最近世間様で体罰事件がどうのこうの騒がれていますが、ちょっと思ったことを書いてみます。
現在騒がれている事件は正確には「体罰事件」ではなくて「しごきに名を借りた生徒いじめ事件」ではないかと私は思うのですが、それはさておき、条件付きとは云えまだ体罰を容認する様な意見も出て来るところを見ると、日本もまだまだ人権後進国だなぁと思う訳です。(あっさり手の平を返した)橋下閣下の「教育は2万%強制」と云う暴言も思い出されるのですが、子供の権利条約とかもう一度読み返して下さいと言いたくなります。例えば日の丸や君が代を「日本国民であれば当然」と云う意見なんかも、多分これと同根なんだろうなぁと思う訳なのですが、それはこう云うことです。
学校と云うものは(それぞれ御自身の学校生活を思い返して頂きたいのですが)、本来であれば「ことの理非を学ぶ場」であるべきなのでしょうが、しかし実際には往々にしては「理不尽なことが身に降り掛かってもそれに耐え、じっと服従することを学ぶ場」になってしまっています。これは殊に体育会系で顕著ですが、先生や先輩が白と言えば黒でも白になる、と云うことが実際に起こるし、それどころか積極的にそうしたルールに従うことが一種の美徳とされる様な風潮さえ見られます。昨今では教師達もまた上意下達式のシステムの中に巻き込まれる傾向も見られますが、教育委員会や校長から現場の声を無視して一方的に下される職務命令に黙って従わなければ「罰則」が適用されると云う現状は、殊に日の丸・君が代強制騒動に特徴的に見られる様に、「従わない奴は非国民、教員の資格無し」と云う見解が、直接利害関係の無い一般市民からも寄せられるなど、世論の支持さえ得ています。
恐らく「これこれの身分であればこれこれのルールに黙従するのは当たり前、抗議の声を上げることは許されない」と云う姿勢は、伝染性・遺伝性を持つのでしょう。学校と云う治外法権区の中で、理不尽なことが起こってもじっと我慢して耐え忍ぶと云う経験は、それが正しいことか否かに関係無く、「自分がこんな目に遭ったのだから、他の者もこんな目に遭うのが当然だ」と云う暗黙の了解を育んでしまうのでしょう。私(達)はこうしたことに取り憑かれてしかも積極的にこれを支持する人達のことを「トラウマ布教者」と呼んでいます。苦痛の経験は或る種の宗教の様に、「他の人も当然こうしたことを信じるべき」と云う妄執を生みます。「苦痛は人を成長させる」などと云う美辞麗句がこれを彩りますが、要するに弱者(である/だった者)の抱えるルサンチマンです(なので私は「センパイ♡」と云う呼び方にはいまいち萌えを感じられません)。
ブラック化が叫ばれて久しい日本企業の体質も、その延長線上に在ると私は考えます。賃金とは「労働の成果に対する報酬」であるべきなのでしょうが、昨今の生活保護叩きの流れなどを見ていると、どうもそうではない様な気がします。賃金とは「労働に伴う様々の苦痛に対する報酬」であると考えなければ、弱者が弱者を叩くことの意味が分かりません。これは、「働かざる者食うべからず」と云う呪文は、労働と云う苦痛な経験を経ずして生活を成り立たせている者達への恨みつらみとして発散されると考えると筋が通ります。働かない者が本当に食うべきではないのであれば、親の七光りで生活していられる世襲議員さんとかお金持ち連中は真っ先に槍玉に挙げられて然るべきなのでしょうが、これは恐らくルサンチマンを抱く人々の想像の範疇の外に在るので被害を免れているのでしょう、日々の生活に苦しむ弱者の視線は、自分達が理解出来る範囲で「ズルをしている」様に見える更なる弱者へと向けられます。
学校と云うシステムの中では、自動的に年々「後輩」や「生徒」と云う名の弱者が再生産され、しかも通常は三年と云う年季が明ければ解放されます。ところが今日の「社会」に於ては、その様な都合の良い「エタ・非人」は見付け難い為、弱者のスケープゴート探しは自己正当化される傾向にあります。強制された苦痛と云う経験は生まれ変わりを繰り返すので、それこそ狂信者の布教活動の様に、新たな世代を巻き込んで行くのです。
不毛だなぁ、と私は思うのですが、こうした復讐の連鎖は誰かが立ち止まってきちんと断ち切らない限り、連綿と続きます。ブラック化する組織や団体の中に在って、はっきりと「NO」と言うことが出来ない限り、或いは、「NO」と言える様な環境が整わない限り、この不毛の布教活動は止まらないでしょう。まぁそれが出来れば誰も苦労はしないんだけれどなぁ、とここで溜め息。ですがこうした諦めもまた消極的な支持であることを誤魔化してはならないでしょう。諦めると云うことは容認するのと同じことです。
理不尽なことには「こんなの理不尽だから止めるべきだ」と抵抗すること、少なくともその心意気を持つこと。それ以前のレベルに在る人が結構多いみたいなので、ちょっと書いてみました。
と云う訳で今日の一句。
ちょっと待てトラウマ布教のその理不尽