一億総カルト信者時代の孤独
先日私的な理由で(またしても)COVID-19ワクチン接種の現場に立ち会う羽目になった。4回目だ。私が直接手を下す訳ではないが、ジェノサイドを傍観すると云うことは消極的に加担するのも同じことなので、正直言って気分は良くなかった。
だが私が、皆さんが安全で有効で必要だと思っている「ワクチン」なるものは実は皆さんの知っているワクチンではなく、安全でも有効でも必要でもありません、これは人殺しです、などと叫んでみたところで、私の頭がおかしいと思われるのがオチだ。人は一度聞かされた真実よりも百回聞かされた嘘の方を信じる傾向が有る。それはこの一年半で嫌になる程思い知らされた。何しろ向こうは何十時間、何百時間、何千時間と掛けて、自分から腐った御用学者や政治家の口にするゴミ情報をぎっしり詰め込んでいて、頭の中がゴミ屋敷状態になっているのだ。私の様に最初からゴミ情報と役に立つ信頼度の高い情報を分別して、ゴミだと判ればさっさと自分の頭の中から放り出すよう心懸けて来た人間が、今更真実を詰め込んでやろうと声を張り上げてみたところで、先ずはその大量のゴミの分別を何とかしないことには、相手に耳になど届く筈が無い。基本的に真実は自ら受け入れる用意の有る者にしか開示されない。全力で毎日ゴミの山に頭を突っ込んで自ら妄想を逞しくしている人達が、「ひょっとして何かおかしいのではないだろうか」と疑問を持つ勇気と知性を持たない限り、他人が幾らどうこう言ってみても無駄だろう。彼等は最初に入口を間違えてしまったので、出口の無い迷宮に入り込んでしまったのだ。
COVID1-19ワクチンに殺された人の数は、厚労省の人口動態データを見る限りでは日本国内だけで約10万人と云ったところだろうか? まぁ1,000人に1人程度では、彼等が疑問を持ち始めるのには十分ではないのだろう。100人に1人、10人に1人と云う比率でバタバタ人が死に始めるまで、彼等は自分達の体を遺伝子改変装置によってオンデマンドの毒物生産工場に変え続けるのだろうか? まぁ大人達は自分達の責任だとも言えるが、それに巻き込まれる子供達はどうなのだろうか………?
「痛いのは効いている証拠!」―――何だそりゃ。なら全身が真っ赤に腫れたりベル麻で顔面が引き攣ったり壊死を起こして手足を切断したり、心不全を起こして死んだりしたら満足なのか? 「医者は何よりも先ず患者に害を与えてはならない」と云うヒポクラテスの誓いは何処へ行った? 何故「治療によって害を受ける」ことが前提の医療なるものについて、誰も疑問を抱かないのか? ああ、それも仕方が無いのか、「副作用(本当は本作用だが)」を当然視する発想を、彼等は生まれた時からずっと叩き込まれて来たのだ………。
「これ何の注射?」「悪い風邪に罹らないようにするのよ」―――いやいや看護師さん、「コロナは風邪」ではない!と云う話はどうなったんだ? インフォームド・コンセントの原則は一体何処へ行った? 何故皆ワクチンメーカーが保証してすらおらず、そもそもその為の機序が備わっていない「ウィルス感染症予防効果」について、そうも確信に満ちて語っているのか?
ああ、そうだとも、WHOがワクチンの定義を変更したからだ。彼等は中身を見ず「ワクチン」と云うレッテルだけを見て、今までと同じ仕組みで害の無い(つまり彼等が気付かない程度には少ない)薬物だと思い込んでいるのだ。ワクチンマフィア共はレッテルがどれだけ重要か心得ている。「これは薬ですらない遺伝子治療装置で、まだ人間で試したことは有りません」などと正直に話したら、95%の人はそんなものを自分の体の中に入れたがらないと承知している。見掛けはこの際死ぬ程重要だ。中身が毒であろうとも薬だとラベルを貼れば殆どの人は疑いを差し挟まない。
世界中のデータが、COVID-19ワクチンが毒以外の何物でもないことを示唆しており、公式のデータが今現在疑い様も無く記録史上最悪の医原性災害(薬害事件)が進行中であることを明らかにしていようとも、彼等は自分で調べたり、そうしたニュースを扱っているメディアにアクセスしたりはしない。何か有ればTVや新聞が取り上げてくれる筈だと、これまでの薬害や公害事件が教えてくれた一切の教訓を忘却して、無邪気に無根拠に信じ込んでいる。世の中には腐った連中も居るかも知れないが、お医者さんや科学者の先生達、メディアの記者さん達は、ちゃんと自分達の仕事をしてくれている筈だ………腐ったシステムの中で「ちゃんと自分の仕事をする」とは、つまりは腐った上の連中の腐った嘘に加担すると云うことだ。だが彼等はこの世がどれだけ腐っているかを知らない。ワクチンマフィアの腐敗が日本の原子力ムラなどのそれに比べて文字通り桁違いであると云う事実について耳にしたことが無い。だってTVでやらないから。おかしいな、ワクチン打てば終わる筈じゃなかったのかな。まぁいいや、やるべきことをやって、専門家の言うことに従っていれば、災厄はワイドショーを観ている内に通り過ぎて行くかも知れない………。
彼等は騙されていると云う自覚が無いから、何度でも平気で同じ手口の嘘に引っ掛かる。そうこうしている内に心理的なサンクコストが積もり積もって、「自分がこれまで頑張って我慢して来たことが全て無駄だったなんて、そんな筈は有り得ない」と云う心理的防衛機能が、恥知らず共の嘘を分厚く覆い隠してくれる。この場合、時間は嘘吐き共の味方だ。時間の経過と共に「何かおかしいんじゃないか」と思い始める人も出て来てはいる様だ。だが過度な期待はしない方が良いだろう。ものを考えない為の言い訳など、人間は幾らでも思い付けるのだから。
他方、接種会場の外に出ると、TVが「過去最大の感染者数」を報じている。おいおい、皆さん、ワクチンを打ったら感染を抑えられると信じたから打ったんじゃないのかい? なのにワクチンを打ったら感染が終息するどころか寧ろ拡大している。明らかに彼等の期待とは逆のことが起きているのに、彼等は何も疑問には思わないのだろうか? いや、危機感を煽られれば煽られる程、彼等は「もっと頑張らなきゃ」と思うのだろうな。視野狭窄は視野狭窄を拡大再生産する。論理的な矛盾が拡大すればする程彼等は頑なになる。世界中のデータが、COVID-19ワクチンは寧ろ逆効果でしかないことを示しているのに、彼等は気にしない。彼等はそもそもその種の情報には接しない。私は日常的にそうした情報に触れてはいるが、それは恐らく偶々私が彼等よりも世界の嘘に気が付くのが少しだけ早く、ゴミ情報ではない信頼出来る情報源を探して何年も模索を繰り返して来たからに過ぎないのかも知れない。巡り合わせが違っていれば、私自身も彼等の狂乱の宴に参加していたのだろうか。私は別段彼等よりも頭が良い訳ではない。只ほんの一寸頭を使って疑問を持つ習慣を身に付けていたのと、ほんの一寸幸運だっただけ………。
置いてある新聞を開けば、行政府が一面広告で、エアロゾル感染への注意を呼び掛けている。待ってくれよ、今までのユニバーサルマスクだの社会的距離だのアクリル板の仕切りだのは、COVID-19の感染経路は空気感染ではなく飛沫感染と云う前提の上に成り立っていた話ではなかったのか? つまり気にすべきなのは、くしゃみや咳の力を借りなければ2m以上移動出来ない大きな飛沫だけであって、空気に乗って何十mも好き放題移動する小さな飛沫(エアロゾル)にはウィルスは含まれていないか、含まれていても気にしなくても良いと云う、科学的にはどう云う根拠が有るのかさっぱり解らない仮定を受け入れることで、今までのコロナ「対策」は意味を持って来たのではなかったのか? つまりこの広告は、今までのコロナ「対策」は前提が間違っていました、実は無意味でしたと当局自身が認めているも同然なのに、この矛盾に誰も気が付かないのだろうか? これは論文を何十本も読まなくとも、論理的に思考する意志と能力さえ有れば、中学生でも気が付くことの出来ることだ。周囲の人々は一体自分達の脳味噌を何処に置き忘れて来てしまったのだろうか?
学校は自分の頭でものを考えるな、根本的な疑問を持つなと子供達に叩き込む所だ。だがそんな所でも反逆する子供達は必ず居るものだ。そう云う子等は、今は周囲の同調圧力に屈して息を潜めているだけなのだろうか、それとも、事態の余りの大きさに想像力が付いて行かず、途方に暮れているのだろうか、それとも自ら思考停止の道を選び、悪夢が終わるまで何も考えないようにしているのだろうか? だがこの悪夢は、自分達からキッパリと「もうこの嘘には付き合わない」と宣言しない限りは、決して終わることが無いのだ。個々人がその気になりさえすれば、今この瞬間にも悪夢は終わらせられる。だが個人でいることは、つまり自分の頭で考え、疑い、調べ、判断し、決断を下すことは、勇気が要る。こうも同調圧力が強力な状況では、自分を信じ、孤立を恐れないでいることは容易なことではない。承認欲求は相当程度諦めなければならない。だが要請される「自粛」だの学校閉鎖だのユニバーサルマスクだので心理的に追い詰められた子供達は、他者からの承認にどれだけ飢えていることだろう。彼等には酸素も他者との接触も足りていないが、「この世界に居ても良い」と云う無条件の承認もまた不足しているのではなかろうか。何しろ彼等は存在するだけで周囲に病気をバラ撒くかも知れない潜在的な脅威、地球や公衆衛生にとって害を齎す可能性の有る、存在しない方が良い存在なのだ。だから罰として毎日顔に息苦しく不快な拘束具を着けさせられているのだ。親や教師や周囲の大人達、或いは周囲の同年代の子供達からすら、何度も何度もロシアンルーレットに参加して恐怖と苦痛に苦しめと勧められているのだ。全く、彼等は何と云う不運な時代に生まれ落ちたことだろう………。
私は巨大な嘘との闘い方を碌に知らない。私もまた、民衆運動が弾圧され骨抜きにされ、組織的基盤も思想的基盤も奪われた時代に育った一人だ。おまけに性格的にも、誰かと協力して何かをやるのは大の苦手と来ている。私は所詮一介の頑固な一夢想家以外のものではない。子供の頃から独りでいるのが当たり前だった。周囲の人々の見ているものと私の見ているものが全く違うのが普通だった。今はそれではいけないことは解っているが、自分にからっきし行動力が無いことも骨身に沁みて解っている。だが手を拱いて何もしない訳にも行かない。残念ながら私は巨大な嘘に気が付いてしまっている極く少数派に属してしまっているらしいので、知ってしまった者の責任を果たさない訳には行かないのだ。だからこうして今も(SNSを禁止されても)ネットの片隅でぶつぶつ呟いている。だがプーチンがオリバー・ストーンのインタビューで言っていた通り、それが一体何になるのか? 数十人だか数百人だかが私が細々と発信している情報に偶々触れたからと云って、それで何がどう変わる? 目の前の集団狂気はどうやったら止められる? 彼等に私の声は届かない。COVID-19パンデミック詐欺だけに限って言っても、この2年半で大きく開いてしまった溝を、どうやって埋めれば良い? 私と彼等は全く別の宇宙に住んでいるのに………。無論これは何よりも先ず自分の為にやっていることだ。自分を許せなくならないようにする為にしていることだ。なので後悔は別に無い。だが時々どう仕様も無く無力感を思い出してしまうことが有るのだ。
この国は今や一億総カルト信者時代だ(古い表現だとは承知しているが、総人口の8割以上、1億人以上が既にCOVID-19ワクチンを接種してしまっているのだから、強ち大きく間違っている訳でもないと思う)。コロナカルト信者に事実や理屈や科学は通用しない、彼等が信じるのは自分達の認知的枠組みに沿った物語だけだ。基本的に私に今出来ることは、彼等の認知的不協和が積もりつもって臨界点を迎え、何かの瞬間に決壊するのを待つことだ。その時の為にこつこつと目の前の嘘を片付けておくことだ。被害が今より更に広がるのは最早避けられないだろうが、それは仕方が無い。彼等の信仰をマスコミや御用学者が勝ち得てしまっていた時点で、この勝負は始まる前から負けてしまっていたのだ。少なくとも、それは私独りの責任ではないが、それも言い訳に過ぎない。「無為」を「無力」や「無能」に摺り替えてみたところで、現状が変わってくれる訳ではない。私はカルトの巣窟に迷い込んでしまって途方に暮れている異邦人だ………。
このエッセイに特に結論は無い。目の前で進行するジェノサイドを止められない自分に多少嫌気が差して、愚痴ってみたくなっただけだ。私は相も変わらず憮然として歯を食い縛って本を読んで多少書き物をする。時々希望と笑顔に触れて人類の未来を信じてみたくなる。だがそれと同じ位時々、世界が自分の手の平から零れ落ちて行く感覚を止められない。
戸嶋靖昌、自画像。

だが私が、皆さんが安全で有効で必要だと思っている「ワクチン」なるものは実は皆さんの知っているワクチンではなく、安全でも有効でも必要でもありません、これは人殺しです、などと叫んでみたところで、私の頭がおかしいと思われるのがオチだ。人は一度聞かされた真実よりも百回聞かされた嘘の方を信じる傾向が有る。それはこの一年半で嫌になる程思い知らされた。何しろ向こうは何十時間、何百時間、何千時間と掛けて、自分から腐った御用学者や政治家の口にするゴミ情報をぎっしり詰め込んでいて、頭の中がゴミ屋敷状態になっているのだ。私の様に最初からゴミ情報と役に立つ信頼度の高い情報を分別して、ゴミだと判ればさっさと自分の頭の中から放り出すよう心懸けて来た人間が、今更真実を詰め込んでやろうと声を張り上げてみたところで、先ずはその大量のゴミの分別を何とかしないことには、相手に耳になど届く筈が無い。基本的に真実は自ら受け入れる用意の有る者にしか開示されない。全力で毎日ゴミの山に頭を突っ込んで自ら妄想を逞しくしている人達が、「ひょっとして何かおかしいのではないだろうか」と疑問を持つ勇気と知性を持たない限り、他人が幾らどうこう言ってみても無駄だろう。彼等は最初に入口を間違えてしまったので、出口の無い迷宮に入り込んでしまったのだ。
COVID1-19ワクチンに殺された人の数は、厚労省の人口動態データを見る限りでは日本国内だけで約10万人と云ったところだろうか? まぁ1,000人に1人程度では、彼等が疑問を持ち始めるのには十分ではないのだろう。100人に1人、10人に1人と云う比率でバタバタ人が死に始めるまで、彼等は自分達の体を遺伝子改変装置によってオンデマンドの毒物生産工場に変え続けるのだろうか? まぁ大人達は自分達の責任だとも言えるが、それに巻き込まれる子供達はどうなのだろうか………?
「痛いのは効いている証拠!」―――何だそりゃ。なら全身が真っ赤に腫れたりベル麻で顔面が引き攣ったり壊死を起こして手足を切断したり、心不全を起こして死んだりしたら満足なのか? 「医者は何よりも先ず患者に害を与えてはならない」と云うヒポクラテスの誓いは何処へ行った? 何故「治療によって害を受ける」ことが前提の医療なるものについて、誰も疑問を抱かないのか? ああ、それも仕方が無いのか、「副作用(本当は本作用だが)」を当然視する発想を、彼等は生まれた時からずっと叩き込まれて来たのだ………。
「これ何の注射?」「悪い風邪に罹らないようにするのよ」―――いやいや看護師さん、「コロナは風邪」ではない!と云う話はどうなったんだ? インフォームド・コンセントの原則は一体何処へ行った? 何故皆ワクチンメーカーが保証してすらおらず、そもそもその為の機序が備わっていない「ウィルス感染症予防効果」について、そうも確信に満ちて語っているのか?
ああ、そうだとも、WHOがワクチンの定義を変更したからだ。彼等は中身を見ず「ワクチン」と云うレッテルだけを見て、今までと同じ仕組みで害の無い(つまり彼等が気付かない程度には少ない)薬物だと思い込んでいるのだ。ワクチンマフィア共はレッテルがどれだけ重要か心得ている。「これは薬ですらない遺伝子治療装置で、まだ人間で試したことは有りません」などと正直に話したら、95%の人はそんなものを自分の体の中に入れたがらないと承知している。見掛けはこの際死ぬ程重要だ。中身が毒であろうとも薬だとラベルを貼れば殆どの人は疑いを差し挟まない。
世界中のデータが、COVID-19ワクチンが毒以外の何物でもないことを示唆しており、公式のデータが今現在疑い様も無く記録史上最悪の医原性災害(薬害事件)が進行中であることを明らかにしていようとも、彼等は自分で調べたり、そうしたニュースを扱っているメディアにアクセスしたりはしない。何か有ればTVや新聞が取り上げてくれる筈だと、これまでの薬害や公害事件が教えてくれた一切の教訓を忘却して、無邪気に無根拠に信じ込んでいる。世の中には腐った連中も居るかも知れないが、お医者さんや科学者の先生達、メディアの記者さん達は、ちゃんと自分達の仕事をしてくれている筈だ………腐ったシステムの中で「ちゃんと自分の仕事をする」とは、つまりは腐った上の連中の腐った嘘に加担すると云うことだ。だが彼等はこの世がどれだけ腐っているかを知らない。ワクチンマフィアの腐敗が日本の原子力ムラなどのそれに比べて文字通り桁違いであると云う事実について耳にしたことが無い。だってTVでやらないから。おかしいな、ワクチン打てば終わる筈じゃなかったのかな。まぁいいや、やるべきことをやって、専門家の言うことに従っていれば、災厄はワイドショーを観ている内に通り過ぎて行くかも知れない………。
彼等は騙されていると云う自覚が無いから、何度でも平気で同じ手口の嘘に引っ掛かる。そうこうしている内に心理的なサンクコストが積もり積もって、「自分がこれまで頑張って我慢して来たことが全て無駄だったなんて、そんな筈は有り得ない」と云う心理的防衛機能が、恥知らず共の嘘を分厚く覆い隠してくれる。この場合、時間は嘘吐き共の味方だ。時間の経過と共に「何かおかしいんじゃないか」と思い始める人も出て来てはいる様だ。だが過度な期待はしない方が良いだろう。ものを考えない為の言い訳など、人間は幾らでも思い付けるのだから。
他方、接種会場の外に出ると、TVが「過去最大の感染者数」を報じている。おいおい、皆さん、ワクチンを打ったら感染を抑えられると信じたから打ったんじゃないのかい? なのにワクチンを打ったら感染が終息するどころか寧ろ拡大している。明らかに彼等の期待とは逆のことが起きているのに、彼等は何も疑問には思わないのだろうか? いや、危機感を煽られれば煽られる程、彼等は「もっと頑張らなきゃ」と思うのだろうな。視野狭窄は視野狭窄を拡大再生産する。論理的な矛盾が拡大すればする程彼等は頑なになる。世界中のデータが、COVID-19ワクチンは寧ろ逆効果でしかないことを示しているのに、彼等は気にしない。彼等はそもそもその種の情報には接しない。私は日常的にそうした情報に触れてはいるが、それは恐らく偶々私が彼等よりも世界の嘘に気が付くのが少しだけ早く、ゴミ情報ではない信頼出来る情報源を探して何年も模索を繰り返して来たからに過ぎないのかも知れない。巡り合わせが違っていれば、私自身も彼等の狂乱の宴に参加していたのだろうか。私は別段彼等よりも頭が良い訳ではない。只ほんの一寸頭を使って疑問を持つ習慣を身に付けていたのと、ほんの一寸幸運だっただけ………。
置いてある新聞を開けば、行政府が一面広告で、エアロゾル感染への注意を呼び掛けている。待ってくれよ、今までのユニバーサルマスクだの社会的距離だのアクリル板の仕切りだのは、COVID-19の感染経路は空気感染ではなく飛沫感染と云う前提の上に成り立っていた話ではなかったのか? つまり気にすべきなのは、くしゃみや咳の力を借りなければ2m以上移動出来ない大きな飛沫だけであって、空気に乗って何十mも好き放題移動する小さな飛沫(エアロゾル)にはウィルスは含まれていないか、含まれていても気にしなくても良いと云う、科学的にはどう云う根拠が有るのかさっぱり解らない仮定を受け入れることで、今までのコロナ「対策」は意味を持って来たのではなかったのか? つまりこの広告は、今までのコロナ「対策」は前提が間違っていました、実は無意味でしたと当局自身が認めているも同然なのに、この矛盾に誰も気が付かないのだろうか? これは論文を何十本も読まなくとも、論理的に思考する意志と能力さえ有れば、中学生でも気が付くことの出来ることだ。周囲の人々は一体自分達の脳味噌を何処に置き忘れて来てしまったのだろうか?
学校は自分の頭でものを考えるな、根本的な疑問を持つなと子供達に叩き込む所だ。だがそんな所でも反逆する子供達は必ず居るものだ。そう云う子等は、今は周囲の同調圧力に屈して息を潜めているだけなのだろうか、それとも、事態の余りの大きさに想像力が付いて行かず、途方に暮れているのだろうか、それとも自ら思考停止の道を選び、悪夢が終わるまで何も考えないようにしているのだろうか? だがこの悪夢は、自分達からキッパリと「もうこの嘘には付き合わない」と宣言しない限りは、決して終わることが無いのだ。個々人がその気になりさえすれば、今この瞬間にも悪夢は終わらせられる。だが個人でいることは、つまり自分の頭で考え、疑い、調べ、判断し、決断を下すことは、勇気が要る。こうも同調圧力が強力な状況では、自分を信じ、孤立を恐れないでいることは容易なことではない。承認欲求は相当程度諦めなければならない。だが要請される「自粛」だの学校閉鎖だのユニバーサルマスクだので心理的に追い詰められた子供達は、他者からの承認にどれだけ飢えていることだろう。彼等には酸素も他者との接触も足りていないが、「この世界に居ても良い」と云う無条件の承認もまた不足しているのではなかろうか。何しろ彼等は存在するだけで周囲に病気をバラ撒くかも知れない潜在的な脅威、地球や公衆衛生にとって害を齎す可能性の有る、存在しない方が良い存在なのだ。だから罰として毎日顔に息苦しく不快な拘束具を着けさせられているのだ。親や教師や周囲の大人達、或いは周囲の同年代の子供達からすら、何度も何度もロシアンルーレットに参加して恐怖と苦痛に苦しめと勧められているのだ。全く、彼等は何と云う不運な時代に生まれ落ちたことだろう………。
私は巨大な嘘との闘い方を碌に知らない。私もまた、民衆運動が弾圧され骨抜きにされ、組織的基盤も思想的基盤も奪われた時代に育った一人だ。おまけに性格的にも、誰かと協力して何かをやるのは大の苦手と来ている。私は所詮一介の頑固な一夢想家以外のものではない。子供の頃から独りでいるのが当たり前だった。周囲の人々の見ているものと私の見ているものが全く違うのが普通だった。今はそれではいけないことは解っているが、自分にからっきし行動力が無いことも骨身に沁みて解っている。だが手を拱いて何もしない訳にも行かない。残念ながら私は巨大な嘘に気が付いてしまっている極く少数派に属してしまっているらしいので、知ってしまった者の責任を果たさない訳には行かないのだ。だからこうして今も(SNSを禁止されても)ネットの片隅でぶつぶつ呟いている。だがプーチンがオリバー・ストーンのインタビューで言っていた通り、それが一体何になるのか? 数十人だか数百人だかが私が細々と発信している情報に偶々触れたからと云って、それで何がどう変わる? 目の前の集団狂気はどうやったら止められる? 彼等に私の声は届かない。COVID-19パンデミック詐欺だけに限って言っても、この2年半で大きく開いてしまった溝を、どうやって埋めれば良い? 私と彼等は全く別の宇宙に住んでいるのに………。無論これは何よりも先ず自分の為にやっていることだ。自分を許せなくならないようにする為にしていることだ。なので後悔は別に無い。だが時々どう仕様も無く無力感を思い出してしまうことが有るのだ。
この国は今や一億総カルト信者時代だ(古い表現だとは承知しているが、総人口の8割以上、1億人以上が既にCOVID-19ワクチンを接種してしまっているのだから、強ち大きく間違っている訳でもないと思う)。コロナカルト信者に事実や理屈や科学は通用しない、彼等が信じるのは自分達の認知的枠組みに沿った物語だけだ。基本的に私に今出来ることは、彼等の認知的不協和が積もりつもって臨界点を迎え、何かの瞬間に決壊するのを待つことだ。その時の為にこつこつと目の前の嘘を片付けておくことだ。被害が今より更に広がるのは最早避けられないだろうが、それは仕方が無い。彼等の信仰をマスコミや御用学者が勝ち得てしまっていた時点で、この勝負は始まる前から負けてしまっていたのだ。少なくとも、それは私独りの責任ではないが、それも言い訳に過ぎない。「無為」を「無力」や「無能」に摺り替えてみたところで、現状が変わってくれる訳ではない。私はカルトの巣窟に迷い込んでしまって途方に暮れている異邦人だ………。
このエッセイに特に結論は無い。目の前で進行するジェノサイドを止められない自分に多少嫌気が差して、愚痴ってみたくなっただけだ。私は相も変わらず憮然として歯を食い縛って本を読んで多少書き物をする。時々希望と笑顔に触れて人類の未来を信じてみたくなる。だがそれと同じ位時々、世界が自分の手の平から零れ落ちて行く感覚を止められない。
戸嶋靖昌、自画像。

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