300万の民間人の死の背後にキッシンジャー———インターセプト
RTの記事。2023/05/23、生存している中では勿論、間違い無く人類史上世界最悪の部類に入る大量殺戮者であるヘンリー・キッシンジャーについて、彼の100歳記念にインターセプトが特集を組んだ。特にカンボジアに対する秘密戦争に焦点を当てている。
Kissinger behind 3 million civilian deaths – The Intercept
2023/05/23に現実路線の戦略家の生誕100周年を記念して発行されたインターセプトの報告書に拠ると、6人の米国大統領に助言をして来た外交政策界の黒幕、ヘンリー・キッシンジャーは、300万人以上の死者を引き起こした。
ニクソン時代の国務長官や国家安全保障問題担当大統領補佐官を批判する人達は、米国が支援する数々のジェノサイドやクーデターに於て極めて重要な役割を果たしたキッシンジャーのことを屢々戦争犯罪人だと評するが、インターセプトの報告書は、キッシンジャーが責任を負うべき死者数が大幅に過小評価されていると主張している(特に、1970年代にヴェトナム戦争を秘密裏且つ極めて違法に、カンボジアまで拡大したことに関して)。
東ティモールとバングラデシュで彼が支援したジェノサイド、大陸規模のテロ、ラテンアメリカでのクーデターと死の部隊(コンドル作戦として知られる)、アフリカ南部での内戦の扇動、ヴェトナム人を追撃すると云う名目で行われたカンボジアとラオスへの絨毯爆撃———キッシンジャーは300万以上の民間人の死に対して責任が有ると考えられている———彼が民間部門に与えた助言によって生じた死傷者を数えると更に多くなる。
キッシンジャーは、自分の行為がカンボジア人5万人の死を引き起こしたこと「だけ」を認め、ヴェトナム人を非難している(彼等は米国の爆撃作戦の標的とされた人々だが、これらはヴェトナム国内での合法的な攻撃として記録する為に、不正確な座標が記録された)。インターセプト記者のニック・トゥルースは、民間人の死傷者数を意図的に著しく過少カウントしている文書化された多数の事例を指摘し、その数は15万人に近いと主張している。この数字は、9.11以降、米国が空爆で殺害した民間人の6倍以上に相当する。
国防総省の秘密戦争犯罪対策委員会からの機密解除された米軍文書のインターセプトの「独占アーカイヴ」からの転写は、当時の大統領リチャード・ニクソンの、カンボジアに関する屢々酔った好戦的な放言を、1970年にこの国で「大規模爆撃作戦」を開始するよう一貫した指示として国防総省に伝えたのは、キッシンジャーの決定であったことを明らかにしている。 キッシンジャーの、今や悪名高い「飛ぶものなら何でも、動くものなら何でも」撃てと云う指令により、秘密戦争が勃発し、年末までに爆撃件数は3倍になった。彼は戦争中の3,875回の個別爆撃全てを承認し、爆撃機は1973年だけでカンボジアに25万7,000t以上の爆発物を投下したとされている。
インターセプトのアーカイヴはまた、実行以来ずっと忘れ去られていたカンボジアの村々に対する数多くの残忍な地上襲撃も明らかにした。トゥルース氏は生存者達へのインタビューを通じて、襲撃が報告されていたよりも遙かに致命的であったことを確認した。空爆は頻繁に「パイロットの間違い」として隠蔽される一方(この「間違い」はにも関わらず何千回も繰り返された)、米軍は地上部隊が襲撃したばかりの村を略奪しているところを内部調査で捕まった時、何と記者団を非難した。
キッシンジャーによるカンボジア絨毯爆撃は、カンボジア人口の20%に当たる200万人のカンボジア人を殺害したクメール・ルージュのジェノサイド独裁制への道を開いた。キッシンジャーは彼等が地域同盟を確保出来るよう支援しながら、彼等を密かに(しかも好意的に)「人殺しのゴロツキ共」と呼んだ。
キッシンジャーは戦争犯罪で起訴されたことは———或いは公に告発されたことは———一度も無いし、米軍は、実際に殺害を行った軍隊の責任を追及する為の組織的な努力も行っていない。
補足:インターセプトの報告書は以下(有料記事)。
BLOOD ON HIS HANDS
Notorious 1973 Attack Killed Many More Than Previously Known
Transcripts of Kissinger's Calls Reveal His Culpability
U.S. Blamed the Press for Military Looting in Cambodia
Kissinger behind 3 million civilian deaths – The Intercept
2023/05/23に現実路線の戦略家の生誕100周年を記念して発行されたインターセプトの報告書に拠ると、6人の米国大統領に助言をして来た外交政策界の黒幕、ヘンリー・キッシンジャーは、300万人以上の死者を引き起こした。
ニクソン時代の国務長官や国家安全保障問題担当大統領補佐官を批判する人達は、米国が支援する数々のジェノサイドやクーデターに於て極めて重要な役割を果たしたキッシンジャーのことを屢々戦争犯罪人だと評するが、インターセプトの報告書は、キッシンジャーが責任を負うべき死者数が大幅に過小評価されていると主張している(特に、1970年代にヴェトナム戦争を秘密裏且つ極めて違法に、カンボジアまで拡大したことに関して)。
東ティモールとバングラデシュで彼が支援したジェノサイド、大陸規模のテロ、ラテンアメリカでのクーデターと死の部隊(コンドル作戦として知られる)、アフリカ南部での内戦の扇動、ヴェトナム人を追撃すると云う名目で行われたカンボジアとラオスへの絨毯爆撃———キッシンジャーは300万以上の民間人の死に対して責任が有ると考えられている———彼が民間部門に与えた助言によって生じた死傷者を数えると更に多くなる。
キッシンジャーは、自分の行為がカンボジア人5万人の死を引き起こしたこと「だけ」を認め、ヴェトナム人を非難している(彼等は米国の爆撃作戦の標的とされた人々だが、これらはヴェトナム国内での合法的な攻撃として記録する為に、不正確な座標が記録された)。インターセプト記者のニック・トゥルースは、民間人の死傷者数を意図的に著しく過少カウントしている文書化された多数の事例を指摘し、その数は15万人に近いと主張している。この数字は、9.11以降、米国が空爆で殺害した民間人の6倍以上に相当する。
国防総省の秘密戦争犯罪対策委員会からの機密解除された米軍文書のインターセプトの「独占アーカイヴ」からの転写は、当時の大統領リチャード・ニクソンの、カンボジアに関する屢々酔った好戦的な放言を、1970年にこの国で「大規模爆撃作戦」を開始するよう一貫した指示として国防総省に伝えたのは、キッシンジャーの決定であったことを明らかにしている。 キッシンジャーの、今や悪名高い「飛ぶものなら何でも、動くものなら何でも」撃てと云う指令により、秘密戦争が勃発し、年末までに爆撃件数は3倍になった。彼は戦争中の3,875回の個別爆撃全てを承認し、爆撃機は1973年だけでカンボジアに25万7,000t以上の爆発物を投下したとされている。
インターセプトのアーカイヴはまた、実行以来ずっと忘れ去られていたカンボジアの村々に対する数多くの残忍な地上襲撃も明らかにした。トゥルース氏は生存者達へのインタビューを通じて、襲撃が報告されていたよりも遙かに致命的であったことを確認した。空爆は頻繁に「パイロットの間違い」として隠蔽される一方(この「間違い」はにも関わらず何千回も繰り返された)、米軍は地上部隊が襲撃したばかりの村を略奪しているところを内部調査で捕まった時、何と記者団を非難した。
キッシンジャーによるカンボジア絨毯爆撃は、カンボジア人口の20%に当たる200万人のカンボジア人を殺害したクメール・ルージュのジェノサイド独裁制への道を開いた。キッシンジャーは彼等が地域同盟を確保出来るよう支援しながら、彼等を密かに(しかも好意的に)「人殺しのゴロツキ共」と呼んだ。
キッシンジャーは戦争犯罪で起訴されたことは———或いは公に告発されたことは———一度も無いし、米軍は、実際に殺害を行った軍隊の責任を追及する為の組織的な努力も行っていない。
補足:インターセプトの報告書は以下(有料記事)。
BLOOD ON HIS HANDS
Notorious 1973 Attack Killed Many More Than Previously Known
Transcripts of Kissinger's Calls Reveal His Culpability
U.S. Blamed the Press for Military Looting in Cambodia
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