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ディープ・ステートについて真面目に考察したい人向けの叩き台

Aaron Good 氏による American Exception: Empire and the Deep State のレビュー。

 トランプが流行らせたお陰で、「デイープ・ステート(deep state/深層国家。以下DS)」と云う用語は、主に右派やトランプ支持者のMAGA系の人達が無闇やたらと使う様になってしまった。殆どが適当な使い方をしているのは輸入先の日本でも同じことで、日本でカタカナの「ディープステート」と云う言葉が出て来る時には、大抵は「世界を陰で操る闇の秘密結社」の代名詞みたいに使われている。つまり陰謀史観に登場する「フリーメイソン」とか「イルミナティ」とか「ユダヤ賢人会議」とか「コミンテルン」とか「カバール」等の最新版だ。

 だがこの用語は元々はアメリカ帝国主義の実態を暴いて来た暦とした研究者であるピーター・デイル・スコット氏が、トルコの政治形態を説明する為に作り出した、ちゃんと地に足の着いた政治分析用語だ。本書は、スコットや、C・ライト・ミルズマイク・ロフガンマイケル・ドイルマイケル・グレノン等の既存の研究を援用・批判しながら、第2次世界大戦後に出現したグローバルな広がりを持つアメリカ帝国の政治形態をDS概念を使って分析した、現時点では最もアカデミックなDS研究の書だ。
 
 国家が建前通りには動いていないことを説明する時によく持ち出されるのが、二重国家理論だ。これは所謂「表の国家」と「裏の国家」とに国家システムを二分し、民主的な意思決定プロセスとは無関係に、国民が一切関知しないところで時に重要な国家レヴェルの決定を下す権力構造が「裏の国家/影の政府」である、と云う具合に説明される。この説明は、深層政治(deep politics)の表出と見做して良い個々の事件、例えばJFKの暗殺とかウォーターゲート事件とか9.11とかに於て、国家が建前通りに機能していないことが露になる度に、その正しさが裏付けられる。

 この時重要なのが主権概念であって、これは暴力の合法的使用の独占を可能にする能力が存在している所を指すと同時に、カール・シュミットの言う「例外状態」を決定する能力(超法規的権能)が存在している所をも意味する。例外主義とは「法の抑制の制度化された一時停止」を可能にするものであって、例外主義に於ける主権者とは平たく言えば所謂「表の国家」を迂回して「超法規的措置」を執りつつ、自らは不処罰で済ませられるアクターを指す。

 著者のグッド氏はこの二重国家の区分を以下の様に3つに増やしている。

 1)public state(PS):公の国家。憲法で定められた表の国家。「マディソン的」国家。
 2)(national)security state(SS):(国家)安全保障国家。「トルーマン的」国家。具体的にはCIAやFBIに代表される法執行機関であり、これには無数のフロント組織や協力機関も含まれる。これはPSによる完全な統制を受け付けない国家の中の国家であり、或る程度の自律性を持った官僚組織である。
 3)deep state(DS)

 グッド氏が二重政治理論よりも三重政治理論の方が適切だと主張する理由は、例えばウォーターゲート事件に典型的に見られる様に、SS(実行犯であるCIA)がDS(黒幕)から切り捨てられると云うケースが見られるからだ。つまりSSとDSの利害が食い違っている事例に於ては、両者は別物であると考えた方が適切に理解出来る、と云う発想だ。DSは必要と有らばSSを切り捨てることも出来るのであり、従ってその権力ヒエラルキーに於てSSより上位の存在だと考えられる。

 DSを簡単に言い表すならば、「捉え難く、権能を持ち、超国家的な、反民主的権力の源泉」と云うことになる。これは法や社会の制約を受けず、それがPSの内外から行使する超法規的措置は屢々犯罪的な手法を含んでいるので、DSを構成する金融界の”overworld”は、その実行アクターを確保する為、犯罪的な”underworld”(具体的にはマフィア等)と結び付いている。日本の自民党がヤクザと繋がっているのと同じで、そうやって汚れ仕事を引き受ける手足を確保しておくのだ。

 DSを構成する人々とは、例えばフリーメイソンだのイルミナティだのと云う何等かの秘密結社の成員なのではなく、例えばピーター・フィリップス氏やデヴィット・ロスコプ氏の言う「グローバル・パワー・エリート」の様に、同じ様なエリート向け学校を出て、同じ様なゴージャスなライフスタイルを送り、同じ様な帝国主義的思想的背景を持ち、同じ様なコネで出世した経歴を持つ、白人男性の権力者達のグループ、一種の超上流の社会階級だと考えた方がすっきりするだろう。彼等はその強大な権力に比べれば驚く程狭いサークルの中で完結してお互いを見知っているので、「仲間を見分ける為の秘密のサイン」等はそもそも必要無い。

 陰謀史観がお好きな人にとっては些か拍子抜けする様な結論かも知れないが、現実の歴史のダイナミクスの複雑さを考えると、これらを何百年もの歴史を通じて単一のアクターに還元する見方は些か無理が有る様に思う。歴史解釈のひとつとして、それぞれの国家の、或いはもっと広いブロックのDSには実はかなりの連続性が見られるのではないか、と云う見方は興味深いものだとは思うが、それは必ずしも目の前の深層政治事象を理解する役に立つとは限らない(寧ろ視野を曇らせてしまう可能性が高いのではないかと私は思う)。チョムスキーの様に「陰謀などどうでも良い」とバッサリ切って捨てる姿勢は不誠実だと思うが、陰謀に関わる物語部分だけを重視して構造的な問題を手抜きで済ませる様な人々も私は信用出来ない。それは「DSは不滅の実体である」と云う幻想に繋がることになる。

 私は厳密に考えるならば寧ろ、深層政治が表面化するその都度、主権を行使する主体として立ち現れて来るものを指してDSと呼ぶのが適切なのではないかと考える。DSを実体としてよりも寧ろ先ず現象として捉え、その都度真の主権者として同定可能な人々やグループを辿って行った方が、学問的にはより堅実な手法だろう。スコットは「DSは構造的であるよりもシステム的である」と表現しているが、これは私の言っていることと基本的には同じだと思う。DSをソリッドな単一の実体として前提してしまうと、現実の歴史のダイナミクスに於けるDSの可塑性や多重性、或いは内部分裂に気付き難くなってしまう。

 グッド氏の理論に私が不満を覚える点は2つ有る。先ずひとつは、今述べた様に三重政治理論を採ってしまうと、DSが常に一枚岩として機能している、と想定する傾向を強めてしまう可能性が有るからだ。私は寧ろ二重政治理論の儘、DSをもう少し緩く解釈して、時には分裂したり対立したりすることも有り得る、と云う風に想定した方が、現実の深層政治事象を柔軟に解釈出来るのではないかと思う。

 具体例を挙げて説明しよう。熱心なトランプ信者達は、トランプをDSを打倒する為に立ち上がった反体制派ヒーローだ、と信じる傾向が有る。確かに2016年のロシアゲート事件は、PS(トランプ大統領候補。後に現役大統領)に対してSS(CIAやFBI、そしてMI6)が反旗を翻した事件の様に見える。また2021/01/06の議会襲撃事件には、明らかにカラー革命のパターンが見て取れる(つまり平和的なデモ隊を一部の扇動分子が乗っ取って、マスコミと協力して、恰も抗議活動全体が暴力的なものであるかの様な印象を作り出す)し、ヴェネズエラや香港でのカラー革命工作で先槍を担いでいたマルコ・ルビオ議員が、自分達が他国に対して仕掛けて来た工作をいざ自分達が仕掛けられる番になると云う事態に直面して、あの時は本気で慌てていた様に見える。だがこれは単純にPSがSSに裏切られたケースなのだろうか? トランプの閣僚や取り巻き議員連中、選挙キャンペーンのメンバーを見ると、ビッグマネーかそれに繋がる人々、つまりDSを構成する overworld のメンバーが多い。彼自身もまたホテル王の富豪だし、トランプは寧ろDS側の人間だと考える方が自然だろう。トランプを貶めようとするこれらの陰謀は、DS対PSと云うより、寧ろPSを巻き込んだDSの内部分裂の結果として捉えた方がもっと単純に理解出来るのではないかと私は思う。

 2024年2月にトランプ派の御用ジャーナリスト、タッカー・カールソンがモスクワを訪れ、プーチン大統領の生の声を米国に伝えると云う事件が起こった。これだけ見るとカールソンはDSが仕掛けているウクライナ戦争に反対している、反DS派の様に見える。だがロシア以外についての彼の発言を聞いたことの有る人なら誰でも知っている通り、彼は反戦派には程遠い。彼は「今はロシアと戦っている場合じゃない、中国との戦いに備えるべきだ」と言っているだけであって、戦争自体は寧ろ推進する側の人間だ。地政学アナリストのアンドリュー・コリブコ氏の区分に従えば、米国はウクライナ戦争を巡って(2024年3月現在)、ロシア封じ込めを優先する「リベラル・グローバリスト派閥」と、新冷戦の本丸である中国封じ込めを優先する「保守ナショナリスト派閥」とに分かれて分裂している。トランプやカールソンは後者の陣営であって、今はDS内では前者が優勢なので、彼等は結果的にDSに逆らっている様に見えるものの、風向きが変われば彼等自身がDSの代表として機能することになるだろう。
 
 従ってグッド氏の三重政治理論の図式は、こうしたDSの内部分裂を上手く捉えられないのではないかと思う。overworld に君臨するパワー・エリート層は確かに基本的には同じ様な帝国主義的価値観で動いてはいるが、常に意見が一致していると想定するのは単純だし、その様な解釈は時に不都合を生む。

 私がグッド氏の理論に不満を覚える2点目は、DSの広がりに関してだ。グッド氏は自分の理論を、第2次世界大戦後に出現したアメリカ帝国に焦点を当てていると断っているので、その意味では彼は何も間違ったことは言っていないのだが、現在のパワー・エリート層はグローバルな広がりを見せているので、戦後のアメリカ合衆国一国の内部にだけ注意を向けていたのでは見えなくなる部分が大きいのではないかと思う。

 その好例が気候変動問題だ。この本の中で触れられている様に。グッド氏は「人為的な原因による気候変動」のプロパガンダを信じる側の人間の様だが(COVID-19パンデミック詐欺等もそうだが、新左翼等には科学を騙る詐欺に引っ掛かり易い傾向が有り、この嘘に気が付くのは右派に多い為、その所為で左派は却って意固地になってこれが陰謀であると云う事実を認めようとしない傾向が有る)、気候変動詐欺は正に、グローバルな規模でPSを乗っ取る為の試みの一環だ。その背後に有るのは「自然の金融化」、つまり日本語的な表現をするなら「地球の民営化」と云う目標であって、潜在的には地球上の「自然資産」の全てを金融商品化しようと云う、究極の新自由主義的イデオロギーが潜んでいる(国家が介入する政策を何でもかんでも見境無しにリバタリアン的に「社会主義」とか「共産主義」と呼ぶ人も多いが、新自由主義の旗手サッチャーの「社会などと云うものは存在しない」と云う言葉を思い出してみれば判る様に、新自由主義は寧ろ反-社会-主義と呼ぶべきイデオロギーだ。これを社会主義と一緒くたにするのは明らかに馬鹿げているし様に私には思われるし、完全に倒錯した言葉の誤用だと思う。更に、新自由主義者が重んじる「個人」とは第一には生身の人間のことではなくて個々の法人のことなので、新自由主義とは反-人間-主義であるとも言える。反共主義は戦後の自由民主主義陣営、即ちブランド変更によってイメージ回復を図ったナチ陣営のトレードマークなので、DSを共産主義者の集まりだと非難する人達は、正に自分が批判している筈の当の相手のレトリックをなぞっていることになる)。

 これの力学を理解するには、国際政治に於ける深層政治―――つまりロビー活動(或いはメガ・ロビー)やもっと犯罪的な介入や干渉によって既存の国民国家システムを乗っ取ってグローバルなガヴァナンス・システムを構築しようと目論む、スーザン・ジョージ氏の云う「影の主権者(shadow sovereign)」の働きを押さえておくことが不可欠になる。だがグッド氏の構図では、これを何処に位置付けたら良いのか、いまいち判然としない。国家システムの乗っ取りを企んでいるのは先に挙げたDSのリベラル・グローバリスト派閥であり、これはリベラルで普遍志向的なイデオロギー(西洋式民主主義とか人権とか科学の権威とか)をグローバルなレヴェルで布教して押し付けるミッションを担っている現代の宣教師達だが、過去の15世紀以降の「新大陸」の宣教師達と同じく、彼等の背後には帝国主義的な野望が透けて見える。この権力構造を分析するには、三重政治理論では些か余計な荷物が多いのではないかと思う。まぁこの辺の詳細を詰めるのは今後の研究者達の課題になるだろう。

 これらの点についての留保を除けば、「アメリカ帝国の属国諸国にとっては、米国こそが即ちDSである」と云うグッド氏の命題は極めて正しい様に思う。これは日本に於ては特に顕著であり、米国以外で世界で最もDS研究を(無闇に大風呂敷を広げる陰謀史観ではなくて)真面目にやらなければいけない国は日本ではないのか、とさえ思う。

 日本はDSに支配されている国家である、と云うことは、自分の頭で考える者であれば子供でも気が付くことが出来る。何しろ、この国は教科書通りに動いていないどころか、教科書自体に、この国は憲法が主張している様な建前では動いていないと云うことが堂々と書いてあるのだ。例えば9条2項には戦力を持たないとはっきり書いてあるのに、誰がどう見ても戦力である自衛隊が(最初は「警察予備隊」と呼んで国民を騙して作られた)厳然として存在している。戦争放棄を謳ってあるのに、人類史上最悪の軍事基地帝国に国土を明け渡し、各地の侵略戦争の拠点として自国の領土を使わせている。三権分立を謳ってあるのに、憲法の教科書には「統治行為論」などと云うふざけたことが悪びれもせず書いてあって、日本の司法は一番肝心な場面で、憲法で定められた責務を放棄しますよと堂々と宣言している。人権尊重と書かれてあるのに、国家が率先して人権侵害を推進する事例など珍しくも無い(原発とか在日米軍基地とか)。憲法は日本の最高法規と明記してあるのに、憲法破り(裁判所が違憲だと判決を出した行為)が罰せられもせず白昼横行している。民主主義を謳ってあるのに、CIAが戦犯達に作らせた政党(この事実が暴露され、CIAもまたその事実関係を認めたのは1990年代だ)が殆どの時期に亘って一党支配している。法体系と云うのは原則的に論理的にカチッと組み合わさって少しの水漏れも無いようにしなければいけない。詐欺のことを「法律の抜け穴を潜る」と表現することが有るが、日本国の国体である筈の日本国憲法には、抜け穴どころか、誰にでも見える真正面の位置にどでかい穴が幾つも空いているのだ。

 長年の多くの研究で明らかになっている様に、これらの日本国の国家としての根本に関わる問題の全てに、米国が関与している。表向き日本を独立させた上で日本を実効支配して東南アジアに於ける軍事基地ネットワークの重要拠点として利用しようとするアメリカ帝国の存在が無ければ、日本国はここまで歪な形にはならなかっただろう。ここで「世界史を統べる闇の勢力」とかの話をする必要は全く無い。それは当面は世界史に興味を持つアカデミックな人々に任せておいても差し支え無いことだと私は思う。必要なのは地道な検証作業を積み重ねることだ。そうやって主権を喪失した属国としての日本の真の姿を白日の下に晒さなければ、日本人は多極化へ向かう時代の趨勢の中で、自国の立ち位置が全く掴めない儘先へ進んで行かなければならなくなる。

 元々旧冷戦後の米国の一極覇権にはあちこちでボロが出ていたが、ロシアの特別軍事作戦は多極化へ向かう世界(特にグローバル・サウス)の動きを一気に加速した。これを受けて2022/06/09、ロシアのプーチン大統領はサンクトペテルブルク国際経済フォーラムに於て、世界は主権国家と植民地とに二分されるだろう、「その中間は無い」と警告した。この発言に対する西洋市民の反応は3つに分かれるだろう。
 
 1)ウンウン、全くその通りだと頷く。
 2)ハァ?何訳の分かんないこと言っての? とにかくお前が軍を引けば、ウクライナは2023/10/07にハマスが奇襲攻撃を実行する以前のガザ地区の様に平和になるんだよ。え、ウクライナのナチス? そんなもんは「ロシアのプロパガンダ」でしょ? だってテレビがそーゆってたもん。必要なことは全てテレビが(しかもタダで!)教えてくれるよ。今までテレビが嘘吐いたり間違ったことを伝えたりしたことなんて有った?
 3)そもそもそんな発言が有ったこと自体を知らない。

 主権に関するまともな考察や研究が期待出来るのは基本的に1)の人達だけだが、これは極めて少数派と来ている。だがやらなければ日本も、米帝も他の属国諸国も、これから先へは進めない。西洋式政治形態が建前通りに機能していないことに対する危機感自体が広がっていることは、例えば欧州の世論調査結果からも明らかだ。だが具体的に何がPSの障害になっているのかを特定出来なければ、多極化時代に適応出来ず、喪われた偽善だらけの「ルールに基付く国際秩序」の夢に耽って退嬰を続けるしか無くなるだろう。真摯なDS研究はもっと普及しなければ駄目だ。だが議論そのものが存在しない状況ではどうにもならない。本書は、先にも指摘した様に私には不満点も残るものの、その為の良い足掛かりになる。
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国際組織のグローバルな嘘は帝国秩序に奉仕する

Wilfried Huismann著、PandaLeaks: The Dark Side of the WWF のレビュー。

 私が読んだのは英語版だが、日本語訳も存在する様だ。『WWF黒書:世界自然保護基金の知られざる闇』



 国際組織に対する日本人の信頼は無根拠に高い。「国際なんたら」と云う「権威」有る名前を聞かされただけで、多くの日本人はそれが個々の国家の利害関係からは超越した中立公平な理想追求機関であって、建前がその儘無条件で生きており、無垢な状態が保たれていると、何となく思い込んでいる。

 だが2020年代の国連組織の主な事例だけを見ても、例えばビル・ゲイツから最大の資金提供を受けている世界保健機関(WHO)が2020年以降ワクチン・マフィアの走狗と化して、誇大宣伝された仮想ウィルスの脅威を大義名分にしてロックダウン遺伝子「ワクチン」等の似非科学を推奨して来たことは、自分の頭で考えて自力で情報を集めることの出来る人間ならば誰でも知っている。国際通貨基金(IMF)や世界銀行は、COVID-19パンデミック詐欺や対ロシア制裁の機に乗じて債務の罠を拡大している。世界気象機関(WMO)の気候変動政府間パネル(IPCC)は相変わらず胡散臭い「予測モデル」で気候変動の恐怖を煽っているし、化学兵器禁止機関(OPCW)は「シリア政府による化学兵器攻撃」が捏造であることを告発した内部告発者を弾圧し、隠蔽と偽情報工作を続けている。世界食糧計画(WFP)や国連安保理は、その殆どがテロリストの手に渡ることを(つまり実質的にはテロ支援になることを)知りながら、シリアに対する支援を合法的なシリア政府を通さずに続けているし、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)はシリアの「難民支援」に、難民がレバノン国内に留まると云う条件を付けることで難民危機を悪化させている。国際原子力機関(IAEA)はウクライナのザポリージャ原発に対して攻撃を行っているのが本当は誰なのか、現地調査を行った後に特定することを拒否したし、国際刑事裁判所(ICC)は人道的な意味合いの強いウクライナの子供達に対するロシアの教育や保護プログラムを、寧ろ人道犯罪だと主張してプーチン大統領に対して逮捕状を発行した。国連人口基金(UNFPA)の支援の下で30万人以上の先住民に対して強制不妊措置を施したペルーのアルベルト・フジモリ大統領は健康上の理由から恩赦を受け、被害者達の闘いは継続している。

 こうした事例の報道は関心を持っていて自分で能動的に情報収集している人なら、今はインターネットと云う便利なツールが有るので昔よりも比較的容易にアクセスすることが出来るのだが、最早大政翼賛化して巨大なプロパガンダ・マシンとして機能している西洋の大手メディアに情報を依存していて、TVや新聞が殆ど、或いは全く報じようとしない世界情勢には関心の無い人や、そうした情報にアクセスする能力の無い人にとっては、そうした事例は起きていないのも同然なのだ。「国際」を名乗る組織が多くの場合私物化されていてその権威を悪用している事実は、殆どが知られない儘になっている。西洋大手メディアの言う「国際社会」とは、自由民主主義陣営を自称する西洋の所謂「ゴールデン・ビリオン」のことであって、人口比で言えば地球の全人口の僅か13%に過ぎず、ウクライナでNATOとロシアの代理戦争が新たな段階に入ったことによって、多極化へ向かう本物の「国際社会」からは寧ろ孤立を深めつつあるのだが、西洋大手メディアを通じてしか国際情勢を知らない人々にとっては、「国際社会」から孤立しているのはロシアの方と映っている(些か意外なことに、元イタリア首相のベルルスコーニがこれについて実に適切な発言を行っている。「ロシアは西洋から孤立したが、西洋は全世界から孤立した。」)。それと同じで、被害者達からしてみれば余りにも明らかなことについて、西洋人の多くが殆ど、或いは全く知らないと云う状況は、メディアの寡占と軍や諜報部との一体化によって、更に悪化している。諸々の国際組織の改革を求める声は、一般大衆の耳には殆ど届いていないのが現状だ。

 世界自然保護基金(WWF)は、国際組織の中でも特に一般受けが良い組織だ。野生動物を守ったり、持続可能な環境作りを行ったりする等の実に立派な理念について反対しようとする人が居るだろうか? まさかそうした理念のイメージが悪用され、実際にはそれとは全く真逆のことが組織的に行われている、などと云う話を聞いて、直ぐに信じられる人が居るだろうか? まさかジブリの映画に協賛する様な組織が意図的に地球にとって悪いことに手を染めるなど、殆どの人には想像も出来ないのではないだろうか。だが巨大な利権が絡んでいる時に、「専門家」や「科学者」や「活動家」の言うことを鵜呑みにしてはいけない。

 本書ではWWFに対する世間一般の思い込みが豊富な事例紹介を通じて徹底的に覆されている。野生動物保護を謳った自然保護区やエコ・ツーリズムが実際には野生動物の生態を脅かし自然を破壊していたり、「持続可能」なるお墨付きを与えられた事業の中身が、モノカルチャー的で産業化された大規模農業・漁業・伐採業・採掘業であったりと、環境を破壊し生物多様性を失わせると誰にでも理解出来る様なことが、WWFの人畜無害なパンダのイメージによって「グリーンウォッシュ」されている実態が、こと細かに暴かれている。WWFの人権侵害や環境破壊や不正行為は先ずまともに報道されることが無い為、殆どの話題は多くの人にとって全くの初耳だろうが、自然保護を謳う高名な国際組織が腐敗した大企業や金融業界と癒着していることの危険性は、実際にはちっとも「持続可能」などではない偽装した新自由主義である「SDGs」プロパガンダが既に日常生活にまで広く浸透して来ている現在、強調し過ぎることは無い(特に旧来の左派は科学や普遍的価値を装った詐欺に引っ掛かり易いので、自戒と勉強が必要だ)。

 多くの人はWWFの不正や人権侵害の事実を知っても、「大きな組織だからそりゃあ中には腐って悪いことをする人も居るかも知れないが、組織そのものは崇高な理念を追求している」と思うかも知れない。WWFは公式サイトで本書とそれに関連するドキュメンタリーに対し反論を加え、非難された内容を全否定しているが、そちらの方を信じる人も多いかも知れない。無論、WWFで働く大多数の人は掲げられた建前を心から信じているのかも知れないし、WWFの職員が全員嘘吐きだなどとは私も主張しない。だがトップに於けるカネやヒトの流れを見る限り、「WWFは純粋無垢の理想追求組織である」と云う信念には疑問を挟むべき根拠が数多く存在するし、WWFを批判する草の根の声を探して聞いてみれば、その活動の実態が如何に悪辣で差別的なものであるかが見えて来る。

 本書では少ししか触れられていないが、WWFの創設者や指導者が、似非科学である優生学を信奉していたり、元ナチスだったり、秘密結社的性格を持つグローバル・パワーエリート向けの組織「1001クラブ(そのメンバーはJFKの暗殺に関与していたことが指摘されている)」や「ビルダーバーグ会議」に関与していると云う事実は、どう解釈すれば良いのだろう? 自然保護主義を心から信奉する人々が、偶々似非科学や差別的な帝国主義の信奉者でもあった、と云うことなのだろうか? そんな偶然は私には信じられない。

 解り易い或る人物を挙げて説明しよう。米国の歴史上、自然保護区、つまり国立公園や国定記念物や国有林等の推進に最も熱心だったのは、セオドア・ルーズヴェルト大統領だ。彼はまた同時に自他共に認める帝国主義者であり、恥知らずな人種差別主義者であり、そして大の狩猟好きで知られていた。これらは互いに関連している。ルーズヴェルトは自然保護に熱心だったが、他方で偶々帝国主義者で人種差別主義者でハンターでもあった、と云う訳ではない。帝国主義者で人種差別主義者でハンターだったからこそ、彼は自然保護に熱心だったのだ。自然保護区の多くは、アメリカ先住民にとっての生活や信仰の場だった。アメリカ帝国はその版図拡張の過程に於て、アメリカ先住民を殆ど絶滅にまで追い遣り、生き残った人々からも土地を騙して奪い取ったり強制的に居留地へ移住させたりしたのだが、土地強奪の為の更なる口実として「自然保護」が持ち出されたのだ。21世紀の今でも彼の名を冠した「セオドア・ルーズヴェルト自然保護パートナーシップ」なる組織が活動しているが、公式サイトを見れば分かる様に、その組織の目的はハンターや釣り人が十分に楽しめる様な自然環境整備を行い、「アウトドア・レクリエーション経済」への投資を促進することだ。そのターゲットは明らかに富裕な白人層だ。

 歴史を振り返れば、植民地時代のインドやアフリカ、ラテンアメリカ諸国等でも同様の事例を見ることが出来る。「自然保護」とは元々、先住民から土地を奪って白人が独占し排他的に利用する為の口実として持ち出された理念なのだ。そして本書や他の関連報道を見る限り、この偽善は21世紀の今でも厳然と続けられている。

 WWFが代弁している「自然保護」主義者達の主張に拠れば、人間は自然界にとって邪魔者なのだそうだ。人間が居ない方が自然は上手く機能する。だから自然を「保護」したければ、そこから人間を追い出すか、人口を減らさなければならない、と云う訳だ。だが本書でも明らかにされている様に、それは科学的にも道義的にも誤った主張だ。大機な産業開発等を進めれば勿論自然は破壊されるが、何百年、何千年とその環境と共存して来た先住民達のコミュニティにまで同じ様に考えるのは不適切だ。寧ろ人間が適度に手を入れた方が、生物多様性は確保されることが知られている(日本人であれば人の手が入らない山林は直ぐに荒れると云う話を聞いたことが有るかも知れない)。人間は自然とは切り離された、自然を「管理」すべき特権的存在であると云う発想は、それ自体が傲慢な人間中心主義のイデオロギーだ。人間もまた自然の一部と考える観点が無ければ、真に持続可能な地球の未来を考える環境主義とは言えない。西洋の政治家や企業や銀行やNGOが盛んに喧伝している「自然保護」や「持続可能性」は、従って表面に見えているものとは全くの偽物なのだ。

 2021年のCOP26(第26回気候変動枠組条約締約国会議)では、地球上の30%を保護区に変える(つまり全世界の3割近くから先住民達を強制退去させる)と云うアジェンダが提出された。だが同時に同会議ではグローバル・サウスの24ヵ国が団結して、北と南の格差を更に広げるものだとして所謂「実質ゼロ」の要求に大反対した。ここ500年間、一方的に搾取され続けて来たグローバル・サウスの発言力は近年益々増大しているし、2022年のロシアの特別軍事作戦開始以降は、世界の多極化一気に花開いた観が有る。曾ての/現在進行形の被害者達のことを考えるなら、偽物の環境主義や自然保護を本物から区別することは、現代世界を理解する上でこれまで以上に重要になって来ている。今までの様に「被害者はどうせ世界の反対側の全く知らない人達だ。私達の生活には関係無い」と傲慢な無知と無関心の内にひきこもっている訳には行かない。これまで白人や名誉白人の欺瞞の繁栄と覇権を支えて来た巨大な嘘に、少しずつでも良いから広く一般市民が気付いて行かなければならないのだと思う。

「西洋」的価値観至上主義の虚妄を明らかにする痛快な一撃。読むべし!

デヴィッド・グレーバー著『民主主義の非西洋起源について:「あいだ」の空間の民主主義』のレビュー(2021/10/19に投稿したものだが2023/07/17に若干改訂した)。



 近年資本主義諸国の大手メディアや政治家等が声高に「民主主義」を叫ぶ時、それは決まって政敵や経済的侵略の獲物となる国々を攻撃する為の殺し文句である。西洋諸国が「自由と民主主義と云う価値観を共有する」ものとして自分達を同定する際、その中身は帝国主義や旧・新植民地主義、新自由主義と全く区別が出来ない。彼等が他国の「独裁者」や「権威主義体制」を非難する時、それは民主主義的価値観とは何の関係も無い。それは要するに相手国が自分達の覇権主義的な野心にとって障害となることを表明しているに過ぎず、逆に自分達の野心にとって都合が良く、自国を西洋の金融資本に差し出す様な売国的指導者や政府は、それが公正な選挙を否定していようとジェノサイドをやらかしていようと民衆を弾圧していようと人身売買や拷問等の人道犯罪を繰り返していようと、「民主主義のチャンピオン」だと呼ばれる。「民主主義の理念や民主化運動のイメージの兵器化」は元々帝国主義者が愛用する内政干渉の常套手段だったが、CIAがそれまでの他国介入作戦から一旦距離を置き、NED等のフロント組織にアウトソーシングを始めた1980年代以降、全世界に拡大した。あからさまな嘘と二重基準に基付くこの倒錯した戯画的光景は、西洋諸国では最早有り触れたものとなり、日々の国際「ニュース」の紙面を飾っている。旧植民地諸国に於ては、90年代末からの一連の「カラー革命」と、2010年からの一連の「アラブの春」によって、アメリカ帝国やNATO諸国が人工芝運動を使っての内政干渉を繰り返していることは或る程度周知の事実として定着しつつあるが、西洋諸国の殆どの市民はこの事実に今だに気が付いていない。

 寡占が進んだ大企業メディアが物の草の根運動を好意的に取り上げることは最早無い。それらが「草の根運動」だと主張する数々の運動は、それがヴェネズエラや香港やミャンマーやベラルーシの「民主化運動」であろうが、シリアの「穏健な反乱軍」であろうが(中身はアルカイダやISISやその同類だ)、或いはグレタ・トゥーンベリの気候変動キャンペーンであろうが、全て帝国主義勢力や新自由主義勢力がバックに付いている人工芝運動である。本物の草の根運動は黙殺されるか(2020年と2021年にはインドで2億5,000万人が参加した、モディ政権の新自由主義政策に反対するゼネストが行われた。これは人類史上最も大規模な草の根運動と言えるだろうが、それについて知っている西洋市民が果たしてどれだけ居るだろう?)、中傷されるのがオチである(ロックダウンや人類史上最悪の医原性災害であるCOVID-19ワクチンに反対する人々がどんな扱いを受けているか見るが良い。まるで狂人の群れである)。

 そんな認知的に囲い込まれた状況の中、帝国主義諸国はまるで自由や民主主義や人権思想が自分達の専売特許であり、他国にはどれだけ民意を汲み上げるシステムが備わっていようと、それらには一切語る価値が無いかの様に振る舞っている(どんな世論調査を見ても、世界中自国民に最も支持されている政府は中国政府である。米国や日本等の劣等生に比べると支持率はその3倍に近い)。この思い上がりは昨日今日始まったものではなく、広義でのオリエンタリズムの長い系譜の延長線上に出現したものだが、グレーバーはこの本でその起源を簡潔に、しかし大胆に掘り起こして行くことによって、「西洋的価値観」なるものの空疎さをラディカルに炙り出して見せている。

 「西洋」―――グレーバーはこの言葉が実質的に意味を持つ様になったのは第一次世界大戦後だと断じているので、この本で用いられている表現に言い換えれば「北大西洋世界システム」―――はその歴史から言って、寧ろ「人民の自己統治」と云う民主主義的価値観を繰り返し否定して来た側である。現代でも例えば先述した様に第二次世界大戦後のアメリカ帝国が文字通り全世界に覇権を確立すべく、自国の地政学的野心に逆らう他国の主権を悉く否定して来たことにもその傾向は顕著だが、そもそも「民主主義」と云う言葉が肯定的な意味合いを持ち始めたのは精々19世紀中頃からに過ぎない(それまでは主に侮蔑語として使われていた)。エスタブリッシュメントの従来の歴史家達はそれでも何故か「民主主義的価値観の西洋起源」説に固執する。グレーバーはそれを、彼等が文字記録偏重の弊に陥り、民主的実践が往々にして文字記録を伴わない場で発生すると云うことを認識していないからだと論じている。それらは小さなコミュニティに於て、或いは多文化が出会う場に於て、その場その場の状況に応じて「即興で」実践される為、後世の歴史家達には永遠に知られない儘かも知れない。だが記録が残っていなかっと云うことは、そうした実践が行われなかったことを意味する訳ではない。グレーバーは民主主義的実践を、推測出来る限りではあるが、18世紀の海賊やインド洋のイスラム教徒達の貿易圏、北米イロコイ諸族の一種の連邦制や南北アメリカ大陸のフロンティア社会等々の場に見出し、自由主義や個人主義、平等主義や寛容の精神等の諸々の「西洋的」価値観が寧ろ北大西洋世界システムとそれらとの邂逅に触発されて育まれて来たことを明らかにする。文字として書かれた理念ではなくその実践形態に着目した場合、民主主義とは寧ろ世界中の文化に於て極く有り触れた現象なのだ。「民主主義国家」を名乗る西洋諸国は精々が共和国家に過ぎず、近代国家システムとは寧ろ自発的な民主主義的合意形成プロセスを抑圧するものとして現れる。

 グローバルに張り巡らされた現代の巨大なプロパガンダシステムと同様、文字文献とそれを読む文化によって演出された偽りの優越性に立脚する「西洋の普遍的価値観」に関する諸議論は、この短いながらも強烈な一冊によって殆どが粉砕されるだろう。歴史上実在した現実の投票制の先例を担っていた主体が戦士や武器を持った市民であったことを知った後では、熟議による合意形成に比べて多数決とは所詮は数にものを言わせた暴力であり、何と野蛮な仕組みなのだろうと思わずにいられるだろうか。「西洋」の自己イメージの変遷を再確認した後で(そして現在の誇大妄想的とも言える現実から懸け離れた自負を振り返ってみた後で)、「西洋」とは本当にそれ程素晴らしいシステムだったのだろうかと再考せずにいられるだろうか。「フランス語版のためのまえがき」でアラン・カイエが「グレーバー最良の仕事」と云う評価をこの小著に下しているのも頷ける。西洋至上主義に疑問を抱きつつ考察のヒントを探している読者にとってはうってつけの作品だ。

 但しカイエも指摘している様に明確な限界を感じないでもない。「即興」の自己組織的な合意形成プロセスを重視する著者のアナーキスト的立場は理解出来るものだが、それが国家システムと両立不可能であり、「民主主義的国家」が殆ど語義矛盾であると云う結論に対しては、同意を躊躇う読者も多いのではないだろうか。決定された事柄を構成員全員に強制する暴力装置が存在する所では、真の自発的合意形成に疑問符が付くであろうことまでは異論は無い。だが、暴力装置無しでこの複雑怪奇な現代文明が維持出来るのか、膨大な人口を抱えた現代社会を、自己組織的な即興の積み重ねだけで本当に運営出来るのか、国家を疑問視した後のヴィジョンがこの本からは見えて来ない(そこまで期待するのは甘え過ぎなのかも知れないが)。グレーバーは問題と直接対決するのを回避している様にも見える。

 本書ではサパティスタ運動が新たな解放の事例として挙げられているが、例えば米国からの経済制裁によって経済が破壊されたヴェネズエラでは、草の根のコミュニティ運動によって生活を再建する試みが多数行われている(企業メディアはヴェネズエラを独裁国家だの何だのと好き放題に言っているが、ヴェネズエラは世界で最も先進的な民主主義的実験を行っている国のひとつである)。同様の事例は同じ被害を被っているシリアやイラン等にも見られる。が、これによって経済制裁自体が何とかなる訳ではない。飽く迄対症療法である。制裁を終わらせるには、まだまだ軍事力や警察力の裏付けの有る国家の役割が欠かせないのではないかと思う。どんな国家も真空の中に存在している訳ではない、「自由と民主主義」の名の下に全世界を支配下に置こうとする狂った連中は、長年植民地等に対して行って来た仕打ちを最早自国民に対しても堂々と行っている。これに抵抗する為には、国家の力を借りなければならない場面も必ず出て来る。国家権力を援用する為の創意工夫の考察を抜きにして、現状で有効な抵抗・解放運動を語ることが出来るのかどうか、私は疑問に思う。

 尤も、この懸念自体、既に時代に遅れている可能性も有る。「西洋」的優越の極北とも言うべき現在の所謂「グローバリスト」達は、既に国家を超える権力のネットワークを縦横に張り巡らし、資本主義システムを再編・再起動して全世界を新たな封建制度社会へと作り変えようとしている。ひょっとしたらもう余り時間は残されていないかも知れない。

 尚、この本は出版早々入手困難になってしまった様で、古本にはどえらい値段が付いている。出来るだけ早急に復刊を希望する。

「ルワンダのジェノサイド」の真相と不可視化された「アフリカの世界大戦」

Edward Herman、David Peterson 著Enduring Lies: The Rwandan Genocide in the Propaganda System, 20 Years Later のレビュー。



 1994年に起きた「ルワンダのジェノサイド」については、この本の著者が言うところの「標準モデル」を疑ってはいけないことになっている。何しろ2014/04/16に採択された国連安保理決議第2150号「ジェノサイドと戦う為の再誓約」で、この件に関する「歴史の明確化」が要求され、この標準モデルを各国は受け入れなければならず、これを否定する者は無条件で非難されることが決定されたのだ。つまり「異論が許されない絶対的な歴史的真実」なるものが、政治的に決定された訳で、ここまで異常な措置は、ナチのホロコーストに対してすら行われたことは無い。単なる事実の筈のものがここまで政治化されたこと自体が、国連を私物化している連中が、この「ジェノサイド」の真相が暴かれることをどれだけ恐れているかを物語っている。
 
 ルワンダのジェノサイドに関する標準モデルの物語はこうだ:多数派を占めるフツ族と少数派のツチ族の対立が続くルワンダで、フツ族はツチ族を抹殺する陰謀を計画していた。フツ族の過激派は1994/04/06、ツチ族に対して融和的なフツ族のハビャリマナ大統領と、ブルンジのシプリアン・ンタリャミラ大統領が乗ったジェット機を撃墜し、これをツチ族の犯行だと主張することで、ツチ族と、穏健なフツ族に対する大量殺戮を開始した。虐殺は100日もの間続けられ、死者の数は80万とも110万とも言われている。この「ルワンダのジェノサイド」は、ポール・カガメ率いるルワンダ愛国戦線(RPF)がジェノサイド犯達を排除し、国を解放することでようやっと終息を迎えた。

 だが本書の著者達は以下の点を指摘することで、この公式の物語に真っ向から異を唱えている。

 ・見せ物裁判だったルワンダ国際戦犯法廷の検察側は、ハビャリマナとンタリャミラ両大統領を暗殺したのは、標準モデルが主張する様なフツ族の過激派ではなくRPFであることを示す強力な証拠(口封じの為暗殺されることを恐れて逃亡して来たカガメの元部下達の証言等)を入手していたが、主任検察官ルイーズ・アルブールは米国大使館に相談した後でこの証拠を握り潰し、暗殺の犯人を突き止める調査を打ち切るよう命じた。

 ・暗殺の報が届いた時、ルワンダ国軍は周章狼狽して為すところを知らず、脱走が相次いだ。事前にジェノサイド計画を立てていたとしたら余りにお粗末な展開だ。対照的に米国で軍事訓練を受けたカガメ率いるRPFの方は規律が取れており、直ちに組織的な殺戮を開始した。

 ・RPFは1993年に結ばれたアルーシャ合意(和平協定)を逆用して、キガリに軍事拠点を築いていた。RPFが攻撃準備を整えていたことを、国連平和維持軍は把握していた。

 ・標準モデルではフツ族過激派がツチ族と「穏健な」フツ族を殺害したと云うことになっている。だが当時の複数の人口統計データを見ると、多少バラつきは有るのだが、ツチ族の人口は「ジェノサイド」の前は50~60万、後は30~40万となっており、どの数字を見ても、「ジェノサイド」期間中に死亡したツチ族は10~20万と云う結果になる。他方、全体の死亡者数は50~200万と更に開きが有るのだが、これらから10~20万を引いた数字が、フツ族の死亡者数を示すことになる。後は小学生でも判る算数の問題で、どのデータを取ってみても、死亡者数はツチ族よりもフツ族の方が遙かに多い。これは標準モデルの物語とは著しく乖離している。

 ・1993年のアルーシャ合意は、ツチ族との共存を望まないフツ族の過激派にとって望ましくないものだと標準モデルでは言われているが、実際には和平合意が成ってしまうと都合が悪くなるのはツチ族の方だ。ルワンダは約9割がフツ族、約1割がツチ族、残りの超少数派がトゥワ族なので、普通に選挙をやったら、カガメが大統領になってツチ族がフツ族を支配する構造を再建するのは先ず不可能だ。選挙を経ずにカガメが実験を握る為にも、フツ族の排除は必要だった。

 ・米国務省の極秘メモは、RPFがフツ族の市民に対して民族浄化を行い、殺害の95%がRPFによるものであることを認めている。

 ・1995年の国際会議で国連事務総長のルワンダ担当特別代表シュライヤ・カーンは、事前のジェノサイド計画は存在しなかったと結論付けている。

 ・標準モデルの支持者が「15人の被告を有罪判決に追い遣った圧倒的な証拠」を主張することも有るが、15人の被告の誰一人として、「ジェノサイドに関与する陰謀」の罪で有罪判決を受けてはいないので、これは端的に嘘だ。全員が無罪か取り下げになっている。

 ・ツチ族に対する抹殺計画が存在した証拠だと主張される「ジェノサイド・ファックス」に関しては、著者は他の記録と整合していない等の事実から、「ジェノサイド」前の1月ではなく、「ジェノサイド」後の11月に挿げ替えられた捏造文書だと結論付けている。それに仮にこの文書が本物だったとしても、証言者が証言しているのは、単にキガリに居る全てのツチ族を登録せよと云う命令が下されたと云うことだけで、それが抹殺計画の為だと云うのは、その証言者(使い走りのボーイ)の純然たる推測に過ぎないと云うお粗末さだ。

 要するに、「ジェノサイド」の主犯はアルーシャ合意を拒否し、殺戮の前や最中に交渉を拒否したRPFだったのだ。この主客が完全に転倒したジェノサイドに於て、RPFが果たした役割とは何だったのか。標準モデルからすっぽ抜けているのは、ルワンダ愛国戦線(ウガンダ人民防衛軍が改称したもので、ルワンダ独立後にウガンダに亡命したツチ族が主体)が1990年以来、ルワンダに対して侵攻を仕掛けていたと云う事実だ。1994年の「ジェノサイド」は、この侵略戦争の総仕上げだった。


 
 ルワンダに於ける人権侵害に関する国際調査委員会は、早くも1993年の段階で、RPFではなくRPFに攻撃されているハビャリマナ政権をジェノサイドの罪で告発していたが、これがRPFによる更なるフツ族殺害にお墨付きを与えることになった。

 ルワンダの隣国、ブルンジでは、1993年にフツ族初の大統領となったメルシオル・ンダダイエが、同年ツチ族の強硬派によって暗殺された。その後の流血沙汰で約5万人が死亡したと見られているが、大量の難民(国外難民が58万、国内避難民が100万)が発生したことで、この影響は近隣にも波及することになった。1994年3月の時点で、ルワンダにはブルンジから逃れて来た約26万人の略フツ族の避難民が居り、それに加えて既に35万人もの国内避難民が溢れていた。

 米国のクリントン政権は国連に圧力を掛けて平和維持軍を撤退させたが、それは標準モデルが主張する様に、フツ族によるツチ族に対する抹殺計画を予測出来なかったからではない。抹殺計画を立てていたのはPRFの方だ。米国の措置は、RPFがフツ族を殺戮する間、平和維持軍が手出ししないようにする為だったのだ。「米国が関与していればジェノサイドは防げた」どころの話ではない、米国は実際にはジェノサイドが順調に行われるよう、積極的に関与していた。

 そして米国政府は7月に、PRFが勝利宣言を行って10日も経たない内に、ルワンダ暫定政府を否認し、RPFこそが正統政府であると宣言した。そして更なに巨大な惨劇がここから始まる。

 どれだけ殺戮を行っても完全に御咎め無しとのお墨付きを得たRPFは、2年後の1996年、逃亡した「ジェノサイド犯」を掃討すると云う名目で、今度は隣国コンゴ民主共和国(当時はザイール)の難民キャンプへの攻撃を開始した。これは近隣諸国等を巻き込んだ大規模戦争に発展したことから、「アフリカ最初の世界大戦」「今日の世界に於ける最大の人道的危機」「第二次大戦以来の世界最悪の危機」等と呼ばれることも有ったが、西洋メディアの注目度は低かった。死者は1998年から2009年までの間だけでも540万人と見積もられている。

 コンゴの侵略を行ったのは、RPFが支配するルワンダ、ウガンダ、ブルンジ、そして米英加だった。この西洋3ヵ国はフランスの強い影響下に在ったルワンダのハビャリマナ大統領とコンゴのモブツ・セセ・セコ大統領を排除したので、これらの戦争は対仏代理戦争の側面も持っていた(1994年、RPFの支配はフランス軍が展開していた南西部には及ばなかった。ここでは同軍が6~8月までターコイズ作戦を行なっていた)。

 コンゴの豊富な鉱物資源の収奪はこうして可能になった。例えば携帯やスマホや電気自動車のバッテリーに必要なコバルトは、全世界の70%がコンゴに埋蔵されている。1990年からの一連の侵略は、現地の代理勢力を利用した、帝国主義勢力による中央アフリカの資源争奪戦争だったのだ。



 標準モデルを広める上で重要な役割を果たした「人権活動家」、アリソン・デフォルジュは、「フツ族のプロパガンディスト達」について述べた文書で、自分達がやったことを敵がやったことに見せ掛ける手法について解説している。だがこれこそ正にツチ族のプロパガンディスト達がやったことだ。彼等は西洋諸国の支援を受け、「RPFによるルワンダ侵略と、ルワンダとコンゴのフツ族の抹殺」を、「フツ族によるツチ族に対するジェノサイド」と云う、完全に主客が転倒した物語に作り変えることに成功した。デフォルジュは「フツ族に対して完全な支配権を再確立する為のRPFの陰謀」なるものはフツ族によるプロパガンダだと主張している訳だが、1994年以降、ツチ族がフツ族に対して完全な支配権を再確立したのは誰にも否定し様の無い事実だ。

 殆どのルワンダ人はRPFを占領軍と認識していたが、米国から「アフリカのリンカーン」と呼ばれたカガメは、「国際社会」に於てはルワンダとコンゴを侵略した大量殺戮者ではなく、ルワンダのジェノサイドを止めた解放者、英雄としての評判を確立した。そして2000年には前任者の辞任を受けて自動的に大統領に就任し、2003年の初の選挙では、95%と云う、常識的に考えたら有り得ない様な支持率で当選を果たした。これは例えば米国が傀儡政権を指揮させる為に連れて来た南朝鮮の李承晚や南ヴェトナムのゴ・ディン・ジエムもまた有り得ない程の高支持率で権力を獲得したことを連想させる。米国はやらせ選挙の結果を盾にすることで、非道な侵略戦争を正当化し、恐怖政治を布く全体主義体制に対する支援を、「民主主義に対する支援だ」と主張して来た訳だが、それと同じだ。

 カガメはこのレビューを書いている2023年現在も大統領の座に就いており、反対派や批判者に対する容赦の無い弾圧を続けている。コンゴの戦争は今だに終結しておらず、国内外には数百万人の避難民が溢れ、人身売買や児童労働が横行している。今だに卑劣な嘘が罷り通っている「国際社会」の世論の無関心がこれらの状況を可能にしている。私達はプロパガンダに疑問を持たずに普通に暮らしているだけで、ジェノサイドや侵略戦争、非人道的な搾取の物言わぬ共犯者になっているのだ。TVや新聞や政治家や活動家が「あいつらは悪者だ」と言い立てる時、何も疑問を持たない者は、結果的に歴史の間違った側に立つことになる。



 *余談だが、ツチ族とフツ族の区別が権力構造に起因すると云う指摘は興味深い。ツチ族だと権力を握り易く、フツ族だと権力から排除され易くなる、と云う訳ではなく、権力を持っている者やそれに近しい者がツチ族と呼ばれ、服従する者がフツ族と呼ばれるのだだそうだ。だからこの両者の対立は民族紛争の面を持つと同時に一種の階級闘争だと言える。COVID-19パンデミック詐欺やSDGs等による「上からの階級戦争」が世界的に激化する現状では、権力を取り戻そうとする反民主主義的な反動勢力が本気になったらどれだけのことをやらかすのか、そしてそれを完全に隠蔽して物語の構図を逆転させることがどれだけ容易なのか、具体的な前例を知っておくことが是非とも必要だろうと思う。 「国際社会」を丸ごと騙すことは可能だし、実際に幾つもの前例が有るのだ。

お互いに、付き合い切れない異世界人達と暮らすのはしんどい

母親を陰謀論で失った
連載:母親を陰謀論で失った




 私も時に「陰謀論者」と呼ばれることの有る人間に一人だけれども、コロナカルト信者から見ると、我々「陰謀論者」がどれだけ理解不能な存在に見えるかと云うことを描いたエッセイ漫画を見付けたのでざっと読んでみた。基本的に既に知っている様な内容ばかりではあったものの、以下の点が再確認出来るかと思う。

 ・メディアリテラシーが低い人は、今だに「マスコミvsネット」と云う全くピント外れで雑な二分法でな情報の信頼性を評価している。当然、メディア空間が軒並み(TVや新聞、雑誌等の類いは略全て)大政翼賛化している現実にも気が付いていない。彼等はジュリアン・アサンジ氏が不当に拘束されて心理的拷問を受け、エドワード・スノーデン氏がロシアで亡命生活を送っている現実と、自分達の身の回りの出来事を繋げて考えられない。

 ・「ネットの情報は怪しい」と言う人は、大抵マスコミの情報を疑う方法を知らないし、ネットを使いこなして質の高い情報にアクセスする方法も知らない。政府や大企業が提供する情報を摂取していれば情報収集になると思っている。彼等は報道の行間を読むことが出来ない。

 ・そもそも殆どの人は事実を確認する為にそこまでの手間を掛けようとしない。学術論文を読む時の様に事実確認の為にソースを辿ると云う習慣が身に付いている人は極く一握りだ。例えば「マスクの感染予防効果」についての真偽を確かたいのであれば話は単純で、マスクの感染予防効果について書かれた一次論文や一次データを読めば良いだけの話だ。私はユニバーサルマスクが有害無益であることを証明したエビデンスレヴェルの高い論文を何十本も紹介出来るが、幾ら紹介してもマスク信者は全く論文を読まない。彼等は単にそれらの証拠を黙殺するか、良くても精々エビデンスレヴェルの低い情報を出して反論したつもりになり、最後は私に「陰謀論者」のレッテルを貼って満足する。彼等は推理小説を読む様に現実と向き合う必要性をそもそも感じていない。世界は透明なもので、嘘偽り無くメディアを通じて真っ直ぐ自分達に与えられているものだと信じている。

 ・コロナカルト信者も「陰謀論者」も、その殆どは一次ソースを確認する努力をせず検証レヴェルの低い結論だけを信じているので、論拠を突き合わせて両者の主張を比較検証する作業が出来ない。従って両者の話はずっと平行線を辿った儘噛み合わない。残念ながら日本のSNSやブログ等で出回っている「陰謀論」関連の情報は、その殆どがソースを確認出来ない孫引きばかりで埋まっている。私は極力一次ソースを確認出来る様な形で情報発信を行っているつもりだけれども、私の紹介したソースをいちいち確認してくれる人は極く一部に限られる様だ。

 ・殆どの人は事実ではなく物語を信じている。事実に合わせて自分の信念体系を調整するのではなく、自分の信念体系に合う様な情報を予め取捨選する。日本人は元々議論が下手だと言われるけれども、パンデミック詐欺の場合は似非科学に支えられた確証バイアスがこの傾向を強化しており、矛盾だらけの公式の物語から帰結する大抵の認知的不協和は不可視化されてあっさり乗り越えられてしまう。認知的不協和を可視化して拡大する諸事実を積み重ねて行けば何時かは臨界点に達するのかも知れないが、脱洗脳のプロセスは通常は長い時間を要するものだ。

 ・「陰謀論者の言動が怖い」と言うコロナカルト信者には、コロナカルト信者の言動や圧力に怯えたりフラストレーションを感じている「陰謀論者」の姿は基本的に見えていない。圧倒的多数派は少数派の気持ちが理解出来ないのが世の常だが、ウクライナ紛争について「プーチンは現代のヒトラー」とか平然と言える人が、ロシアの側から見た状況を想像してみることが全く出来ないのと同じで、巨大な嘘によって人々が分断され、全く異なる別々の世界観が生きられている時、自分達から見たら嘘を信じている側の人達の頭の中を想像してみることは難しい。

 ・私は日本人の多くは2011年に、「巨大な利権が絡んでいる時には、御用学者や御用専門家の言うことを鵜呑みにしてはいけない」と云う教訓を学んだものだと思っていたが、全くの買いかぶりだった。感染予防効果などそもそも保証されておらず、何か起きてもメーカーは一切責任を取らないことが最初から宣言されていて、多くの専門家達がその危険性を警告していた人類初の遺伝子治療技術である遺伝子ワクチンを、日本人の8割が強制もされていないのに、プロパガンダと同調圧力だけで接種した。「陰謀論者」の側の一人として言わせて貰えば、正気の沙汰とは思えない。原子力ムラの嘘について英語論文や一次データを読み込んで暴く能力が有った人々の多くも、それより桁違いに腐敗したビッグファーマの嘘については完全に思考停止してしまった。厚労省の人口動態データは既にえらいことになっているが、何も疑問を持たずに暮らしている人は3年も経っても今だに何の疑問も抱かない。こうなると最早同じ国、同じ世界に生きているとは言えない。状況が落ち着くまでは、心理的別居が最も穏健な解決策かも知れない。

 *余談だが、「陰謀論者」とは、CIAがJFK暗殺に関して、当局の説明に疑問を抱く言説を封殺する為に流行らせた言葉であって、単なる流行り言葉ではなく諜報部による言論統制作戦の一環だ。つまりこの言葉(の流行)自体が、陰謀の結果だ。
プロフィール

川流桃桜

Author:川流桃桜
一介の反帝国主義者。
2022年3月に検閲を受けてTwitterとFBのアカウントを停止された為、それ以降は情報発信の拠点をブログに変更。基本はテーマ毎のオープンスレッド形式。検閲によって検索ではヒットし難くなっているので、気に入った記事や発言が有れば拡散して頂けると助かります。
全体像が知りたい場合は「カテゴリ」の「テーマ別スレッド一覧」を参照。

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