17日から公開が始まったヱヴァQ、割引時間帯を利用して観に行って来ました。
結論から云うと、まぁ劇場でお金払って観たのは良いとしても、つい上映前にパンフレットまで買って余計な出費をしてしまったのは後悔するレベル。
話の内容は、前作の終わりで何かヱヴァが永井豪の漫画みたいに成ってガイガンもどきのヱヴァが出撃してどうなるのかと思いきや、今回は旧劇場版の後に24話をやり直したみたいなもので、世界がプチ終わってしまった後のシンジの心の迷走に重点が置かれています。私としては、このシリーズはパラレルものかループもののヴァリエーションに落ち着くだろうと云う予想を立てていたので、主人公以外或る意味略全員新キャラと云う本作の設定はまぁ当たりだったのですが、いきなりのっけからこの段階で新フェーズに移行、と云うのは意外でした。もう少しサードインパクト絡みで何か展開が有ってから片付けるものだとばかり思っていたので。序と破の予告編を見る限りでは、多分に構成サイドも試行錯誤しつつ迷走しているのだろうなとは思っていたのですが、多分破からQに至るまでにも、大分路線変更が為されたのではないかと予想します。流れとしては、破でシンジがディラック空間に取り込まれる話とかも入れる積もりだったのが、ヱヴァが覚醒するとこまで描いてしまったので、その分Qの割当が全体的に拡大されたのではないかと。
まぁ物語の「謎」を巡っては、エヴァなんて所詮は観客をケムに撒いてナンボみたいなところが有るので、始めっから観客置いてけぼりの流れに成ったところで今更何も言いいますまい。脚本の方も脚本の方で一生懸命なんだろうなぁと。一応それなりの「解釈」もしてみたのですが、必然的に長くなってしまい面倒臭いので省略します。どうせ新作の方まで待たないと解らないことだっててんこ盛りでしょうし、謎解きの手掛かりの提出は結局恣意的なものですしね、それにいちいち振り回されるのも癪です。最早我々が―――少なくとも私がヱヴァ新シリーズに期待するのは、十数年前に繰り広げられた挑発的且つ不毛な解釈・批判の波を繰り返させてくれることではないのではないかと思っておりますので。
それよりも何よりも不満で消化不良の感を覚えた点は他に有ります。そもそもこのエヴァと云うシリーズに於て、登場人物の自己語りや内面描写が延々と続いたり、中二病的なオカルティックな万能感溢れる設定が長々と垂れ流れされても観客に許されるのは、予告で言われている様な「サービス」がたっぷり詰まっているからなのはないでしょうか。(お色気シーンとかは別として)例えば、上空を怪音を発し乍ら飛来するシンプルなデザインの怪物体とか、市街地での大障害競走とか、夕焼けをバックにした巨人同士の組んず解れつ取っ組み合いとか、そうした古き良き特撮マインド溢れるアクションシーンを存分に見せてくれるからこそ、エヴァと云うシリーズはあれだけの支持を得たのでしょう。それが今回は何せ舞台と成るのがナニがアレしてしまった後の世界で、しかも空中戦が多く、大きさの比較対照と成るものが無いので、巨大感がいまいち伝わって来ません。バトル自体も冒頭と終わりの2回しか無いし、激しく動くコマ割も特撮よりは寧ろVFXの感覚に近く、悪い意味で時代が進んでしまったなぁと云う感慨を覚えます。何か同時上映された『巨神兵東京に現る』の方が、ヱヴァ(あーこの綴り面倒臭い)本編でのサービス不足を補う為の言い訳に見えて来ます(『巨神兵~』の方も、映像はともかく何かセカイ系のポエムみたいのが林原閣下のモノローグとしてバックに流れるだけなので、この同時上映は多分に意図的なものだと思います)。
要するに私が言いたいのは、「細かいこたぁ良いんだよ、もっと特撮を!」。旧劇場版『まごころを、君に』の後で24話をやった話を100分以上掛けて観たいか?と云うことなのです。批評系が好きな御仁にはこの展開でも良いのでしょうが、個人的にはさっさと話を進めてくれと。もうディスコミュニケーション描写は沢山だからと。状況説明を殆ど抜きにして語られる人間関係はもうお腹一杯なんですわ。
で、結局この先どうなるんでしょうね。まぁ旧劇場版が意外にも「他者」としてのアスカが存在するハッピーエンドだったところから察するに、その乗り越えとして新ヱヴァシリーズが作られていると考えると、今回のアスカは(姓も違うし)シンジの対立項として主人公級に昇格するのではないかと。次回予告も何か2号機しか出てなかったし、アスカが恐らくは旧劇場版のラストと同様に左目を失っているのも暗示的ですしね。
まぁ取り敢えず後少なくとも1作は作られる様なので、「バカシンジ」から「ガキシンジ」に格下げされてしまった主人公の行く末を、その時までは見守ってみることにします。後シンジ君、ピアノ弾けたのね。結構上手で羨ましいわ。