと駆り立てることが出来るのだ。

西側の広告/宣伝/プロパガンダ技術とは、即ち特定の世界観を受容させる力だ。この怖さに気が付くことこそが、現在の世界を覆っている巨大な諸問題に気付く為の第一歩となる。問題は善意の不足ではない、知識と想像力、そして健全な懐疑の不足なのだ。
プロフィール

川流桃桜

Author:川流桃桜
一介の反帝国主義者。
2022年3月に検閲を受けてTwitterとFBのアカウントを停止された為、それ以降は情報発信の拠点をブログに変更。基本はテーマ毎のオープンスレッド形式。検閲によって検索ではヒットし難くなっているので、気に入った記事や発言が有れば拡散して頂けると助かります。
全体像が知りたい場合は「カテゴリ」の「テーマ別スレッド一覧」を参照。

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