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ローマ法王のコメントについて雑感。道徳と法とは違います。そして他者とは不愉快なものです。

 ついさっきフランスの風刺週刊誌「シャルリー・エブド」の襲撃事件に関してローマ法王が「表現の自由には限度が有る」とコメントしたと云う記事を読んだ。翻訳記事から引用すると、「若し友人のガスバッリ氏が私の母のことを罵ったら、パンチが飛んで来るだろう。それは普通のことだ。挑発してはならないし、他の人の信仰を侮辱してもならない。信仰をからかってはならない」と発言されたとのこと。それにについて寄せられたコメントに、「法王様良く言った!」「その通りだよね!」みたいな感じのものが余りに多いので、その際感じた違和感を少し述べてみる。
 
 先ず指摘しておかなければならないのは、法王が言ったのは基本的に道徳レヴェルの問題であって、「嘘を吐いてはいけませんよ」「配偶者を裏切ってはいけませんよ」「他人に親切にしなければなりませんよ」と云った命法と同じ様なものだと云うこと。それは「人として社会生活を送る上で当たり前にしなければならないこと」とか言うと誤解を招きそうなのでもう少し制限した言い方で言うと、「それを守った方が道徳的により好ましい生活を送れるようになるルール」であって、法の問題とは別次元の問題。他人に嘘を吐いたからと云って処罰されるとは限らないし、今では多くの社会では不倫は犯罪ではない。他人に親切にした方が善いことなのは言うまでも無いけれども、不親切な人だからって普通に日常生活を送る権利は誰にだって有る筈だ。

 この辺を混同する人、と云うか、混同したがる人が無闇に多いので些か驚いているのだけれども、政教一致国家ならともかく、道徳と法とは絶対に分けて考えておかなければならない。何故かって、それは勿論、その辺をごっちゃにしてしまうと、「自分とは異なる他者との平和的共存」と云う、現代の法治社会の根本的教義が根刮ぎ崩れてしまうから。

 他者って云うのは、異分子。余所者。自分達とは違うエイリアン。不快な人間にはの世に存在して欲しくないのは人間共通の人情だけれども、自分にとって決して不快になることの無い、完全人畜無害の他者なんて現実には存在しない。違う人間同士が同じ大地で暮らしている限り、必ず何処かで不協和音は出て来る。不快どころじゃない、憎悪や嫌悪、軽蔑、嘲笑、有りとあらゆる忌々しい対立や衝突が、何時か何処かで発生して来る。

 法治主義と云うのは、「そんな互いに違っている貴方と私だけれども、それでも何とか平和的に共存しておく為に最低限のルールを定めて、それを遵守して行きましょう」と云う生き方のこと。そして人権思想と云うのは、そうした最低限のルールを決める際に基準となるべき価値観。この両者を踏まえた上で、私達は現代と云うこの生き難い時代を生きている。それは多様性を無理矢理にでも何とか包摂する為の知恵であって、これを軽視してはならないと私は思う。と云うか、それを軽視する社会で、多様性なんてものが許される訳が無い。

 「非難に値すること」と云うのは、だから「法を侵犯すること」とは別物として考えなくてはならない。他者を傷付けることは無論無い方が嬉しいに決まっている。だからそれは「非難に値する」行為とは言えるかも知れない。だがそれがそもそも在ってはならないもの、存在を許してはならないものだとするのは話が別だ。それを「その社会から排除して当然のもの」と云うカテゴリーに分類してしまうことは、その異分子を快く思わない人々にとってはさぞ心地良いことだろうが、それは多様性を否定すると云うことに他ならないし、それを保障する人権と云う理念を軽視することに他ならない。それは回り回って、自分達の足元を掘り崩すことになるかも知れないと云うのに。

 全てが私と同じ………なんてエヴァ的な妄想はフィクションの中だけなら許されるかも知れないけど(ここ20年位そう云うテーマを扱ったアニメとかやたらと多かったよね)、現実でそれをやったらお終いだ。私と貴方とは決定的に違う。どう仕様も無く違う。そこに不快さも生まれる。嫌な思いもする。だけど何とか殺し合わないで上手く付き合って行こうじゃないですか………と云うのが大人の知恵と云うものであって、不愉快なことをする奴は許せない、他人に嫌な思いをさせる奴は排除されて当然、なんて考えが当たり前のものになってしまったら、その行き着く先は快楽至上主義のディストピアよ。それは一寸勘弁して貰いたい。法王の発言を支持している人達は、少しばかり抽象的想像力の羽を広げて、それを普遍的命題として敷衍した場合にどう云った結末が導き出されるか、或いは自分はどう云った文脈、どう云った条件の下でその発言を支持しているのか、少し考えてみてくれないものかと思う。

 少し違う事例を引いて考えてみよう。松の廊下での刃傷事件に於て、吉良上野介と浅野内匠頭、悪いのはどっちだろう? 吉良は浅野をサンザンにバカにして侮辱して恨みを買った。だが切腹させられたのはそれにキレて殿中で刀を振り回してしまった浅野の方であって、「お上が断罪した」と云う意味で「悪」なのは勿論浅野の方だ。どんなに挑発されようが抜いてはいけないものを抜いてしまった方がいけないに決まっているのであって、「そもそも挑発した方が悪い」と云う江戸の庶民の声は、それが人情ではあるかも知れないが、世論で法を動かして良い訳は無い。吉良のしたことは「非難に値する」ことかも知れないが、「法に犯すこと」とは言えない。赤穂浪士はだから私怨で吉良邸を襲撃したのであって、それ故に彼等は死罪を申し渡されたのだ。歌舞伎や大河ドラマでならその辺の区分けは曖昧でも構わないかも知れないが、現実はそれでは困る。けじめはきちっと付けてくれないと、その社会の秩序に永続性が期待出来なくなる。明日の世論は、私とは反対の方向を向いているかも知れないのだ。

 もうひとつもっと微妙な、別の喩え話を出してみよう。これは私の相方の黒森と話している際に彼が挙げた例だ。成る可く忠実に思い出して引用する。AさんとBさんは同性愛カップルで、近々結婚しようと思っています。ところがBさんの父親のB'さんは保守的で、そのことに我慢出来ません。異常性癖の持ち主に子供をおかしな道へ引き摺り込まれた、子供に裏切られた、自分の面子が丸潰れだ、侮辱された………思い詰めたB'さんは、Aさんをナイフで刺します。この場合、悪いのは誰でしょうか。自分の行為がB'さんを傷付けることを知っていたのにそれを止めようとしなかったAさんとBさんは、非難されるべきなのでしょうか。彼等はB'さんの為に、自分達の結婚(幸福追求行為)を諦めるべきだったのでしょうか。

 ―――この場合は、フランスのテロ事件や松の廊下の場合と違って、被害者の側にそもそも悪意が無く、単純に一方の欲望と他方の欲望がぶつかって矛盾を来たして縺れた結果の凶行だ。話を明確にする為に敢えて挙げてみたが、「道徳的に見て不快な他者は排除して良い」、或いは、「人は、他者にとって道徳的に不快な存在に成るべきではない」と云う命題が馬鹿正直に適用されたらどんな結果が招来されるか、と云うことを示したかった訳だ。御理解頂けただろうか。

 法王の話に戻ろう。仮にガスバッリ氏とやらが「お前の母ちゃんデベソ!(死語?)」と言ったからと云って、それは彼が殴られることを正当化はしない。処罰されるのは殴った方であって、侮辱した方ではない(まぁ世の中には侮辱罪とか名誉毀損罪とか云うややこしいものが有って、それと表現の自由問題との関係を話す余裕はここでは無いのでアッサリバッサリ省略させて頂くが)。ガスパッリ氏は道徳的に見て非難に値することを仕出かしたのかも知れないが、それは氏がそれ故に排除されるべきだと云う主張を正当化する根拠にはならない。それはガスパッリ氏が無条件にその発言に無責任であって良いことを意味する訳ではない。彼は自分の発言についてはその責任を引き受ける義務が有る。自分の意志でその発言をしたことによって自動的にその義務は生じる。だがそれは飽く迄言論の(具体例に即して云えば口喧嘩程度の)レヴェルに於てであって、それはガスパッリ氏が、彼と法王の存在している社会から排除されるべき魔女であると云う宣告を許すものではないし、またそうであってはならないのだ。

 不愉快な他者、その不愉快さをその儘に、それでもその他者と共存する………それが出来なくては、何時まで経ってもワガママな幼児みたいだと呆れられても仕方が無い。「如何に不愉快な他者にならない様にするか」と頭を捻る工夫は行われても良いだろうし、「如何に不愉快な他者を排除するか」は、それが法を侵蝕しない限りに於ては、模索されても良いだろう。だがそれと同時に私達が公民として、公共性を持つ存在として、他者と共に同じ地平の上で暮らす者として考えなければならないのは、「実際に不愉快なことは起きるのだから、如何にしてその被害を最小限にするか」「如何にしてその不愉快さを減じることが出来るか」「今後同様の衝突が起きた場合に、双方の歩み寄りの可能性は奈辺に求めるべきか」と云うことだろう。

 詰まり、先ずは自分を自分として、他者を他者としてありの儘に受け入れることが出来るか、そして双方の共存の為に、お互いが自分達を変容させて行く勇気はどうしたら持てる様になるのか、と云うことだ。そちらの方を向いていないと、異質な他者と共に建設的な未来(陳腐な表現だが、実際そうだ)を築いて行くのは難しいのではなかろうか。何時か崩れるかも知れないからと云って、ブロックを積み上げない訳には行かないのだ。
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プロフィール

川流桃桜

Author:川流桃桜
怪奇幻想サイト『k-m industry 〜黒森牧夫の幻視風景』編集者。

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